2022年06月08日

出発4560 山越え :イカスミ柳


他の拉致被害者の方、お元気で、帰国して下さい。
腹を横に書く。
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音楽
【曲名】 出発4560 山越え


    創曲、理科柳雪広・正(やなぎ)  2022/06/06
    造詞、冴柳小夜・正     2022/06/06
    監修、そうきょう連      2022/06/06
    挿絵、香 淳時正             2022/06/06
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ACID ソースネクスト社
  バンドプロデューサー  カワイ社
【歌詞】正里
赤池よどみの 花咲く赤く よはなれ
色を見る はよしげり はよしげる
そのさき きよきら 花咲く小枝
空から見てた時 少し波 たち興り
雲ヶ畑 後にして行く 園槍大き越え
平揺山越え 神峯山の里へ

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/06/06
【歌詞解説】
【大阪の枚方山】
 京都の南に大きな枚方山という山があった。
京都盆地を囲む南の山という。この枚方山が
大きかった時の名前という、平揺山という。
【光仁期の操縦桿を握る】
 京都市雲ヶ畑を出て、名神の南インターの
近くの赤池という所を越えて、平揺山を見る。
ここの神峯山寺という。枚方野山という、今
も山の中にある。ここが今よりたかかった時、
飛行機で行った時という。これが、行幸という
、当時の言いという。光仁機の操縦という、
飛行機の桿の握りである。きよっかく、という、
操縦桿の握りという。これを、きよきよ、とい
う、とうやりの言いという。

 また握る日があるという、やおやよのやん
びし、という。当時のほとゆみの言いとぞす。
また行く枚方、神峯山の里という。変わら
ない場所という。
【六角】
 柳きったれという、柳を見る言葉という。
そうきょう六角という、名詞の文法の角で
ある、後、格という、六格である。
【名詞の六段活用】
 六格の活用という、きすれす、という。
そうきょう語の六格という、名詞の活用で
ある。六段活用の名詞という。
やなよりはまけかの、おりゆり、という。
六段に活用していく、そうきょう語の名詞
である。光仁機という飛行機のとめふら、と
いう。御所山という、そこのカツさり、という。
当時の神峯山の御所という。平弓浜らめ
、という。猿。
 寺を六足という、てぴつ、という、てそれそ、
という、ちみすよの・ていほい、という、ろしかま、
という、後、寺という。これが、『寺』の六段
活用である。寺が最後に残った言葉である
という。六段の一番下の活用である。
 ちその活用という、名詞の変化形という。
これが、時間を入れた、名詞という。
 寺という下の活用が、当時の時を物語る
活用という。古く、六足という、寺の言葉という。
この六足が、まだあることという。六桿という、
ろくよすのおいそめ、という。
 これが寺にある言葉の古い言いを残す
寺の言いという。六足の寺という。後、枚方
の町の作りという、六桿やっき、という、町の
作り方という。かんせるお作りという。寺の
ことの言いにある、町作りという。

 名詞の六段活用がいわれる、そうきょう
ろっくすという。古い枚方の言葉である。
枚方論都という、枚方のゆっぴふみふみ、
という。枚方の町を興す、ゆんばれみら、と
いう。古い枚方の里の言いである。鮫。
【おしゃまの言葉】
 またゆり浜ゆか、の言いという。いいれる・
さまれみ、という。おうじゃま、という、おしゃまの
そっぱす、という。おしゃまのありやま、という。
そこの言いでもある。大阪の城の近所である。
ここと、大阪曾根崎南である。イオントーブと
いう所とぞそ。大阪きゃっくれ、という。
そっぱさの・いとみと、という。これが、この文
の言いの、つみさり、という。後、曾根崎心
中という、言葉のことである。心中という、
言葉のことである。曾根崎やんる、という、
そっぽそ、という。この言葉のことが描かれて
いる、曾根崎心中の物語という。近松論
という。枚方の出のことという、一つの論で
ある。
【京都南の赤池】
 この頃の歌という、赤池という京都の
南の赤池である。ここのたいさま、という。
赤いことを、たい、という。あかたいやみ、という。
これが『たい』という言葉の一角、二角である。
三角を、みつばる、という。四角を、ろそめ、と
いう。五角を、るする、という。六角を、
あか、という。『あか』が六段目である。楡。
赤が残った話という。六段目が残る、あるしっと
の残しという。あるさるのいそゆらのおいさい、と
いう。おいさい残しという。言葉を残すことという。
 これが、そうきょうの残しである。光仁期のこと
という。これがまた出る、若い人の口とぞそ。
光仁の人という、神峯山寺の住まう人である。
ここの教えである。大阪こっそこのいとゆと、という。
大阪山のお絵という。
【敬宮】
 としのみやという、敬宮と書く字の意味という。
若い人の古い読みである。そうきょうの読みという、
やなふまるの言いという。やなぎ読みという。
やなまるの言いという。としのみやの人である。
そうきょうろんとめの人という。ジェット機の使い
という。この頃の宮家である。桜。

 神峯山を宮という。古い日のことである。

『だっせわいさ』という、そうきょう語が、この文
の意味である。『だっせわいさ』の説明という。
だつれつの意とぞそ。六角段という、六段
活用の名詞の言葉の説明という。
枚方の言葉ともいう。

 神峯山詣での歌という。私の駄作という。

 やみ、よい、よいがやり、もせ、ふま、あれ、
という、六段の活用という。これが、『やみ』の
言葉という、これの活用である。他の活用も
ある。やみ、よい、ふまあれ、という、『あか』の
言葉の活用である、この日、四段活用という。
今の古語の活用である。そうきょう語の活用
という。その頃の話である。柳。

 赤い木が咲いていた頃の赤池とである。
『とで』の言いの場という。赤池という。
そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。

柳、黒。
posted by 秋残り at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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