2014年03月01日

卒業61:イカスミ柳

「卒業61・フーリー(西山讃歌)」
345/4 20140301創曲詩

ふり きみよきて
ふり あるよきみ
ちったのえたら
ゆゆゆ ふふる
すやすや こるれる
きききよ し
「        つる」

「つる」を最後に入れる。

字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
かいきょうのそうきょうはよい日です。
そうきょうのよい自分です。

****
ただよすく ああたるあみの ゆりあらと
ただみつるく ややるうくる すゆゆす
****
秋残り市立美術館所蔵名品
春季特別展示
「機械舞踊」
オドロ 御方 画つ

メメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメ
直角もしくは、斜め互いとなる。
4拍目、1・2小刻み(イチニコキザミ)という。
5拍目も同。6拍目を、足そのまま、背を伸ばす。
(6拍目を、左足をすすめた場合、7拍目が右足になる。
チェック・チェスリという。チェンジともいう。)
後、前2小節と同様。

手の動き。左手体側。右手、1歩目で、
肘を曲げて斜め上方へ出す。
ヨーイ・ドンの格好。2拍目で、
手を伸ばして斜め下、体側より少し前。
3拍目、左足 前かぎ(内かぎ)
つまを寄せた格好となる。少し前方。)
左手そのまま。右手が、そのままと、
少し後ろへひく場合と 2種類となる。
小ギザミで、手を揃えて出すひに、
手の動きがちがうように出す。
左手が、3拍目が中途半になる。
2拍目半ばくらいから、直角に若しくは少し
上へ前に振り上げる。この時、右手が手をかえて、
ひいた右手を伸ばして上へ上げる。平手だと、
手の平を外側に向ける(親指前後ろで、2種類ある。) 
「踊道ゆりスリ編む」、という。 (この「編む」が、
英語のアイアムビックのアムになる。)3拍目をかぎを
せず、まっすぐの場合もある。次の小ギザミが、
手が両手平の場合、手平が右外へ
向いている。


チェック・ロックの所、音楽が、「ドレミル」という。
音の形容。ドレミル音という。このドレミルで
4分を3にする。3等分の4拍という。
3連符という話という。これを「チェック・ソウ音」という。
3連符を4回続ける。「秋寄りの綴り」という。
「文章編み」ともいう。

ここで、手をとる。外へ向いている両手
(映画のカチンの格好の手)を、
このまま左体側へ持ってくる、ヨサレをする。
間隔をこのままするひぃに、右手が左体側へきた
時に左手が後ろへ残る。(これを「秋吉」という。
「あきよしきち」ともいう。「秋残り手」という。) 
この時、手をかえて、左外へ手の平を向ける。
これをこのまま、左前と右前に入れる。いったん、
下げが入る。これを、「波切り手」という。これを手を
替えずにやる。手の公が外に向いている場合、
これを「山崖手」という。氷山のような格好を表す。
「杉の木手」ともいう。これを、スリ入りと見立てて、
「ゆりクツ」という。これが、文のゆり、という。
分けの分ともいう。若い人の若い分けともいう。
訳分け〔ヤクワケ〕という。これで小走り部分を表す、
複節という。音楽のことという。
2回繰り返してこれをする。足は3歩を歩む。
山崖でも浪切でも、どちらでもする。3小節4小節目も
これの繰り返し、という。
これで、「ダブ・ロック」という。これをクロックでする部分
でもある。
「ダブ・クロー・ロー」という。手を浪切にするひぃに、
足を浪切にする。
同じ足を左右前へ出す。ゆりの足ともいう。
これを「富寄り編み〔トミヨリアミ〕」という。
アムレバ・スーユーともいう。踊りのスーユーとなる。

5拍目も、4歩で、これをとる。いっき上げ引き、という。
「いっき」を「五」にとる、「ごきゆらすま」という。
「ごきゆらみ」ともいう。これを「すっぽん」という。
上下をひっくり返して見立てて、地ならしの綱引きとなる。
綱引きという、5分の3、という。5拍の3連符という。
山行きのリズムという。5歩分を3歩で歩む。
小股サンゴ、という。音楽の律の山行きという。
これをいう。サンゴの頭拍という。詩文の頭韻という。
見立てという。

詩文歩きの一種となる。手は浪切で行く節という。
手の動きと足の動きが一致するせんの律という。
「セン・フーヨー」という。これを、和文編み寄り歌という。
イッキコッキの歌という。この章、全部これである。
曲だけを替えて行く、「イーカラー」という、曲様という。
曲の様である。「イーカラ・スーヨー」という、
煙草となるような言いという。烏を育てる一方法でもある。
ウマガラスの山という。話が夜のうえ、という。「ヤッパ」という、
ことの語元〔ごもと〕という。カスレグ、という音、手と、進みの筺という。
筺山スーヨーという。スーヨールーという。かけを入れた説き、という。

後4拍の8小節をからす見立てという。即興造りで、
音楽はどんなものでもよい。即興分をおいておきます。
「ヤッコサーのヨイのヨイの」の
西洋舞でも、サーベルの武でも、好きに入れる。
「からすきおき」という。これの、残りのアキである。
空き残しである。私の分である。
「ビビンスー」という、読者かこみ入れである。
読み取り取られ山という。読んでいる人、ヤッコラサーという。
ヤッコラサーて、いう。
ヤッコラサーテ、という、役作という。
秋残りの空残である。
ヨイ、ヨイ、ヤッコという。かけ山のつく、という。
つく山スーヨー、ともいう。つったれるふ、ともいう。
ツーツーセーフーのユルユ、という。
ゆるゆる歩みのことをいう。見物が手を見る、
手あきゆり、という。
この音楽をとる、やらや、という。やらやる、という。
やらめよ・スーユーという。すみすゆのおく、という。
オーユル・ユークーの山という。遊山の音楽という。
せんど・やりくふ、という。せったの山のお書きという。
雪駄の愛でという。雪駄履きの姿のよさ、という。
雪駄の音楽である。雪駄行列の行進ともいう。
観客取り囲み行進である、取り込み行進である。
これを歌わす「ぼん切り」という。「ボンタン」の曲を塔という。
塔という曲でもある。尊い・う、話である。

機械ロックのネジきりに使う、ねじ山の切りである。
機械の動きである。段々とまっていく機械という。
ねじの山を見ながら工作していく、母工作〔ボコウサク〕
という。マザー・マシーンの歌である。機械母〔キカイボ〕
という、機械の家、という、我が家の杢工である。
機械を作る機械のマザーである。マザー・マシーンの
歌である。スーヨー・ルークゥの歌という。
ダンスルゥ・レックゥともいう。我が家のスーユー
である。  極曲の府、これである。
我が家の歌という。造りの一つである。
秋残り家のあわ、という。後入れ楽である。

チェック・ソーで歌は入る。
チェック・ルーで、チェン・ルルーという。
リンドン・ホッケーともいう。
りーらつの歌という。この歌の前半である。
曲解説、秋残り忙手楽足
秋残り世界という世界文学全集の巻1の
「余は機械である」より

文野 統合 :文由

余補、浪切手を愛で目で追う。「ゆよめ」という。
行進で使えば、「和舞れぐ津」という、舞踊歩〔ブヨウブ〕
という。剣道の足の出を誘う。「デミス」という、誘いという、
うながしである。剣道行進を促す、観客よりの入りを
うながす「デミショス」の「けんつき」という。観客を行進へ
誘い入れる動きという。予め、観客席へよっている場合という。
観客席から行進へ入っていく、この出の合いという。
これを「いごう」という。いご入りという。囲碁ともいう。
石入りともいう。岩寄りともいう。観客のなりをする
「かわれ」という。かわれの出の歌でもある。
秋残りの演出である。
秋残り芸能稲(秋残り芸能穂)、より。
稲入り文という。この文の書きのこと。
穂が下がるをとる文である。
環文という、書き方という。文の種類をいう。
posted by 秋残り at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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