2022年05月25日

出発4512 滋賀守山 :イカスミ柳


他の拉致被害者の方、お元気で、帰国して下さい。
腹を横に書く。
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音楽
【曲名】 出発4512 滋賀守山


    創曲、理科柳雪広・正(やなぎ)  2022/05/25
    造詞、冴柳小夜・正     2022/05/25
    監修、そうきょう連      2022/05/25
    挿絵、香 淳時正             2022/05/25
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ACID ソースネクスト社
  バンドプロデューサー  カワイ社
【歌詞】正里

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/05/25
【滋賀守山】
 愛車をかって、ツーリング。50ccのバイク。
滋賀県の守山市へいってきました。中山道の宿場町。

今から20年ほど前、守山へ行っていました。昔の宇野
首相の出身地です。宇野首相の葬儀があって、橋本
首相や政界の方々がきておられた。私は面識もあり
ませんので葬儀には、いっておりません。その前後に、
何を思ったか、御宅の方へお伺いしました。酒屋の作りの
御宅です。奥さんが出てこられました。『あれっ、どこかで
見た人だ。』  思い出は、20年前より遙か古く、半世紀
前になります。

 よく、私の住む家の近所へきておられた人です。宇野
首相と奥さんです。私が、近所の家へ遊びに行くと、宇野
首相が椅子に腰掛けられていた。道でバタッと出会ったり
していました。その頃の楽しい思い出です。

 宇野首相の御宅に、住まっていました。裏が、琵琶湖で
あったような気がします。琵琶湖の広い時で、古琵琶湖の
頃です。その家の表から出て、左を見ると、地が上がり勾配
になっていたような気がします。先が森のようで、木が植わっ
ていたように思われます。ここの家にも住まっておりました。
今行ってみると、平坦な道になっていて、探してもみつかり
ません。

 ただ私は葬式の頃には、思い出せなく、後で思い出した
次第です。私の守山の思い出です。拍子金という、金の作
りの拍子木です。それを打ち鳴らしていた頃で、船の出航
に打ち鳴らす道具です。

 『船浦』 卒業答案24
http://akinokori.sblo.jp/archives/20160120-1.html

 思い出せば懐かしい限りです。よく来ておられた御方で、
その当時、誰かはわからなく、首相になられてもわからなか
った私です。30年ほどしてからわかったという、私のことという。
なくなられてから思い出したという、私の話で、なんとも、
いえないほど時間がかかる話です。よくお会いしていた話です。

 『守山よっこさ』という、『なんにゃあらら』の御町という、やみ
さみのろいかっしぎ、という、れよれよのうりさり、という。
『そんみして、ゆいさり』という、古い、ごわれ御所という、そこの
いそみその言いという。ごわんそみなり、という言葉という。
守山の古い言葉で、あいいたみの・るいさり、という。
私の話の会いしび、という。

 守山の御宅という、みよみよの・るいさん、という。まな
やらのぴんすり、まなやらのぴんびす、とも。これを、よみ
山によるろいおん、という、ろいてすのおいたり、とぞそ。

 ふみ山のお書きという、私の山のおいたり、という。
山ぜらの浜山という、守山こんりり、という。こんりさの・
ういとんほっとく、という。守山らっくの山という。

 地が沈んだように思う、その地の思い出という。もとみるの
御地という。まよまよのあい様という。るりるりの・ろりおり、
という。ここが守山始の場所という。守山の造り出し岸と
いう。守山のおいらき、という。守山ろっとしょ、という場の
よま花という。また行く守山のありやり、という。やりすらの・
おいとんらっくす、という。守山の 、ごかんふき、という。
るういおっとす、という、るい針のやおん、という。

 やおとのまたゆき、という。矢が音を出すというむ、める芝
の矢音という。山せる・えるらんてす、という。ぜんまいを
使った矢をも作る場所のときうき、という。これが、
うたゆたの・れおっそり、という。うちが行く守山である。

 守芝(もりしば)という頃の守山とぞそ。古い言いが、
守芝である。守山の古名という。守芝論繰(もりしば
ろんくり)という。『論』が村の意である。論を繰る芝せまの
いそるら、という。芝山の磯雪という、いんたしのるみっすみ、
という。いくいっしびの・ろいっとす、という。これが、のち、
ギリーランラックという、今のギリシャのことの言いの出と
いう。ギリシャ語の出の場所という。これが、りものりよはみ、
という。ろるっとすのみねせら、という。また行く、もりらき、
という。宇野首相のお住まわれる家のことという。長き
山のお書きという。宇野山の絵ともいう。

 長い山の歌という。首相のお住まわれる家は、全部
といってよい程、私が住んでいたという、スピード・リビング
の話という。いと山のお絵という。守山らんとしょのるいっ、
という。るいっぱるれるの・おりさん、という。れるっそのるい
はら、という。またやたのおいそい、という。私のうたという。
歌にすれば、駄作であります。

 『あの人や、あの人や』という私のお会いという。昔の
思い出という、一刻百韻という、心の音のいわやり山と
ぞそ。百韻のお会いという。昔の話です。

 その家のある地から、琵琶湖の方へ行くと、そこらあ
ちらに、親戚がある。山様のるいさき、という。古い守山の
しみさま、という。電車があった話という。私が乗っていた
電車です。はりめぐらされた線路という、守山ふぁってき、
という。ふぁってす山の教えという。私のいた守山という。
電車線路の敷設のことという。たくさんの路線があった
守山という。

 また言ってその路線をいう。路線図を作る話という。
また山のお絵という。どんな電車が走っていたか、守山の
おいろっとす、という。日本の地に出る、露電足(ろでんたり)
という。守山らんとしょの・えるらんてす、という。古代ラテン
という、エールロントンのういってす、という。城の外国語という。

 守山草津遣(もりやまくさつやり)という。るいたりのるみ
すず、という。やお山のお言いとぞづ。るいまたのおっしら、
という。おっしらさり、という。言葉のことという。おことの山
という。そうきょうしいず、そうきょうらんてす、ともいう。
えるとっくすのお書きという。

 写真がたくさんある頃という。たくさんの写真の写しと
いう。国会にもある、その当時の写真という、フィルム
写真と、デジタル写真という。その当時、既にデジタル
カメラを使っていた私という。今のスマホという、当時に
あつた話という。コンピューター然りである。

 また映す話で、ゆられるおみしび、という。リールオンテス
という。ぎりっくすの・ろいさい、という。またゆたのえるやら、
という。東京樟葉やっぴすの・ひらっせら、という。
守山平の山という、守山の地震の話である。

 遠くウクライナをいう。ウクライナの地震をいう。琵琶湖
の波という、二階建ての家二つの高さという。二階建て
の家くらいの波であるという、これが幾つも続いてやってきた
ことという。守山らっとん、という、地震さあはる、という。
アースくっきし、という、アースサーファーのくいしぎ、という。
波が家を食うという、波ゆまのあるえら、という。そういう
ウクライナ大地震の伝わりである。アールラン・トンショック
という言葉という、これがウクライナの大地震の伝わりの
言葉という。ロシアのフォッテサミという、アールロックという、
アールロッコクのうよさみ、という。これを、じしょく、という。
地食べ、地食という。あーるてわすうの言いという。

 手片を立てて、手を開く、その形の地震の揺れという、
宇野山の地落ちという、地が落ちた、うのり、という。
地落ちを、うのり、という。りぶおんらくの・あるらっつ、と
いう。うっくすれっくすの・れるらる、という。これが、守山の
地落ちである。宇野首相家という、その家から、玄関を
出て左の方向という、山状になっていた頃という、地落ち
の話である。

 山の上にあった住まいという、ちんびすの・あるおら、という。
これがね守山の地震とぞす。古く、地震の出の守丘という。
もりらる・おんとせ、という、もりらる・おんちす、という。守山の
おたゆた、という。守山ゆっこす、という、ゆっこらっくの・せおて、
という。琵琶湖が傾いたという言いの、じもそり、という、じっ
とすの・えるかっふぁる、という。れとその・あゆと、という。
そこの話である。私の話という。柳。

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。

柳、黒。
posted by 秋残り at 06:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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