2016年10月09日

卒業1381・京都船旅281古譜141田西(凶太陽):イカスミ柳

【曲名】卒業1381・京都船旅281古譜141田西(凶太陽)(鳴恭川世讃歌)
【創曲】2016/10/08曇創曲造詞
【拍子】4/4 
【種類】自作プログラムSuperComposer不使用、手作童謡様
【演奏】  
【場所】4戦回演、インターネット秋残り劇場
【歌詞】蒼郷 (紅世赤夜章)
   つかれきり 旅に田螺を持っていく
   旅は田螺連れ 故郷の川 田螺笑み
   ここは新川 うるう里 田螺のえくぼ
   両の頬 そうきょう山から流れ来る
   塩辛涙の受けえくぼ おめめの光は
   玉の露 きらり川流れ 田螺のご飯は
   頬を張る なつかしの里 夜の白き
   たにし黒 
   
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
太陽
------日出葦談笑聴
 両の頬、両頬(りょうきょう)、という。これを、そうきょう
(双頬)とぞ。
 西黒(にしぐろ)の瓜とぞ。これを栗とぞ。たにしの栗田という。
田螺の住む田である。黒水という、黒田ともいう。田螺をほめる
言葉である。こくでん(黒田)のこゆという。これを、黒多
(こくおう)とも。黒多田(くろただ)とぞ。黒水山のお書きとぞ。
黒い土をいう。これをほゆはるという。ほゆはるのめでである。
黒夏枢要という。黒夏を国の家という、国の夏とも。若い色という。
黒若という。これを、くろろという。後、くろほほ(黒頬)という。
こっきょうのはゆ、という。国境を越える流れという。かんぜという。
これを、関西(かんぜ)という。この田を、西に見る場の、越えとぞ。
関西越えの田西越えである。田螺が越えてきたという。川の流れの
つつとぞ。これを筒とぞ。筒川という。川を筒という。この地方の
言葉である。田螺の歌という。田螺が山を越える景という。
これを、多(た)という。この越えを、多越という。越多越えという。
はなゆらの絵である。ええやら、えたやら、こえごゆ、くくる、
たにしゆら_れ_ははやま、えたやら、これを、かわえ、という。
川を得るはたという。はたは、畑とも、周りとぞ。
 えたのはたむやつという。これをこうたという。江田という、
こうたの、子供の歌の小唄とぞ。子唄とも。口扁の貝の字をいう。
貝唄という。かっか、という。かっか唄い、これを、やまず、とぞ。
ははのみえ、という。ははを思う子の心とぞ。田螺の意味である。
童謡にする唄である。
 
狐の天気予報:くつあけ 20161010よや
       田螺明け(田西明け)、くつあけのことをいう。
       田螺をめでる狐、よもれる、という。
       よよの唄である。およよ(お夜々)とぞ。
       狐越えを田螺が見るという。狐のおた、とぞ。
       唄をおたという。狐を入れた田西という。
       田西呼びの空の明け、これを、狐の嫁明けと
       いう。明い日の雨降りの明けとぞ。
       太陽の指す雨降りをいう。嫁明けのたにしゆり、
       という。百合根の栗味、これを、くりこる、という。
       料法の話とぞ。この唄である。
       つかれきり、という。旅の疲れを梅るつか栗という。
       つかれきりという田螺である。旅の枢要という。
       旅には田螺を携行する話とぞ。 
        黒栗という川栗である。モツを栗という表現法とぞ。
       食べ物をモツという。しょくもつとぞ。たべもつという。
       これをつかれという。これをきるたまれという。
       たまれのたに、という。たまれをつかいく、ぱく、という。
       夢のバク、夜を繰り越す旅行けばの話という。
       旅行けば、栗がなるなる、田西川、
       繰り越して、夜の遠き、こうた山、
       なるなる、ゆりゆり、こゆごゆ、田螺越え。
       はなゆらの唄である。料理法で、田螺をめでる、
       川、山、遠とし唄である。遠いまたの言いとぞ。
       旅行く野を股野という。俣野とも。野のことである。
       野原をまたばらという。またのはらとも。
       葦があれば、葦俣野のという。葦野のまたやら、とぞ。
       股がけた足の進みとぞ。 
       自分が歩く野原をまたべ、またべのという。
       間食べという。おやつをもつ山という。
       休憩に口にする、間食べ食べという。
       股の辺である。部とも。一般名詞である。
       秋残り語扁、へんしょくの山、あきのこしという。
       食べのこしのこしぶらの、べんとうである。
       野良弁当の山、これを、つの言いとぞ。
       津のある所でまたべ歩きという。のらゆら、という。
       のれそれという。それ歩きとぞ。のらゆらという、
       のら歩きのゆら歩きである。
       ののほるえた越えて、やわらまたる、るるゆりとぞ。
       るれろという。るれ道のやくとぞ。るれ道をいく
       話である。これを、るれ道に行くという。
       るれ道へ行く足の股、つかれきり、田螺のともとぞ。
       田螺の旅という。
        旅はたにし、日は夕、ゆれる川の山端(やまはた)、
       これを、紫しく、という。らしくをしくという。
       紫らしく、いくしく、ららら踏むはば、という。
       波のある津の歩きとぞ。しぐれ夕日のきつね、
       という。きつねびの沈み入り、らら落ちとぞ。
       ららそれ、という。この歌のららそれ、である。
        音符の日、落ちる歌の声、声々の落ちる。
       日落とし歌いとぞ。らら落としという。日をらら
       という。日の陽、洋々たる日沈とぞ。
        日沈刻ありそゆ、ててゆら、日の屋これを
       ゆやという。津の辺の、またつべ、これを
       ゆりごえるという。ゆりごえた、西の田の空、
       草の西、茜ゆら、とぞ。茜空の夕空である。
       日がまた行くという。ひまたごえ、という。
       あしたの朝を喜んでまつ、ことをいう。
       ひまたごえの山、日沈の洋々山という。
       またの山、また山とも、とぞ。西山の話である。
       これを、双郷という。ならさとのそうきょう山、
       これをとぞ_る_お書きとぞ。
        俣野行き、生きてながらうあゆれる、という。
       あゆまた、という、話とぞ。略。田西貝。股旅。
       
       **旅続きの日である。(私記)       
  
       秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世 の項     
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
  秋残り市立美術館秋期展示
  『古譜141田西(凶太陽)』             
   馮道竹冠世 画書家判
   へという字               

字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 柳
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:山吹 餡
天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

    著者@420上巣真芯
        植え住まし
        UESUMASi
        W.E.州 Machine
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 仮想店 出品 ID:KoH'yosi-51415
     画商『辺端』 名画専門
     葦野原展示即売会 2000円(葦竹額付き?)消費税5円
     有名作曲ソフトSuperComposer付
     創郷のご案内
     東洋都百貨店にて、東洋都身日出葦サイン会、
     多数の来場者が予想されます。
     ****     
     Air-Akinokori、葦之ヶ原飛行場より
     秋残り電鉄、葦之ヶ原駅下車
     秋残り地下空中電鉄、夢舞台駅下車
     乗合自動車も出ています。
     秋残り航船、イワシュビッツ港下船         
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 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html 
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
 ----ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。著者@420,151 
posted by 秋残り at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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