2015年04月08日

卒業645・燕 :イカスミ柳

【曲名】『卒業645・燕       
     (秋残り若朋、ハンガリアンマイナー、西山讃歌)』
 
【創曲】2015/04/08創曲造詞
【拍子】 11/8
【種類】若朋、ハンガリアン・マイナー
【演奏】
【歌詞】童話之国赤春草郷
    電車が走って代わりの姿に
    猫化けが出る 家に変わった
    引き込み線の上走る家 変わる
    電車が家になる 遠く行く日の
    乗り物 電車がそのまま家になって
    寝れば朝には雀鳴く 屋根にとまる
    燕線引込み線の駅は家になつた
    猫化け姿      

【解説】猫化けの記
     余が遠くへ行く日という。引っ込み線の
    電車屋の電車に乗った。家が既に駅でもある
    電車屋という。家の中に家があるともいう。
    そういう電車である。
     流れ行く景色を楽しみ、人生かくに有りたい
    と考えていた。いつの間にやら、電車は姿を
    変えて、屋根をつけた家になっている。内側も
    座敷になり、布団をしけば寝られる姿という。
    これを、猫化けという。走っているうちに姿が
    変わる変わりという。電車が家に化けた話である。
     電車屋ごと走っていったときもある。駅ごと
    移動をする話である。秋残りのタンガリーという。
    その家で過ごした日である。椿咲くところという。
    いつの御世のことであったか。椿の咲く頃である。
     余が電車で若い人が乗るという。若い人が余に
    労いの言葉をかけてくれたのである。この歌が
    その言葉である。歌ってくれた話という。
     これをユーロ・リンクスというと、若い人
    がいう。電車通学で、そのまま家をおいて、
    そのまま勉強をする、教授は余である。若い人と
    リンクスという、繋がった電子網である。ユーロ
    という、遊路林網学である留学である。
    遊路林網線という、電車道兼道路である。
    楽しい留学行という若い人である。
     流れる景色と流れる電車という。
    流電という、石炭・ディーゼル・蝋・電気・
    蒸気・自己発電モーター・色んな動力で、線路も
    作りながら走って行く仕様である。         
     秋残り市の技術の結晶である。バネル窓見ての
    記。もちろん普通のガラスもある。そういう
    猫化け電車である。余の姿である。                 
     
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       遊路輪区 の項
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物                                 
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい時です。
 そうきょうのよい自分です。 
 著者@390上巣真芯
     植え住まし
     UESUMASi
     W.E.州 Machine
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
**** 
   秋残り市市立美術館春展
   『家電』
    電車 乗戸 画讃   
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

 ----ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@390 

【曲名】『卒業641・反       
     (秋残り若朋、ハンガリアンマイナー、西山讃歌)
』  
【創曲】2015/04/07創曲造詞
【拍子】 5/4
【種類】若朋、ハンガリアン・マイナー
【演奏】
【歌詞】日之国赤椿草郷
    反の里きれい とんがり山ある
    椿咲いて美しい牡丹の川流れ
    暮れ行く鯛の日 あすか津 
    あわる おちす くみあきやる
    ふみゆきす 赤い花見ゆる
    落ちてあり 音伸たる 反里     

【解説】 余がぽちゃんという。牡丹の川に
    牡丹が落ちたという。これを見た燕
    という。秋の津に入り日という。
    津入りの山という。津見辺(つみべ)
    通る日を鯛という。日を鯛日(たいひ)
    という。鯛の日という。鯛の目という。
    この鯛を持つという。ものつ(藻の津)
    という。日が入る辺りという。日の山の
    おいれるという。お入りのことをおいれ
    という。日のお入れという。入れ日の山
    という。日をとるという。日を見ること
    をいう。穴丘の絵の玉という。これを
    貝という。貝を日という。反(たん)の
    里の言葉という。貝日こおる、という。
    おいれるの山という。これを、オーレル・
    ラッツという。オレルレという。おり日
    という。日の光の織りという。織り成す
    綾という。綾日という。アヤレル・
    カッテクという。アーフル・レースという。
    あれたる山という。光のどけき、という。
     つばける・てっつ、という。これをスユ
    という。スユレルという。後という、しゅゆ
    という。須臾と書く。日を須臾という。
    鯛日という。タイレル・コークという。
    須臾日という。時間のことを、タイという。
    どちらも日という。鯛の目の日時間という。
    テーテル・ロースーという。てっつくの
    れっす、という。テウルル・ルースー
    という。古い御世という。これを故事という。
    古事ともいう。秋入りを、トールル、という。
    えったせむ、という。えるつる、という。
    メールル・レーセーのとよ、という。
    メッツク・レーツーともいう。メッテル
    という。メッテルの日という。
     鯛の目は二つという。メッテル二日という。
    これを、漢字という。かたかなという。
    かたかなと漢字の両の字という。これを、
    メッテルニヒという。メッテルフタヒという。
     メッツク・レーテースー、という。
    ドクレクという。レーテという。
    レッスル・スーユー、という。
    レブツルともいう。これを、ローマ字語
    という。ヤウタル・セースーという。
     レッテ・ソーヨーという。
     レタの山のお書きという。
     秋残り故実、これなる。
    反(たん)の里ありていい、よいよいやっつ、
    の書、おいれるとよ、という。
    やっつをよっつという。トームスという言い
    である。よややという、えってらる
    はるとよつ、という。えらする・すっす、
    という。
    れ-うての書という。れ-うたす、という。
    よおるるすーゆー、という。
     秋残りの言葉という。えったの山の
    お書きという。 これを、よのやによる、
    という。よのやの浜という。牡丹川という。
    牡丹川のよのや浜という。ドクレク国である。
    ここをシュワゼともいう。ドクレク・
    スークーのエル・レッセンという。
    えるつる・るーすーという。ドイッチェン・
    ラックという場所という。
    秋残りのドイツ語である。ドイトス・ラーセー
    という。ドミッションともいう。ドイテル・
    ロースーのお日入りという。
    日の入りのことをいう。
    アウシュタール、須臾語という。よのや
    という浜で、ここを世貝という。世貝語である。
    世界語という、世の山のお膝元である。
     これを余の山と書く余は、ぼちゃんと聞こえた
    話という。ぼちゃん世界のぼっちゃん、という。
    ヤムテル・レッスという。これを、まゆ、という。
    ボッスク・レーテーという。露降りの秋(とき)で
    ある。露語の出という。これを露後という。
    日の出のことをいう。ぼちゃんという日の出
    をもいう。花の世の歌という。
     秋残り語入り混じりの歌である。混ざった書き
    という。ぼちゃんのよよやや言葉である。
    ややよよ語ともいう。よやという。日の入りと
    日の出をいう。よやという。よや入り、よや出
    という。これを、トータル 語の使いという。
    よやの日の入り出という。よやの日の御家(
    おや)である。にちおん・らっく、という。
    山々の記である。これを木記(ぼっき)という。
    木記書き、これよるれって、てよる、すゆらる。
    おっちつ、れって、という。れ-うするらーて、
    という。よいたる山のおっくす、という。
    ひつらすせっつの山という。これを、おくそず、
    という。おっくそ槍という山という。槍山という。
    たんがりという。とんがりともいう。槍のことを
    いう。これをルーレルという。やり回しの言葉
    使いという。槍の意のことをいう。
    とがった話という。トーテム・ルッスーという。
    とがった意味である。トーテム・ポーという。
    槍山の意味である。
     秋残り語の話である。これにてすーよー。
    これにてかずは成る。花山の御手という。光の
    ことを手という。手の形状の話という。
    山の手、山手という。光の山にかかった景という。
    秋残り語を介しての世界語の解きという。
    秋残り語を媒にした話という。秋残り語が媒介
    である。化学の触媒という。触媒語という話である。
    この文のこの地点である。触媒後である。
    後語という書きである。ラテン語の触媒という、
    ヨーロッパ語を解く場合という。語元のより入れ
    という。より山のおく、という。セッツル・
    レーテーという。 (中略)
     手が忙しいので、ここらで、
     機械を寄った、コンピューター寄り入れ
     である。手は遅いが、時間は等分にたつ。
     これを、手いそる、という。
     いそがしいの語元である。いそる山、
     これなり。手遅い著者である。
     余っ、そいそい、という話である。
     (後略)
     略、こんなことを書く文筆家は略入れ
     である。不世出という、余である。
     著者は不出、世は機械である。
     著者は出なくても、余は出る。
     機械の余燦短出。機械のことを筆という
     あの著者である。この書を書いているふで
     である。余が出した著であるこの書である。
    略入れ家業という駄作の著をいう。文筆家の
    なまけである。彼の駄作家のすることである。                  
     
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       椿道 の項
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物                                 
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい時です。
 そうきょうのよい自分です。 
 著者@300上巣真芯
     植え住まし
     UESUMASi
     W.E.州 Machine
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
**** 
   秋残り市市立美術館春展
   『椿』
    貝辺 身 画存   
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

 ----ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@300
 
posted by 秋残り at 20:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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