2019年08月21日

卒業4049Italia Vega 七夕返り(壮強太陽):イカスミ柳 3-4

【トン】
 『トン』が、言葉であり冠語であることという。
ワシントンという、ワシンの言葉という、ワシン語という。
ロンドンという、ロントンという、ロントンとはっきり
言う。トンが言葉ということに、場所を表す意を付ける
ことに、ごっこという言いをする。ロンドントンという。
ロンドの言葉であると同時に、ロンドンという場所を
いう。これを、ごくせる、という。ごんみ、ともいう。
ごるれる、とも。

 げせ川という、言葉の一種をいう。げせ川の言葉という。
場所が、げせるげ、という。げせるげのげせ川の言葉と
いう。げせ川弁という、これが、げっせま、というばみの
山のおいゆれそみす、という。これを、げったく、という。
月宅。月卓。

 けびいしという、磯の言いの、ほみすみ、という。
『ほ』を言葉という。言い穂という、言うたことにする
意味を、ごっくく、という。ワーズ・トゥ・セイという、
英語になる。

 ワーズをいう。これを、そて、という。そてすみという。
そてをいいました、と。それすれ、とも。
それすれ・れっつ、という、そもそも、という。
今の言葉である。これを子供の言いという、
子供が、そもそも、という、ワーズという意味である。
これが、英語という冠語という、どちらの言葉でもある。
れび、という言葉の意味である。

【ごっこ】
 このごっこの使いをする御所のことを、ごくという、
ごっこという。これが、子供をごっこという、遊びを
とる、ごっこという。子供の遊びになることという。

 御所出の遊び、遊び言葉とそ。この御所を、しょと
いう、しょもともいう、しょぜともいう。これ全部を
含めて、らっしょという。ラッション・レールレーと
いう。られせる言い、とも。

【ラテン語】
 これが、ラテン語の造りである。ラテン語の『ゴザク』
という意味である、解説とも。
『笹の葉』という、笹の流れの空の笹という。空に笹が
ゆらゆら流れている形容という。これを、こけし、とい
う。御所人形がこれである。御所で造られたこけしの人形
という、御所のこけし、ともいう。御所人形の造りである。
 主に、御所の木材加工所で造られたものとそ。

【こけし】 
 これを、子供の守りという。これを持って、自分の
ことを伝える、自分をいう、意味とも。これが、御所の
人形を扱う心構えという。心ゆき、という冠語という、
こけしのこと、人形のことをも意味する。

『心ゆき、みなよ、せめせれ』という、
『こけし人形を持って行きなさい』という意。

【こけしを持って受講】
 御学問所へ行く若い人という。青年ともいう。
『心ゆき、みなよ、せめせれ』を説明する書きという、
この文である。

 大人がこけしを持って学校へ行っていた話という。
夜番学所という、今の夜間学校の始めのこととも。
御所の山の麓という、ここを、せめるこ、という。
せめるこという場所である。印が笹を立てる場とそ。
笹由良ごんこく、という。ごんぜる・らっそんという。

 ラテン語の講義という、『ジョ、ハッパー』という
始めの意の言葉を口にする講義という。

ハッパーという笹の葉をいう。ここを通って来た意とも。
これを、序発という、じょもせという、じみせまとも。

【序破急】
この『笹の葉さらさら』が講義の内容であることという。
序破という言葉である。序破急の歌である、『笹の葉
さらさら』という歌である。歌詞の造りがそうなっている
ことという。ここを、笹御、笹御所、笹の葉所、笹の葉
御所という。若い人が講義を受けているところである、
手にこけしを持っていることという。

 こけしの箱先という、講義を受ける席をいう。
箱先ごっこという、御学問所である、大人が受けている。
これを、大人に返したごっこの子供使いとそ。
大人も使う、ごっこ、という言葉という。
これが冠語の造りである。また、ごっこという言葉の
意とも。

 この歌で、笹の葉さらさらの歌である。七夕という、
8月17、18日の夜の講義という、ゴレン・ファールラー
という冠語の一意味である。

『ゴ-レン・ファースラレ、おりゆきふせる、めめそむ、
ゆうかれを、そみそらゆけて』という冠語の歌になる。
節は同じである。

【講義をおばけという】
 新語で、『ことのみ、はなよる、はせるるひさば、
せみこる、そうほんに、そらるるおりそ』という歌詞
になる、一訳である。花夜、久場という、これを、
オバキュウという、花が咲けて、久しい場に急が出た
という。オバケのこけしという。講義をおばけという。
新語の意味という。

 これを、子供のたたお、という。たたするという。
たたえるという意である。講義をする先生をいう。
御学問所の御講師という。

 こうるりえん、という。学び舎のことである。
かまよの言いという。こうるりえんごっこ、という、
大人という。子供は、はなよ(はなや、とも)、
きゅうれき、という、子供の言葉という。

 これが冠語の真という、芯である。かんせま、という
冠語の造りの話という。これを、たなばた、という。
たなばたという言葉の意という。

 しちせきという、子供という。
 たなばたという、大人という。
 冠語の使いという。ごっこという大人である。
これを、子供がいう、レムレルという。子供の言い
である。

 レムのお勉強という、子供の言い方である。
 眠りひめのおこごと、という大人の言いという。
 レムンレル数用という、ラテン語の『笹の葉さらさら
 』である。
 このラテン語を子供のラテン語という。
 大人のラテン語では、『咲かす、ごくはな』という。
 また、さくやひめごっこ、という、大人の言いである。
 
 冠語の造りの、ラテン語という。サッカーテリラという、
 ラテン古語である。笹の葉をサッカーという。
 ラテン語のサッカートリセラの言葉の意とそ。
 ラテン語でこれを歌う、さっとんという歌とそ。
 サットマともいう。
 『ツーツーツーレ、ごっぴきる、るるせとゆいす、
  れれほる、ほうめいと、ほそさるゆきみ』という。
  鳳鳴という、篠山の地名という。
  これを、篠山ラテンという。さっさ・そっくす、
  という。『さっさげや』のことゆき歌という。
posted by 秋残り at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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