Shmocratic People's Republic of Korea 버드나무
Yokota-san, you would come back to Japan.

秋密027長岡京非歌(おりがるは) : いかすみ柳 2024/07/09作

駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック
スマホ天神、スマホ天女方々用、こちらをクリックしてくださいませ。 MP3 file
You would click music piece.

【曲名】 秋密027 長岡京非歌(おりがるは)

創曲、雪楊理佳 2024/07/09
造詞、冴柳小夜 2024/07/09
監修、そうきょう連 綾椥貴人 2024/07/09
挿絵、香 淳時 2024/07/09
【作成ソフト】
Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
きすさみ 藤原京より古い呼び 北条奥
おつれという 天満宮がなかった頃 ゆびらぜ
ほにふ 白い台地に青い日が沈む おりがるは
きむれさんれ おりがるは そがれすの言葉
ものちひる よいよいやな
【今常】そうきょうよい時です。
【解説】2024/07/09
【歌詞解説】
きすさみ:藤原京より古い長岡京辺りの呼び
ゆびらぜ:私
ほにふ:「ほうろ」「ほほろ」とも。頬路。
喜びを表す、「ほ」で、喜びという。
おりがるは:日沈
き:私
む:〜が、〜は、の意
れさんれ:拝む
そがれす:それがれす、とも。段明け
という、夜が何度も訪れる
ものちひる:物を手にすること、物部
という。手のこと。
北条奥:地名、西陣の奥の方。
今の、きたじょう(北条)とも。
北条を、きさば、という、これを
おつれらく、という言葉とそ。
白い台地の長岡京という。白かった頃。
青い日が沈む光景、「おりがるは、にった
んせ」という、日沈を、きよふら、という。
きよびしのはますら、という。白い台地の
浜という、広い台地の浜のこと。大地を
浜という。
段明けという、何度も夜が訪れ、何度
も夜が明ける。ド〜ンという大きな音を
立てて夜が明ける。また、夜になる。
これの繰り返し。
藤原京に置く言葉という、藤原とっさみ、
という、そがれすの言葉という。歌語でない
言葉という、歌語少し出来が違う、りさりの
出来という、それゆっせの言いの言葉。
花村御所の頃の言葉という、うちさわる
言いとそ。今の言葉にある、さわる、という
言葉という。これが、ものちひる・そゆられ、
という、手を「ゆ」という言葉という。
そゆられ、という、手のことの言葉という。
ものちひる、という、物部の手という、
物に手をやることという、物部ゆっさま、
ともいう。そがれすの言葉という。花村
御所にも段明けがあった。これらの期
の言葉という。「ものっせらく」ともいう、
そがれすのこと。
後、天満宮を作る、長嶋天満宮と
いう、後、長岡天神という、長岡天満宮
のこと。長岡天満宮に住まいをする、
私のおいやり、という、おいやりの・宮浜
という、天神辺りという。
頬路という、はみふらの・ゆいばっせる、
という。頬の言葉という、喜びを表す言葉
という。単に、「ほ」という、喜びのこと。
「きむかっすり」の言いという、「私はかっさり」
という意で、「私はいきます」という。
かすりの着物という、その意味がある着物
です。洋服のカッシビーという、背広のこと、
生きる意がある西洋の・かってら、という、
カッシビーのこと。
かすりの着物をよく来ていた私で、明治
の頃という、カシッビーを来ていました 、
軍服のケッセムという、花村御所の言い
です。生きる意の着という。
おりがるは、織刈葉と書く。太陽のこと。
そがれすの言い。
長沼という、今私の住む家の周り、白い
沼の家という、しろゆらら、という、花村
御所の頃の言い。
しろゆららの・しろゆがす、という、家のこ
と。やらさりくる・あいしら、という、白い沼の
泥を上げ、せまりくる、しんさんまて、という、
波風が吹いていた頃。大きな波が上がる
花村せいたら、という、花村風という。
しろらるいやのお言いという。
歌に使っていますが、歌語ではありません、
そがれすの言葉です。後、総称で歌語に
いれる、がにらず、という行いです。
がにらずが、けってらぜ、という、がにらすれ
花寄村(はなよりむら)という、花村御所の
東という、そこの、しがり、という、入れる
行いという。歌語に入れる、しがり、
という。
天照大御神著、そうきょうよいお書き。
名前柳、小林壱裕柳。
柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳
『天照大御神、そうきょう、よいよい』
御私がいらっしゃる柳。応楊合点、柳ましょう。綾椥貴人書。