2015年04月14日

卒業651・丹里 :イカスミ柳

【曲名】『卒業651・ 丹里       
     (若朋、ハンガリマイナ、西山讃歌)』  

【創曲】2015/04/14創曲造詞
【拍子】 4/4
【種類】若朋
【演奏】
【歌詞】肇之国雲草郷
    陽の当たりの地はガラスの赤い地
    ガラスの家は透明なガラス 
    浮き上がれば天下に地は日に
    写る 上下赤い前は空で透明
    雲がなかった頃 天気はいつも晴
    雲を作り雨を降らすあの頃
    新し 天気の日 

【解説】 余が国といったときである。雨が降った
    頃という。それまで、雲もなく、雨も
    なかった。ガラスの家という。ガラスの
    中にいた話という。地はガラスという
    ガラスの地である。ガラスという地である。
    赤い辺りという。明るい辺りである。
     日の玉というガラスが輝いていた時という。
    あらあら楽しという頃という。あら玉の
    日の世である。これを、あらたのた、という。
    ガラスの玉の地をたという。植えた話という。
    ガラスを植えた地の田である。これで、
    田の詩である。あたの歌という。
    この日の記という。余のメモリーという。
    時あたるゆいゆえ(ゆいゆい)という。
    由緒の話である。メモリー豊かという。
    余の頭(ず)である。はげらだまという、
    日の玉のことという。つるつるの化け
    という。日の玉の浮いていた話という。
    日降る山のお書きという。初めのこと
    という。メモリーのある話という。
    目盛った山の音という。この歌の出来
    という。降るという、降るの山という。
    降るぅ山という。フルレスという。
    雨が降った頃である。悪のゆいという。
    悪の言いである。これを、アクルクと
    いう。後、あくせという。
     悪世の山という。悪の里ともいう。
    悪たる山という。アックレルという。
    この言いの出るとこという。ところを
    とこ、という。山ゆらの言葉という。
    悪を尊ぶという。後、尊という。
    みことという。みことの古い言いという。
    悪である。意味が、みこと、である。
     秋残りの丹の里である。
     秋残りの言葉という。   
   
         
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       初めのこ の項 
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物                                 
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい時です。
 そうきょうのよい自分です。 
 著者@520上巣真芯
     植え住まし
     UESUMASi
     W.E.州 Machine
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
**** 
   秋残り市市立美術館夏展
   『家』
    悪 尊 画初   
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

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  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@520
 
posted by 秋残り at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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