2022年11月24日

出発5600色想ゆっきし(味間弓の鳴る音) -2 解説: いかすみ柳  2022/11/22作

出発5600色想ゆっきし(味間弓の鳴る音) -2: いかすみ柳  2022/11/22作
【曲名】 出発5600 色想ゆっきし(味間弓の鳴る音) -2
{地震の時の滝}
 滝の水がいったん切れて、滝の下の方を流れる
 水が跳ねて、右左にゆられていた。その見の歌
 です。ゆらせめらるおゆれふ、という、歌を「ふ」と
 いう、味間りんくす、という。まっすべの言いという、
 まりんとみの言いという、これを、ませらり、という、
 りおんとめっす、という、ませらるう言いという。
 まってすの言いともいう。

 味間の言葉の歌でもある、きぼせる・きみすきの
 歌という。味間みんとすの・りんきっきき、という。
 みろんせるの言いのとみすき、という、これを、
 すきっとん、という。味間の古い言葉という、
 すきっとん、という。
{方言}
 色想湖の味間の屋の丘屋という、そこの住まい
 の歌という。いたやたの言いという、すきっとんの
 ことという。味間ふゆれさ、ともいう。方言を「
 れさ」という、これが、すらす、という言葉使い
 である。すらすりんとみの・言葉という。
{船の排水}
 すらすっすうの色想湖という。船が風を受けて
 前へ進む形容という、これの使いという、すらっ
 すら、という、れおすの水言いという。れおす水
 という、船の水という。少し、船から水を出して
 進む船の排水という、排水を「れおす」という。
 これを「りょうじ」という、「れおす」のことという。
 りょうじ水のおりゃすら、という、すらすっすう、と
 いう、船の進む形容でとす。「でとす」切という。
{文の後尾の締めくくりの切の言葉}
 味間槍間のお切とぞそ。「ぞっとす」という切
 という。「とぞっそす」ともいう。「ですとぞっとす」
 という切という。味間の言葉の使いという、
{飛騨高山}
 私の 幕府記録用語でしょっせず。「しょっせず」
 が 高山市の飛騨高山の、陣屋の、くりるりら、と
 いう。陣屋の切の言葉とぞそぞず。「とぞそぞず」
 という、高山幕府の幕落という、爆長の切という。
 記録の係を幕長という。私の高山幕府での
 陣屋長という、記録の長の言葉という。
 「とぞそぞず」という言葉で、区切られている。
 記録の文の体裁という。高山体裁という。
 高山幕府の記録の仕事という、私の役目と
 いう。「日々記録、之仕事也」私の言葉という。
 昔々の古い高山の切という。文の切という。
 古い昔の高山の私の大切な記録係という
 仕事という。「相勤め候」という、朝の挨拶と
 いう、文語を使う日常の仕事の言葉という。
 高山陣屋の言葉である。高山幕府の山に
 ある城という。城の行き来の朝の白い息と
 いう。いつも寒いという、その頃の高山の気候
 という、
 {飛騨高山市春先の温度}
 春先の温度という今の、マイナスをいう、
 マイナス五度という、今の数えである。
 今の、マイナス5℃という、百分温度という。
 手に、巻脚絆を嵌めて、その上にタオルを巻く
 そしてさらに、藁の手巻きを巻く、その上に、また
 タオルを折巻、これを毎日していた寒い頃という。
 大お爺さんお教えの冬の過ごしという、春先の
 ことという。
{高山の城}
  雪降れば「さこめか」という、豊作の到来という、
 寒い時に雪をめでる高山の城という。古い日の
 私の住まいとぞっしょぜす。「とぞっしょぜす」が
 高山城の切の言葉でありますぞっこす。「ぞっ
 こす」も高山城の言葉だもめせ。
  「だもめせ」という、しゅうるきの使いという。
 後、周語という言葉の使いという。高山を
 「こうそ」という周語という。高山城を「こうそず」
 という。
{高山の冬}
  「こうそずだっく、けろして」という周語の言葉と
 いう、「私は城をお守りします」という意という。
 「けろ」という「お守り」という意とぞっそず。「城
 へ行きます」という意である。「守る」という、「
 高山城のこうそず言いという。日常の家へ行く
 日も使うことという。「家おっそめ」という、「おま
 っすり」という。これを使う高山の三町という。
 その近辺に住んでいた私という。古い古い日の
 ことという。寒い冬、手巻き重々の生活という。
  真冬はもっと寒くなる。城の温度という。
 マイナス35℃である。京の北の、だごの、という、
 今の光悦寺、然林房というここら辺り一帯の
 温度という、今の北山通りより北の場という、
 マイナス30℃を超える寒さという。古い京都
 の頃という。
{古い京都の冬}
 五条通りの私の家でもそうであっ
 たことという。便所へいってうんこをすれば、
 出た時、凍る日という、はつりで斫る作業
 という。高山運便家という、私の家という、
 北町奉行所という私家という。古い頃の
 話である。また行く高山、私の故郷という。
 やまゆやのお里という、飛騨高山の藁葺き
 の所もそうである。合掌の里という場所という。
{立藁合掌の造り}
  この合掌造りの家という、立藁の屋根の
 造りという、私の今の家という、合掌造りで
 あったことという。この頃、北宮藁葺きと
 いう、立藁合掌という。色想湖の立山宮
 ふつつく、という、同じ立藁合掌という造りという。
  また行く桜井という、味間宮すらのおりよっと、
 という。大お爺さんおらせる・せらせら、という。
 「せらせら」が合掌造りの意である。桜井の
 言葉という。
{桜井の暦}
 月月火金(げつげつかきん)と
 いう、今の仕事の日という、四日仕事で、
 三日目を休み、一日仕事して、また、
 四日仕事する、うち、一日を休む。自
 由の休みのとりという。これを繰り返す
 味間の仕事のトという。四日のうちの一
 日が休みで、それを繰り返す週という。
 四日の一週間という、安島暦という。
 月月火金という味間の一週間という。
 一週間を二つ並べて一週間ともいう。
 八日で二日休みという勘定という。
 この暦を使う、味間暦しみ、という。
 「しみ」が使いである。昔の言葉という
 日本全国の言葉という、「しみ」とずれ
 するすれららする。この長い切を味間切
 という。ほかに、青森という、岩手一部、
 秋田全部、東北の使いという。九州四国
 でも使う切のことという、総称、味間切という。
  秋田では、秋田すみふみ、という。
  岩手の、といしばゆり、という。
  豊後ぜっぷす、という、九州という。
  遠い、石垣島という、いんみす、という、
    いとすと、ともいう、りりてす、ともいう。
{文法三段活用}
   切の言葉の三段活用である、「いんみす、
  いとすと、りりてす」という、名詞の活用という。
  たかゆら・ゆみふみ、という、京都の賀陽ごぜふら
 の言葉である。「いんとみ」という、これの四段
 活用という、「いんとみ、いんびす、りりてす、
  おいっきす」という、名詞の四段活用である。
{そうきょう語の文法}
 これらが、そうきょう語の文法という、桂御所の
 文法という。この桂御所、今の桂離宮である。
 文法という、切からの教えという。
{桂離宮の文法}
  この教えを桂臨看という、この桂臨看の教状
 という。この文法から教える、桂こうふれ、という。
 教育の一方法という。この教育をしていた若い
 人という、教えられる人を陽妃という、陽妃簿と
 いう、今の生徒にあたる人という。

天照大御神著、そうきょうよいお書き。
名前柳、小林壱裕柳。
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『天照大御神、そうきょう、よいよい』
御私がいらっしゃる柳。応楊合点、柳ましょう。
posted by 秋残り at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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