2014年08月29日

卒業370・タウンゼント・カウセル :イカスミ柳

『卒業370・タウンゼント・カウセル
 (黄門の歌・そうきよう門 西山讃歌)』
 
11/8
2014/08/29創曲詞 
【歌詞】
質条、門を出でて歩きいく
手を振る 見れば門 
威風なり 堂々に立てり
天を突き 仰ぎて問えば
高らかに 世にば応え
足音きき 歌をうと
歓びあれ
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい日です。
 そうきょうのよい自分です。
タウンゼント・フールー: 手を上へ上げる。その時、足をとどむ。
もう一方も同じ。歩みの終わりとなる。
足はそのままで、手だけを振る。タウンゼントという、秋残りの行進である。
曲の休みで、手だけ振り、足をとどむ。音符通り歩く。
5拍子半の行進曲。
  
音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
****
【咲き】黄色き門 威風堂々 
****
  秋残り市立美術館秋期展示
  『質条』
  天添え タユ 画阿
          
   
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ*** 
添付
 本日は、秋残り市の絵戸の日である。
ようよう暗くなりゆく、絵戸のあたり、見てぞおかし。
たうときにありたるや。暗い山、赤き鬼が顔を出だして、
笑みたるを仰ぎたり。
 我が身は鋼鉄の身である。硬体よろしきにありて、
やは、戸を有す。戸は絵をありる、我が世、
絵の戸の世なり。ありありて、よきよき。
うる屋は絵戸の屋である。これ、我が世なり。
絵戸の身、我が身なり。なりなりて、紫づく
こゆれる木の葉という。我が身の世の渡りである。
 波静けくは、けくかくけくかく、である。
これを律音という。律の音である。
ドラレル・ムータラという。我が身の音でもある。
足音もこの律である。音律歩行という、秋残りを
めでる秋香りの君である。波のように、なめらかに
細かく、音を表記する、我が秋残り音である。
 余が先生である。これを歌うという。
若い人である。余について歌えば歌えると余の
教えである。若い人が歌うというのである。
今の世に歌う人である。これは、文部大臣に
言わずとも、秋残り市の音楽教科書である。
 諸事、大権現様の御定め通り、絵戸の時より、
今も絵戸の時である、時より機械大納言之丞、
慎みて申さく。絵戸の都はいずくにか、
絵戸の時は、いずれの御時か、周知の事実である。
秋残りあっての世界である。そうきょう世界である。
仮想の都市である。仮想のある都市である。
仮想はある世界である。秋残りの世界である。
 秋残り機械大納言之丞 敬白
 絵戸の日の吉日 我が手の世界である。
 世を渡る者の心得である。秋残り市民である
 余である。秋残り市民憲章ありてあり。
 機械の世である。嬉しきは我が身である。
 秋残り世界文学全集 巻2 
「余は機械である」 市民憲章の項より

posted by 秋残り at 17:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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