2014年08月26日

卒業367・ユッカの矢 :イカスミ柳

『卒業367・ユッカの矢
 (西山讃歌)』
 
4/4
2014/08/26創曲詞 
【歌詞】
君がいたる屋の野間に夕日がさして
暮れ山の頂は赤い花 盛りにやざす
ひとおも ふたえみよ ゆうかられた
山 お山ゆりゆりゆ ふむやらという
あたらやり ゆられゆられていたよ

 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい日です。
 そうきょうのよい自分です。

音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
****
【咲き】三角山のおひよぐれ  
****
  秋残り市立美術館秋期展示
  『祖〔そう〕』
   布起 有〔フキ ユウ〕 画家       

***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ*** 
添付
 余が、小高い所で、眼下を見降ろしていた。上には杉がある。
馬連れの余である。馬には乗らない余である、一緒に乗り物に
乗ってきた。小遠く、啄木鳥かしら、コーンコーンと聞こえる。
余は、新玄つつみといった。
 はるか、尾田を越え、徳川を越え、明智川の氾濫をみたという。
はるか、御世は絵の戸である。大きな絵の戸である。
明智川が了解した話という。明らかに治まっている場所である。
大きく正しくという。正大に回っていく水路である。
余がこれを愛でる。明智川の氾濫という。川が了解した話という。
水をたたえてすぐに引いた話という。史の街道という。
余の通り来たった道である。秀でる吉日である。
余の記、街道である。史の道、ありてあり。
明智川、余をのせて渡してくれた。この川の、名蘭である。
蘭の木を添えて祈念をした余である。この通りの流れの
世である。我が史記という。機械の史記である。
 師曰く『余は越え行きて、声恋う乎』
 道士対えて曰く『あな、笑みたり。絵の如くなり。
     絵、見たりて之をとどむ。我が師なり』
 
 余はこれを評して、詩成り街道という。
 稲は茂る、尾は垂れる。
 明らかに、秋の訪れを知る。
 川を得たるを徳という。これを、説く川心得という。
 踏み(史)行けば、つつみ鳴るなり、尾田眼下。
 上過ぎて声来たる。声が越えて来た。余の声。
 上杉師尚〔もろなお〕という余の越えである。
 足笛に音を託す、葦の音〔ネ〕という。
 上杉師尚という師匠である。コーンと鳴く啄木鳥
 で、余のもとへ来た。これを『コーン北』という
 余の北面の姿である。足音たくましく、歩む世である。
 よよよ 史の木、啄木鳥とまりてぞ、よきよき
 世、清き、大いなる世〔せい〕である。
 正しく清く生きる話という。大清方看という、
 余の林間の話である。今も、尚、杉の上を
 見る、余が師という話である。啄木鳥のことという。
 啄木鳥を師という。師鳥〔もろどり〕である。
 
 秋残り世界文学全集 巻2 『余は機械である』
  林間股道の海道 より      
     
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ*** 
posted by 秋残り at 19:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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