2015年06月25日

卒業733・石造宮 :イカスミ柳

駄作曲を作りましたが、コンピューター
の暴走により、行ってしまいました。
ラン・ファー(run far)です。
頭が緑白です。ファーアル・ランラン
です。また、思い出します。
今日、風邪をひき、頭いたく、
この語元は何か、今の私、ガクッです。
学と書いときます。
まさか、あの、おわら・・・
駄作者はうなだれる。
止むことなき際にはあらぬが・・・
機械脳のつぶやき・・・

【曲名】『卒業733・石造宮
    (西山讃歌)』
【創曲】2015/06/25創曲造詞
【拍子】5/4
【種類】
【歌詞】砂上之国楼閣之草郷
    砂の国に学びのすがら
    三角大きな大きな石
    石造りの宮 犬が立って、
    座っている宮 それは大きい
    石の造り 門前に高い
    人顔犬の門番が見てる
【演奏】
【解説】砂上之国楼閣之草郷
港へ着いて、ゆられゆられて
砂千里。余が砂の国に、教鞭を
とった時である。留学生ともに
行った。大きな石の犬が立って
いる。横をみれば、座った犬が
いる。勿論、石造である。
 周りには、大きな石造の三角形
が立っている。『昔は、山であった』
と、余の講義はこれだけである。
 行く日あり、来る日あり。
ピラミッドという話という。これを、
ピラ見という。ピラ見のビリケン山
という。尾に剣、が訛ったという。
美尾利風という。風を受けて、侵食
されて、階段状になったという。
 周りが裁くという。大きな砂山で
ある。初期の美尾利山である。高さは
満を越える高さという。ドラゴンが
二本足で立ち、尾には剣があったという。
この状態の美尾利山である。竜尾山とも
呼んでいる場所もある。この横目見
という。ピラ見の平見という。
 これを見ていた余である。平原児
という余である。この児という字が、
見るの意である。平見のビリケン流、
という。おわらの砂漠の地方の方言
という、このおわらは、風が吹くの
意である。たくさんある場所という。
これを、美利風という。ビリになった
という、平見走りという。最後の走者
である。
 これを、音楽が取り込む、美利音
である、最後が段々と消えていく演奏
という。フェードという。笛の音の
砂音という。これを『サネ』という。
音を『ネ』と読む甘利音という。
あまりおん、かんりね、という。
甘藷の植わる砂土という。海に突き出た
砂嘴(さし)という。これを、美利という。
砂嘴の古語である。尾利ともいう。
 山は、龍頭という。りゅうとうという。
美利ふる、という。フレーフレーという、
掛け声という。ビリに、大きく声をかける
美風である。これをビリケン風という。
フレーという、尾を振るかわりに、手を
振ったという。ビリケン走者の頭は、
龍尾(たっぴ)という。龍頭(たっとう)の
重箱という。これを訓読み重、という。
重箱読みというひぃの、重ねの重箱の
下から読み増した、という。読み増すの
属句(ぞうく)という。属句(ぞっく)の読み
を知らすことという。言葉である。これを
ビネリ言い、という。音をひねって、
最後のような感じの曲の中程の音という。
ビネリ音という。これを、おわら入れ
という。音楽の出来という。終わるような
感じでまだ続く。この調子の吹き、
という。
フルーレルという笛の吹きである。
吹き方という。ビネリのビレネという。
ピレネという、音の上がりである。
これを、平聞くという。平聞きの歌という。
ピーアルという、雅楽の音取りの竜笛
という。竜のおこし、という。
おわらおこし、ともいう。
ピレーラン・ルックという、秋山の話
という。これを、あきれた、という。
切ることを、あぎる、という。
アッキル・レッツという。
キッカル・カーフーという。
けぶすくの山という。竜の毛を尾、
という。竜毛の上、という。竜状の
美という。びびたる、の語元である。
微々たる尻尾の剣である。これを、
尻尾という。後、しっぽの書きという。
しっぽく、をいう。しっぽくの言葉
という。京都のうどんのしっぽく、
である。うどんは、竜のことである。
うどん竜という。今のとかげである。
 うどん粉を更科(さらしな)という。
さらしなは、重箱平(じゅうばこひら)
である。読みという。
さら粉という、重箱の歌である。
更科銃という、うどん突発である。
うどんを噛み切って食べることをいう。
紙切らずそのまま食べる、突破噛み切り
という。れい、ということのれいせる、
という、れいぜいの山という。これを
冷泉と書く、突破書きという。朗々の
八尾 の裏の絵という。浦である。
朗々浦という、竜尾山の美姿である。
この髪型を、やむた、という。
二百三の、やむからお、という。
この『お』を緒という。緒の意味で
ある。お婆さんの二百三高地結い、と
いう。やむからべえ、という。ひらえ、
という。へいへい、という、ビリ返事
という。京の昔である。へえー、という、
はいを、へぇーという。ビリケンの古い
言葉である。ビリケンのことをいう。
頭に角のあるビリケンである。これを、
蔦(つた)、という。竜の大きい鰐の
ことである。鰐頭という、二百三
高地髷である。蔦結いという。
結びを尾頭という。
 ビーアル・クースーという、うちの言い
である。うちわけの場所という。うちあけ、
ともいう。ビッツ・パーフルの歌という。
ピッツバークという。シルキー・ロードの
二股別れという。二段まげのひねり上げ、
という、音楽の話と曲げの話である。 
これを、竜頭書きという。一つの文で
二つの意味を出す文芸の一種である。
ワーレン・カーフレーという、掛け声入り
である。
 後略
 秋残りのことの書きという。分けのわからん
言葉は秋残り語である。分けを書く花である。
上文のカタカナ文をいう。カタカナの書きが
分けのわからん言葉である。秋残り語である。
私の頭脳の単純さという。余計な書きという、
余の文である。
 余計文。
 
 卒業706の間奏
http://akinokori.sblo.jp/article/143702369.html
ピレネー入れである。平音入という、ひら入れ音
という。終わりに使う所を、終わりでない、使い方
という。おわらという意味の一意味である。
終わりの意味という話という。     
     この世が終わる風の意。おわらあ、おわらあふ、
     おわらあっぷ、という。シャット・アップの一
     語源である。秋残り語による解きである。
     風のおわら、ピタッと風は止む話である。
     止む風のおわらそよ、という。おわらそうようの
     言いという。おわらそうよう、今である。
     この文を終える今の私という。余である。
     余の位置意味という。終わる終わらん、
     終わんぬ、という言葉という。
     略

    字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
    かいきょうのそうきょうはよい時です。
    そうきょうのよい自分です。 
    著者@570上巣真芯
posted by 秋残り at 21:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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