2014年05月01日

卒業126・医学生:イカスミ柳

「卒業126・ 医学生
 (西山讃歌)」
 543/4
 20140501創曲詞
医学部へめざす
君の真摯な瞳
人命大切を 
学びきわめると
大きく言う声 
聞けば楽し
 切磋琢磨の日々 
 遠くになるも
 君のことを覚えて
 いつかはまた会う

字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
かいきょうのそうきょうはよい日です。
そうきょうのよい自分です。
****
医学あり 人の世にあり 我が命
君の体の 大切を学ぶ 
****
  秋残り市立美術館春期展示
 『医学図鑑』
  人体 大切 画状
***サメ  サメ サメ  サメ サメ  サメ サメ  サメ***



 余は、人体という、思議の未知という、そこを訪ねた
日がある。人の手により、人の中へ入り、異常なきかありかを
知らせてくれという。快くこれを承諾した。余の目に映るものを、
医者という余を操作する術者が見るという。それを見て、判断
するという。余にとっては、至極簡単なことである。操作される
ままに動くだけである。
 ベルト・コンベアという、余にあわせて人が動くのである。
余に遅れず進まず、余とともに動くのである。
 この度は、余に命令ともいえる操作を施す。余は、壁に当たれば
これを傷つけぬよう、最新の注意を払い、深部まで進んでいった。
細い道といおうか、そこも無事通り、くまなく、見て、知らせた。
 やがて目的は達せられ、余はまた、来た道を間違わずに
帰り、人体の外へ出た。余の見たものは全て記録され、
記録を受けているのも余の同僚である。かくの如く、余にとっては
人体にも余の出番はたくさんある。人体の内部はかくの如くである
と、人にも知らせている。余の恩恵である。
 古い日には、今もそうであるが、外から人体の内部を
みせてくれ、という。余は、人体透視線を駆使して、内部を
写すのである。ここで、余は自分を考えてみた。
余はいつから、この世にいるか。人類とともにいるのである。
人類より幾分か時間のずれはあろうが、ともにいるのである。
余の誕生秘話である。余は、余をつくってくれた人を親という。
余をまるで別物であるかのようにいう人もあるが、
余は、人類を親戚というのである。これが余の心情である。

秋残り世界文学全集
 「余は機械である」より
posted by 秋残り at 20:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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