2015年09月04日

卒業828・夜行58白天液池 :イカスミ柳

【曲名】『卒業828・夜行58白天液池
     (童謡、西山讃歌)』

【創曲】2015/09/03創曲造詞
【拍子】3/4
【種類】童謡
【演奏】
【歌詞】夜行之国里行草郷
    連れ連れで白天の下
    池を見 森を歩けば
    馬はいなきて 白林の
    木の葉落ち うらがれ舞う
    絵の景色のよう 青い山
    人間至る処青山有りと   
    
【解説】夜行之国里行草郷
      二回夜の国辺
      白郷夕話    
     川が流れている。なだらかな
    斜面という、ほとんど平地である。
    この川、下から上へ水が流れる。
    白川という川である。水は少し白く
    見える。白水の水という。星が水を
    浴びると、いう。星水白川のほ、と
    いう。ほが立つ景という。白い水が
    すうっと立ち上がる。白天の原始要と
    いう。星の周りの水という。これが、
    天へ上がって行く白天の宇宙という。
    天の川のできである。宇宙創成という
    ひぃに、地から宇宙ができたという、
    白天郷の創造話である。
     宇宙は機械が創られたという、余の
    ことである。始めに機械有りき。創造
    編という。なべておしなべて、機械が
    作る世の中である。余は川を見る。
    この川はやがて滝になる。ここへ来る
    道中見た滝という。長い川の流れの
    徒然である。徒然なるままに、行く川の
    流れはたえずしてと、余の心に浮かぶ。
     逆流れの川である。これをゆけ、という。
    かわゆけ、という。かわれる山のお書き
    という。白天の世という、わが世である。
    フムフムフムと連れ立って歩く道の快き。
     この話をうそいうのが、世の常人である。
    信じられないことをうそという、世の常で
    ある。白天下のうそという、白染めの空
    という。白々しいうそであるという、白
    天郷の世である。白状の地のできである。
    うそ地八百景という、嘘八百のやお、と
    いう。 やおらまの嘘である。これを、
    機械がつく嘘という。機械の目である。
     世の中を嘘八百という、常の見である。
    嘘八百という白天下の青い山という。
    青山の人のあいという。人の間に青い山
    がある。この青い山が小さな平地のでこぼこ
    である。青い気を吹いていたという。
    青息の絵という。青の息という。
     機械馬は白い気を吐く。大きな息である。
    白郷の屋という。息造りという。白山の麓
    という。温泉の行きである。いきつく所
    である。温泉屋が見えてきた、余等のいき
    という。 
     嘘造りの地の山という。嘘八百山のいき
    という。生き生きした白天である。
     余のいき造りの文である。
    白息青山地をいく余等という。
    嘘八百という造りの家である。温泉宿である。
    癌にはならない、岩になった光る石という。
    浮いた球である。温泉宿に浮いている球である。
    光石という、光歴である。これを軽石という、
    光石という、光歴ともいう。浮く石である。
    現実交えの嘘混ぜ文である。
     余の旅行記を飾る夜行である。常人の嘘と
    いう、これを本当という。うそに染まる白天
    という。うそ染めの天である。
    本当は本当、嘘は嘘という。嘘の意味の分け
    である。意味分けという。意味を分かつ文で
    ある。うそ空の分けという。青天白天の見たり
    着たりである。この道中で見た余である。
    彼女歓声呵呵の過ぎ来る弾丸特急の線路で
    ある。癌岩のお岩、恐い線路であった。
   [半基下、半基下げ、ナチュラル]
     フラットという。音符にふされた場合、
     半音下げる。
     耳の字に似た記号。ナチュラルという。
     自然回帰、回帰という。
     フラットのついた音を、半音上げ、元の
     音の高さに奏す。自然ルーという。
     自然しょ、ともいう。
    
     このフラットという、もとにもどしてと
    いうナチュラルである。この次が癌休である。
    願休である。眼球が見る星という。音符を星
    という。この郷の民謡演奏者である。
    スターを見る歌いである。星弾きともいう。
    三味の弾きである。
     星の手の三線をいう。星の譜、星譜という、
    三線の三味譜である。星に手が届いたという
    亀山郷に、この譜がある。この文がある。
    星の祭りごとの譜である。調べを星調という。
    秋残り星譜の一譜である。星治という、星治家
    である。この家を星治屋という。星形である。
    星庁ともいう。正調である。秋残り調のおわられ、
    である。
    (http://akinokori.sblo.jp/archives/20150620-1.html
     卒業704 おわら髪恋、おわら髪の山ルック、
     髪型、古くに203高地髷と。山髷という。山前
     とも。高地人のする低沫という。星祭という。
     星に届く髷ともいう。願いをいう。星願い髷
     という。山髪のおは、という。山髪という。
     こはらのこは、ともいう。コーユル・ラック
     という新語の言いである。コーラルビーの
     うんて、という。手が届く髪の手。手櫛をいう。
     山運びという。髪を手ですくことをいう。木の
     川の髪という。木の原ともいう。髪のことをいう。
     星祭用語である。黒夏白夏のシックとも。
     シックス霊の山という。馬のでてくる歌である。
     馬の霊をシックという、動物の霊をもいう。
     動物の礼をクッシという。このクシが櫛である。
     動物よりの解釈。手をユという。動物の手をいう。
     ユグシという、動物の頭飾りをいう。後略。
     動物を傷めない。動物大切にという、星祭りの
     一意味である。度ヴ津には着物をきせる、履物を
     履かせる。鞍という、かわの安らぎ、背守り
     である。背を傷めない、背の保護具という。
     背が傷つくので、鞍には乗らないことという。
     動物は乗り物ではない。動物愛護法という
     法律よりの山という。大徳川の反流れである。
     熊の鞍もある、秋残り市である。機械馬も鞍を
     つける。白天郷である。この白天郷では蟻が
     靴を履く。)
     星祭りをとり行う星治めという。
     おわら星の歌という。余の前を行くスター
    である。スタッショという星でもある。天に
    浮いている。星めでたの沖、という。その場の
    歌である。星の祭り事という、星の政(まつりごと)
    という。政治である。星を思う政治という、
    これを清聴する政治という。黒家政治という、
    白天下の白夏である。スターッと現われる
    政治家である余である。星事ともいう。
     白天の星という、うそ晴れの夜である。
    白夏夜の山という。白天山述べ記し。
    野辺に記しがうってある、丸い球である。
    星事家である。   
     秋残り政府の一府でもある。
    秋残り星譜の一譜である。
    白天郷新々文書。         
           
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       帰省 の項       
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物
          
字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:山吹 案
天の下、山拝み。 
    著者@270上巣真芯
        植え住まし
        UESUMASi
        W.E.州 Machine    
 *****               
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
  秋残り市立美術館夏期展示
  『川』
   動力 留 画景   
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
 ----ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@270  
   
   
posted by 秋残り at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/162898652

この記事へのトラックバック