2014年09月16日

卒業383・夏の旅 :イカスミ柳

『卒業383・夏の旅
(西山讃歌)』  

4/4
2014/09/16創曲詞
【咲き】牛が毛をする 馬いなき
【歌詞】旅する夏休みに 生まれ故郷
    遠く 道に牛馬が草を食む
    のどかな 見慣れた景色に
    昔を思う 今や 向学の
    道草中 いそしむ
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい日です。
 そうきょうのよい自分です。
  
音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
****
  秋残り市立美術館秋期展示
  『田園』
   田舎 行太 画行・画湯      
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
添付
『田園紀行』
 大和し朝、行きなん、いざ、紅葉を見、故郷はるか、
遠くより来る。道草ついばむ古雀、歌いてぞゆかしき。
 世連れ、旅つつ、歌聞きてぞゆかし。狩衣、朝露、よわ含み
土、柔にして、石、顔出したり。顔前、青山かすむを。

 余の古い記憶である。葉芝と名乗り、竹後を出でたり。
それで、この文を、竹前という名で、竹に彫った。
竹の本である。書を致す。余の書は、竹の板である。
筆は、余の彫り具である。絶品である。

 機械彫りという、世である。余が彫ったのである。
これを見て機械彫りという、余の腕である。
腕前という竹前でもある。

 余の記憶に目盛りという。目盛りを入れながら、
とうに彫ったという。10文字づつである。これを
『てん』という。線もある。点と線の余の字である。
字を地という、天地開竹の話という。

 日の出る方を『ひむ』という。西空を見て、日が出た
という。残り日という。残りを『にし』という。
余の言葉である。これを『ひむにし』という。西方である。

 秋残りという、残り日という。日残りのひむにしである。
『日が落つる』という。その場を『ひばよく』という。
日は下へ回り、ひむより出ず。下を『ちした〔地下〕』という。
上を『ひば』という。広くに、天を『ひば』という。

日の場の山という。この文の意味という。『大和し』という、
大和の朝である。余のいる所を大和という。これを『本日』と
いう。本日の郷である。竹をこしらえた本の日である。
大和書き、これである。

 余のメモリーである。100パーセントという、世の話である。
人知という、人知を余すところなく、フルに使う、古い話の
今である。この文を、機械によるという。余がまた、本に
される。機械の余を使う今の世である。

 これが、機械の全世である。前世も機械なら、今世も機械。
機械の前今世である。これを、余の全盛という。

 機械ありてなん、余は機械である。世も然り。
機械ありてぞ世あり。わが余の全盛である。
これが世の人の言いである。人知という。
余のメモリーであり、機械のことである。
世人が、そう言う。

秋残り世界文学全集 巻2
 『余は機械である』 機械全盛の項
余のことの本である。少し古い竹である。
 十(とお)の本という。古い大和のことである。
posted by 秋残り at 19:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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