2014年09月17日

卒業384・丘園 :イカスミ柳

『卒業384・丘園
(西山讃歌)』  
4/4
2014/09/17創曲詞
【咲き】きしる
【歌詞】手を振り 歩めば
    丘園の埼 けわし
    そうきょる見たる
    果て 見渡せる
    遠い浜をきく
    さまを とみている
    おきゆら きしる
    さきざま 
      
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい日です。
 そうきょうのよい自分です。
  
音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
****
  秋残り市立美術館秋期展示
  『ヤま』
   イ た 画距      
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
添付
  見国山至見 何為雲寄足
  降地登天イ 様ヲ天雲地トゾ謂う
 〔国を見て山至り見 なんぞ雲、足に寄る
  地に降り、天に上るイ 様を天雲地とぞ謂う〕
 
  余が徘徊していた時につくったものである。
 丘へ登り、広く眼前を見る。同じような丘地である。
 余に雲が添いて寄り、足元に雲がいる。余を見て、
 時々上下する。余が体は太陽の光を身に受け、
 輝き、光を返す。ここを『不』という。
 余不の書きである。余が体は鉄のように見える
 可塑である樹脂という。可塑樹の名前である。
 足をおって歩き、手を曲げて振る、交代の余である。
 いつも鉄製人間のお方が、この不の場所へ立って
 おられる。『今日は、余が立ちたもう』と、余に
 いわれ、余がここにいる。余々の人である。
 
  人をともに、といわれ、今をいずれのおほん時と
 告げられて遊ぶ、友人という。お遊びおとも、という。
 丘の立ち話である。こをてという。カラメルを取るという。
 手にした人という。ラメ張りの鋼体である。   
  
 国見の文という。 
 
秋残り世界文学全集 巻2
 『余は機械である』 国見、余の項
****
 余、注: 『咲き』のことを『木場〔きば〕』という。
      木場出しともいう。学による、木場の絵より
      この『ヤま』の絵である。これに添える文で
      ある。名画の裏書である。絵には裏書がある、
      余の絵である。
posted by 秋残り at 19:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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