2022年06月09日

出発4554 高槻 :イカスミ柳


他の拉致被害者の方、お元気で、帰国して下さい。
腹を横に書く。
【曲名】 出発4554 高槻
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/06/07
【高槻】
 高槻を、しもすけ、という。秋篠の言いという。
てもんそっきす、という。こっしらの山という。ておゆろ
の・りりさら、という。これを、けもん、という、りり由良
の言いという。後、空きゆられ、という言葉使いという。
れもんたっくす、ともいう。秋さりふりやらの・りろりろ、
という。高槻の古い言葉のことを、りりさみ、という。

 高槻を、しもりる、という。りみせらの・るいおっぴす、
という。これが、しもすけを、ちいさら、という。ちいさ
らの・いこしか、という。しかをゆまという。後、言葉を
つけて、しかゆま、という、ゆまりるの・すりかっかかう、
という、すりすりの言葉という。

 高槻の、しもせゆり、という、こんしらのお言葉と
いう、高槻の方便をいう。高槻の方言を、てよふ
まる、という。古い日の高槻の住まいの頃のことと
いう。きょっとん・ふっくく、という、高槻の言葉とぞそ。

 『みろ』という、みっさらの・るいさり、という。みっく
すれっくす、という。みっくすの山の言いという、れっ
くすのかぞすりの言葉という。かぞれらの・るいおっく
す、という。これが、高槻を、そっきょく、という、
そっくす、ともいう。そみしられの言葉という、されっ
その・いそびる、という。この『びる』、『まなぴる』の
『びる』という、古語にある学びの学びるという。
学ぶという意の学びるである。

 この言葉を使う高槻の古語の使いという。高槻
が古語を使う場所である。これを、古語ゆき、と
いう、古語みし、という、ゆりゆっきしのおそゆき、と
いう。おってすの・ていほい、とぞそ。高槻の出来と
いう。光仁期の出来という、光仁山のるみしら、と
いう。光仁山の『山』が、天皇のことである。山を
天皇という、高槻の町という。

 神峯山を、かぶゆらふ、という。かぶめら、ともいう
。かぶいから。そのゆみ、という、神峯山の言葉で
ある。これが高槻の出来の元である。神峯山から
始まる高槻市という、これを、山興しという、山れ
るの興しという。れるおんつの山という。れるおんの
津という。れってそ、という、れみっする、という、
れれて、という、れぶんつの山の言いという。
これらを、れるおんたてす、という。
てっしょすうらあの言葉という。てっしょ語という。
高槻の方便のことである。

 丹波亀山る、という、亀岡のことという、亀山と
いう。高槻と亀山を、てよすら、という、これを、
明智かが、という言葉使いという。かがしょ、という。
かんっせらるうかす、ともいう、かがしょのことという。
高槻と亀山のことという。

 これらの地域を、よろ、という、よろせる山という。
後、よど、という、今の京都の淀城という、この城の
言いでもある、かがせら、という。高槻、亀山の言
葉である。古く、よどゆらる、という、よど語という。
めるよんての・おいっさらみら、という。みらすらの言
い、という。また山のお言いという。かぶしらそんく、
ともいう。

 またよってのお行き、という、地域を地行くという、
地行きという、地域という。これが、地のお遣という。
おやりゆり、という、ちっそるっそ、という、てよする、
ともいう。そっくすれっく、という、そくてす、という。
みよるらのお書きという、みそよその意味という。
山々のお書きという。

 また行く高槻の話という。また山の行きゆそ、と
ぞそ。この『とぞそ』の言葉が、たかゆかし、という
言葉使いという。たかゆかしの言葉の絵という、
おえるらの・るりやり、という。言葉山のお書きという。

 高槻を、こっしく、という、京読み、という、高槻
市のできた頃の言葉という。高槻ろんとく、という、
ろんどく、ともいう、論得、論読。

 ろみそみのかけふみ、かけすけのよみふみ、という。
れろよってすの・くいほみ、という。なかそよ山ふみ、
という、れろっす、という。これらが、高槻のそうきょう
語の方言である。

 『わがゆわら、てまそよ』という、おわらを『ゆわら』と
いう、高槻方言という。この『ゆわら』の言いを、向日
町語という、高槻の市民の言いという。自分のことを
よそのことという、よそ言いの高槻という。高槻語と
いうひぃに向日町語という、京都府の向日町を指す。

 これが、向日町の芋山のいえ、という、宇と書く。
八紘一宇の意である。高槻の出という、八紘一
宇の言葉という。世界を八紘という、一宇を一家
という。世界一家という。昭和の頃の言葉である。

 八紘一宇の山の言いという。昭和山という、八
紘山という、そこの言葉である。高槻の神峯山とい
う。そこの寺の山である。八方照らす意という。

 昔の神峯山という、大枚方山という、5000の時の
言いという。5000mの高さという。この時、京都山
6000mである。後、高槻のひらるら、という。一旦
平地になってまた上がった山の出来という、この時、
一挙に7000mの上がりという。

 これが、書かれている、小林光仁の署名の書と
いう。光仁天皇という書きである。枚方山を光仁
天皇という、小林光仁は、私の住む所の意である。
光仁山にいますという意である。小林の住まいの
ことという、そこにいた話という。小林推喬という、
推喬神社にいたことという。名前のように場所を
表す日人の言いという、この言いの出という、
高槻論という、高槻にいたことという。論が
場所である言いという。小林という、小さな
林のある所という。そこの住まいである。
光仁天皇の言いという、山住まいの話である。

 八紘一宇という言葉も山住まいの言葉である、
昭和の言いという、これを、昭和天皇ともいう、
山住まいの人である。昭和山の頃という。
八紘一宇山の居住である、昭和天皇住まいと
いう、光仁天皇の頃という、勿論、明治連れで
ある。皆、山の話である。

 『秋篠林のもとをかけ』という、童謡の話という。
『いちかけ、にかけ、あきかけた、とうおりばやしの、
 あきをしの、しのしの、にいかく、やまそられ、
 わたしは、四国のやまをよる』という。
秋篠のけんつめ、という、けんびしの四国録と
いう、つるぎ山の話という、このつるぎ山を、あきの
み山という。あきののぬのゆら、という、つるぎ山の
ある辺りという。四国剣山の山という。ついついの
おるそり、とぞそ。そって立つ山という、剣山ろっとく
、という。これが、神峯山の秋篠林の意味である。
篠という植えという、詩のを植えた話という、れろ
はる、という植えという。これが、秋かす、という植え
の言葉という。『かす』が『植え』である意とぞそ。

 秋かすの篠山(しのやま)という。これを、れせぶる、
という、あきかすのことである。

 しったすの言いという、またせるむせそるそ、という。
せるむせその言いという。れむそのゆいから、という、
かられってすの言いという。ゆいそのおりさら、という。
高槻の言葉の意である。

 八紘一宇の高槻という、亀岡へ行く時の山越え
という、山の頂をいうひぃのすりより、という。すみしざ
で、ておす、という、ておすろっくす、という、高槻の
越え平という。これが、高槻の地中の時である。

 山が沈んで地の中までいった高槻の地という。そ
の時の言いである、八紘一宇の言いという。これが
上がり平地をいう、平地の高槻という、この頃の
言いが、今の高槻の言葉である。言葉の抑揚に
これがある。高槻の平調子という、後、音楽の
調子になる。枚方山というひぃの、たかゆかれ、と
いう。枚方山のふもとの高槻という、この時の高槻、
ひらすらふ、という。高槻の古名という。

  これが八紘一宇になる話という。あがって世界
平(せかいびょう)という、八紘しょっくそ、という。世界
平を見る高槻という、地中から上がってきた高槻
という、ひらすらふの頃という。言葉が平調子である。

 こうゆらのおりきき、という。れおてってす、という。
これが高槻の宮のあきすき、という、後、秋篠原と
いう、篠植わりの平地という。しびばさのるりるり、と
いう。おばゆらのお書きという。柳。

【文作:秋柳篠目2022/06/07 卒倒の山の御名】

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。
posted by 秋残り at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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