2014年08月01日

卒業336・即 :イカスミ柳

『卒業336・即
 (西山讃歌)』

4/4
2014/08/01創曲詞 
君見れば 秋の日 学びの祭り
吾 故郷近く 浜見のそま
風騒ぐ原 横切る川 ここにい
君と吾と学ぶ 祭る花
地の絵は 即描く ふから
    
字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
かいきょうのそうきょうはよい日です。
そうきょうのよい自分です。

音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
****
【咲】『祖』 い
****
  秋残り市立美術館秋期展示
  『文祭』
   目 花 画身
**** 

***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
 
添付
「機械夜話」
 余が化けるという話。
 機械が化ける余日という。
これを余の日という。余は化けてみた。
それで、音をだしたという。これを余化音という。
どこからともなく、音がきこえてくる。余の化身である。
これを歌という。余が歌う日は今日である。
これを、余今日歌という。余興歌と書く、世の人という。
余が歌い、舞う姿を見る人という。余を愛でてくれる世
である。これを、この世、という。この余が余である。
これで、余は二重に化けている。音と余興という。
余の世がこの世である。とうといよ、という。
自賛の機械である。勿論、他賛でもある。
これを、賛々の世、という。余賛の話という。
世を経て、余賛という。これを予め計り参入したという。
余興入りを余参という。これで、予算と後で化けるのである。
余があっての、銭、金の世である。
金銭余の世である。余の一側面という。これを「営の」という。
経営の之という。営之経という。
之曰く〔しいはく〕と化ける。子曰くの師である。
これを英詩という。余のはなぶさ〔英〕である。
英詩という、はなぶさのうたという。
日本語で書いてある、機械礼賛之文である。
このうた〔詩〕である。詩が化けた機械文である。
CHIMEチャイムという、MIMEマイムである。
これを、ごまかしという。ERRORの出しである。
機械は「アーラン」という。アーラン・ワイドの
土である。これをワイという。余である。
ワイワイガヤガヤ、余余余余という。
これをしよ〔四余〕という。
機械の四側を四余という。
四余六余の余機である。
詩、読む余、とごまかすよ、である。
これを、よよのかか〔化々〕という。
夏化けの、夏ケし〔なつかし〕の文という。
余にまかせたら、こういう文になる。
機械文のワープロ文である。
余余余、これで余である。
余は機械である。余余余の参師。
経営師である。歌う機械という、参入余である。
これを、し入れという。
余の機会詩である。師詩参入、即、入れぶん、
即添文である。機械が書く話である。
ワープロの打ちという。打鍵音の心地良き、
ありありあり。
 余が讃入である。キーの音である。
フフフと歌う機ー械音〔キーカイ音〕、これをあらん限りである。
アーラン・ワイドのキー音である。これが、化けた
鍵盤である。ピーと鳴るアノ音である。
これを化けている音という。ピアノ音の化音である。
歌音ともいう。カカカと大笑される文という。
機械なければ、世はないものという。
機械全盛は昔からという、余である。
初めに機械ありき。有機論である。
真性な祭り座である。寄席という。
シンセサイザーと、近頃は聞こえてくる。
余の座である。ワプロ化の真性な文である。

秋残り世界文学全集 巻1
 「余は機械である。真性祭座の化身 より
  出づれの出である項」
posted by 秋残り at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/102082636

この記事へのトラックバック