この『りく』が、今の陸である。浜がある京都の町と
いう。斉明天皇という、斉明の住まいのむことという。
斉明屋という家ある。足利山のおとゆと、という。
足利家の山という。足利たよ、という、大御婆さんで
ある。斉明のお書きという。この日の水である。
斉明水という、家が屋根まで沈み、まだ、水が増え
ていたことという。この日、京津という、京津の山の
おえ、という。れが、えとの言葉のど、という。
てを、どという、えど水という、えどの言いという。
これが、みそかるの頃である。みそかるという、暦の
一日である。今日が、みそかるの日である。
未曾有の水という、京都が全部浸かったことという。
ひがしやま三十六峰という、全部なくなった話とい
う。国興しの話である。
おれまがりの京れという。京れ水という。町全部、
使ったのである。斉明のくと、という。くと山のおい
そい、という。これを、なかべ、という。後、中臣
(なかとみ)という、後とぞう。
後、天智という天皇の、水時計という、これの延伸
である。天地の図という、この言いの天相という、天
気のことをいう。空の相(すがた)である。天智の御代
のお書きという。埼玉山の行きという。
この日の埼玉という、日本の国をいう。日本のあや
まく、という。日本を、さいせる、という。これが、
後、さいとく、という、さいた、という。日本を『
さいた』という。埼玉の古い言いである。
また行く埼玉、我が世の故郷という、古い里のこと
という。京都が水に浸かった日という。山沢のおかけ、
という、この分である。我が山のや、という。これを、
きつり、という、木を浮かべて夜を過ごす日の夜の
ことという。大きな水である。三日三晩の水の中で
ある。京都の水という、京都湖という、この言いの
京という。京水、狂水という。くるわるやのいと水と
いう。いと水の山という。この水の水がひいた頃で
ある。四曲の絵である。
ひいた頃に船にいた話という。この船が今まだある
ことという。イージスという、大きな船という。船の
山のお書きという。この譜ね、後に、やまと、という、
書きに、大和という、だいわという船でもある。
せんそうの道という、船通りである。水を、『た
つ』という、たつの通り世という。通り道である。
このたつのことという。水の出るむらうる、という。
らうれるの村という、穂浦のつるめる、という。
つたゆたのお言いという。
埼玉へ行く日のことという、『おでんたっけく』と
いう。おでんのおかり、という。後、かりかき、という。
かりよるの絵の遣りという。絵遣りの言いとぞう。
この日のことという、古都という既に古都と言うて
いた日である、京都を水っかす、という。埼玉を古都
国という、これを、水冠語いう、埼玉の古い言いとぞ
う。群馬へ行く日である。国興しの日々である。また
行く群馬の前橋という、駆動橋という、駆動の橋の造
りとぞう。京都水浸かりの頃の橋である。カップリン
グという使いという。カップリングが今の英語である。
カップルりく、という、かくせるの言いという。
京都水浸かりの日、原子力炉が水に浸かったという。
その日の雲という、巨大な雲である。京都の町全部を
覆う雲が出たことという。応陽雲という、メキシカン
・ハットがそれである。応陽帽という。メキクシコの
町の、ふぁチゲという、ファチマという、今の、アメ
リカ国境線の地の言いという、地ファ地という、後、
ティファナという。アーホの町という、小さなことと
いう。古都という。オールド・レイシーズという。
れいしずの邑という。この邑の字という、巴の水と
いう、京都の古い言いという。この洪水の後の洪水で
ある。何度も水に浸かった京都である。オールド・
レイシーズがいう、アーホの水戸という。京都の水戸
という。日本を、アーホという、レイシーズの言いで
ある。古いレイシーズの邑の言いである。この字が
ある、巴水のおんたみ、という、巴という、我が名と
ぞそ。斉明巴という、巴よっこく、という、レーシー
ズの邑である。
群馬から、ジェット船という、前橋の掛かる川で乗り
レイシーズへ行った話という。この日、邑枠(ゆうわく)と
いう、レーシーズの町の名という、大山があったアーホ
の町という。今も歌う、オールド・ジャーニーという、
オールドのあめりく、という。あふふ言いという。今の
南アメリカの言いである。後、しりえ、へ行く。しりすま、
という。しりやらの都という。原子爆弾の使いという。
夏の夜の夢という、じゃんかっくという、じゃんくすの
言いの言葉という。原子の御代のお書きという。原子爆弾
を駆使する和国である。アーホの町の上という、原子爆弾
を落とした若い人という。マッチ箱四つである。山がなき
くずれという、なしくずしの山のことという。アーホ山の
ことという。高さ五千メーターである。また行くアーホの
町、我が埼玉の世という、斉明朝という、後とぞう。
斉明天皇の謂れである。たよ御婆さんのおことという。
共に行った埼玉、アーホの邑とぞう。今も埼玉は邑とい
う、ここを、さきつみ、という、さきみゆ、という。さき
を見る邑という、さきつみむ、ゆらら、とぞう。
ゆらら埼玉のお書きという。
そうきょうよい時です。
2020年11月23日
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