2014年09月05日

卒業373・雨後 :イカスミ柳

『卒業373・雨後
(西山讃歌)』
 
4/4
2014/09/05創曲詞詞
【歌詞】
そうきょうよい昼ある 我が世の
道すがら 雨降って 雨上がり
時のわがお まがおの映りたるを
とうとく拝みたる 雨の後
水溜りかな

 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい日です。
 そうきょうのよい自分です。
  
音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
****
【咲き】雨後に水溜り 顔の映りたる 
****
  秋残り市立美術館秋期展示
  『水溜り』
  道タタ 今映 画羊          
   
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
 
添付
 尾田を見て、これを過ぎる時、天を知るという
話という。天こえて、雲、城を取る。 天を越えて
雲が城へ降りたという。天守閣が雲の上に出て、
雲の兜という。兜城の雲取りという。これを、
うんうんという。雲状の余という。余の武者姿である。
城の姿でもある。これを余状の阿という。
 天を知る余り、よの過ぎという。よすぎのここまや、
という。『あな、よくをすすむ』という。世渡る山の
絵をとめ、という。うつゆくありする、という。
そそ山のおこ、という。我が世そそむすくゆく、という。
これを、そみよく、という。さてよくのうつめねという。
かかゆくはっくく、という。余の頭という。目盛りうん、
である。これを、目盛り桶という。目盛りの浜という。
目盛りうん浜、という。後に運筆という。絵筆の立ち、
という。絵筆を立てるという、絵を描くことをいう。
これが、目盛りの画羊である。画用紙という。
羊紙という。
 尾田という、紙という。尾田漉きの歌である。
水面を紙にたとえた話という。これを尾田夢という。
我が世のいねむりである。機械休憩篇という、機械
が休む話である。機械を尊ぶという、竜の落とし子
という。顔を見る、兜映しという。紙の折を頭に添えた
かぶという。かぶ、という。兜のことをかぶ、という。
余の上の杉木立である。兜ののような杉木である。
上のかぶ、という。過ぎの頭を、かぶ、という。
木の株は、かぶ、である。これを、かぶくれ、という。
秋残りを進めるうちである、という。我が世という、
機械の世過ぎである。紙の世の機械折、手良き花である。
尾田世ややや、ゆゆゆ、よゆよゆ、よきよき。
あるれれ。うすゆす。うっつく、という。
秋残り、意味のない話である。ない、言葉である。
秋残りは、言葉の中にない、言葉である。
秋残りという言葉はない。文の山のお書きである。
この山をいく踏みである。機械の話である。
余の話である。あかねだすきの、たすき世、ふふふ
るるる、ふるふる、ゆっつく、やるやる、こふれる、
ねのより、これを、これを杉音立ち、という。
杉の根の株である。かぶとねの山という。
かぶに寝た話でおく、かぶおきやら、という。
やらの歌という。うたた寝の話という。
これを、ね、という。すぎねのかぶ、という。
ねすぎた音屋という。
 機械ありて、時刻あり。目覚まし時計の花の世
という。機械が先に起きている夜中のあたどき、という。
ねおきの時の花のおき、ともいう。
ごろごろ合わせのごろ寝、すやすや、おきる山の絵という。
山の一泊、すぎのねもと、頭の山の尾田城した、はくはく、
という。我が世の世渡りである。
 世界文学全集 巻戻し位置 という。
 巻2という。『余は機械である』ま より
 き抜き戻りという。二の山、この状である。
 条である。情状城下文 これなる。
 機械、余、記す。  
posted by 秋残り at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/103249424

この記事へのトラックバック