2020年07月10日

卒業6590 Korea 俺590 土佐槍(壮強太陽):イカスミ柳


 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/04/05 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る


駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click muisic score, music start.
音楽
【曲名】 卒業6590京都船旅5490
古譜4490大原練習4390天の下4790 Korea 俺590 土佐槍(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺
    造詞、勇野 晴丈・正     俺
    監修、雪柳里花雄・正     俺
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
    There are flint sounds in music.
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 

 狐の天気予報。〇r1999/04/05
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【国司】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
 
そうきょうはよい時です。20200531
土佐槍
御所
 若い人はいう、『朕は御所を攻める』という。『御所へ
行く』という意味である。
よろかわ
 若い時に育った御所である、なつかしさ思い溢れる所であ
る。祐の井のあった長屋の御所である。その御所の山という、
祐の井の前の川流れという、この川の造りという。小さな川
とぞう。鳥が訪ねてきては、羽を広げ、餌を啄む。その鳥を
見て、よろかわという、この言いの御所という。鳥を、よろ
かわ、という。古い日の御所の言葉である。

 大御爺さんおらるる、大御婆さんおらるる御所という。
これを、よみさみらま、という、大御所の言いという。
『今やまるら、れてる、そそん』とぞう。これを、るいろら、
という。大おばあさんのお言葉という。御所言葉である。
『やまゆたらら、こよめて、すすより、せめるる、さみそよの
ことはぎ』と仰せの大婆さんという。
仙洞御所
 その大おばあさんがおられる御所へ行くという、攻めるる
おはごめ、という、御所をはごという。祐の日の長屋である
日を思う、言いの思い出という。大御婆さんおらるる、お御
所という。ごおごの言いという、お御所という。
 思うゆゆ山ありるらる、すゆの山という。これを、れよふめ
、という。またゆたの、おいそみ、という。このゆの山という。
今の仙洞御所という、大宮御所という、ここにおられる大御婆
さんとぞう。

 思う、ゆゆ浜ゆゆてる、ろそめる、くゆずす、という。後の、
王府屋という、御所を屋という、家(や)という、若い人の言い
である。

 『浜屋ごやふら、ふふす、ろれす、ててそるせめす』これを
みよ賦という。これが、御所の内裏の言いである。御所を内裏
という、内裏のこきふむ、という、ゆよゆよのおとゆと、
という。御所の言いである。
ろよ
 よろかわという、よろの鳥とぞう。よろかわを呼ぶ人という、
この世の、はもよら、という。はもの鳥という。この鳥のおい
ふみ、という。よろかわくくゆ、せむれるろよ、という。
『ろよが来る』という、若い人である。鳥をろよという、大
内裏浜ゆま、という大宮の御所のおいゆ、という。これが、
大宮御所である、この言いをとんという。とん言いの大宮
御所という。攻める御所の言いとぞう。

 御所みゆらすという御所の言いである。ここを、大浜見と
いう、大御婆さんのお住まいという。『朕、くゆさず、われ
さま、すめそよ』という若い人という。

 これが、山世の記という、若い人の行きの記である。原文
はしだき篠御で書かれている、京都大宮御所の記である。
しだき文字という、文字である。設楽(しだら)文字という
文字である。ところどころに、キョウという字が入っている、
アメリカのニューヨークの二番街の字という。この頃の御所
である。

 さて、今の御所という、この御所を残す場という。芝背の
ごいふき、という、しばれるはよふき、という。この浜の
お書きという。これを、邯鄲という、邯鄲の夢浜という。
かんてのおつよつ、という。かんすめの言いとぞい。
こうさま、すめらさま、皇様
 大おばあさんゆ、ありてそわゆら、せせす、るるす、そゆ
る、という。後に、皇居の御所へ行くことの言いという。
皇居が今の東京の江戸城である。そこを、こうさま、という
江戸皇居の言いである。『こうさま、せめされ』という、
大宮御所を発ち、東京へ行く日とぞう。こうさま・ごゆふき
、という、やもさの行きという。この日、『おひけえなすっ
て』の恰好という、大叔父御上ゆわれさまる、せせす、とい
ふみ、とぞう。とい玉の大叔父という。
大森城
 『今、ゆわ浜、れらす、せてせ』という、ゆわ浜という、
ごれんの乗りという、ごれん車という、これに乗って行く
磯由の磯かり、という、今の大森である。大森のはよいきと
いう。東京の大森である。おめやりという、槍のある大森と
いう、後、槍を山という、大森の槍という。大森の大お爺さ
んという、この行きの記という。原文が、しだき大森という
字で書かれている、しだき字である。後に添えた省略字とい
う、今の速記文字の走りである。衆議院速記という、参議院
速記という、その字である。朕と署名がある。若い人の書で
ある。
城をブラという
 大御爺さんおらるる、大森の宮の城とぞう。大森城という。
プランという、御所の英語の冠話を使う、プランレクという。
今のヨーロータという、養老の言いとぞう。城をプラという、
プラッキという。これを、プラッキ・カンスキという。プラ
ッキの糸弓という。糸せる弓春という。千代足由良(ちよたり
ゆら)言いという、プラッキそうみの行きという。お行く行き
である。

 この日、大森の城をいう、城やらいてすて、れれつ、すみ
そみ、とぞう。これを、大森冠話という、大森城の冠話であ
る、大御爺さんの仰りである。プラッ記という記である。

 衆議院前という、ごれん車の駅という。後、都電という、
京大宮御所より訪ねる大森城の大お爺さんという、大御婆さ
んおらるる、とい山のおゆふみという。この日の、はみすわ、
という。あれさるゆい浜という。といさるおみさま、という。
大乗殿
 大御爺さんおられおれるる大乗殿という。大森由良原、
みよやる、みよかり、という。これを、かりの世のはこ、と
いう。はゆふるかよふき、という。この日の紋という、大
桔梗という、大菊という、二つの紋の家前垂れという。
 おおすみゆら浜由良、おおぞみのおすみ、という。めよ
やる・こんゆってす、という。大森城の冠話である。靴語と
いう言葉である。この大森城の言葉である。ト・アッペと
いう、後、ト・アペーロン語という。ギリシャのト・アペ
ーロンである。大森城の冠話という。これが、今のギリシャ
語である。古く、篠御墨(ささごすみ)という、墨で書かれた
この文である。原文ギリシャ語である。若い人の手である。

 『こよふら、えむせて、ととよ、せむすら、せせす、つ
ゆつゆ』、これの書き下しがこの文である。これが、冠語の
一つの使いである。篠山城御教えという。篠山の城の古い
城である。ここが、日本の元である。
篠山
 篠山ふなせまという、篠山のふぬやなという、城を、さざ
という。『朕さっておっらせ』という。篠御の言いという。
篠山城の若い人である。ここを、小という後、正という。
ショウ。
 この書き方が、篠御の書き方である。これが、皇居の御所
においてある、若い人の書である。朕、ゆお浜のお書きと
いう。篠御の書である。

『我が世ありて、さすらす』とぞう。
城曳き
 『今、城はどこにあるか』『栃木にある』、城曳きの
途中である。二条の城の曳きである。この日、御所を出でた
若い人である。プランタという、二条の城の洋式の城とぞう。
ここお住まいの大叔父御上という、大叔母御上という、
おられおらるる、やおやおの城という。京都墓町の大叔父
御上である。大お爺さんという、二条の洋城の言いという。
京都墓町という、前方後円墳の京都である。京都の町全体が
前方後円墳である。古平安京という、その後の、前方後円墳
である、後京墳町という。この頃の城曳きという。今の京都
の山ごと曳くのである。ならゆ山浜ゆゆる・お曳とぞふる。
これが山曳きの言葉である、『とぞふる』という。

 ゆゆゆありてすわるる、れっつるせめすれ、という。大
お爺さんお住まいの山、その山を曳くのである。鳥を、かわ、
という言葉がそれの使いのことである。この『こと』、頃の
意味で、、これを使う日が、皇居を、こうさま、という。
こうさまの使いという。今の皇居の御所である場の使いとぞ
う。このことが書かれている若い人の書である。若墨の書と
いう。弱い四という、署名である。
斜皇城
 私は弱い人という、若い人の言いである。若いを弱いとい
う、弱いをよわうゆら、という。よわゆらのこうさま、とい
う。すめら地に立つ皇居という、斜めになっていた頃である。
斜めのまま、住まいをする、造りが斜めこう、という、斜皇
城という、その造りが、皇居の中にある御所の中である。

 大宮山ありるら、せてゆら、そもす、るるつ、せめすれ、
とぞう。これを、斜皇城のお書き言いという。『せめすれ』
というのが、『すめら』の語源である。
和宮降嫁
 『あの間、無理である、俺がやる』という。あのかんむ
りである。麁服(あらたえ)を着る若い人という。『おひけ
えなすって』の恰好で、麁服を着るのである。時代劇の
盛りの石松の恰好である。傘被りの麁服という、これが、
後、和宮という、和宮降嫁の話という。和宮の恰好が
降嫁姿という、この『嫁』、斜め屋敷をいう、斜め屋敷を
嫁屋という、嫁家という、こうけという、斜め屋敷の
住まいという、斜め屋敷へ行くことを降嫁(こうけ、
こうか)という。

 坂落という、坂の場のことである、坂の場へ行くことを、
坂落(さかおち)という。これを、降坂という、おりざか、
こうはんという。降嫁という。坂の家へ行くという。
斜め屋敷へ行くことをいう。
森石松
 和宮というのが、おひけえなすっての森の石松姿の麁服
着という、若い人の行く場所である。その時の行く場所を
いうた若い人という、和宮と建物の名を言うたのである、
和宮降嫁という、和宮へ行くという、斜め屋敷の和宮と
いう、和宮降嫁というのである、これが、御所の言いであ
る。おひけえなすっての麁服着という、手脚絆に青の条を
巻いた格好である。嫁の一義という、家のことを嫁という、
嫁屋という。和宮降嫁という若い人である。大森城のお書き
という。

 これが朕の嫁行き姿である。若い人の朕である。今様、
家へ帰るという、家へ行くという、降嫁というのである。
『徳川渡っていきまする』という、徳川を渡っていく人である。
徳川という名の川は、日本全国、たくんあることという。
『おひけえなすっての恰好で麁服着で、徳川渡っていかはる
のえ』という話である、嫁入りの恰好である。

 これが、仙洞御所の奥の間の話である。大お爺さんおらる
ることである。

 嫁御(よめご)という、御家という、そういう話である。
篠御山お書きという。
『斜め屋敷へ行くんや』という、和宮行きである。御所では、
そういうのである。烏丸の丸太町の御所である。侠客御所と
いう場の出である。侠客御所から出発する人である。
桂離宮
 皇居の所という、そこでも、おひけえなすっての恰好を
する人である。和宮降嫁スタイルという、スタイルがタイル張
である。桂離宮の恰好でもある。壁見山という、京都の桂川の
桂浜という、そこの宮のスタイルである、ここの歌という、
『・・ごぜさん、かんざし、こうをみた・・ヨサコイ・・・』、
という、土佐高知の民謡と同じである。
かずんしょ
 ここにも、和宮という場所がある、かずんしょ、という。
総じて、桂離宮を、かずんしょ、という。古い日の徳川と
いう、桂川である。後、きよ浜という、桂離宮の場所である。
かように、たくさんある徳川という、
簪講
 『和宮は悲しい所やじょ』という、悲しき所という、
金が敷いてある場所という、開け閉めの戸のレールである。
悲しきというのである、抒情的表現である、金敷屋という、
そういう話である。和宮の金敷という。ふるさびた話という、
泣く泣くひかはったんえ、という、ギーギー鳴る戸である。
『古屋金敷和宮』という、斜め屋のことである。全国至る
所にある話である。かなしい話という。尊所桂離宮和宮御話
という、市松模様の壁見のことという。『ごぜさん、かんざし』
というのが、このことである。買うというところを、こうと
いう関西音便を使う。これが、かんざしこう、という、講を
起こす人である若い人という。簪講という、桂離宮の講である。

 ここが、歌を、ほる、という。桂離宮の冠話である。
『ほるみて』という、歌を歌うことである。市松模様という、
石松模様という、市松模様の石松という、チェックの柄とい
う。チェック柄の着物である、これを着ることを、『よし
みて』という、『よしみてほる』ということという。桂離宮の
清浜という、清浜の言いという。この恰好で歌う、虚無僧の
尺の入れという。簪講の歌である。これを、やまず、という。
古い、篠御の城の歌である。『ごぜさん、かんざし』『こうを
みた』という、篠山の講である。後、篠山京口の、尤の閣の
場の言いとぞう。

『行くか?』を『行くこう?』という言いをする、篠山盆地の
言葉という、他の地方の方言である。この『こう?』が、
『行く』を『ほる』という。

『わて、ほります』という、『私は、行きます』の意であ
る。現代様、『私は掘ります』になる。これが、桂冠の言い
である。後、酒屋の言いになる。

『いってしゃ』という、酒をさかという、さかもりの酒という。
これが、さか場の山のム言いという、これを、さかや、という。
さかやという言いの出という。言いを、いい、という、ゆいと
いう、ゆいいいのさか、という。ほるれす、という、ほるって
の言いとぞう。
明智光秀
 『わよ、ほるって、さそっぱす』という、『山越え、川越え
行きます』という意味であり、地を開拓しますという意味で
ある。明智光秀の言いという。丹波平定という、崖の山を
切り開き、川を作り、川切りをした、丹波の国である。
徳川が明智を祭る話である。丹波にある飛行場の頃である。

 槌(つい)という、大槌を打ち込む大工事である。明智の
平定である。明智の叛乱という、書きになる。丹波には、
明智を尊ぶ人がたくさんあることという。地水工事である、
この記が、動く城という、ハナウェルという外国の話という。
外国に伝わった明智の治水工事である。若い人が見ている話
という。大槌山お書きという。

 丹波城郭という、丹波の城の書きである。カーユルレン
スラーという、治水のことの記とぞう。明智顛末記である。
かなしき話という、H鋼の打ち込みである。明智工法である。
土佐高知はりまや橋
『ごぜさん、かんざし、こうをみた』という、ごぜ山にかん
ざした鋼を見たという、土佐高知のはりまや橋という、ここの
工法てもある。ミューラ・フーラーという工法の歌である。
一解である。

『まとれるれっせ、あーるてーらー』という、ミューラフー
ラーの言いという、治水を兼ねた都市造りである。御所工法
という、御所の工事でもある。都を開く話である。

『ごぜさん、かんざし』という古高知の民謡である。
『ぼうさん、こませま、とりをほる』、古御所の歌である。
『ぼんさん、こんそら、ろりよる、ははらら、おりより、
かむせる、こりをよる、ヨサコイ、〃』桂離宮の冠語の歌。

『いまざむ、かいほら、くくよれ、かんらぎ、こめそる、
かゆうてる、かみゆらず、ヨサコイ、〃』
『おんたる、かめゆる、きいこはる、かんさる、くめすみ、
かみらぐ、こよふらせ、ヨサコイ、〃』
『こんかむ、けれふる、こいはる、かんらぎ、けれくみ、
 くれるる、かみはぐし、ヨサコイ、〃』
『けれるす、かんさる、かんゆほる、るぎはま、れれそる、
さみせみ、かゆうきまれ、ヨサコイ、〃』
ヨサコイかんさんという歌である。古い天智朝の土佐の歌で
ある。

『ぼんさん、かんざし』という歌の出の戻しという、ごぜさん
 という、ぼうふみのぼんぱん、という。井戸掘りともいう。
 これが、ぼうさんという出だしの歌の古歌という、色々
 歌詞がある中で、古いぼうさんという歌詞とぞう。
 飛鳥朝の頃である。飛鳥山お書きという。
小山御所 
 『ごぜさん、かんざし』が歌われる、友の島という、和歌
山の友の島である、砲台のできる前である。後、砲台である。
友ヶ島の尊所楼という、そこのゆう浜という、そこの村闇山
という、浦の山の歌という。ごぜさんという、ごぜやらの
すみまら、という。御所の浦という名の浜がある場とという。
今の友ヶ島の大山のだい山という、この言いのある、だいち
という、渡りの島出の地という、島へ渡る港である。ここの
言いのする場をいう。『言いのする場』という、これが、篠山
の言いという、友の島という、西脇の地の言いである。
西脇の屋の島そゆ、という、そこの言い方である。御所の
小山御所という、小山の名の屋という、そこの場の言いであ
る。れぞれが掛かる『ごぜさん』である。御所をごぜさんと
いう人の言いとも。御所の古い北山という日の北山御所とい
う、北浦山のある頃とぞう。烏丸の御所である。

 ここで、明智をいう、治水工事のことである。都を開く、
明智ばんはん、という。浦切る工事という。明智の裏切り
という、裏浦の工事という。
『うらは、よってす』という、私をうらという、福井に掛か
る言いの出のことという。古い、篠御ごゆふみ、という。
この頃の御所の工法である。丹波定平の後、飛行場を宅地に
する、その時の、うらという私の意の、使いという。亀岡に
私をうらという、使いする場という、この場がある、ガレと
いう場所という。亀岡方言の中のうらである。
おかじゃり
 古い、園部の屋という、そこの言いでもある。切り
立った頃の崖上のやの言いである。園部城の言いでもある。
これが、後、吉富という場所の方言である。
『うらは、行く』という『私は行く』である。後、わらは、
という。『わらは、行く』という、この頃、園花の城がある
日という、京都西の城である。園夢城ともいう、後、園花と
いう、後、おかじゃりという、後、園夢と園花の城になる。

 おかじゃりという、番手のことである、算盤のことという。
この算盤、斜めの軸がある、アメリカ・ダラス、リンカーンの
算盤である、同じ形式である。

『園花、夢枕』という、
『園花、かゆってす、かゆらず、こゆひき、こめよら、
 かみふる、かようはせる、ヨソレル、〃』
 『ごぜさん、かんざし』を、『ぼんさん、かんざし』と
いう、黒岩涙香の山の御叔父という、篠山が掛かる話という、
黒岩山の人である、若い人という。黒岩涙香という、桂浜の
じもめま、という、大きい岩がある、黒岩山浜という、桂浜
の ごゆかり、という、ゆかりの地という、土佐高知の黒岩
浜という、同じく、京都桂の桂浜という、桂離宮の清浜の
ことをいう。古い日の友ヶ島の黒大岩という、ここの住まい
という、若い人が住まう所である。桂離宮と同じ歌である。
桂離宮、土佐高知桂浜、友ヶ島の尊所の歌という、御所の歌
である。

 ごぜやらのむ歌の伝えという、グッション・ラクスという、
イギリスのカレードニアの項がある、歌である。

『カレーセル、かゆうせら、ろいるり、よらふる、くれする、
 かようふる、かゆふらず、ろいらず、またけむ』という
 カレーセルが、カレードニアである。イギリスの北の方で
 ある。
 
あと、ベルギーの国の項がある、れれべつという。ベル
ギーの歌の相似入れる、ヨサコイという掛け声という。
古いベルギーの唄にある、ヨサコイと掛け声を入れる歌である。

 『丹波、田の由良、おりよる、かよふる、けれそめ、
  すゆめる、さむしらす、ロイホル、ロイホル』という、
  この『ホル』が、上文の『ほる』である。桂れんてすの
  通いという、かよすてのおいそり、という。
  こいさむ山音頭とという。
  
 ヨサコイ節の話である。御所の小槍御の残りま、という、
残しの歌という。歌に残す、よいほいのよされる、ヨサコイの
歌という。
仙台城
 日本全国にヨサコイの歌がある、恐山青森、伊達清浜、
いたつきよという、居た月世という、居た月日の歌という、
仙台の城の歌由多(うたゆた)という、仙台の城の天守閣の歌
である。この項もある歌である。九州島津にもある。
それぞれの城の冠話である歌語の歌である。
代表が土佐高知である、ここの地の歌である。大和朝廷の
頃の歌という、高知という地名が大和朝廷を表す、大和朝廷
の浜めむ、という、その頃の桂浜である。高知かんかく、と
いう、高知城の別名である。亀岡の名がある、亀岡高知という、
城のある所である。坂本城ともいう。坂本屋という、若い人
の言いである。ござを被って寝る坂本立つ間である。
坂本の御地という山内容堂の城である。まよはる川という、
その川の行きという、船を使う日の高知の川である。
まよ浜の城という、御所るる川中という、川中の城であった
日がある。若い人がいう、古高知である。川中の城のお書き
という。
海援隊
 高知が国をいう場所である、大和朝廷のことというい。
アッパメッパという、アストスの言いという、『〜ぜ』と
いう言いという。御所かんふら、という、御所区のうよふみ、
という。これが、言葉の『ぜ』をいう、カンセラキーという。
この『キー』が英語になる日の、桂浜とぞ、桂浜が外国をい
う、がい山のお言いという。桂おご浜という、御所の桂浜の
呼びである。これが、アメリカという、海外を見る坂本とい
う、国を論ずる坂本龍馬という、外国をいう人という、
桂浜がそうである。海援隊という外国行きの話である。
日本を坂本という。
 日本のことを、坂本の国という。
 坂本龍馬の国という、坂本の国という、たくさんの像がある、
高槻の山々にもある人という、若い人が拝む人である。御叔
父は大和時代から生きておられるという、京都円山公園
の像である、若い人の叔父である。
ヨサコイ、伴奏
 ぼんさん簪の歌という、ごぜさん簪ともいう、ごっけら
こっキーの歌という、ごけさん・ぼんさんの歌という。
尺に竜骨琴という、それと、横沢ほめ笛という、三味の四本
を使う、これに、なよの音という、今のシンセサイザーを入
れる、シンセサイザーのホッという音という、これが、今の
シンセ音の、ゆむやら、という、シンセサイザーの楽器である、
ピアノのほんキーという、ホンキーのキーの掛かり音という、
この音を入れる、めいそるお伴という。これに弦楽をよる
長尺の月琴という、三尺の杓を入れる、江戸世間のお楽とい
う、紫宸殿の奏である。洋楽のビオラを入れる場合もある。
少し形が違うビオラである。胡弓の代用の音である。

 胡弓を入れて、馬頭を入れる、これにム、スイスの長息笛
を入れる、これが、養老の楽という、紫宸殿の和洋折衷とい
う。紫宸殿の奏しである。外国のウイグルの宮にこの額があ
る。ヨサコイ節である。ウィッキー・ミューという、ミュー
ジシャンのお書きという。ミューらつ山という。
シンセ音のホンキーという、かな様の音という、かなしき
入れという。

 ドラムを入れる場合もある、今のペン玉という、電子の
ドラムである。ミュージックお書きという。穂浦の頃からの
楽器である、シンセサイザーという。今の世の電子物、穂浦の
頃にあった物である。穂浦海軍、これを、きょいほい、という。
穂浦海軍学校の士官候補生である、若い人である。
正(やなぎ)。J10.
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willo, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write english.
english ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
そよはなの、柳はよいです。
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
------

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@388
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
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