2022年06月15日

出発4592 学校 :イカスミ柳


他の拉致被害者の方、お元気で、帰国して下さい。
腹を横に書く。
【曲名】 出発4592 学校
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/06/15
【学校】
 若い人がいう、『学校へ行くという。学校へ帰る
という。自分の家です。』という。
 この学校、若い人の住まいという。この隣りに、
篠山高等助という、後、青山せい、という。
青山のささみさという。さみさの・ついよい、という。
これを、さよけっさみ、という。さってさの・いそりそ、
という。ここの家の話という。
【青津湯田】
 青津という、後、湯田(ゆた)という。ここへきた、
ゆいふらすの・みのるり、という。ここが私の家である。
今の学校という、ここに住んで寝起きをしても一日
を過ごす日の、かいさまれる、という。この名残がま
だあることという。学校の隣が学校であって、そこに
住んでいるという。学校生活という。青津ゆんばれ
る・おんりろ、という。
【学校の生物】
 この頃、トリケラトプスという、始祖鳥という、後の
言いのマンモスという、アルマジロという、こんな動物
が住んでいた青津湯田の学校という。

 先生が鳥であったという、熊が校長という、そんな
頃の私の家である学校である。学校という家である。
学校に住んでいますという、若い人である。
【役場が家である】
 こういう風で、市町村役場も、私の家であるという。
古い頃の言いをする若い人という。『お城は家やね。』
という、若い人である。お城の中に田圃があった時もあ
る。蛙が出てきて笑っている城田蛙、この蛙、金江(
かなえ)という所の蛙で、吉水よまという、吉水庵の
蛙跳(かえるとび)という。城田蛙蛙という、蛙がえる
のいよさみ、という。これが、今の二条城の中である。
昭和の御代のことである。この昭和、若い人の昭和
である。
【二条城村、城村】
 この二条城の隣の二条やまふまという、テーレル
ソレッツという。二条のうくしまふら、という。ベレールウ
という、ベーレソレという。これを、がっぱれ、という。
後、あっぱれ、という。城の隣りに城が立っているこ
との言いとぞそ。二条こんふき、という。ベレール
テンソレのゆめふれ、という。二条城村という。
城町の興りという。城を人のように扱う、城の住人
という。昭和の話という。柳。
【人祖城】
 この頃の桂という、桂離宮という、そこにいた人の
話とぞそ。城を人祖(じんそ)という、城の住人を、
きさめす、という、城の中の作り物を、きそそき、という。
城に住む動物を、きよつ、という。これが、城の民と
いう、城全部の言いの、たみさみ、という。城全部
を、たみさみ、という。

 このたみさみの言葉が、青津にある。これが、
津をつる、という、つるたみそみ、という。これが、
歌山の家の言いという。歌山が城であることという。
【昭和】
 これで城で音楽をする、音楽の曲を奏でる、
こよとす、という。音楽城という。歌を歌う唱和
という。唱和のあきやら、という。揃って歌を歌う
城の住人という。唱和の、あきらびと、という。
昭和の人という。昭和という、唱和の一種という。
この中の、ふよゆぎべ、という。『べ』が場所をいう。
二条ふよらず、という、二条城の私の音楽室という。
音楽家のことという、やわすらの・れてすら、という。
れてやっせかの・いよっそみ、という。これが、家康
の頃の二条城住人の言いである。二条そっきょす、
という。二条城はこれらの人の物という。

 学校の場という、しょうきょうさく、という。ソーレス
という。そみせまのいとゆそ、という。これが青津湯
田という、今るらの・りろそり、という。若い人のいた
学校である。たくさんの学校という。この学校、まだ、
当時のままあることという。

 後、一つを、東大へ持って行き、そのままの使い
という、家であり学校である。この頃の東大、青門
があったことという。ここを青津という、後、青勢(あ
おせ)ゆらふ、という。ここに住まいをして学ぶ話という。
ごっぱぷ、という、東大の初期の頃の話とぞそ。

 こういうように学校を興して行った人という。この
行為のことを、しんとみふま、という。マッテスという。
若い人の行為という。日本全国、このたちである。
【赤十字】
 赤十字という、席に十字の飾りを置いて、学ぶ
話という。これを、じゅみそみ、という。十字架の
置きという。若い人の十字架である。後、キリスト
の十時という、赤十字を興し、キリスト教へ置く。
ぜんべつ、という、十字架のおきやり、という。
全ての学校に、この話があるという、この話が
出る時がある。十字架を、かめふまま、という。
まりせらり、という。この日のお書きという。
【二条城のこと】
 唱和、昭和という、若い人の作った言葉である。
唱和の城の二条城という、そこで作ったことという。
昭和ろっそめ、という。これを、ろしろる、という。
後、ロシアの訪いという、ロシアが訪れた昭和と
いう、二条の城の唱和の部屋のことという。
今のソビエト連邦という、この邦が訪れた二条
城の大政奉還の間の、寝室という。寝室にあてた、
ロシア人の寝室という、ロシア人の訪問の頃という。
若い人が一緒に寝た、大政奉還の間である。
【ロシア人来訪の二条城】
 世界のロシアという、世界をいう露国人という。
これを、ロシアの世という、地軸がベロルラにあっ
たという頃のノバヤゼムリアという。ベロルラがノバ
ヤゼムリアの古名である。ロシア人が知る若い人
という。ロシアの色んな場所から来られたロシア人
という。二条城のウクライナ語という、後、ロシア
語を使う二条城という。この頃、若い人の家から、
二条城まで、電車線路が敷かれていたことという。
若い人が私の家という、現、若い人が住む家で
ある。ここから敷かれていたことという。

 この線路、なよ線という。なよかわれく、という、
川の名の線という、なよ川という、川があった話
という。二条城を古く、なよ城という。なよ川城
という。

なよなよした山のお絵という。
なよなよした川のお絵という、絵を江という。
川のなよ行きという、なよてのていそ、という。
二条のなよ川という。これが二つの言いで
ある。徳川家康の言いという。家康の二口
という。二条城の奥しらずの言いという、奥し
らつ、という。津という江という。これを、
二条湾という、にろその言いそらゆ、という。
ロシア人来訪の頃の若い人の言いという。
まだこの頃のロシア人がおられることという。
【ロシア人来訪の私家】
 私のいた二条城の話という。猿。
泥棒の話という。私という。泥棒渡しの橋と
いう、二条城の橋である。樺太という、樺太
橋という、泥棒山のあったことという。
ロシア人来訪記念の樺太橋という。樺太へ
行った若い人という。また行くことという。
樺太の古い頃である。二条城のどこの橋で
あるか、天皇のなかった頃の言いである。
この後、天皇を作る話という。
私の家へも訪問されたロシア人という、小
さな家である。ウクライナ人、サンクトペテル
ブルグ人、モスクワ人、ウラジオストク人、
・・・・等の人達という。一緒に樺太へ行った
人である、若い人という。

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。
posted by 秋残り at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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