2020年07月24日

卒業6720 Korea 俺720 栗東線関(壮強太陽):イカスミ柳

駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click muisic score, music start.
音楽
【曲名】 卒業6720京都船旅5620
古譜4620大原練習4520天の下4920 Korea 俺720 栗東線関(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺
    造詞、勇野 晴丈・正     俺
    監修、雪柳里花雄・正     俺
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
    There are flint sounds in music.
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
俺行く 花園は 後ろが崖の滝
岩の傍深い谷 河が流れ シルクハット
傘を持ち 紳士が行く 山の中 
そうきょうの 旅中 自動車に乗れば
栗東の村の馬宿り

 狐の天気予報。〇r1999/04/19
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【国司】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
 
そうきょうはよい時です。20200531
【歌解説】
【田の山】
 一山が、全部、田である所の村の馬宿。栗東山越え話である。
草風の山という、今山のえそりみる、さみそわ、という。
さてるれのかいより、とぞ。御所みゆかまのお書きという。
栗東
 また行く栗東という、50年程してからである。御所の、たき
まき、という、古いみろの、まきむく、という。みろ山という。
御所滝の絵とぞそ。やむてらのおいする、かよふり、という。
馬宿り
 御所宮山あなす、という。御所の宮である。馬宿りという。
ふるず山ありする、かんぺくのゆい原という。れるんの
呼びはむ、という。この世の山のお絵とぞ。らむれるれよん、
という。れよんという、滋賀県のことである。礼四という、
礼の県という。滋賀の宮のお書きという。れよん、れいし、
という、御所のあたやりの呼びという。あたやり山の言葉とぞ。
滋賀闇
 ろっくやず、という、ろくせる滋賀山という、これを、
滋賀闇という、闇が県の言葉である。滋賀県の方言である。
滋賀県を滋賀闇ということとぞ。宮を、よき、という滋賀県
の言葉とぞ。よき浜の言いとも。よきかくす、という、よきの
出の場の言いとぞう。よきという、今の安達地という、よき
ふいまま、という。よきまま、という地である。安宅ともいう、
安宅山の絵という。滋賀県をそういう人の、よきはり、という。
よきはりが、安宅の言いである。あたく山ともいう、アタック
レックスという、御所の言葉の英語風の言葉とぞ。滋賀県の
ことである。
安宅
 安宅やっきき・そみはむ・れとん、という。れとん所のお
書きという。滋賀のことである。れっくすという、後、れー
くす、という。英語のレークである。礼の玖珠という。
礼玖珠ロックという、レークスの言葉である。
礼玖珠、金勝
 滋賀をれっこという、れっこくの言いという。れっかん・
れいくう、という。れれそのゆいとら、という。これが、
『とら』の出初めである。『とら』を使う滋賀県である。
言いとら、という、言いのことをいう。とらす言葉という。
とらおともいう。『行きとら、れらんせ』という。滋賀の山
言葉である。『れらんの場へ行きます』という意とぞそ。
金勝山から滋賀一帯の山の言葉である。
非馬
古い日の滋賀のお書きである。又行く、滋賀のおばせら、と
いう。おばんぱるの山という。オットロットという、
おとせろの言い、とぞそ。オットロッドの宮という、おと
せるの宮ともいう、ここの馬の宿り所という。馬宿の村と
いう、後、栗東の馬という、名馬非馬の滋賀という。
非馬を馬という、馬の一種である。滋賀の言いでもある、
馬のことを非馬という、馬一般の言葉とも。糸ゆらす宮という、
滋賀の都という、ひっぱれる山という。安宅の夢という。
近江神宮のことである。古い日の近江神宮である、京を近江
という言いとぞう。そこの歌である。
 これを、あづみあずれ、という。あずれ言いという、
あづみ言い、という。あっせらるう、という、御所宮のおばん
ぱす、という、アックス・レーレという、御所の英語風の言い
である。あくせらるう、ともいう。
 滋賀の都のお書きという、この滋賀を、志賀という。志賀
ぜら闇という、志賀所という、後、滋賀県という。古く、
近江ぜら、という、志賀の都の言いとぞう。安宅声由良という
、言葉の一種である。
盆地
 滋賀闇やら・ありせる・かこず、という、かくす山という、
これを、くぼんるく、という、後、窪んだ地という、盆地の
ことという。ぼんせらの言いという、盆地という言葉である。
食卓の盆である形とぞそ。やまれさんざきの世ともいう。
盆地住まいのことである。お盆々山のお書きという。
志賀の宮
 ぼんぜらみつ、という、盆のせらしょ、という。ぼんす・
くわっきき、という、くわっきのかっせま、という。後、
瓶の爪という、瓶の蓋である。くわっき、という。
志賀の宮の言葉である。くわきしょのるい浜という、言葉で
ある、言葉の種である。

 また行く志賀という、志賀宮のあやまは、という。あって
らるうのおより、とぞそ。ふたつよ山の、これとぞそ。
古い話である。京都おぜんそわ、という、京山のおよよ、と
いう。よよたる話という意である。

 『よたれそ、常ならむう』という、よたれの言いという。
『むう』という『う』が、よたれの言いである。
『流れるう』という『流れる』のことである、よたれ言いと
いう。

 『赤いはなゆれ、そみとらす、せぇるるそいほきに、
 あまや晴れる』
 『張れる、うみゆれ、さろふみる、ろうやるからす、なま、
 ろうとのおきと』
 『地ははりゆき、ろろおみと、ろうする、くり山のあっ
 きの闇の』
  『おいぜ、はんらるる、はんしぐみ、そうれるすみゆらす、
  あんてのよみと』
くり山という歌である、戦いのような歌である、緑らっぺと
いう、らっぱの言いの、くゆはんるら、という。はんさむらる
山という、この『はんさむ』、今の男前とむいう、はんるれの
意の山の言葉という、はんさむ山のお言いという、はってら
るう、という言いの一種である。

 『はんむさみ、さっすれい』という、れいせらの言いという、
後、れいせんという、後、れいぜい、という、せいしの言いの
宮のおこと、という、れいぜい言いという。これを、古い冷泉
という、冷泉の宮の言いという。古冷泉の山という、御所の
宮尾浜という、今の烏丸の御所の中の言いという、御所中の
言いという。御所溝遣り、という。おいそ、ともいう、おい
ぜの言いという。これを、老中というム、城の老中の言いで
ある。
老中
城の中を老中という、きっせら山の言いという、この城の言い
をする、輪島という、今の輪島市である。輪島の白言いという。
輪島もんたく、という言いである。
『俺がっさ、れってら、れろん、ゆってそ』という、『俺が
やる、俺が行く』という意である。れろんへ行くことをいう
輪島の言いである。古い御所の黒間という、黒間御殿の言い
という。『れろん』という宿である、宿のことである。
輪島の宮の言いともいう、この言いの和宮という、後、勁草
の言いという、草の言いのあらるれ、という。

 『みてゆっと、おいそま、れてふ、すすむめ』という、
御所の中の生活の言いである。後、村ぞき、という言いで
ある。村ぞきの言いの、村せらという、村せらの言葉とい
う。村由良のとを、村瀬という、村住という、これが、
御所の村出という、村出御所という、村の造りの御所であ
る。御所村という、ごぜんせ、という、るいるいのおむら
という、後、村弓という御所言葉という、御所言葉の
一種である。

 らっしょまという、らそるおこと、という御所言葉のこと
である。これが、御所の黒こくれ、という、後、黒所という、
黒書という、黒書所のことという。こくれま、という、言葉
である。御所言葉の黒所殿の言いである。後、今の京都府庁の
西へ行く殿である。

 古く、京都府庁を、でんぞめ、という、今の府庁の言葉で
ある。京都府庁の冠語である。村田弓の言葉である。これを
とる府庁という、府を、れんはる、という、れんての言いの
言葉を使う、蜷やらの言いという、これが、蜷の島野言葉で
ある。京都府庁を蜷せまという、蜷せまの言葉という、これを、
ままがて、という、蜷の言葉のことである。
れんはる、はるんす、という、この類の言葉である。いのよ
間の言いという、京都御所の守護代言いという、守護せる
おりそる、という、後、京都守護職という、職せまの言いと
いう、これが、はるんすである。

 江戸幕府の御所という、幕府が自らを御所という時の言い
という。これで、今の皇居の中の御所という、京都御所の
言葉である使いをする、江戸間遣り、という。
『そうであるんす、いかろっしょ』という、古い篠遣りの言葉
ある。これが、篠山城の江戸幕府出しである。篠山城の言葉が
ある江戸城の、らるせめらく、という言い方である。

 『だっしょ・れいら』という、どみそみの言いとぞう。
だっせるという、ダクション・レーレというダックスの言い
という、これが、江戸城の言葉である。だっくす・そんなく、
ともいう。ぜろすの言いという、御所の言葉の絵殿御所の言い
という。この江戸の言いが、古く、村上水軍という、村上の水
冠という、瀬戸内の船の周り言いという。瀬戸内海の古い言葉
である、淡路島という、和歌山の友ヶ島の言いてもある、
たっしょん・くっかくという言葉の一種である。後、かいせら
のねび、という、ネービー・ブルーの言いとぞ。ネバッセン・
ルークーの山という、これを、るうく・う、という、この『う』
が今のよたれ言いの『う』である、上文である。
るうくうの言葉という。どいの山のお書きという、土井と表す、
土居とも。ドイットン・ルックのお書きという。

 いっとさん、という、御一統(御一等、・・・)という表しを
する、その言いである、ドイットン・ルックという。
御所のワイツの言いである、とるっせるの言いともいう。
ドイマイ・ラックスという、どいせらの言いのことという。
これが、後、だいそいという、だいまいの言いという、
『どんまい』という、『どんぜら』という、ドイツの言葉の
ようにいう、そして、英語であるという、御所の女御(にょ
うご)という御所の女官の言葉である。これを、コートという、
コート御所という、京を、こうつみ、という、女官語である。
これが、けっすべという、けんとるの女官という、女官を、
おみな山という呼びの御所の言葉という、ドイモイという、
ドイモイ語の言葉という。

 『どいまい、せらす』『どんまい、せらすり』という、
女官の言葉の言いという、この御所を、ささずら、という、
コート御所という、後、一部看護婦の言葉に入る、『けっ
しる』という言葉がこれである。『欠く』という意味である。
『便を欠っしる』という、便所へ行くことである。後、便秘の
言葉に使われる看護婦の言葉という、これを、陳言様という、
陳言様の言いという。

 コート・ナイチンという、ナイチンゲールの看護婦という、
『ちんさま、よってしょ』という、女官の古い言いとぞう、
これが、ナイチンゲール冠語である、後、看護の掛かりの
言葉という。

 バット冷泉という、バットマンの恰好の医者という、
漫画に出てくるバットマンである、この恰好の医者という、後、
同志社医学の恰好という、黒いバットマンの衣装である。
同志社の医学の言葉という、バットという、診察、医学・・
のことである。

 これが、サコワンという、あふれる医学という、サコワンの
医学という、古いブーズーという、アフリカのブーズーの医学
とぞう。アラジェラズラーという、アルジェの医学という、
サコワン冷泉のことという。サコワン医学である。

 主として、内診をする時の診方の医学という、これに、
精神という、精神が体に掛かることを対象にする医学である。
近代ロシアのパブロフ心理学に掛かる医学である。これを、
サラセンという、サラセン医学という、ロシアをサラセンと
いう言葉の意味ともいう。昔の言葉である。今は、ロシアを
サラセンとはいわず、いう日のサラセンという、これを、非
という。非馬の『非』の意味である。
白馬非馬説
 白馬非馬説という、中国漢文の非馬である、一解である。
名馬非馬山のお書きという、これを、はくさきの解釈という。
白馬非馬という、馬の名前に山をつける名付けという。
白馬山という馬である、これを、号という、白馬号という馬の
名前である。
中世
 これが、黒いチューリップという、チューリップという、
中世のヨーロッパの話である。暗黒世の中世という、ヨー
ロッパの話という、黒山のヨーロッパという、黒い色のチ
ューリップという、黒い草がたくさん生えていた頃の地球の
ことである。ヨーロッパに限らず、黒世という頃の世界と
いう。

 黒い草で、黒い記という、黒い土の頃の世界である。これが、
ヨーロッパを代表とする、世界のことという。黒世の世界を
ヨーロッパで代表することという。

 中世の暗黒でペストが流行ったという、ノストラダムスと
いう、うんこ大魔王の話である、御所の黒所という、そこの
話である。
キリスト
 キリストの復活という、キリストが現れて、病人をちょ
っと触ったという、それで病気が治ったという、ノストラ
ダムスを復活にとらえる、キリストのような人だという話と
いう。これが、今のキリスト教の一派にある、中国に入った
ノストックという、中国のネストリウス派に、これがある。
この話が宗教の救いであるとする、宗教施設に、医学があ
ることという。宗教に医学がある話である。
共産塔医学
 バットマン医学を、この医学に入れる、これをとる医学を、
宮原という、宮原医学という、はっきりと医者の診方をする
医学である。黒所のあった頃の医学ともいう。バットマンを
御典医という頃の御所である、さんたな・よんまん、という、
さん山の医学という。パブロフ心理学という、ほぼ同じであ
る。後、共産の医学になる、代表が共産党の医学である。
シャッソワという、フランスの掛かりという、ノストラダ
ムスという掛かりである。

 和宮医学が、少しこれをとる医学である。今の警察病院と
いう、この流れの医学があることという。ノストラダムスの
精神の書きがこれである。音楽が流れる医者の診察室という、
話である。
パブロフ心理学
 これが、志賀の宮の救録である。古くの神社の医学のよ
うな物である。食い合わせの話によりをする、神社の話と
いう。主に精神上のことになる。科学的な根拠は心理学に
なる、これを、蓋然性という心理学というパブロフ心理学
のことである。病気のような書きがある心理学である。

 神社にある古い医学という、パブロフ心理学が入る神社
である。これを、通して、仏教が医学をとる、仏教の医術と
いう、主として神経系統を見て行く、針の医学がこれである。
仏眼という話がこれである一部である。

 アメリカの『サ』という言葉にこれがある、ナイコスと
いう言葉という。これが、サイコロジーの古い言葉である。
ネービーという海軍の医学という、軍属の医者という、
軍医のことという。この見方が、ねびという、ブルー・
ネービーというスカイ覧の話である。
セブン・シーズ
 空から地上を見て行くひぃに、地を海という、海の
言葉を使う空軍という、これが、セブン・シーズーという、
ラシュモア山麓の地をシーという、セブン・シーという、
シーズ・ランゲージの使いという。潮の満ち引きを見て行く
空軍の見方という。言葉に、息を潮という、潮の満ち引き
という言葉が出る、空軍という、古くのエッドワード空軍の
言葉である。シーズモアという、ラッシュモアのことをいう。
これが、シオニズムに掛かる言葉である、シオニストという、
ノストラダムスのことを指す、この解釈が軍楽の入りである。
余興という軍隊の安全をとる楽という。音による安全を期す
軍隊という、しっぱんという考え方である、ヒッポという
言葉である。ヒッポクラテスという、シオンの言いという。
シオン
 このシオンが煙である、シエン 紫煙という。煙をいう、
これが、救録である、急六という、急なことの心掛けである。
軍隊の一つの心得である。物事を、や、という軍医の言葉と
いう、野戦という軍の用語で表す、医学用語を軍隊用語で
表すことという一部である。
ゲバラ
 これが、共産を掛けて出た、南米のゲバラという、古い
ゲバラの話という。『ゲバラは謎の人物である、どこの誰
かはわからない、医者である』という、英雄のような話と
いう。ゲバラの伝説である。このゲバラの話が南米にある、
チェッセン・ラールという、ゲバラのことである。

 山へ行くゲバラという、シオンのような山という、シオ
ニストと話が関わっていくことという。チェ・ゲバラという、
医者のことである。一般名詞に用いて、リンゴスターという、
チェ・ゲバラを医者という、これが、潮の見の医者である。
ランプ・シオンという。山岳救助のことである、軍隊が掛かる
話である。
ゲシュタポ
 ゲシュタポの話という、古くのドイツ医学である、ナイチ
ンゲールで掛かっていく話である。ゲシュオンという、大阪
の中江藤樹の話という、この大阪が京の逢坂でもある、どち
らも坂で大阪である。仲藤樹が大阪にいる話という。浪華の
薬がこれである。近江の薬という、メンザル・ヤッカスと
いう、後、メンタムという、メンタムの話とぞそ。

 これが、京都の黒所の庭の話である。帝話という、庭を帝
に書くことという。御所の黒所の頃である。ゲチスという話
である。これが、後、三共という、ゲシュという、ゲシュタ
ポのことという。南米にあるドイツ語という、この話でも
ある。ナッセラ・レールーという、ここが日本語の通じる
南米である。ゲシュタポという話という、ビーイル・ゲッ
パーという、ビーソムのことという。医学の話である。 
正(やなぎ)。J12.

*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willow, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write English.
English ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/04/19 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る


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ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@-303
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
posted by 秋残り at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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