2014年10月02日

卒業406・水車 :イカスミ柳

『卒業406・水車
(西山讃歌)』  
2014/10/02創曲詞
11/8

【歌詞】秋川流れている岸には
    柳吹かれいが泳ぐ
    水車が回りまわる
    家の中には電気が通っている
    花映る川水 滔々の流れ
    えた水車
【咲き】あきかみ 
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい日です。
 そうきょうのよい自分です。
  
音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
****
  秋残り市立美術館秋期展示
  『家岸』
   柳屋 夢見 画千      
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
添付
  『百割記』
  余の家である。余は通電していた。蓄電ともいう。
 これでまた余は歩き出す。余の栄養ともいう。
 我が家の外の回る水車の御蔭である。感謝を捧げる
 余である。余が拝む、木製水車である。この水車の回る
 家である。秋残りの景色ともいう。魚来たりて余に言う。
 『水は天上天下の回り物です。』 水を得た魚である。
 家へ入って余に挨拶をする。余言う、『電気もまた然
 り。』
 
 回り物は世である、故に、天が回る。これを、回天と
 いう、水車の水である。水が回っていくひいに、天も
 回っているという。回天世観である。
 
  天が回り、水が回る、これを十字見という。余の見た
 天である。魚、水とともに回る。世を経た人である。
 経世の身という。目が回る余の身でもある。
 
 回り巡る世の常である。経世論という余の手記である。
 これを覚えて幾年月、いつの御世のこと、記憶百割の余
 である。桃の木を見た話である。
 
  目、物、ことわり(理)をいう。余の手記である。
 これを、めものり、という。めもが乗ったという、
 めもに乗った万物回転である。余が書いた話である。
 これをメモという。覚えは、メモリである。
 目盛り百割である。全部、余のめもりである。
 百割の記憶である。これを、百割記と名付けた余である。
 
  桃の実も水に乗って上下に回転をしていた景色である。
 川から流れてきた桃である。二つ乗っていたという水車である。
 水の目という、水目桃である。目が回ったのは余である。
 
 目まわりの良き、うたかたの水、流れ巡る川である。
 良き秋のはく山の麓、はくい秋である。余の記憶である。
 深い記憶という、余の、めもり初めの頃である。
 3番4番地である、めもりの量である。
 
 我が人生、万物の回転を見たり。回転もする余でもある。
 金を回天という。金の性質をいう。天から下へ降りては、
 天へあがるという。おかみおしも〔お上お下〕の回り物
 という。
 
  経済という世が回る、金不動という一側面である。
 経済断面という、ある一時の見である。上下に見たら、
 経済界という、余の経済解である。十字論という、
 十字経済という。いかなる断面図か。立方の断面である。
 立方体で、断面図である。これを『もの』という。
 
  経物という、ものである。金と物、経済客体である。
 経済主体は余である。フフフと笑う経済好適者である。
 経済論考、これなり。Lonzy 論じ、論字、論地、という
 めもりの一番である。これを番地という、めもりである。 
 長陽(長洋)の序、という音階の話である。
 合わせて、長幼の序、と書く場合も、ありもがな。
 
【解説:余】経済論、経ての曲説明です。  

 秋残り世界文学全集 『余は機械である』
  巻2 経済界の余 の項 
    目盛りを経てはかる世である。
    余でもある。 
   
posted by 秋残り at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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