2020年04月21日

卒業4756 俺21 堺りんだぎ (壮強太陽):イカスミ柳


 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/01/15 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る


駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
Click music piece
音楽
【曲名】 卒業4756京都船旅3656
古譜2656大原練習2556天の下2956 ANGOLA Camarao 756堺りんだぎ (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺
    造詞、勇野 晴丈・正     俺
    監修、冴柳佐代次・正     俺
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
  ACID  SONY社
【歌詞】創郷 
すろろ ゆのこすふる ろはるはるやらぬう
るしるふ るぜせるれぜ ぜとい るそついそ
まそいお れらはれるゆ すゆこりき のぬなふぬ
りよれわそ れれれるし まそしそ すなはきよ
びきよさ のりたわしき りじんだ いかさ

 狐の天気予報。〇r1999/01/15
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【国是】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【歌解説】
りんだぎという、だんじりの一つの、だんびりという。
その、りものの花引くという、花背の段という。
堺段の段である。階段を坂目という言いのりんだん
という。らんせの言いの、かってくるぞ、という。かつゆつの
言いとぞず。これを、勝海の言いという、後、勝海舟の天の
船という、空の見の海という。
 空の見立てを、海による見という、その言いの、りんだ、で
ある。輪世の意味の、輪廻のことという。空の雲行きを、浪に
見立てる、ろっこす、という見方の海の行きである、同時に空の
行きである。どちらも々言いを使う、艦という乗り物のことと
である。
【空艦】
 空艦という、タツノオトシゴ型の乗り物である、それを、り
んだ、りんだぎ、という、堺の仁徳護摩の言いぞみそみ、とぞず。
これが輪廻艦という、船の切り回しの、だんじりの切り回しと
いう。ペロという、曳きの切り回しとぞず。さっけす、という。
ペロさっけの言いの、ともせ、とぞず。ともせの灯の当たる灯を
、きざらす、という、木更の言いという。堺のだんじりを、田
辺のきざれ、という、これを、堺みっちく、という。ちもそめ、
という。堺練路の言いという、堺練路という、和国の鉄釜道と
いう。鉄扇道路という、和国正路という。これを、わっかくらま、
という。花やらの言いの花すり、という。この『花』が『鼻』
である。花山の言いという。これのそんせめ、という、そん
たるのじらんじ、という。じらん道のシッテランという。
しっこすという、しこすこのいみてら、という。れれてのゆ
いそみ、という。

 これが、中脳の見になる、中脳が見た景色、光景とぞず。
天せる山のお書きという。この意の歌である。前項(sotu4755)
の歌と同じ意味とぞず。回意転線という、合旋のことという。
合旋を、回旋にとる歌である、曲である。最後から始めた歌
である。回らまの造りという、欄間の彫刻の造りの意味の元
である。らんせるけってす、という、こんこの闇そわ、という。
れれての言いという。れるるれんそわのお言いとぞず。
【共山波】
 ともの山のお書きという。共山波という、東山の共の屋の
波とり、という、東山麓の山並みの形容とぞず。京都の東山麓
である、代表とぞず。36峰という、そんせる言いの寝姿とぞず。
西山ヨンの言いともいう。れれてという言いの、地の言いとい
う。これを、千という、千山という、千勢楽(ちせらく)の言い
とぞず。とうてるらぁくの山という、後、トーテムポーという、
山をポーという、ポーレルの言いのペラズレという、ペロらる
おれてて、という、俺まがりの山並みという、これを、ゆり
おっそんという。ゆりおのお書きという。山を髷という、
おれるれせみせみ、という八坂の言いのせよるれ、という。
おりしと、という、ひとしとの言いの、人という。

 これを、やまげの言いという。山の尾根の言いとぞず。
山れら山という、えんりそのゆりふり、という。これを、
山麓という、後、みそゆそ、という、山麓のことである。
この山行きが、船を使い行く山行きである。舟で山へ登る
トーテムポーという。京都船旅の船山である歌である。
『カッケンコン』という音の形容という、船登りの音で
ある。かりかっすの御音とぞず。御音山という東山麓である。
東山船登りである。京都祇園から伏見の稲荷東の山という、
ここの山へ行く船とぞず。古く、壬幕(じんばく)という、
船のことである、これを幕進という、船の山行きである。
京都をかけての堺の歌である。

 おりゃろる攻め、という、攻めとは、行きのことである。
攻めるという、行くことをいう。京都御所から祇園回り、
伏見越え、淀入り長葦原(ながよしわる)、水瀬湊(みな
せみな)越ゆ、たかっき(高木)へもせ(経ることをいう)、
茨木宮ふれ(たちどまり)、槍出豆(やりいず)、咲洲かよ浜
(さきすかよはま)、曽根由良譜(そねゆらふ)、イオントウブ、
道頓落、水里里(みずりさと、みずりり)うこれ、よいこり、
れてすお行きとぞず、一日の船航路である。船団の日もある。
イオンレのお書きという。ゆきゆく山の船を艦とぞう。
山艦という、山行きの艦である。川の波の中へも行く譜とぞず、
これを、山海艦という、後、陸海両用という。
今の、だんちり、という、海へ行くだんじりである。だんちり
という、だんせまともいう、これを総称するだんじりである。
岸和田のだんじりが代表である。和国の堺市である、堺だん
じりという。和国網の言葉とぞず。堺市のお書きとぞず。
和泉、堺、岸和田を含む堺市である。よいよっときの話という。
神社に船が飾られる元の話である。よいそい、という、
よいよっときのお書きという。歌に寄せて、るいよりの
玉すら、とぞず。
【堺だんじり、たわしき】
『りじんだ、いか』『りじんだ、いか』という、堺のだんじりと
ぞそ。『いかさ』という、『いか、だ』のことである。墓のこと
である。堺弾という、堺トマホークの弾である。いか落としとい
う、中性子爆弾の落としとぞそ。堺れんたく、という、堺れん
てるの-くよゆっしき、という。ゆゆてるおてらか、という、
てらくのゆいの、ことという。『ゆい』を『言い』という。
ゆう山の絵という、黄色い闇という、堺の岸の岸和田という、
 ここを、『だわしぎ』『たわしき』という、後ろ読みの俺
という。レオの宮とぞそ。俺の宮である。この『れお』を、
『りょう』と聞く、聞こえる、この聞きを、りょうという。
これを、れおわれ、という、りょうわれ、という、良我の山と
いう。『良』を『宵』という、宵我の我、という。後、小我
(しょうが)という、自分のことである。
 良俺という、宵俺という、しょうりょうの、小陵という、この
『小』を接頭語という、小我、小陵。
【とうす、とうさん】
 この『小』を、大きなという言があるという、これを、無という。
『なくす』という、なす無という。なすむ山のおんりょうという、
御良、およいという、こよいという、むれせれのお言いという。
こ言い、という。これを、こお遣り、という。『こ』と『お』の
同意という。『大きな』を介した解という、解きである。
この解きを、とうさん、という、とうす、という。これが言葉の
解きという。とうすとうさんのときれ、と言う、ときれる、とも。

 これが、切りの入れとぞす。『と、うす、と、うさん』という。
これが、ぎりく、という、切り句のことという。この『と』で
切る切りを、とうし、という。とうし句という。この『句』が、
後、『区』になる。村興し町造りという。これを、村町興造と
いう、町の構造という。人名の作りという。
【和泉】
 これが、和泉の『和』のとの意とぞず。岸和田の和泉である。
堺のことである。これを、とうされらく、という。堺吟談と
いう、講談を吟談という、和泉の岸談という、講談のことである。
和泉しんべる、という、岸和田言白という、堺講談という。
さかいこう山という。坂へ行くこととも。講談の盛りを上げる、
いこう句という、講談の話の中のヤマバという、これを、こば
せま、という。こうてる、ともいう。『こうてる・いいがぁ』と
いう、『りゃんがぁ』の山という、れを、餃子言いとぞず。
【餃子】
餃子が玉座である、玉座を餃子という。餃子の言いが、堺だん
そめ、という、岸和田だん、という、これを、和泉ぎっきき、と
いう、れおさっけく、という。『さけ』を『さか』という、こ
の地の言葉という。酒地という、酒の地という、坂の地である、
これを、さかち、という、すめらの地という、すめらを、さか、
という。さかれす、という、坂地のことである。
【棚】
 これを、堺のたなふみ、という。棚踏。棚という、道のこと
である。道行きを、棚踏という。京の棚通り、棚通しという、
道のことである。ころものたな、衣棚の、ころらく、という。
衣棚のことを言う場合もある、道一般の話という。れおふれ、
という、りょうふれという。これが、令を『れい』『りょう』と
いう読みのことである。りつりょうという、りつれいという、
律令。
【律令令和】
この『令』の意味の和という、令和という堺仁徳の円墳部
を、令和、令和墳という。これが、墳墓のこよ浜という、『こよ』
を『およ』という。円墳を、『およ』という、丸い葉かという、
方墳を、『こよ』という、およこよの御墳という、仁徳の前方
後円墳とぞそ。机上の丘という、これを、机下という、この机下
が、中国の秦始皇のことである。秦始皇の御縁という、丸い形の
石墳という、ここを、石墳卓という、円卓墳という。餃子の墳と
いう。秦始皇の墳のことである。
【北京】
 これを、ペレセという。ペレスレーという、後、ペレという。
北京を、ペレという呼びという、これを、ペッキン・ラールゴー
という。ペッキン・せーはん、という。この『はん』が、飯であ
る。これを、イーゴーという、飯のことである。北京飯の言いと
いう、ペッキン・ラールゴーのことである。

 『ペッキン・イーセーヨー』という、『オーセーヨー』の言い
の岸和田山の言いとぞず、岸和田の言葉である。和泉がこれを、
『イーターミー』という、岸和田だんさま、という言葉である。
【玉墳】
 ぎょくはんという、玉岩のかんされ、という。玉岩という、
丸い石の墳とぞず。これが、京の田辺という、現、京田辺である。
この京都の田辺周辺に、大きな石造りの建物があることという、
これを、田辺巨石群という。田辺の『たな』の意味である。
同じく和歌山の田辺という、同様に巨石建造物という建物という

これがあることという。『たな』という、岩の棚の造りとぞず。
京都衣棚という、たなべ山という、巨石の墳墓があることという。
俺の地という、この『たな』を『とせ』という。とせの地にある
巨石構造物という、青森の盛りの守りとぞず。青盛、青守。
【いすらむいすむら】
 これを、せいす、という、後、いすむら、という、後、いすらむ
という。いすらむせいしゅ、という。青守。青森の巨石構造を盛る
みやふり、という。宮を振ることという。宮造りである。方墳の
上に円墳という、円墳の上に方墳という、これを青守という青守
墳という。これを、わはやり、という、はやりという、はやせ、
という、はよれるという。
【名古屋棚世】
 『はよ、れもせ』という名古屋の返事の『はい』である。名古
屋城の地の棚世墳(たなよふん)という、この後に建った城である、
名古屋の城である。この城の前期を俺城という、俺の城という。
仁城という、名古屋上方下円墳という、これを、なご、という。
たな、ともいう。なごたなのおるい方円という。塁墳という、なご
のことである。俺仁城という、古い名古屋城のことである。
【おぼ】
 ここを、おれなご、という、俺の言いである。いかなごという、
大きなお墓という、小墓という。おぼ、という、しょうぼともいう。

これを、おぼれ、という、おぼのくいやら、という。
【大阪の杭】
墓を杭という。
大阪の杭瀬、杭全の言いという、大阪山れる、という言い方である。
くいせ、くまたの地という、巨石建物とぞう。杭瀬、杭全。
【酒池肉林】
 ここを、大阪はなよき、という、この『よき』を、堺れんてと
いう。堺れんと、ともいう。れれてる言いとぞず。大阪立美園という、
東大阪の里という、りりせる里のり、とぞう。里をりという読み
とぞう。東大阪里(ひがしおおさかり)という、この阪も、酒と
書く場合という。酒池という、肉林の始皇帝陵という、東大阪を
花咲く地とぞう。花咲屋という、これを、花遣りという。
【河内節】
 これの流れ意味の使いという『ドッコイサノセェ』という、大阪
八尾の河内(かわち)節という、これを仁徳領という歌のことであ
る。これを領仁という、領人という、良人という。仁徳良人と
いう、これを仁徳宵人という、後、あとさき、商人という、河内
住まいを商人という、河内の商林という、河内を商林市という
和国の言いである。
【巨石建造】
 この『商』が、古くの北の商の御所のことでもある。京都御
所の御所以前である。若咲という、若い咲きの人である。
若宮人という、巨石の建物に住まう人のことである。
若宮という名に、巨石の造りが掛かることという。

 ヤング・パレスという、若っ晴れという。これが、かっぽれの
語源の一つである。かっぽれにある一意味である。人の頭を、
にんとう、じんとう、という、仁徳の一意味である。人の頭を
大切という仁徳という意味である。仁徳天皇という、人の頭を
大切にすることである。健康頭脳の意味という、仁徳ごぜ、と
いう、御所という。

 紫宸殿の下の皇地の奥という、そこの仁徳地という、この意
味のことの造りという。じぇんぜらの言いという。
【青森】
 青森ジェットの話という、青森の歌の、あぜかまの言い、と
いう、青釜という、後、釜の掛かる地という、御所の中にある
話という、お茶の釜である。釜すやら地、という、御所みその地
とぞず。これが、人頭の話である。人の頭の仁という、仁せまの
ことという、じんばくとぞず。人頭幕府という、仁徳の幕府と
いう、俺幕府である、これを、オーレという、西洋の幕府のこ
ととも。オーリヤ、オーリャラともいう、レオ幕府という。
良幕という、仁徳じんとっき、という。人徳の話という。
これを、数府という、数府幕府という、仁徳幕府である。
【おはこ】
 これの天皇査察を、御所査察という、天皇を査察する御所と
いう、幕府という。査閥という、査察閥のことという。査察陣
のことである。天皇を査察することという、大切なことである。
『人体八膚(じんたいはっぷ)、これを父母に受く…』とぞ。
『身体髪膚』の古い書きである。父母を、おはこ、という、
八意という、八の臓という、人体のことである。
【天臓、天蔵】
 脳を、天臓という、天蔵とも。これの意味のながお、という、
ながながし尾という、この長尾の形の脳の方地という、竜の落
とし子という言葉の一意味である。
【コロポックル】
 この『竜の落とし子』の形の空飛ぶ乗り物という、堺ロッコン、
岸ルレ、和泉ソンポ、田辺期の頃の乗り物である。日本古代の
巨石建造期である。田辺時代という、日本古代の前期である。
巨石建造物がある頃という、これを、ころほぐる、ころぽっくる
という、コロホ時代という。頃穂時代。いなる頃の稲荷時代と
もいう。稲ができた頃という。これを、青則、青束という。
後、正則という、正しく使う言葉のことという。

 アラビアに使う、正則という、アラビア正則語という。
ペジャワラという、ペッソンの帯刀という。刀の形という、
ブーメランの形の脳の内部の一部とぞず。ここが、おれまがり
という脳の一部とぞず。曲がりという地名がたくさんある鈎
(まがり)ともいう、脳の一部分とぞず。
【天篁】
 脳を、まがった言いであらわす、天篁(てんこう)という、
古くの天皇という、人の頭のこという、言葉である。
【馬脳】
 『天高く馬肥ゆる秋』という、この『秋』を『とき』と読む
読みの元の言いとぞず、馬脳という、脳の一部の働きとぞず。
漢字読み書きの働きを担う脳の部分である。ローマ字、ひら
がな、文字一般の読み書きを脳のことである、馬脳とぞず。
馬脳の一部が、おれまがりの個所である、二か所あるブーメ
ランともいう。ブーメランの形をしている脳の部分とぞず。
馬脳ともいう、馬脳の一部とも。馬の話が掛かることという。
あおうまの節会という、御所の風習という、今の、こきざわ、
という、いしこきや、という。矢の脳という、馬のたてがみの
形の脳とぞず。これが二つある脳である。屋根のことという、
紫尾、鴟尾(しび)という。この意味がある建物である。しび
ちょうる、建物のことという。
【間無里、紫尾冠】
 この形の冠を、間無里という、間無理とも、冠の一種である。
鴟尾冠ともいう。建物を、とうさん、という、鴟尾冠のある建
物である。とうす、ともいう。その間無里である、冠の里という、
冠里(かんむりさと、かんり)、官僚という、流れ語源である。
冠領のお書きという、これを、紫宸殿推量という、天皇査察の
一方法である、四条畷法という、丹波市の四条畷である。
 そこの縄掛けの城という、現、天理市である。丹波市文書と
いう、分所ともいう、丹波市の駅の周りの町並みとぞず、
さんざしの木の植場所とぞず。さんざし冠という、さんざし脳
のことである。鴟尾冠の形のおれまがり、さんざし冠という、
脳の内部である。御所の天皇査察用語である。天篁という
天皇の話である。
【日本国象徴の天皇】
 日本国民の総意に基づく象徴の天皇という、人の頭の話であ
る。憲法の話という、頭大切、体大切、これを、革命的法
解釈という、健康一番の解釈である、安全第一である。
自分の頭を天皇という、人体の一般用語である、御所おくろ
しつ、の言葉である。黒室という、後、紅の屋という。紅室で
ある。赤染衛門の紅の色という、黒く見える色である。紅室と
いう黒塗りの場である、朱(あけ)の意味でもある。現今は、この
言葉遣いはしない、黒を赤とは言わない、朱、紅も同様である。
黒色という、現代の合理性を富ませた言いとぞず。紅赤のお書
きという。鴟尾の脳書きともいう、紫尾とも。
【八膚六魂】
 革命的という、堺だん閥の言葉という、だんてれっせい、と
いう。岸和田だんつめ、和泉論浜、和泉論白という、岸和田
だんじりの話という、りじんだ田和岸、という、田は岸である、
たわ式の言葉という、後ろ言いである、式岸すっぷく、という。
地名による言いである。田和式里人駄わさぁ、仁徳の名元である。
俺の言いである。言葉を後ろから読む言いという、曲がり言葉
という。俺を、まがる奴という、野郎という、めじょ、という。
まがり脳の場所である、めじょである。これを、めろう、と
いう、古く女郎という、女郎脳という、だんてむ場、という脳の
おれまがった個所とぞそ。俺の脳学である。輪島六角という、
ろっこんのお書きである。各地にある、ろくの言葉がつく地名
である。八膚六魂(はっぷろっこん)という、体のことである。
【靴】
俺の御所の言葉である。沓川の言いという、靴の川、皮ともぞ。
くつ川のくそ流れという、思考の流れをいう。思考のことを、
くつ川という、御所俺所医学である。バールトン・れっせせ、
という、バルセロ菜の言いという。

コロ菜、セロ菜、せりっぺの言いという、これを、バルセロと
いう、茨木の宮言いである。大阪茨木である、高槻横という。
高槻を、横川という茨木の言いとぞず、そこの宮のセロ菜である、
コロ菜のことという、なっぱの宮という。じゃ川の呼びという、
横川の僧正という勝海舟の茨木川に浮かぶ船である。勝海の船
という。舟の曲がりの二艘船という、まがり船ともいう、勝船
という、船の造りである。茨木の造船の話という、大阪の造船
である、その前身とぞず。正(やなぎ)。

そうきょうのよい話とぞう。正(やなぎ)。
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willo, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write english.
english ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
------

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@291
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
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