2023年03月16日

出発6901-4 アルサーレラ・ヤッパン、ムゼラー : いかすみ柳   2023/03/14作

出発6901-4 アルサーレラ・ヤッパン、ムゼラー : いかすみ柳   2023/03/14作
【曲名】出発6901-4 アルサーレラ・ヤッパン、ムゼラー
【今常】
そうきょうよい時です、柳ましょう。健康安全。
【解説】
【京都の保田】 
三途の川という、大きな川で、今の京都の五条通りという、川であった頃という。 アウグスチヌスさんという歩いて橋をわたられたことという。みっかかけて渡られたとい
う。川の広い所、槍があったその槍を回る橋という。移動橋という。橋が移動する橋という。アウグスチヌス橋という。自動車のシボレーで渡るシボレー橋という。大きな川で海のような広さという場所という。今の私の住む家の近くという。保田ユウブルという橋という、一般の言いという。みぬ、という。みばれ、という、みんすの言いという、保田ユウブルのことという。
【海の中の槍】
 槍の名を、みゆさら、という、大きな槍という。
 この川の掛かりという、きみるりの・きびしり、という、槍をしりという。しみるかの言いという。海の中の槍という。クジラが泳いでいた川、海という。三途の槍という。川の名を、きるさり、という、ぎみす川という、きびしびの言いという。三途の川という。34H@RA1RSE4
アウグスチヌスさんという人の言いという、メラといわれたことという。海をいう言葉という。大きな広い海である頃という。今の京都からは
想像もできない場所という。

 アウグスチヌスさんという人ともいう、後、GHQの人という。保田城の丸城があった頃という。保田の城が海を有すという、ゆうす海城という。ユースビーズという、アメリカのニクソンさんの言いという。後の大統領という、レーガンという人もちょっと見られた話という。レーガンさんという人という。フランスのシラクさんという、一緒にみられたという。シラクという海という。橋がなかった頃のことという。
みんばすの言いの橋という、びしゅしら、という、橋のことです。
【みの槍のシラクレ】
 後、シラクさんが訪ねられる、御所という、今の京都御所です。この時の御所、シラク海の御所という、ほっぺら、という、みの槍の御所という、私の住む家という。
なよびの御所という、なよめのふられ、という場という。今、私の住む家の近所です。シラク海のあった場所という。保田夢という日のことという。

*****略

 私の訪ねられたシラクさんという、その時のお言葉、ピラリという、フランスの言葉という、海という意という。フランスの、ゆみび、というある槍の言葉という、フランス・マッターホルンという、槍やらの言いという、ピラリーという槍ともいう。海の槍という、どちらの意味もあるフランス語
のピラリという。何度も訪ねて下さった御方です。
【シラク先生】
 ある時の教授という、学校の授業という、シラク先生という、フランス語での授業という、ミスツという言葉という、みす槍の言いという。誠という意という。フランス語のそうきょう語という。
【世界の先生】
 〇アブラゼーラという、アッジャンシーの国の人という、ゴンドレーという言葉という、まっかの意という、まっかができたことという頃という。その頃の言葉という、マッカーというくみすらの言いの、かよしら、という言葉という。アブラセーラという御名という。パキスタンという国の、かしら、という人という。
 〇アフリカの山のお江という、アフリカのモベンメという山という、今のキリマンジャロという、そこの町の人という、ギシクリさんという、キリマンジャロの話という。学校の授業です。ギシクリ先生という。言葉が日本語です。
この日、日本語のアフリカという。他に英語という米語の言葉という。一部、ブードゥー語という。
 〇ヨーロッパの先生という、今のポーランドという、ザメンホフ先生という、エスペラント語という、これに、ドイツ語という、フランス語少しの授業という。
 〇アメリカのレーガン先生という、ニクソン先生という、クリントン先生という、アメリカの学校の先生という。美馬山(みばやま)のアメリカという、アメリカの山の講義という、この時、アメリカン・ドリームという言葉という、アーカンサスの学校という。ブッシュ校長という、さそいすらの・かいじき、という場所の学校という。生徒にミタスラさんという、アーカンソーの人という。そのミタスラさんの隣にいた私という、15,6人程の学校という、アメリカの古い木造の学校です。ここで歌った歌という、『美しき天然』という、英語の
歌詞という、町の人が、チマ・チョゴリを来ていたという。
御兄共々の生徒という。古いアメリカをいう、ミタスラさんという人という。
アーカンソー・テネシーのきんくり、という場所という。
【世界の学校】
 〇フランスのスペインという、スペインの出る頃という、マドリルという言葉という、スペイン語のことという。ここの学校という、遠く、
 〇リスボンのリカルドさんという人の先生という、フランス語の授業という、あと、
 〇スベインのフランコさんという先生という、スパーネラというスペイン語という。どちらもヨーロッパの産業という講義という。エスペラントのザメンホフ先生がおられた日と
いう。
 〇中国の学校という、周さんという先生という。中国の大河についての講義という。フランス語交じりの講義と
いう。
 〇台湾の学校という、アミの人の先生という。アミレという御名という。台湾のぶざめという講義という、台湾の織物の講義という。高雄の学校という。
 〇インドネシアの学校という。ワヤン・クリという劇の講義という。御名を、リッパリといわれた人という、先生という。
 〇タイの、こういき、という。学校という。きっさまの言いの講義という、タイの古い言葉という。パンという講義という、食べるブラメという、タイのパンのことという。タイ料理の講義という。
 
 〇オーストラリアの、スクールという。スーラメーという、当時の言葉という。そこの学校という、スーラメーのスクールという、生徒が現地人という、それにオーストラリアという英語を使う人という、その混ざりという。講義の内容という、おーすとらりあのコアラについての講義という。
動物のことという。あと、
 〇ニュージーランドという。ハカの言葉という。この言葉の講義という。現地の人という、ハカをいう、講義という。先生が、マッキノンという人という。有名な人です。

 あと、
 〇アフリカのアンゴラの講義という、先生が、ブードゥー語でしゃべられた講義という。日本へ来られて日本語を喋られた人という。アノミラという御名という。アノミラさんの著という、一部私が入ってる著という。ブードゥー・ベーゼーという本という、べぜるれのことという、南アメリカと一
体であった時という。
 あと、
 〇ローデシアという、学校がなかった時の講義という。後で学校ができる。ローデシアという槍という、山のかいじく、という講義という。言葉が、日本語という、英語が少しの講義という。少し大きな建物での講義という。聴衆が、20人程。御兄上共々入れて、35名程という。
ローデシアの、またれ、という場所の建物という。ここでの講義という。いっぱし、という、日本の橋の講義という、隣にアウグスチヌスさんという御方がおられたことという。ローデシアの人の御名という、あうぐさきという場所の、エンテルさんという。日本の橋の講義という。保田の橋の講義という。ウスリーという橋の名で、その講義という、保田のうすり、という場所の橋という。薄里。うすりーという日本語ですといわれた先生という、エンテル先生という。後に、また来られた保田の城の、丸い城のあった時という。何度も来ておられる人という。南アフリカのローデシアへ
行かれた人という。またゆる・おおさり、という言葉という、
日本名が、おおさりさんという。エンテルさんという、橋の著書という、長く我が家にあった本という。
旅にでています、エンテルさんの本という。
日本語書かれた著書という、大去という御名前という。
 〇アフリカ・コンゴ・ブラザビルという、スッツと言う学校という。そこの自動車の講義という。十輪車の講義という。何故、走るかという講義という。黒人という。後、白人のアフリカ人という。どちらも、モヌレルさんという。二人とも、日本へ来られた。イギリスの人がお作りの神社へ参拝された人という。しばらく日本に滞在されていた。
一緒に自動車で、かいらぎ、へ、行った。奈良の、こうしが、という
場所です。今の奈良坂という木津から奈良へ行く途中の所という。

 〇ロシアのサンクトペテルブルグの講義という。学校を、しられ、ということの言いの、ロシア語のシーソリーという。歌の講義という。先生が、ショスタコビッチさんという。ロシア民謡の日本語の歌詞という、日本語をいう日のロシアという。ロシアで日本語が通じていた頃の
ことという。たくさんの人の聴衆という、200人程という。教室いっぱいになったことという。サンクトペテルブルグの落町(おちまち)という場所のことという。サンクトペテルブルグの、ありゆられ、という建物という。ロシアン・クウキルという建物という。ロシア語でスネットという建物という。
そこでの講義という。歌を歌い、講義をする。そんな講義です。
 〇スネット・ビーズリという、当時の言葉という。中国の周さんのおられ、という。一緒に聞いた講義という。
 〇フランスのルイさん、スペインのヘベセレさん、チェコのルミスミラさん、イタリーのスオッツさん、アメリカのシービズさん、ボストンのオーレさん、フォートワースのシビゼリさん、シーバルさん、テキサスのウィンタッチさん‥‥いろんな国の人が聴衆という。
【『ウィンドウズのバトル】
『ウィンドウズのバトル』という歌という、それを発表されたショスタコビッチ先生という。ビル・ゲーツさんという聴衆であったという。イギリスの第二王朝に縁のある人です。イギリスの第二王朝の丘におられたことという、ビル・ゲーツさんという。お会いした日という、イギリスでのことです。第二王朝ちかくの、ウィンの丘、ウィンドウの丘という、そこの在です。日本のムー家ということをいわれる人という。ボストンの貝汁という、ボストン料理のことをいわれた人という。

天照大御神著、そうきょうよいお書き。
名前・柳、小林壱裕柳。
柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳
柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳

『天照大御神、そうきょう、よいよい』
柳私がいらっしゃる。応楊合点、柳ます。


大変な名刺だな、
めちゃくちゃ、よいネ。御私柳私。

posted by 秋残り at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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