2022年06月12日

出発4572 光仁の世 :イカスミ柳


他の拉致被害者の方、お元気で、帰国して下さい。
腹を横に書く。
【曲名】 出発4572 光仁の世
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/06/12
【鷹亀藤】
6:39 2022/06/12

『篠村八幡宮』亀岡市
思い出は 深くありて かなの口
篠の八幡 旗立ておられ


『光仁の糸』高槻市
これたかき たかたかつきの 神峯山寺
ふかふかゆきた おぶひとのかげ

『二条の世』
ふたゆちと おぼゆててその ふたみやら
むられるかわの たかながれ すら


『二条の鷹』京都市
たかゆられ はなつるききに とみゆらる
たるたせゆゆる はなれそいふき


『長岡天神』   長岡京市と新潟県長岡市
きょうよまに とおくいまする たかおきて
てんじんゆみに 八郎の地行き


 富山論とれ、という、みみその・ういたす、という。
古い、きょうららの・ういよってす、という。
古きの山のお絵という。

 京都推喬という、雲ヶ畑の一粒の屋の住まいという。
うれしい山の御世という、およよの・おんてき、という。
うりうりなすの・けんつき、とぞそ。るるする山のすわる
けそ、という。これを、山の絵という。光仁山のお書きという。

鷹亀藤とぞいう、高槻、亀岡、藤が京都の意。
れれんつせの言い、とぞそ。柳。

御叔父御上おられおられ、やあやあ我はとぞ仰り里。
長岡ゆ、ゆてふ、そんという。れもよんせすの・言い
ぞる、とぞ。むゆむゆのいそむみそ、という。
るるすれってすの・ろいっくす、という。
これを、高槻ごゆれく、という、ごめせの・いそゆら
、とぞす。るみすみの・といす、という。
 またよる山のお絵とぞそ。また来るおよ、およよすの
おんせらる・いとよとの・いみすみ、とぞそ。
この書きのことの葉という。ことという木の葉とぞ。
れれて木よよもの・うりさり、という。
とふれすの山のお絵という。また行く山という。

 亀岡篠山という、篠槍の頃の篠村とぞそ。
亀岡篠町王子付近から、篠、鍬山神社下矢田
辺りの、木のことという、こと木、ことの木、
ことの葉木、ことの木葉という。れっするおり
れすの・ゆいそ、という。うっつる・かっすけ、
という。御親戚ゆ、おられおられ、鍬皿の御地と
いう。おってる・さっくすの風という。

 みわよっとのいいその・とりす、とぞそ。
後を、といきく、という地とぞそ。光仁の
お世の地という、鍬山すん樽という、たる
さるの・およふってき、とぞす。

 およよきたすら、ろりすり・るりよってす
の、いよっす、とぞいう。またゆたの・える
さら、という。御世(みよ)光仁のおよよすら、
という。光仁期の推喬家(これたかや)、
飛行機の飛ぶ山奥の神社という。
御叔父御上ゆ、ありるさりたらの、れっせせ、
という。またゆたのいいそ、とぞそ。れれすの
・ゆいさる、またくるよ、という。

 よがくるよくりの・すいとい、とぞす。
夜がまた訪れる、明けてぞ、あすのすりふみ、
という。山奥の一粒の家(や)の夜の明かし、
静か静かの雲ケ畑、私の古い記憶とぞす。

 ここにいたという、私という。推喬さんの
岡山録という。山を岡という、やっつるすきの・
言いうたという。うたを歌という、文のこと
という。歌山のお書きという。後、歌家(うた
や)という。またよまの唄という、最初の
五首の唄という、これわかゆきの歌という。
そうきょうすという言葉の意という、たかよっかすの
言いという、そうきょう語のこととぞ。
そうきょうすの五七調という、たありる・さんた
すの・ういっさす、とぞす。ゆいそのお書きという。
いっそす・やっくす、という。ゆい山の絵という、
たりすらの・たしたし、とぞす。

 駄作です。

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。
posted by 秋残り at 07:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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