2020年05月29日

卒6092 京都府長岡京市9

京都府長岡京市9
そうきょうは、宵時です。20200529
【京の村上】
 京の村上という。村ゆらのおゆふりという、おゆのふりせ
るという。村上の村のゆれという。このむらかみという、
鴨沂という、『おう』を、きみせみという。鴨沂をきみろく
という。『ろく』という、地のことである。この言いを、
長世花弓(ながよはなゆみ)という。
【鴨背山】
 古い鴨背山という、この山の名をおうせみという。鴨の山
のお書きという。これを、あかという。あかんの文という。
あかせらのよいするとぞそ。赤い山という、鴨背山の色とい
う。真っ赤な色の山である。赤紙の山という。召集の村の
赤磯という、赤闇の村という。打ちをとめるという、このと
めるという意ととぞそ。赤紙の召集という。これをとめると
いう。
【山江】
 たんはんの意という。いよせらという。いみそみという。
ときよきふりすりという。せぶてのよきやりという。はん
たんの言いという。たんはんという意ともとぞそ。
これをはんはんという。これをふんるれという。るれふれの
磯言いという。ものをとめはりという。とめはりすめすらと
いう。ときより山おえという。この『お』を『お』という。
おいふみのお書きという。ときより山をえという。ときおし
のえのよという。山のことを絵という。これを(山エ)えとい
う。(一字、山へんにエ、え)という。これを、さんずいのえ
という。(山エ)のこと。表記に江とする。山の江という。
これを絵という。山麓の言いという。おみつぼうという、
自分のきそけという。これをいわおという。いわお山という。
【帝臣】
 自分のことを、おみつぼという、おみつという、おみとい
う。これを、みかど言いという。帝のおみという。この『の
』は同格の『の』である。帝のおみの意味である。これを
ていしんという、古くの御所の言いという。帝臣と表記する。
帝にいる自分という。これをおみ浜、臣浜という。しんひん
のしんという。そこの帝臣という。

 これが『知らせる』をいう、山つ臣ふみ、という、古くの
鴨沂の山津という、山江という、麓の家という。山津家の
ぺれという。山っぺれという鴨沂の住まいという。鴨背の
山の麓という。鴨山のおおきまという、これを『おおきに』
という、おおきに住まいという。住まう意である。

 『おお きにすまい』という、『きにしないでおこう』と
いう意という。きに住まうことを喜ぶ話という。これが長岡
のおっぱ遣りという言いである。『すまい』という言いであ
る。長岡のぎゃくれまの言いという。そみの言いという。
【帝紀本記語】
 逆れまと書く、さかれまという言いともいう。長岡の『す
まい』の言いという。きにする話という。きよての山の絵と
いう。ルッカル・レックスという。レベセン・ラークという。
ロンゼラパックという。帝紀本記語という。帝の言いという。
これを、こかどの言いという。こかどをおかどという。小門
という表記をいう。これを、つぼやりという。つぼす山の世
という。
【長岡村型】
 『きにすまい、きにすまい』という軽い言いの話という。
木に住まいの気にすまいという。きにする話という、これが、
天高(あまたか)の言いである。この通りのの、木に住まい
である、木の上の家である。気のうえの家である。長岡村型
という家の造りという。この長岡が長岡京市の長岡である。
鴨山の長岡世という鴨の世の住まいという、鴨背山の住まい
という、ここの村の家の造りという、木の上の家である。
天然の木の家という、その上に家を作る村である。鴨背山丁
という、山丁の家という。長岡の家という、家の柱という、
大木の柱の上という、下の繰り抜き屋という、一軒縦二(
いっけんたてふた)という。たてじさんのお住まう家という。
たてにあまという家のことである。
【風澤印】
 大お爺さんのおきの家という。これの言いの、こめこり言い
という。米のなるよと、いう。わかち家という、わかちの
『と』という。とのの山のえという。わかちと造りという、
きの上の家という。これを、赤紙を貼る印という。
長岡と鴨世の長岡という、全国の長岡の風澤という、風澤印
という、これを、ひょういんという。ひょうという、ふうと
いう、馮印(ふういん)の家という、後、封印という。
【封建時代】
 封ずる封建という、封建時代という、山のときよ、という。
山麓のときえである。封建時代という封建の山という。
帝小門(みかどこもん)という人である、かもおれのお書きと
いう。鴨沂の人である、『おぜ』という詩分を表す人である。
『おぜ、山っしょ、しよってら、すわっしょ、せせす』とい
う人である。町の言いになおすという、どのまちの言いとい
う。土御門という所の人である。土で作った家という、土御
山(つちみやま)という、つちはやまとも読む、土御門帝であ
る。長岡にある墓である。
 『あそこ、俺の家やった』と簡単にいう人である。仁徳継
ぎの山という、仁徳の木のお書きという。泥屋敷の赤紙の貼
り家(はりや)という、あそこは赤山という、泥にうもった家
である。
【土御門】
『あの山、越えて、屋根越えて、人は花ずり、泥すらす山浜
 よ』という、に節という。この『に』が『んとくつづき』
という。
『ん〜こ山、はなす〜、れれ、ゆわ晴れる、そそするふう、
 う〜ぅ、ここ、ゆまは〜ら、くゆらぐりざる』という。
歌である、土御門の場の金原の辺りの歌という。長岡町の
金原である。土うんこともいう歌である節である。
【金原】
 アンゴルモアという、土うんこである。泥が流れてきた意
という。この泥、天から降った泥である。アンゴルモアが
やってくるという、天のうんこという、泥が降った地である。
土御門御陵という一帯である。天孫の話である、空の孫とい
う、尼子山という、アンゴルモア山という、ノップラー山の
夜という、その泥山という、そこへ飛行機をとめた人である、
自然飛行場という土御門御陵である。飛行機の墓という、耳
寄山(みみよりやま)という、金原の山である。空のうんこと
いう、空がうんこをしたという、土御門べん、という。
【丸い玉のような霧】
 長六角形の弁当の造りである。これが、うんくらいの歌で
ある。後、周りに家が建てられる、土御門の怨霊節である。
長岡製材の頃である、金ヶ原きんろるという、後、麓東の
友岡麓である、どろっという、泥の頃の住まいである、
ひゅう泥が流れてくる場所である。お泥お方という、泥見島
のゆれという、幽霊のお方という、土御門霧という霧が出る
所という。友岡の霧である。後、京都市内でも泥降りがあっ
たのである。正(やなぎ)
posted by 秋残り at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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