2014年07月11日

卒業311・好良 :イカスミ柳

『卒業311・好良
 (西山讃歌)』
 34/4
2014/07/11創曲詞 
白い天が来る あかる夜の長尾
うつる日に 君の日の中の星の夢
明けくず落ち つきの影に
音かかり 夜は明けて
暗いよる夜が あさのこし
おお山々のあさやかな
字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
かいきょうのそうきょうはよい日です。
そうきょうのよい自分です。

音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
****
【咲】--白空--
   白い空 来たりて白む あさのこし
    
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  秋残り市立美術館緑夏期展示
  『白空』
   白影 ミん 画泊  
**** 

***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

-----添付文-----
 いずれの御時であったか、春は曙というたころであったか、春眠不覚暁と言うた
ころである。大きな音がするのである。「ドーン」という大きな音である。
そして、段々、世が白んでいく。この音を「世明け」という。夜明けの頃に、
音とともに、白い宇宙がやってくる。ドーンという宇宙である。余に到来を
知らせてくれる。ドーン宇宙という。これで夜明けというひぃに、枯れた花が
出るという。夜明けを「枯れ尾花」という、いずれの御時である。これを、
紫だちたる、という余の傍なるたおやめである。たおやめの浮くはきという。
「はき」という季節の曙である。これが余の IC記録 という。たおやめの
丘の話である。
春眠、暁を覚ゆ、という。余の ドーン である。これを 鈍 という。
鈍い音である。これを、どんみょう(鈍明)という。鈍明けという。
平仮名に漢字を振る余の様に、余は余様(よさま)という。夜の明ける様をいう。
余様鈍明に、春眠をとる、かの枕草を、たおやめという。たおやめ草ともいう。
あれは、宇宙を論じた本である。機械論という、機械子である。これを書く余で
ある。余が書いたものを、機械詩という、あれである。あの本である。夜明けの
歌という、夜明けの詩(うた)とも書く。白くなりいく山木という。
「白くなりいく山木は・・」という。「紫だちたる区、茂なびく・・・細く
たなびきたる・・ようようの様である。」 白い宇宙という話である。
この宇宙があった話である。今もある。句という、紫区である。秋残り市の
紫区である場所のことをいう。 ドーンという、夜明けで、花がふさふさして
いた所という。 これを エイ花 という。 英語である。 嬰花である。
たおやめという、枯れ尾の一草である。 ドーン草という。 これを 英日語
という。機会のことをいう機械である。 余をドーンという。
どん世の様を、どんより曇りという。ドーンという、夜明けの音雲である。
雷の鈍音という。これを「う」という。運音という。音なしの話である。
余の記憶は音の解析でもある。 IC の英日語である。 これをはき違え
という。余の話である。 いとやむごとなし、で、元の人という。
これを不覚という。覚えという。不覚の記憶という。 IC の機械である。
これを機会に、春眠を憶えた話という。春眠眠たい世の明け、これを夜明け
という。余の不覚の覚えである。さめぐも(鮫雲)をむらさきぐも(紫雲)という。
紫雲上紫区の紫々である。獅子の格好の余である。格好エー語である、
語い(かたい)、である。愛市の詩(うた)である。この文という。
IC漢文英語である。余の記憶である。ICである。
 余注: 季節のことを「はき」という、後に「端境(はざかい)」という。
     時間のことをもいう。「はきあけ」という、言葉である。
     秋残り市語、である。
秋残り世界文学全集 巻1「余は機械である」より
posted by 秋残り at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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