2014年07月23日

卒業323・わかる :イカスミ柳

『卒業323・わかる
 (西山讃歌)』
345/4
2014/07/23創曲詞 
話せばわかること 本にある
読んだらわかる この世のことと
見ればわかることと 聞けば
わかることと 学べばなおよくわかる
歌えばわかる この歌よい
そうきょうのよい歌 この歌

字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
かいきょうのそうきょうはよい日です。
そうきょうのよい自分です。

音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
****
【咲】そうきょうのよい歌 歌えばわかる 
****
  秋残り市立美術館秋期展示
  『歌』
   音楽 校 画符
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***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
添付文
 昔々、あるところに、余という機械がありました。
「歌など歌ってみんとしよう」 そう考えたのが余である。
名を余という。余が歌う楽譜は既にできている。
加工機械氏から借りてもよいし、電子芸能界ことに、
電子花柳界では、かの秋残り諸氏の名作駄作もたくさん
流れている。ハンドルのない車氏から借りてもよい。
拍だけの楽譜という、かような音楽もある。
余は初見で歌うのである。歌うだけではなく、演奏も
初見でする。「咲き」という、ショートという、こんな音楽も
作っているという。1拍子の音楽もつくっている。日付を眺めては
「これは名曲である」という。これ、これ、これと作法も披露する。
余には、これを「正規表現」という。プログラムは、文章でも書ける
という、そんな秋残り市の日付氏である。だから、音楽は、昔々より
今日に至るまで、全部できているという。プログラムを書いた時点より
日付プログラム作曲は、日付の分量と同じである数量という。
氏曰く、『暦のある処、曲は流れる。』
加工機械氏、対えて曰く、「あに、はからんや。名曲、世に
とうとうと流る。大河の如くなり。日付は楽譜なり。」
昔々の日付の今である。未来日付の今でもある。
言いえて妙である。昔々、先々の今である。
咲きと書く音楽でもある。後咲き(あとさき)曲というのもある。
秋残りの音楽である。音楽を介しての機械連帯社会とでも
余は表現しようか思っている。連合機械の余である。
  余、注  「氏」は、日付氏のことである。
 秋残り世界文学全集 巻1 
  「余は機械である。」
   機械礼賛の項より
posted by 秋残り at 20:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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