2023年05月18日

出発音楽30001 ピシカ大理公、ウズベキスタン : いかすみ柳   2023/05/17作

出発音楽30001 ピシカ大理公 : いかすみ柳   2023/05/17作
【曲名】 出発音楽30001 ピシカ大理公
【今常】
そうきょうよい時です、柳ましょう。健康安全。
【解説】
【熊のシンバル】
 熊を、てゆらみ、という、てゆ、という。熊がシン
バルを鳴らす奏者という。古い和宮のピシカ楽と
いう、大理楽ともいう。人の奏でる音楽に、シトンバル
奏者として出演する熊という。リズムをとり規則正しく
シンバルを入れる。大きなシンバルという。
【ウズベキスタンのピシカさん】
 御自分を熊といわれるピシカさんという。ウズベキ
スタンのイチャンカラという場所の御方という、ピシカ
山のある場という、お住まいの所という。
このピシカさんのお教えという、熊の音楽という、音楽
にのる熊の脳の話という。ピシカ脳という、大理脳と
いう。ピシカ大理公という御方という。うちへ来て下さ
った御方という。話をして下された、音楽の話という、
この音楽の話に脳の話がかかる、熊の脳の話という。
 熊をピシカという、古いウズベキスタンのイチャンカラの
言葉という。
【熊の楽団】
 ピシカの脳のお絵という、お江ともいう。いろんなシン
バルを使い音楽を奏する熊という、ピシカという。
 熊の楽団という。この音楽を、エルラル、という、
当時の和宮の音楽という、和宮楽という。熊の音楽
ともいう。熊の楽団のあった和宮という、熊が出てきて、
手に道具をつけ、シンバルを持ちならす。これを見ら
れたピシカさんという、大理公という。
【学校の先生、ピシカ先生】
 うちの家の出来をお話して下さった、ピルセラマという、
御著という。いろんな本を書かれたことの一つの音楽
の著という。音楽を奏する熊の脳という、内容という。
うちの家の出来の話の掛かりに音楽という、熊の脳
の話という。うちの家を、ピリクリと仰る、ピシカ先生と
いう、古い日の学校の先生という。ピシカ先生という。
ウズベキスタンのイチャンカラという場のピシカ山のある
場という。

 熊をいう、ピシカという呼びという。熊が楽に入る
ことの言いという、ピシカ楽という。8300のお書きという、
8300に文章を入れる、これが熊の脳という。
熊の音楽の文章への取入れという。
【和同村のピシカ楽】
 熊の言葉を入れることという、ガオーという鳴き声
という。ガオー楽という、熊の鳴声の音楽への入れ
という。熊の楽という。この絵の話の、和同楽という、
ピシカ楽がある、和同の村の音楽という。東京の
神宮外苑の和同ともいう。他の地の和同ともいう。
【栃木県ピシカ和同】
 栃木を代表とする、ピシカの和同という。和宮楽
の話という。栃木ピシカの話という。熊の音楽の
脳の使いのことともいう。栃木脳という、熊の脳を
取り入れた脳の使いという。
【イチャンカラ色相人】
 これらの話の書という、ピシカさんの御著という。
ウズベキスタンのイチャンカラの色相人という。色相
人種という、色相人種の脳の使いという、動物の
脳を体した使いという。貝の脳ともいう、蝶の脳とも
いう、虫類をピリカスという、その脳の使いという。
音楽の蝶の話という、調の話という。蝶がいう調と
いう。音楽の調という。
【蝶貝遣】
 これらの音楽の入れという、蝶貝遣という、蝶と
貝の音楽の、いそりる、という。貝が絵を描く調べ
という。貝調の絵という。ピリッカマの絵という。
これを奏す壬生の古い和宮という、場所という。
蝶の調べという、シタールの楽器の調べという。
蝶はり、という、シタールの曲という。

 貝が見る楽の奏者という、熊を入れた、シンバル
の熊の奏者という。この音楽が歌う人の歌という。
私の作ったシタールの曲という、歌という。蝶はり、
という。
【ラビッシャンカールさん】
 ラビッシャンカールさんという御方の奏という。蝶が
飛んでくる場という。ラビッシャンカールさんの音楽の
奏に飛んできた蝶という。大きな蝶で、30センチ程
ある蝶という。蝶はりという楽という。シタールの音の
音楽という。

 これらが書かれている御著という。ラビッシャンカ
ールさんの音楽を聞いておられたピシカ先生という。
その先生の御著書という、京都壬生の和宮の蔵書
という。名著の書という。熊が見る書という、蜂が
読む本という。これが、蜂ゆた、という、蜂の読書と
いう、私の脳という。
 古い日の音楽会という、熊が聞き、蜂が聞き、
動物、虫類が聞く音楽という。和宮の音楽という。
動物が奏する音楽ともいう。古い私の経験という、
熊と一緒に聞いたという、私という。

 ラビッシャンカールさんの音楽にあることという。
ピシカ楽にもある話という。ピシカ先生のお話という、
学校の講義です。和宮の古墳級という学級のこと
という。和宮ピシカ講という、講義という。大理講とも
いう。ウスベキスタンのイチャンカラの場の講義という、
音楽、脳その他についての講義という。

 大理公を天皇という天篁という。ウズベキスタンの
天篁という。ピシカ先生のことという。

 何度も壬生へ来ておられるラビッシャンカールさん
という、シタールの奏者という。

 8301の話という、出発8301です。和宮楽の項と
いう、私の番号ふり、という。30001番ともいう。
熊の脳の番号ふりという。
【読書をされる御熊御母】
 本を読まれる御母という、白熊の御母という。
熊の御母という。私の前で本を読まれた御熊の
御母という、白熊という。椅子に腰かけられた
御母です。忘れない憶えている御母の御姿という。
私の書く絵、御母の御熊の絵を見て、『ふく』と
いわれたことという。この脳、円盤を飛ばす能使いと
いう、熊の脳という。貝の脳でもあります。
【プラットン先生御在のイチャンカラ】
 イチャンカラの円盤という楕円の球体という、円盤
類です。イチャンカラへ行った時の円覧という乗り物
です。御熊御母と一緒に行ったことです。プラットン
先生がおられたことです、トロイの哲学者という、
ピシカ先生のお傍という。壬生色相人種という、
私という。プラットン魚もいるイチャンカラの村、
色相人種が村です、魚、貝、蝶、虫類、動物の
色相人種、楽しいことです。

 悲しき書きという、御母想う私です。『非歌』という
歌のことという。御母の思い出という。今もおられる
御熊御母という。イチャンカラにもある歌という、音楽
に寄せてのお書きという。ピシカ山のお書きという。
『ぼう』といわれた話という、御熊御母の御声という。

天照大御神著、そうきょうよいお書き。
名前・柳、小林壱裕柳。
柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳
柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳

『天照大御神、そうきょう、よいよい』
柳私がいらっしゃる。応楊合点、柳ます。


大変な名刺だな、
めちゃくちゃ、よいネ。御私柳私。

posted by 秋残り at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

出発9031-2 公魚(わかさぎ) : いかすみ柳   2023/05/15作

出発9031-2 公魚(わかさぎ) : いかすみ柳   2023/05/15作
【曲名】 出発9031-2 公魚(わかさぎ)
【今常】
そうきょうよい時です、柳ましょう。健康安全。
【解説】
【花木京、神宮外苑】
 わかさぎを、まずくれ、という。まずくれ魚のお書き
という。まずくれせっくるの・いいよし、という。この『
よし』を、魚という、まずくれの・いっぽう、という。
神宮外苑の・はなゆり、という。花木の里という、
神宮外苑という。花木京という、神宮の言いの
・いっぽうそんれる、という。花木里の言いという。

 アルヨッテンハーナーという。ハーナーリルの家と
いう。うちが住んでいた所という、神宮外苑と
いう。そこの公です。きみの公ひば、という、ひばす
・ういちす、という。公といううちのことという。
 これを、こうせまり、という、古い神宮の言葉と
いう。明治神宮を、こうきす、という言いという。
こうきすれんてし、という。この『てし』、場所の
ことです。これで、明治神宮を、きっぱれ、と
いう、明治神宮を、きびさり、という、古い、
ごゆかみはま、という言葉使いという。
【凛の宮】
 明治神宮をりん、という、凛。りんの宮と
いう。古い明治神宮の呼びです。りんきゅうみんたき
、という、明治神宮のことという。わかさぎかれの
宮という、明治神宮という。これで、わかさぎ宮を
いう。わかさぎ宮という明治神宮という。私が
住んでいた神宮です。明治るってす、という、明治
神宮の住まいという。明治こうめく、という、明治の
住まいという、私の住まいです。わかさぎ宮という
言いをとる、明治ゆっかんれく、という、かゆはなの
言いという。かゆという花が咲いていた明治神宮と
いう。かゆれふんばすの家という。しぞるりの言い
という。明治期の山という、山りらのおそいらり、と
いう。おそいらすり、という和同の村のお言いという。
【出発9030絵描きさん】
出発9030絵描きさんの歌の、おそいらりすり、という、
家の言いという。そうきょう語の言いです。
 おそいくっしる、の家という、和同村の家のこと
という、神宮外苑の家と同じ造りという。
貝を呼ぶ魚という、わかさぎの公魚という。
おそいくっしる魚という。おそいらりすり魚ともいう。
魚が貝をよる言いのよいの・といはじ、という。
といはじのくれるれ、という、ピッツユーミーという。
ピッツらる言いという。おそいらりお言いという、
ピッツユーミーという。おそいらりすりという、おそいら
すりのことという。

 明治神宮のおそいら、という、おそいら遣の言い
という、わかさぎを、明治魚という、おそいら遣の言
いという。おそいしく山のお絵という、江とも。お江遣
の言いのよいの、くんらげ、という。くんらげ神宮と
いう、明治神宮のことという。おそいらしんばり、と
いう、梁の造りという、明治式造りという、おそいら
しんばり、という。しんきょうの家という、明治神宮の
ことという。新梁。しんりょうや、という、明治のしん
きょう、という、明治を、しんかい、という言いの、
しんらじ、という。しんらじを京都という、京都の、
しんさりらり、という。京都をしんきょうという、しん
りょうの京都という、これを、しんきょう、という。
書きに新京という、新京の明治という、これを、
新橋という、しんばしの・きょうるか、という、新
京の京都という。明治神宮を、しっぱれ、という
言いの京都の新京という。明治神宮の内裏の
言葉です。明治神宮にいた私です。
【出発8120こけし寺、しんらじ】
 明治神宮にいた私の新しい名という、わかさぎ
という、きみさわという、公魚と表す名という。
公魚是家(こうぎょぜや)という私の住まいという。
明治神宮のことという、外苑の家の名ともいう。
小林魚という、小池みっくの言いという。外苑の
木の林を小林という、うえみるの言いのことの
表しという、小林ごうべ、という、神宮外苑の
ことという。この外苑の、やびらり、という、
やびっぴすの言いのよいの、くいらじ、という。
くいらじの山の御公、おこう、という、ぎょこう、
ともいう。御港があった外苑という。
【明治神宮外苑】
一般河川の言いの徳川という、徳川が流れて
いたことという、玉川という川という、御港の名
を、得闇浦(とくやみうら)という、とくみ港という
御港の家という、玉川家という、私の住まいという。
明治神宮外苑お書きという。きみさわ家の書きと
いう。公魚家です。周りに御親戚の御家があった
ことという、神宮球場のできる前という、以前という。
こうぎょきゅうれん、公魚球連という、くれんのたまゆ、
という、たませる川という、玉川のことという。
 古い麹町城が掛かる、ゆめらみのお家という。
神宮の家のことという。くれんかっせ、という家と
いう。保田の家のお言いという。和同村のお言いと
いう。
【別鮫家】
 和同べっため、という、べさめろぐ、という、外苑
のことを、べっため、という、べっため家のお言いと
いう。べさめらんまの・おいかり、という。錨を下げた
家の玄関という、和同べっため家のことです。
べさめむうちょ、という、別鮫無町(無は、くずした
字)という、鮫がいたべっため家という。外苑の
家という。明治神宮へもよく来ていた鮫という。
別鮫家の、じんたっきす、という、じんたきのやの
お住まいという、麹町城のことという。
【貝が絵を描く、麹町城の絵】
 桃屋花木という、線毛川(せんげがわ)の住まい
という、麹町城の線毛川という。麹町の川という、
せんげかわ。いよろず山の家という、じゅうられの・
くいびじ、という。外苑の家のことです。
 貝が絵を描く線毛川という、麹町城の絵という、
絵を描いた貝という。鮫手の貝という。百千万十
という、ひゃくせんまんじゅう、裏闇の言いという。
桃屋線饅頭という、まんぺの言いのよいの言葉と
いう。浦線山のお描きという。うらうらの山という、
麹町城の山という。
【京御所の和同】
御所の和同の浮闇という所におられたお爺さん。
和同のごめせ、という場所という、浮闇のある
場所の、いよはま、という御所の、きらすれの・
ういじす、という。今の京都御所の、あゆられ、
という場所という。そこの、かみゆまの・ばあれ、
という、ばんつりの・あゆそ、という場所のことの
言いのよいの・くいたり、という、ばあいるらの・
いそみる、という。そこの、きんべの・ちかれ、という、
地下の場の言いの、いそたり、という場所という。
住まいを、みよるら、という。みよるららっきす、という、
お住まいのことという。お爺さんのお住まいという。
貝を、たまめ、ということの言いのよいの、ことゆら、
という。ことみの場の言いという。ことみのことめ、と
いう、あんすり山という、あんりぃの・ばいらみ、と
いう。お爺さんのお住まわれる、ばいたみの・くいしみ、
という。『しみ』が部屋を意味することという。
くいの部屋のお住まいという。和同ぎっかし、という。
ぎかしかの・くいらい、という。ぎかの山のお江という。
絵ともいう。ぎかせ山らっきくの・くいろじ、という、
くいろじす、ともいう。ろじの山の岩という、岩があっ
た所の言いのよいの、ふいらじ、という。ここの、
いわせ、という、あいたいりの山という。大お爺さん
のおわれ、という。大お爺さんが背負わられた、
おたみの山という。ばろふめる山やっきすの・うい
とし、という。
【木津御所】
木津御所という日の御所の古い場の
言いという。木津ゆらる・おいりら、という。木津川と
いう、今の鴨川のことという。木津川由良原の御所
という。この御所を木津御所という。木津川御所と
もいう、今の御所のことという。京都御所の・わんさめ、
という。わんざり御所ともいう。古い御所の言いです。
この日におられた大お爺さんという、大お爺さんの御
所という。けねゆまの・はおれ、という。けねのまやび、
という。けねゆまの・ごいおり、という、御所の中の
大お爺さんのお住まわれる場のことという。けねゆ
まふ・らりそり、という。これを、ろぜんらっかん、という、
らっかんの御所という。後、落款という。らくにかんす
られの言いというよいという。落款ふぜるらのお江と
いう。あゆせる・おりはるせむ、という、おりはるのせらる・
くいやみ、という。『やみ』を場という。こいじすの言い
という。こいゆっきの・やませられ、という。御所の
言葉の古い言葉という、そうきょう御所の言葉と
いう。そうるの・おりごれら・おいはる、という。『はる』
という、場所のことの言いのよいの言葉という。
ごれはるゆらる・おりいす、という。後、椅子という。
はねる、という椅子のことという。大お爺さんのお言
葉という。木津御所のお爺さんという。木津けやら・
ういしす・めゆられ・おりいっす・とんしら、という。
とんしらゆんかべの・ありはんなる、という、場の
ことという。お爺さんの御場という、御場ごゆそめる・
おりとり、という。ごゆぞめふらの御所という、やり
ゆ山のおよいそでやらの・こいしず、という。お爺さ
んの御場という、かいゆらる・かめふり、という。
貝と亀がいた場所という。お爺さんの御貝御亀と
いう。またゆたのいや、という家のことを『いや』という、
この言いのよいの・こいらぎ、という。木津御所の
言いという。御所内裏(うちうら)の言いという。
【大お爺さん大お婆さんの御所】
内裏遣(だいりやり)という。御所うっちす山という、
この話のことの言いのよいの、こともれ、という、後、
単に、もれ、という。もれの話という。御所内裏の
話という。御所に住まう語りとぞもれるあおりす、
という。もれのごゆれ、という、御所きっきすの言葉
という。ききすかのふめる・かよさり、という、言葉の
ことという。かよさりゆられに、きびす、をいう。きびす
御所という、木津御所のことという、古い御所です。
今の京都御所の場の言いという、かよさりる、という。
大お爺さんおらるる御所という、かよさりのゆば、と
いう、御所のことです。
【そうきょう語】
 言葉が古い、そうきょうす、というそうきょう語の
古い言葉という。こそうきょうす、という。古。
古闇浦(ふるやみうら)の、そうきょうらりる、という。
古闇浦のお江という、絵ともいう。えいらじうしる、と
いう、古闇浦の・えいたいやら、という、えいたい遣の
えいかみ、という、『かみ』を言葉という。えいかみの・
おいさま、という、言葉を『さま』にとる、『さま』という。
言葉をさまという、お書きという。さます山という、
この文のことという。

 いちひろゆ、さみすれ、おりろ、てし、ゆすべ、
すべす、おりはりるら、こいらっち、おいそい。
『おいそい』という文のことです。いっそくみふり、
という、おりはるられの・いっぽれ、ともいう。
文を『いっぽれ』という、古闇浦のおきかり、という。
きかり語という、きかりすみやふり、という。みやし
の山のお絵という、江ともいう。

 私をみやるという、きかり語という。『みやる、
おいはい』という、私の作文という意味です。
木津宮はまる・えおりる、という、『りる』を言葉
という、木津宮御所という、木津川御所の古い
言いという。御所の、こごせごら、という、きかり語
のことという。
【新選組】
 あおりすやっぱん、という、きかり語のことという。
きかりす闇の・ごわごるごとれ、という。ごごしばの
言いという。ふるごわれの言いともいう。木津宮
御所の言葉という、きかり語という。後、よいとめ、
という。よいとめ闇ふら、という、『ふら』を原という。
闇原のこいさみ、という、いさみのごゆごかす、と
いう、近藤勇の話という。きかり語の人という、
ふるごわれの御所の人という。古い賀陽御所と
いう、賀陽御所の人という、近藤勇という御名
の御方という。医術の、はっぱす、という。
はっぱすの医学の、おんたみめ、という、近藤勇
という、新選組の御方という。医学の話の先生
という、近藤勇という御名の御方という。
あおりすやっぱん・きかりす、という、医学の言葉
の使いという。医学を、あおりす、という、この期の
御所の言葉という。後、御所医学という。
御所医学の先生という、今の京都御所におら
れた近藤勇先生という。周りに沖田そうし、と
いう御方という、新選組の人のことという。皆、
医学の関連の人達です。御方々という、先生方
という。芹沢鴨という、内科の医術という。
【古い京都壬生の賀陽御所】
沖田そうし、という薬学の人という。薬屋の沖田
さんという、沖田そうしさんのことという。沖田先生
という、私です。新選組の人記(ひとき)という、私
の古い記録文という。新選組の医学という、
私の通りきたった道という、新選道という道を
歩き通うたことという、近藤先生の御宅という。
新選組の私という、沖田山の麓という、近藤先生
の御宅という、私の通い道という。芹沢川という、
古い壬生の御所という、賀陽御所のことという。
後、賀陽御所を今の京都御所に作ることという。
賀陽ふっされのお書きという、ふっさるごゆけら、と
いう、賀陽御所のきませ、という、やなぎませ、と
いう、柳まっせの言いという。柳ますおことという。
柳闇はらる・きいぶの・きいびす、という。『びす』
を術という、医術のきいびす、という。きいびす
お書き、これなるを。

天照大御神著、そうきょうよいお書き。
名前・柳、小林壱裕柳。
柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳
柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳柳

『天照大御神、そうきょう、よいよい』
柳私がいらっしゃる。応楊合点、柳ます。


大変な名刺だな、
めちゃくちゃ、よいネ。御私柳私。

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