2014年08月05日

卒業341・間 :イカスミ柳

『卒業341・間〔マ〕
 (西山讃歌)』
4/4
2014/08/05創曲詞 
【歌詞】星は帰る 文の明かり木を
    くれる浜辺に鳴く鳥が
    おわら秋に とめて語るヨ
    香山のふくらすを
    
【解説】おわら秋という歌という。
    
字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
かいきょうのそうきょうはよい日です。
そうきょうのよい自分です。

音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
****
【咲き】なりすなりゆ
****
  秋残り市立美術館秋期展示
  『柿坂』
   摩礼 画屯
**** 

***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

「添付機械文」
 余が柿の木を見た話という。隣には、よく柿食うマロがいる。
余のふくるという。余が更けたをかけていったのである。
山木に陽がかかっている情景とぬる。緑柿の小さい柿である。
あれた日のある夕暮れという。カラス鳴きて飛びい、霜降りぬ
夜である。カラスが「カア」という。見上げて、余は陽が木に
かかっている。これを知らせたカラスという。ふくらすのエマ
という。絵の合間で、絵間という。快感なカラスである。
これを、クラフルという。比べるカラスが、絵間にあるをいう。
余の目の前の解である。これを、かやり、という。
竈山のくくらく、という。けっせばのゆゆよよ、という。
現代をククレルという。クワレギのくゆ、という。
くっせばの山という。柿成り緑の山という。
かいかん〔快感、絵間〕の情景である。これが両意味の振りである。
漢字の振りという。カラスをからすという。これをクラフルという。
くら振りの山という。カラスを描く絵が、描かれた柿の木である。
 これが陽である。緑々の太陽という。緑柿を緑陽という。
これを緑陽木という。カラスがくらう、緑柿という。余も少し
食したことという。これが、うまいの山、けふ、越えた、という。
うま山通る陽の通いという。陽は木の間を通る緑の太陽である。
柿の木はぶらさがった陽〔よう〕である。これを柿陽という。
描きをしようという。山々のお描きという。
 機械の余である。機械語が氾濫する、今の世である。
これを、機械の言葉という。余の言葉である。
若い人もうなずいてくれる文である。
絵描き仕様、機械である。余の仕様である。

余、注--文末、描きを書きと書いても柿である。
    山々のお書きである、山々のお柿である。
    柿書、これなり。 余の史書はくらうことである。
    クラウレル・スウヨウという。機械語、秋残り語である。 
 秋残り世界文学全集 巻1
 「余は機械である--仕様の項--」より 
posted by 秋残り at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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