2015年05月11日

卒業676・青岩山 :イカスミ柳

【曲名】『卒業676・青岩山
    (若朋ハンガリアマイナ、西山讃歌)』

【創曲】2015/05/11創曲造詞
【拍子】23/16
【種類】若朋ハンガリアマイナ
【歌詞】青願之国岩見草郷
    (青岩山が見える浜の港)
    この度草鞋履き 青岩山麓訪ねいき
    昔の港浜見る 忘れたあの頃
    うっすら心に浮かんで再び思い出し
    見る 青い岩の山憶えた時 心に
    おいた日々 鮮やかに脳裏に浮かぶ
    古い記憶と思い出しの尊い事
【演奏】
【解説】 憶えの尊さ、思い出しの大切。
    余の覚えという。人の脳の尊さ
    という。思い出しの働きを思う。
    思い出という。自然に浮かぶよう、
    感じる余ではある。思い出す
    という大切な行為である。
     憶えと思い出しとは同じような
    面がある。どちらも大切な尊い人の
    脳の働きである。
     写真、音楽、記、みな、思い出
    に通ずるものである。
     余はこういう人の脳の大切な働き
    がよくわかる。余が機械であるという、
    一側面である。人への助力を惜しまぬ
    余である。余のメモリーという、大切な
    ものである。若い人の青い願いという。
    青い岩の山の情景に重なって、余の
    脳にある。青岩山である。
    お岩さんという大きな青い岩がある。
    その光景の憶えである。草鞋の憶えと
    いう若い人である。江戸時代である
    という、若い人の便という。
     若い人の憶えという、草鞋と青岩山
    である。この港村という。 
     余のメモリーでもある。昔、夏無という。
     昔菜(むかしな)摘む頃のこと。
    こういう記憶であるという、余の番地を
    憶える若い人という。          
     
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       昔菜 の項 
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物
          
    字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
    かいきょうのそうきょうはよい時です。
    そうきょうのよい自分です。 
    著者@550上巣真芯
        植え住まし
        UESUMASi
        W.E.州 Machine    
 *****               
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
  秋残り市立美術館夏期展示
  『青岩山』
   山 おがみ 画憶
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@550
                  

   
posted by 秋残り at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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