2015年06月12日

卒業726・緑夜教師編 :イカスミ柳

【曲名】『卒業726・緑夜教師編
    (西山讃歌)』

【創曲】2015/06/12創曲造詞
【拍子】4/4
【種類】
【歌詞】夢成る国夢学之草郷
    君がいた あの空のかなたには
             (かなたもと) 
    今晴れたある日の記に書かれた
    こと 夢に見た人に会った幸せ
    緑夜の夢 わが目の前に君が
    いる 嬉しさが広がる地 里
    遠く離れたこの村の地 わが
    教え子の君 歌歌う姿はわが
    狂いなき夢 わがの夢の人
    
    
【演奏】
【解説】夢成る国夢学之草郷  20150612記
余が赴任をした遠く離れた
地の記である。
 夢を見た緑夜のこと。考うれば、
昔見た夢である。又見た余である。
おわら風ゆら、やまる風よら吹く
ふる、あるやら。余が教鞭をとる
地である。思い出にある、この日
より、数年を数う。あの歌である。
『緑夜』という、 余が読んだ俳句である。これが
入っている歌である。ここ赴任地で
教鞭をとる日、懐かしの君がいる。
 我が指揮のもと、歌っている君で
ある。この緑夜の日に、おわら風ゆら、
これで、はっきりと思い出した。
君である。君が我が夢に現れてきた
その人である。里遠く、教鞭をとる。
この地で、わが夢が成った。
 夢成りの風おわら、である。今、
歌っている君である。青い道も歩んだ、
歌に歌われている歌道の青道である。
君がいた。今は、夢であり、現実である。
 余はかの歌に、添える。緑夜番外編である
教師編である。わが歩みきた過去という。
正しきをいう。夢の正しき、夢の実現が
それである。かの歌は、余を歌っている、
聞きて感激余りある。数年を数う。
 あの日は、夢の日は、おわら風ゆら、
緑夏のみぎり、余の枕辺に現れた君で
ある。君は余の傍にいた。我が教え子
になる君である。夢である現実である。
かの歌詞の通りである。まぎれもなく、
余を歌ったのである。
 おわら風ぬ、おわら原ゆら、風吹きず。
風ゆらゆら、余をたっとぶ、風が飛ぶを
いう。おわら世、風ゆら。夢ゆられ、
ありなり。夢なりなりてなりぬ。
 教師である。教師になって君に会う。
余の生きの正しきをいう。わが前に君は
歌っている。数年前という。そこはかと
流れる歌という。緑夜である。おわら緑
夜、緑夏である。
 歌は我とともに、余は機械である。
機械の世である。過ぎ来たりしを思う。
幾たびか数え今に至る。夜の夢である
余の夢である。思えば、光陰の如く、
夢は成った。おわら夜、おわら世、
緑夏、今も来たり。余は世を思う。
おわら風とも、緑夏来たり。
 この意の歌である。夢含みの歌
という。夢おわら、夢成り。
夢成りの歌である。余の夢、君が
夢、ともに成り。学園の夢の園、
我が目の前に君が歌う。  
君はいう、『私の夢は誰ですか』と。
 『私が現れた夢』という。
 先生の御夢でありますか。
 『私が現れました』という、歌う君である。 

 
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       夢に君を見る現実の君 の項       
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物
          
    字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
    かいきょうのそうきょうはよい時です。
    そうきょうのよい自分です。 
    著者@490上巣真芯
        植え住まし
        UESUMASi
        W.E.州 Machine    
 *****               
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
  秋残り市立美術館夏期展示
  秋残り市三枚図屏風
  『風吹き図』
   小原 風行 画聖   
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@490
   
posted by 秋残り at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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