2014年07月25日

卒業326・花火 :イカスミ柳

『卒業326・花火
 (西山讃歌 プログラム作曲)』
34/4
2014/07/25創曲詞 
そうきょう 花火 よい上がりの
浜辺の夕顔が咲き乱れてる
浜の園の湖から吹く風やわらかに
陽照る 船は浮かぶ 帆の白き
やなふなが滑り行く
ドンと鳴った

字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
かいきょうのそうきょうはよい日です。
そうきょうのよい自分です。

音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
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【咲】夕顔うれし  
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  秋残り市立美術館秋期展示
  『白帆』
   湖沼 用ア 画ス
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***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

 余が見た花火は、そのままずっと天に残っていた。
ある日という。花火ある天である。くゆらくの山という。
 緑用花という。今日の日に打ち上げるという。
今日を緑用久日という。7月25日という。
これを、沸旬という。ふっこくともいう。
 秋残りをヨメという。あきふ・かよるふ・うっくす・
すうふう、という。我が世の秋残りという。
秋残る山のお秋、とぞいう。ありすよのうれる、という。
きっくら・れっつ、という。あまやる・うっくす、という。
秋残りの国という。秋残り市のくに言葉である。
わたふく山屋、おいるる、すうゆる、これをミルという。
みる山の絵という。白帆の山という。
 ふなやむ・れえるう、という。秋山のおわら、という。
ゆうたら浜のゆうふず、という。今をユルという。
ゆるかやのおっそゆ、という。えたるすうゆる・せっつ、という。
おわれるくったややのおいそ、という。とみ山の絵という。
これを、さっくく、という。えたるやの穂、という。
これを、あくつゆ、という。えっさのやた、という。
ここを山という。よがなる話という。
 秋残り語を話す余である。ヤッタ・フールルという。
余の山のあらゆるせ、という。余のかな(鉄)の背である。
鉄作の屋である。若い人の住む家である。
余に「え」という、挨拶をする園の人という。
わかづき そのや、という若い人のうれしさ、という。
余を心より喜んでくれる。あふれる喜びという、
若い人のうれしさである。よよよ・ふふふ、という、
うれしい形容である。秋残りこく、という。
秋残りの秋である。この文をしゅうらる、という。
秋残りの文という。ややや・よよよ、という。
あふたるという、余の山という。えいたまの上がり、
という。この山のみやま、という。余の話である。
機械のことを、わっは、という。秋山すうよう、という。
わっつれっつ・てって、という。余をわたる、という。
渡る山のおや、という。家のことをいう。
余が住む家である。この家〔や〕という。
ここの屋のとうとき、という。
こことうの歌である。この歌という。
我が輩という。車の飛車ある。これを、
やまゆる、という。わが輩が打ち上げた
矢筒という、余のはなである。鼻汁の歌である。
花火という。
若い人 注、秋残り語は機械に命令を下す言葉でもある。
      これをプログラム後という。
      れえるう、という、機械語という。
      プログラムの後の語である。この「後」を
      「れふ」という。秋残りすうふう、である。 
 秋残り世界文学全集 「余は機械である」
  花火花筒のことを歌う項 より
posted by 秋残り at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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