2017年09月19日

卒業1891・京都船旅791古譜661大原練習281天の下96繰今日のおいき(ダビ光、ダビの星)(壮強太陽)

そうきょうの思い出し:日能野鷹世
字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:日山吹 柳
かいきょうのそうきょうはよい時です。:日スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:日山吹 餡
天の下、山拝み。つねづね。:日紙祖川劣る

【曲名】卒業1891京都船旅791古譜661大原練習281天の下96繰今日のおいき(ダビ光、ダビの星)(壮強太陽)(鳴恭川世讃歌讃歌)
midファイル
【創曲】2017/09/19柳晴創曲、熊 釜造 造詞、丹波 花由 監修備州 ソル(秋残り市在)
【拍子】
【種類】ジャズ時雨
【演奏】往来歓楽家、火打石愛好会の皆様
    仮名小文字ローマ字混ざりあえ
【場所】4戦回演、秋残り劇場
【歌詞】蒼郷 (紅世赤夜章)
君は行く 徒も波を越えて 遥々
越えて遥々 君の焼き声 聞こえた
聞こえた 冬寒空 雪降るや 
木々白よ ありはるる 浮谷行き 
君山晴れる るるおして きぶらぎ
そゆふれら ひぶるかまゆれ かかるを
すゆふれる るるるる
  君は行く 氷道 滑りつ滑り
  滑りつ滑る 葉に降る雪の 緑傘雪の
  里を思う 遠い里 尋ねる日 駒歩く
  谷渡り つららが垂れる またもまた
  谷之き福風が 音をたて吹く 雪落ち
  小雪舞う うううう
(旅の記、その譜)
 ダビに譜し(旅に譜す、旅記) ビズおして(歩いて)
 やまらゆきゆく やまをゆきゆく(やまへ行く)
 はならまの宮 せせらよふかれに ふきつふきす
 かざらめの まきまくを とらのはや ビズすびづる
 花吹かれ飛ぶ かれらでで くりこむ こむなぎる
 冬さむざれの されらづ ふなやおい おおおお

 狐の天気予報。〇r2017/09/21
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。 
 桃晴れごぎつね  
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))   
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
柳太陽
------日出葦談笑聴
明日晴れたなら行こう、大原砂山  
品花雲しなよる〜〜柳雲〜〜山吹雲〜〜桃雲〜〜銀杏雲〜〜朴ノ木雲
Be in Ideal town.
【長丘落とし】
 歌の終わり、16文音符で音が落としてあります。長岡の風の落としで、
京都の長岡京へ行けば、時々この風が吹きます。るるるる。
【繰今日、ダビビス】
 ビズおす、歩むこと。ビズをされという。されほという。されほねという。
ダビのビズという。ビズふむ、ダビゆきという。ビズを踏んだ山の絵、これをとぞ。
しゃれさまず、せをおせとぞ。れるふる、すすゆる、くみすよ、くみすゆ、これを
れっととぞ。れっとめともいう。これがさぬんの山をとる、びふりるという。
エムステの山という。メッテルの山々という。
 ビズふすダビふりの山という。後とぞ。大原茂(おはらも、おおはらも)という。
大原茂のみそっすずという。エルテスのやお、とぞ。えってるの山をいう。
耳山のお行きとぞ。『きみ行きし、みりびり』という。やふてらのおりるろの
せつゆつ、という。これを大原野行という。大原山の西の山とぞ。れれんその
おって山という。京の西の大原という。大原野という。エステスのくくれる、
という。めすをいう。めるすめるれるという。ここの雪景色である。
 つららが降りをいう。つらつらいきゆち、せてふりの雪すよ、という。
めっての山のお書きという。文つゆの山、これをめめすという。ブンれるペッツの
山という。、これを、れんて、という。れんて山のおゆるけけすよ、という。
雪おす山のお絵、これをおおてという。おおてのメルブスという。メッテの
意味である。めてるの山のおれゆき、という。めせゆせという。これをレゾという。
レゾれるすゆゆゆ、進み行きのおてやら、という。手袋の旅手という。これを、
足手履きという。手をつけて急斜面を行くれとんそという。めつれつのくゆくゆ、
という。くっせのおてる、という。くゆくゆ登る山の、手つき歩きという。
めっせという、歩きである。これをビズロクという。ビズすゆのビミミツ
という。ビッスふりらく、という。古い日の歩きという。
 家前の蒲鉾道をそうして歩くという、私の登山である。しんどい話という。
これが山道の歩きのしんどさという。緩やかな斜面を歩いている方が楽である。
膝あてをして歩むという、準備万端のしこしらえの家前登山である。遠く西山と
東山が見えた話である。あの高い山へ行くという、行かない話である。自動車で
行くという。夢成りえた話である。
 この日、京都は寒くつららが家前にできたこととぞ。西山大原の話にして
おきました。
 京都の西山麓に大原野という所があります。西の大原という。今の大原野とぞ。
そこの奥のつれらく、つんばすという所の話です。つんつん雪降り、行く行く山野
、竹ゆら、あれられ、せみてる、すすゆる。せっせのおはまゆき、という。
大浜という、山の斜面の浜で、原である。京の大原、ここをやっくれという。
やっさむともいう。西の大原である。せめすゆのえたるらという。えっせむの山、
これをとぞ。とぞ山ともいう。大きな原の、はるゆる、という。えてふての
せむする、という。これをせってとぞ。山々があるをいう。あるれるのせれせ、
という。大原野の歌という。君山晴れるとぞ。遠く君山を見れば、晴れていた
山とぞ。行く山道は雪降り雪降りとぞ。つらら下がる冬空行という。
 家前の景色である。蒲鉾道の厳かさという。
 つららゆらゆられ、溝やられれすとみという。大原茂の大原、同じの地名とぞ。
歌もにかよる節である(大原茂・王愉の歌)。れんてむ・そうるく、という。
ソルの山のおよらる、という。とめの山、これをとぞ、とぞ。
とぞとぞゆれる、つつらこおりのつららという。めめすゆ、ててる、おりろる、
るるするうりやら、これをめてという。右左と歩むめてである。
手歩きのめて足という。ひだすゆ、れてる、れてんそ、これを大原という。
おはらともいう。大原小原ありほるれ、せむての山とぞ。
 ダビにふすという。手歩きをダビともいう。旅ともいう。これをビズおすという。
ビズおしのあゆふるという。ビズを足の骨にとる、足ふりという。これを歩む
という。後、ビジという。ビジる山のおえおし、という。今の英語の
ビジー(busyビジー)の元語である。壬生語という。その一つの歌語という。
歌語である。歌に使う言葉である。壬生のユーラレーという、ユーレルのおこ、
という。ユーレルラッツという。後を、オーパという。オーパラッツの山である。
この山のお行き、れっそるるるる、という。るるるるをめれるという。
めるすの語元である。めるるるともいう。めせの山のおつる、という。
つるつるゆるれる、ゆうれるせめるれ、という。せっすの山という。
これが、歌語である。
 聞こえ谷てらという、谷照るの御道という。これを、護堂という。
ごみすよのお書きという。大道の山、これをたいふるという。
たいせまの山という。うちやさのきるふる、という。ののやら、おりする、
おりろる、おりれる、おすゆ(おっすゆ)、という。これが、歌語の壬生五段
活用である。これをめという言葉の用法である。壬生てる語ともいう。
てららるきっすぐ、という。山名のおふれ、とぞ。
 山の五段という。今の五合目とぞ。目という活用である。
しとめ、みとゆ(みとめ)、ふたよみ、ひとよ、という。
むごす、ななよる、やつめ、ここのほ、とおる、よとおる、よひと、という。
十一でてっぺんである。頂をてという。この辺りをてっぺんという。
十二をいとよという。十三をさせという。十四をとせという。これをななよ
という。一週間のおめらかという。午前と午後のよみという。
よみる山の絵これをとぞ。
 十一をてという書きである。むつれつのおち言いという。メッツの山の
ゑという。山たらよみで渡る世という。蒲鉾道を渡っていく人である。
これを蒲鉾人生という。人の世のダビゼという。ダビおしの意味である。
今のダビにふすという意味でもある。ややご歩きという。ややの歩きとぞ。
よつご歩きという。人生をダカという。ダカセルという。
 自分をダカという。ダカセルモという。これを、モボという。
モガをめってという。モボモガのお書きという。モダン・ボーイに
用いられた話とぞ。モーレルコンスーという言葉の活用である。
若い人のモダレラである。メックスという。あおやらろんそ、という。
そのことのおきとぞ。山の周りを沖という。山目の言いという。
海用語の活用である。
 ビジらる剣法の山という。剣法書き話である。ここをつるぎよという。
大原山のおすゆすである。蒲鉾大原の我が家である。大きな原であるという。
端から端までが見えないという。そんな大きさである。蒲鉾大食らいの
意味である。蒲鉾山のお書きという。おとんせの山これとぞ。
 板付き蒲鉾をひっくり返してみたら、そんなU字谷である。広い大きな野原
とぞ。蒲鉾谷という、U字谷のことである。広い大きな原野を大原野という。
一万年世の話という。誰もいず、家だけがあったという。家を友という。
友の家のお書きという。ここを友野という。長岡の友野、友が丘という。
友岡という。U字谷の地理である。西山麓の谷である。大きな川が流れて
いた話である。大口平の蒲鉾食らいである。これを冬口空食という。
空へ向いてポカンと口を開けていた駄作家の名である。駄作家という人
である。友達である。そういう家である。うつろな人の山という。
箸をふりまわして剣法という。十二段活用である。はしけという。
船でいったという。ふな宮のお家という。蒲鉾御道の大きな宮である。
 蒲鉾宮のお書きという。
 ワナワナ震えたという。ワーナーフレンドである。蒲鉾供えの神宮
という。船立て宮という大きな宮である。これを洞口という。
ホラホラワーナという神輿の掛け声という。そこがU字谷の洞道という。
U字谷の入り口を洞口という。山の穴の場合もある。むじな穴という。
お尻をむじなという話である。大きな原っぱのお尻である。
 泣く子がおならをするむじなやという。山場のお言いとぞ。海鳴りの
おならという。匂い付き風が出てくる話である。メブスウという意味である。
後略
 ダビズ、ビズおす しらぼねのかれら、かわをほねという、後、尾根とぞ。
 この『ビズ』、後、biz、bizz(ビズ)、bizzy、bisyビジーになる。
 忙しいのビジーである。ビジネスがビジ骨である。足の骨をビジ、ビズ
 という。
死、葬に関する意味もあるが、ここでは、生きて旅をする意である。
 おいきというのが、生きである。ダビが光をとる意である。
 ダビ津という津の光でもある。山の津、平地を津というこの意の系の
 言葉使いとそ。とその『と』、初めをとという。家の戸がそうである。
 ダビ、太陽のこととも。太陽の光とも。ビズともいう。
 ダビで、旅出
 太陽のことを、かれらという、かれ、とも。かれらでと、日の出のことをいう。
 旅出の日を、ダビル、ダビビ、ダミモ、ダビはま、という。旅程のことになる。
 ダビ浜と旅程を浜にとる、これをれんぶす、という。メッテルのゆいすず、
 という。メッテル日、という。メスユスのけんぺら、という。
 エール・レッテル・レーレという。めびらむのるるふる、という。
 るるふるが、みをいう。みぶ、という。(身の部、身部(しんぶ)とも。
 みは、自分のこと。ミは行く、という。私は行く意である。
 みのぶで、みぶで、自分の体である。ミーハムという言葉である。
 古い英語に、ミー・アムという、言いがある。今のアイである。
 このみーが自分を意味する、ロッテ・レールルという、言葉の使いである。
 レブロンという、自分の意味という。。自分をレブという。
 レーメル・−ルの言葉の、れおんせ、れおんぜ、という。
 メルラーという、けんおしのるるが、これである。
 るるるるが、これである(歌詞にある、ルルル)である。
 ターミル・ハットンという、べぶればのみおん、という。みおんす、とも。
 べべの言葉とぞ。れれふる
 ろうろう、という(ローローではなく、ro・u・ro・u、とはっきりuを発音する。)
 メルレーのべべふむ、という。この『べべ』が、着物のべべである。
 べべおし、という、めつれつのおっそる、という言いである。
 べっためという。べべふすのあつれつ、という。
 とらのほ、という。とらのめ、という。とらのはや、という。今の台風
 という、大風をいう。とらのめ台風という。てぶすの山という。れんれるの
 おてゆて、という。あすれすのくゆれず、という。
 かれら、という。これで、英語をいう。call it a dayという。
 べべはなの言葉である。日を終えるをいう。一日の終え、とぞ。
 仕事をここでおく、という意になる。仕事の終わりにかれらでという。
 食事の意味もある。
 し、という。『さあ、しのか』という。仕事始めに使う言葉である。
 この『し』は初めの意味である。レンフルという言葉の言いのもちあち、という。
 メルレルのめせゆせ、になる。めめす、という、れぶんの話という。
 レップス・ルーレーという、メルレルのことゆ、という。
 れぶんすのエルテルという。めっせ・あるある、という。ゆっすの言葉という。
 めせの言いという。主に島の場のこと、とぞ。
  島を山という。この時の、海用語をシマにつかう。この『シマ』が
  山である。山の辺を山浜という。単に浜という。山浜のことである。
  これを、しのう(sino・u、uをはっきり言う)用語である。
  しっぱらの山という。これを、レブホルという。レメンセのすすゆす、
  という。後、レブロルという、レブロンという。レブが自分を表すひに、
  島である意とぞ。
  ワン・ハッセという、島らるのおこと、という。めべれるゆわれ、
  という。
  アーヒル・フンフのけって、という。これを、とら、とぞ。
  とらのめの言いの大津という。大津用語である。とらのめの津をいう。
  大きな津を大津という。山の大きな原をもいう。めっすの言葉という。
  メレテルのゆいふし、という。この『ゆいふし』の『ふし』を『ふす』
  という。付す、とぞ。譜にすれば、譜す、である。
  賦にすれば、賦すである。『ふ』を書きという。けんてるの書き、という。
  あわせて、『ふ』である。しょっぱの山という。れるれるのゆい、という。
  ゆい浜のおで、という。浜を『ゆい』という。ゆいしょの場の言い、とそ。
  ゆめゆめるるる、るるるはる、めすれすすゆれ、これをとぞ。
  ゆめゆめの花である。言葉をはなという、みってるのことお、とぞ。
  みつゆつの山のおえ、という。ベルセルのゆっす、という。
  れむれるえてす、という。これを、ラット、という。
  めとよとのうち、という。ベラルゥのことおと、という。
  ベッセル・モンゼーという。ベブスムのくりゆり、という。
  とらのめが、くる(操る)をいう。ゆぜ、という。
  台風が繰る話という。ゆり風の語元とぞ。ゆりくり、という。
  ゆっすのはれ、という。これが、後、晴れをいう台風の目という。
  台風の目を、ゆっすゆ、という。晴れている話という。
  台風の目をめる山という。台風が山にあたり、めを『と』という。
  とっするせてそ、という。台風のと、という。これを、とらの言い
  という。とらという動物のトラの歌という。その意味のダビ、とぞ。
  この言いもある。旅を虎行きという。トメラルのゆいふり、という。
  虎行きしぬらー、という。旅出のうらろ、という。旅程の話である。
  ぺっせのおいとき、という言葉である。
  台風をおうという、背負う台風の風をきくという。きくゆす、という。
  台風のゆりをきくという、きくゆすという。
  古い日の壬生の話である。この壬生を見部という。けんしょくの身という。
  六段の私である。剣術六段とぞ。ペンの駄作を、そういうのである。
  ペンマン失語である。後、ペンマン・シップという駄作家の初段である。
  これを、1を6という。6進数の数学である。11という数字を手という。
  片手のペンの指という。11本指という書作のことをいう。
  作家を11本という、11本指である。手をごという。五本指を、ペン持ち
  という。ペラルルのおゆれゆ、という。筆をべという。これを、
  便筆という、便筆の語元である。ベブロンから解した語元である。
  古くの、ダビやら、である。ダビというえてのおろろろ、という。
  おろろ書きという、便筆文書をいう。おろろ文の話、これにる。
  ゆわっしょれってそ、れてんてのおろろ、という。
  おろち山の山、蛇ゆりの台風とぞ。蛇の動きのような台風である。
  横竜巻の形容とも。横竜巻をれっぽという。れぽれる山のお書き
  という、台風論書である、上の文である。
  蚕の台風という。添削の語元である。字を海という。字海のよたれよ、
  という。よたれそつねならん山々のおり、とそ。やうやう(ya・u・ya・
  u)のおほるせせよす、とそ。れむすれるやっつの、ここほほ、という。
  これを双頬という。ほほをここという。こすゆすのおほ、という。
  これを、めてゆす、という。めめのお書きという。蚕の台風を文つ
  という。文通という。手紙が行きかう山という。蚕の目を津という。
  おづ山のお書きという。これを小津(おづ、しょうづ、しょうしん)と
  いう。大津小津の台風という。子連れ台風のことをいう。
   台風をめでる文書である。目が出た台風という。正月に吹く台風を
  おっづ、という。おっずめす、という。おずめすのやお、とそ。
  とぞをとそという、たいよの山という。
   文書をやれという。やれふれの書き台風とそ。正月を初月という。
  台風初めのお筆、という。これを、かいらく、という。かいらく文
  という。本書である。後、かいらくを、せつ、という。かいらくせつの
  お書きである。蚕の台風、遠い日の台風とそ。
   台風は二つくる、という。この『くる』をいう。栗という。栗頃台風
  という。くりうすの言い、とそ。とその山のお書きという。
  ペルレルえてん、という。これを、けい、という。けいてん、という。
  天井の工法である。けいてんの山という。丸い天井の蚕目という。
  蚕目のけいほいという。軽法、かるるれむ、とそ。
  略
  しの歌であるひに、初めの歌である。君は行く、という。
  君行きの生きるとも。これをいきの屋とそ。いきる人という。
  生きる人である。台風の山のうい、とそ。ういがはじめである意とそ。
  歌のういをいう。これをウイ歌という。ヨカヨカという。
  よいという、いいの山お言いとそ。
  『ヨカヨカ歌じゃ』という、ウイ、歌である。後、フランス語の
  ウイになる。ダーウイというにっぱつの言葉という。にれんともいう。
  フランス語を台風という。台風語である。フランス語のあだ名である。
  ウイ言葉である。二連台風のとおる、とそ。フランスをいう、
  フラレルお国という。ベレレルの組み語という。フランス語の造りが
  そうである。セ・ボンという。セという。ここのおこと、とそ。
  せぼんのお書きという。
  駄作者解説である。この解説の解をとる、解国とそ、フランスの
  ことである。フラレル・モーゼという。牛のモーの背中という。
  モー語という、フランス語である。じゅっべ、という。
  これを、ジベーとそ。じゅうが十を意味するひぃに、十説という。
  じゅじゅの山という。じゅが私である意とそ。自分をじゅという、
  十本指のお書きという。これを、名駄作という。妙な文である。
  台風の日本である。日本を十本指というあだ名の日本という。
  日本があだ名である。二本国という。双国の山という。
  三本国は日本の箸である。二本を一という。一本山の麓という。
  ろくろくのいった、という。いったらのやお、とそ。
  ろっぷすという。ろっこくという。ろんの国という。
  これを、にほんろん、という。にっぽん山のお書き、とそ。
  日本論の二本ペンという。左手で書く書きを、れってす、という。
  今は、電子になる。電子書のおゆふ、とそ。本書である。
  略
  言葉を大切に扱うろっこくである。ろっこく人である。
  ろっこくろくをモーゼという。牛の背の書きという。
  牛の台風という。台風の目に台風が入った台風である。
  モーゼガルという。ガルガルの言いとも。ガル台風という。
  子供を守る目である。台風のみ教えである。これを、身教えという。
  見教えでもある。教えを見る目をいう。主として駄作による
  話である。駄作のろっこくという。語元論の解という。
  これを、かいらく、という。後、快落、後とそ。
  論を論語という。シは行く、とそ。私は行くの意。
  これを、知るや、という。『知るや』の『や』が、
  矢という。これを、シ矢という。資質の語元である。
  やを知るという。知る話の語頭とそ。
  子曰くを知る私とそ。この私をシという。これを、
  私矢という、自分をシという、シシツという。
  これが他分である。自分をシブンという。これを、ワタクシブン
  という。私分という。シワキという、しわけの解である。
  しわけという。仕訳の訳である。私訳という。
  フランスのコッポという。けいとくのれれす、とそ。
  略

【焼き声】
 声を焼くという谷狭座(たにはざ)の山。えて山のお絵という。
るる降る光のことを、陽の声とぞ。これをれつという。れむせるやくる、
という。せせ降るろろし、とぞ。こわおと(声音)の歌という。これをれぱ
という。れむんぜのかゆれとぞ。れれんそのふゆるる、という。
めっせるくうゆうのぺぶれ、という。そそ降るひひかるやら、おりそ、
れれそ、れれふ。これを焼くという。むみそのけるふる、れれめる、
ろるすゆ、れれ降るろりろり、とぞ。
 陽の光をめずれという。めめの山のおくれ、これをとぞ。めふれる
るすく、とぞ。めめやのおきれる、せせほ、るるす。れるれるの音という。
この譜である。
 出だしの半音がゆれをいう。光ののどけ、という。のどかのくりるる
お言い、という。れむせるけるれ、ここゆ、せせらせせろ、あせるるすすゆ、
せむてれれつる、れれんほ、れれそのやおほる、とぞ。『やおほる』を
『やっほ』という。あつれつ、れれのふゆれる、とぞ。これを、ふりふる、
という。ふるふるのやられ、とぞ。声を焼く、きこれむ、とぞ。
 おせらふうふうのふゆれる、という。これを、ぞめそ、とぞ。
たにでら(田に手良)とぞ。てにてら、とも。るるすの山の沖、これを、
すれ、とぞ。すれという。後、するという。ややの谷越え、谷声の響き
返りとぞ。れれその意とぞ。やむせるらむふる、という。ここを、谷尾
という。ここゆるふれる、せむてる、ふるせるおゆふ、という。
これを、せつる、という。せるせるの山という。ふれ山のお絵という。
 れずれるそむそ、これを、ふゆれる、という。せせふる、日の世の
お絵とぞ。谷々の山、やつほのやっほ、とぞ。八方の谷、これゆらる、
れてそ、という。けれるれのぺぶし、という。れめれめのおくれる、とぞ。
これをぺぶしかという。えてるてのやろうとぞ。めめの世のするす、という。
としふるれむそ、これを、ゆゆゆ、という。ゆゆてる、れむれる、れれふ、
これのかゆれとぞ。れむせのや、これをやおいという。やるやるの山、
るるそのお谷という。おれるるすすぞ、すゆるせむ、とて、れれふる、
ろくそる、という。これを、ふゆれる、という。ふふすの山、これをとぞ。
とぞれるのかゆふ、という。かゆれふくる、れるほ、れてんそ、これをこくれる、
とそ。とその山、これを、やむて、とぞ。とそとそのとぞ、とぞ。
えてふてのお書きという。ろめす山のお絵、これを越えたるるよの、こえらる
とぞ。てよてよのふき、これなるを。
 音楽の付記のめでである。
 大谷行きともいう歌とぞ。
 ロング・トーン・ロンドという。ワーフルゥのせてるきとぞ。後、ロンドラン、
ロンドランゼルという。ラップル・レップの山のお絵とぞ。歌の造りをいう。
ロンド・レールのおさはさ、という。これを、かけゆり、という。後、いまゆる、
という。えふてるの歌でし、という。歌をてというはたらしの山という。
山ゆえのけれる、という。めてすて、という。めるるろんぜる、という。
この歌の意である。
ロンド・ラッケル・レテステとも。この歌の題である。
メ。

 尚、解答について、文献書籍、スマホ等持ち込み可。
 参考文献、『社会心理学』『犯罪の心理』『パブロフ心理学』他、
       インターネット諸サイト 
 出題:秋残り社会人学校世渡り雑術科教師 穂乃帆 人部(ほのほ ひとぶ)  
 
【一答案】 
【評】 70/100

 
【和音】


【歌詞】

 
ソウキョウ 1817/06/14つつづゆるゆ(ほそす、とも) 
900三条川原,100四条の森,1400静小島,1800五条川家
京都府凶都上空くくく

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項     
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物
       
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
秋残り市立美術館秋期展示
『古譜661大原練習281天の下96繰今日のお行き(ダビ光、ダビの星)(壮強太陽)』 
























    著者@350上巣真芯、植え住まし
        UESUMASi W.E.州 Machine  
-----------------------------------------------------        
 仮想店 出品 ID:KoH'yosi-66517
     画商『加端』名画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
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ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。実在とは、無関係です。
楽譜の作曲者名、作詞者名等はもちろん、私が
勝手につけた名前で、ええ加減に書いてあります。
同じ名前の方がおられましても、その方とは、まったく
関係はありません。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の
秋残り、本ブログ著者小林壱裕です。
記事は架空です。著者@350,633
Notice;writer says;
Names are virtual on this article.
Matters are not real.  
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