出発5600色想ゆっきし(味間弓の鳴る音) -2: いかすみ柳 2022/11/22作
【曲名】 出発5600 色想ゆっきし(味間弓の鳴る音) -2
{地震の時の滝}
滝の水がいったん切れて、滝の下の方を流れる
水が跳ねて、右左にゆられていた。その見の歌
です。ゆらせめらるおゆれふ、という、歌を「ふ」と
いう、味間りんくす、という。まっすべの言いという、
まりんとみの言いという、これを、ませらり、という、
りおんとめっす、という、ませらるう言いという。
まってすの言いともいう。
味間の言葉の歌でもある、きぼせる・きみすきの
歌という。味間みんとすの・りんきっきき、という。
みろんせるの言いのとみすき、という、これを、
すきっとん、という。味間の古い言葉という、
すきっとん、という。
{方言}
色想湖の味間の屋の丘屋という、そこの住まい
の歌という。いたやたの言いという、すきっとんの
ことという。味間ふゆれさ、ともいう。方言を「
れさ」という、これが、すらす、という言葉使い
である。すらすりんとみの・言葉という。
{船の排水}
すらすっすうの色想湖という。船が風を受けて
前へ進む形容という、これの使いという、すらっ
すら、という、れおすの水言いという。れおす水
という、船の水という。少し、船から水を出して
進む船の排水という、排水を「れおす」という。
これを「りょうじ」という、「れおす」のことという。
りょうじ水のおりゃすら、という、すらすっすう、と
いう、船の進む形容でとす。「でとす」切という。
{文の後尾の締めくくりの切の言葉}
味間槍間のお切とぞそ。「ぞっとす」という切
という。「とぞっそす」ともいう。「ですとぞっとす」
という切という。味間の言葉の使いという、
{飛騨高山}
私の 幕府記録用語でしょっせず。「しょっせず」
が 高山市の飛騨高山の、陣屋の、くりるりら、と
いう。陣屋の切の言葉とぞそぞず。「とぞそぞず」
という、高山幕府の幕落という、爆長の切という。
記録の係を幕長という。私の高山幕府での
陣屋長という、記録の長の言葉という。
「とぞそぞず」という言葉で、区切られている。
記録の文の体裁という。高山体裁という。
高山幕府の記録の仕事という、私の役目と
いう。「日々記録、之仕事也」私の言葉という。
昔々の古い高山の切という。文の切という。
古い昔の高山の私の大切な記録係という
仕事という。「相勤め候」という、朝の挨拶と
いう、文語を使う日常の仕事の言葉という。
高山陣屋の言葉である。高山幕府の山に
ある城という。城の行き来の朝の白い息と
いう。いつも寒いという、その頃の高山の気候
という、
{飛騨高山市春先の温度}
春先の温度という今の、マイナスをいう、
マイナス五度という、今の数えである。
今の、マイナス5℃という、百分温度という。
手に、巻脚絆を嵌めて、その上にタオルを巻く
そしてさらに、藁の手巻きを巻く、その上に、また
タオルを折巻、これを毎日していた寒い頃という。
大お爺さんお教えの冬の過ごしという、春先の
ことという。
{高山の城}
雪降れば「さこめか」という、豊作の到来という、
寒い時に雪をめでる高山の城という。古い日の
私の住まいとぞっしょぜす。「とぞっしょぜす」が
高山城の切の言葉でありますぞっこす。「ぞっ
こす」も高山城の言葉だもめせ。
「だもめせ」という、しゅうるきの使いという。
後、周語という言葉の使いという。高山を
「こうそ」という周語という。高山城を「こうそず」
という。
{高山の冬}
「こうそずだっく、けろして」という周語の言葉と
いう、「私は城をお守りします」という意という。
「けろ」という「お守り」という意とぞっそず。「城
へ行きます」という意である。「守る」という、「
高山城のこうそず言いという。日常の家へ行く
日も使うことという。「家おっそめ」という、「おま
っすり」という。これを使う高山の三町という。
その近辺に住んでいた私という。古い古い日の
ことという。寒い冬、手巻き重々の生活という。
真冬はもっと寒くなる。城の温度という。
マイナス35℃である。京の北の、だごの、という、
今の光悦寺、然林房というここら辺り一帯の
温度という、今の北山通りより北の場という、
マイナス30℃を超える寒さという。古い京都
の頃という。
{古い京都の冬}
五条通りの私の家でもそうであっ
たことという。便所へいってうんこをすれば、
出た時、凍る日という、はつりで斫る作業
という。高山運便家という、私の家という、
北町奉行所という私家という。古い頃の
話である。また行く高山、私の故郷という。
やまゆやのお里という、飛騨高山の藁葺き
の所もそうである。合掌の里という場所という。
{立藁合掌の造り}
この合掌造りの家という、立藁の屋根の
造りという、私の今の家という、合掌造りで
あったことという。この頃、北宮藁葺きと
いう、立藁合掌という。色想湖の立山宮
ふつつく、という、同じ立藁合掌という造りという。
また行く桜井という、味間宮すらのおりよっと、
という。大お爺さんおらせる・せらせら、という。
「せらせら」が合掌造りの意である。桜井の
言葉という。
{桜井の暦}
月月火金(げつげつかきん)と
いう、今の仕事の日という、四日仕事で、
三日目を休み、一日仕事して、また、
四日仕事する、うち、一日を休む。自
由の休みのとりという。これを繰り返す
味間の仕事のトという。四日のうちの一
日が休みで、それを繰り返す週という。
四日の一週間という、安島暦という。
月月火金という味間の一週間という。
一週間を二つ並べて一週間ともいう。
八日で二日休みという勘定という。
この暦を使う、味間暦しみ、という。
「しみ」が使いである。昔の言葉という
日本全国の言葉という、「しみ」とずれ
するすれららする。この長い切を味間切
という。ほかに、青森という、岩手一部、
秋田全部、東北の使いという。九州四国
でも使う切のことという、総称、味間切という。
秋田では、秋田すみふみ、という。
岩手の、といしばゆり、という。
豊後ぜっぷす、という、九州という。
遠い、石垣島という、いんみす、という、
いとすと、ともいう、りりてす、ともいう。
{文法三段活用}
切の言葉の三段活用である、「いんみす、
いとすと、りりてす」という、名詞の活用という。
たかゆら・ゆみふみ、という、京都の賀陽ごぜふら
の言葉である。「いんとみ」という、これの四段
活用という、「いんとみ、いんびす、りりてす、
おいっきす」という、名詞の四段活用である。
{そうきょう語の文法}
これらが、そうきょう語の文法という、桂御所の
文法という。この桂御所、今の桂離宮である。
文法という、切からの教えという。
{桂離宮の文法}
この教えを桂臨看という、この桂臨看の教状
という。この文法から教える、桂こうふれ、という。
教育の一方法という。この教育をしていた若い
人という、教えられる人を陽妃という、陽妃簿と
いう、今の生徒にあたる人という。
天照大御神著、そうきょうよいお書き。
名前柳、小林壱裕柳。
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『天照大御神、そうきょう、よいよい』
御私がいらっしゃる柳。応楊合点、柳ましょう。
2022年11月24日
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