2021年01月28日

卒業8620 戦車 :イカスミ柳

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音楽
【曲名】 卒業8620京都船旅7520
古譜6520大原練習6420天の下6820  戦車(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺 2021/01/26
    造詞、勇野 晴丈・正     俺 2021/01/26
    監修、雪柳里花雄・正     俺 2021/01/26
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ハーモニー・アシスタント Myriad社
【歌詞】創郷
黒い花咲く 黒い草むらの道 みはごに乗り
行き帰りの楽しみ みち作り 黒い葉が
手振る 黄桜の葉は黄色 黒い松 松原
通りきた 羽衣をかけた 鳥鳴く
始祖鳥が飛んできた
【常、日頃】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【歌解説】
20211026
【みはご】
 みはご、戦車のこと。みはごごむ、とも。
戦車に乗って道を作る人である。作道戦車
ともいう。第一次大戦のナチスの両V字型
のキャタピラの戦車にも、乗っていた人である。
【軍服】
 軍服という、農作業の時の服である。あの
格好で田を耕す。カーキー色の軍服という。
 いつやら、有名な作家が、自衛隊へ乗り込ん
だという、八字についたボタンという、両側で、
ボタンをとめる農作業の服である。よくにた
デザインの農作業服を着る若い人である。鋤鍬
を担いでせっせと田を耕す人である。革命と
時折言う人である。土は体によいかもね、という、
革命の野蛮人である、若い人である。
 野蛮人ルックというカーキー色の軍服姿の
革命の農作業をする人である。戦車にも乗る人で
ある、道を作るという人である。野蛮人の道作り
という。
【農作業衣】
 大お爺さんの農作業姿という、カーキー色の両
八字型の軍服である。大お爺さんのお姿である。
若い人もそれと同じ服を着ている。軍服は全部、農
作業の服という。
【動画、軽井沢のテニス】
 江戸時代の軽井沢のテニスという、デジタル
カメラで写している人という。動画という。後、映画
という、また、動画という昨今という、コンピューター
の一分野とも。動画という言葉、古い言葉である。
コンピューターとともにある言葉である。
 江戸時代の動画に収めてある軽井沢のテニスという。
【開田衣、長岡京市】
 屯田兵ですかという、開田衣という、真ん中に
もう一本のボタン線を付ける、八字の真ん中の一本、
長岡開田の服装という。京都府長岡京市である。
この頃、長岡の京都支局である。京都市の一部であった
長岡である。開田作の歌である。長岡京の住まいという、
若い人の住まう長岡京という、機械工場があった場所
という、高校になっている。この頃より少し新しい
開田である。
 その東に長岡京という、木曽の屋の移りである。
開田東である。八日という、日下(くさか、ようか)と
もいう。今の向日町の古い呼びである。日下経て行く
船という、船の運河がまだあることという。京都の若い
人の住む家から、長岡開田へ行く船航路である。日下(
ようか)というのが、その港である。そこから、長岡の
更(さら)へ行く、泓(ふけ)の北である。
 淀泓という、水柱が立つ所である。淀川の話である。
天高く上がる水柱という、今の調子八角という、そこら
くらいまでが水があった時という。川の真ん中に何本も
水柱が並ぶ、淀川のこうふき、という。その長岡である。
若い人の故郷である。長岡の役場にいた人である、現、
長岡京市市役所である、若い人の座っていた席がある。
長岡の、みなすめゆき、という場のことという。岡が
鳴く話である。
 北条越えた乙津という、船を止めた所である。和船
仕様という、甲府の名の軍艦とぞそ。今も池がある所
である。長岡天神の西である。この『津』、後、なき
うりぎ、という、岡が鳴く鉄炮の出という。大山崎へ
行く道に、西側に小さい岡がある、そこの所という、
鉄砲を作る工場である。安達三色という鉄炮の作りと
いう。重軽機である、機関砲である。
【新潟長岡、大道村】
 古い、長篠の大砲の連発という、これが新潟の長岡
の劇に出る法である、英語の解説の入る劇である。
米百俵の劇である。若い人の新潟の小故郷である。
水上飛行機の飛び交う八郎潟という。大町という、
小さい村がある、大道という、、ここに住んでいた
人である。京都まで来られた、水上飛行機の御叔父と
いう、京都烏丸高辻の池という、そこの水上飛行機
という、若い人が行った大道の飛行場とぞそ。
 ツトッツーという、水上飛行機の発信音である。ロシ
アのウラル語である、大道の飛行場の言葉である。
飛行機を、アエラルという、御所の冠語の使いという。
今のアエロ・フロートである。この意のツトッツーと
いう、二進発信の無電である。飛行機から水上へ落と
す、通信筒という。これの掛かりの若い人である。
新潟大道工砲兵という若い人である。
 また行く大道、新潟市、長岡市である。

放射能の缶詰を開けてばら撒きたい人である。広島の
放射能という、まだあるのだろうかという。缶詰と
いう、福島製もできるかも。新潟原子爆弾という。
『ようよう白くなりゆく山際』『いづれの御時にか』
、原子爆弾の歌である。新潟の物語という、桐壷の名の
飛行機という、水上型の飛行機である。桐壷落としの
帚木という、原子爆弾投下の機である。新潟の落としと
いう、村上後である。
【原子物語、げんじものがたり】
 ツトッツー、トンという、投下の合図である。長岡
さきるき、という原子爆弾の鼻である。雲である。
空蝉のいう顔である。空蝉というトンボのような機と
いう。トンボという顔である。ユウガオの雲が花開いた
若紫の末摘花である。原爆の物語である。

『春は移りにけりな、いたずらに、わが身よにふる、
ながめせしまに』。紅葉が花の宴の頃である。そう
いう原爆の青い、賢木人という、若い人のことという。
花散里の須磨の明い石の澪標という、原子爆弾の墓標
の歌でもある。雫石の明い石という、焼岳の石である。
源氏物語の『源』は、原子爆弾の『原』である、原子
物語である。光原子という、薫大将という、大将雲の
話である、新潟の原子爆弾の雲である。

 源氏物語を紐解けば、新解釈である、自衛隊へ入っ
たという若い人の解釈である、かの有名な作家の解釈
という、『やった』という話である。いずれも墓標に
なっている話である。そういう解釈をする人である、
若い人という。J26.
//□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■
 そうきょうよい時です。正(やなぎ)J26. 

『天照大神、そうきょう、よいよい』
そうきょうは、よい時です。正(やなぎ)。
腹を横に書く。
posted by 秋残り at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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