2022年11月04日

出発5452北町奉行所 : いかすみ柳

出発5452北町奉行所 : いかすみ柳


大変な名刺だな


【曲名】 出発5452 北町奉行所
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】2022/11/03
【北町奉行所】
 北町奉行所という大きな看板を掲げていた若
い人の家という。保田城主という、保田うわったせ、
という。これを、かんしぎ、という。この言葉の使いと
いう、保田城そっく、という。これを、後、そうきょう
語という。
【丸い城】
 丸い城があるという、若い人の住む近所である。
城を丸くして、そのしろに住んでいたという。かれっさみ、
という。若い人の住む家である。
 この頃の北町奉行所という。幕府弓張という。
弓をひいた状態の丸い城という。いつもそこにいた、
若い人という。「私がいらっしゃる」という、若い人の
言葉である。この「私」の言いという、柳私という。
これを、柳君という、りゅうきみ、やなぎきみ、りゅう
くん、という。これで、君私という、きみわたし。
君子の語源である。柳君という言葉の延伸という。

 自分の顔を、りゅうがん、柳顔という。今に至り、
やなぎまゆ、りゅうび、という、柳眉。柳目、柳眼と
いう。柳腰という。体につけられた柳という。正(や
なぎ)ともいう。正眼という、剣道にみる、やなぎか
まえ、という。これが、古い剣道の言いである。
【人のこと】
 人を、やなそり、という、やなぎそり、という、人の
ことである。城には、この言いがある。「やなぎそり、
おりさり、ゆいして、そゆる、てそ」という。
「やなぎそり、お歩かれ」という。闇山の言いという。
この言いの、せいまり、という。せいするやなぎ、と
いう。正しきをやなぎ、という。正を、やなぎ、と
読む、保田城かわふき、という。保田城の読みと
ぞそ。

 ひとを、ゆいはま、という。人の、あとみやら、と
いう。これを、あとしめすてす、という。この日の保
田ゆた、という、保田の城の周りの言葉という。
保田城の言葉を使う周りという。とっせまふみの
山という。保田の屋のおより、という。

 人を、きょいしみ、という。人ゆとの言いという。
正しきを、清いという。きょいはっすきの・おりゆられ、
という。ほっととす・すいはり、の言葉とぞそ。保田
白の言葉という。
【後の丸い城】
 この丸い城、保田の城の中の城とぞいう。後、
若い人の住む家の近所に作る丸い城とぞそ。
この丸い城を、そいきか浜という。そいつす、と
いう。そいっとの・きびしび、という。この「しび」、
後の寺の鴟尾である。ほいよんしり、という、
保田の言いという。保田ゆたの・ちそっそ、とい
う、鴟尾のことという。これが、鴟尾の旗ゆり、
である。この日、京都のことを、ほっせら、という、
ほっせす、ともいう。京都山のある頃という。
後に、京都山ができる。みよったすの・といひみ、
という。京都山の後の京都山という。何回か、
山になっている京都という。かんせま山の京都
という。かんたっきす・るっくす、という。これが、今の
京都のことという。いまそゆふむ・きょっせら、という。
後、きょうせら、という。この「せら」、期のことである。
【きょうせら】
 きょうせらという言葉が復活した今という、きょうせら
美術館という、京都市の美術館という。昔、きょう
せら美術館といったことという。同じ場所である。

 これを、れっぱんふき、という。ひもそよの・てゆ浜
という、肘゛ゅ筒を、といせる、という。といせる・らん
べ、という。この「べ」、今の、あたりという、へん、と
いう。辺。これを、今に残す、「わからへん」という、
京都の人の言いという、「私はわかりません」という、
今の言葉意である。当時、「わから」のあたりという。
丸い城を、わから城という。古く保田の城の中の
城である。この城を、かゆはり、という、城の中の城
という意味という。わから・かゆはり、という。
【わから城】
 後、わから城という、きょうふとの・ひみやり、という。
わから城のある頃という、幕突という、幕さすの・
といゆり、とぞす。これが、幕府の、大和朝の頃の
幕府である、幕さすの・しといゆり、という。古く、
保田の城の造りである、幕府のことという。
【大和朝廷幕府】
 やませらるう城という。この幕府の奉行という、今
の北町奉行所という。若い人の住む家に、この
看板を掲げる、ぶりょっすり、という。奉行のこと
である。北町奉行所という、古い保田城の、あと
めはり、という。これが、奉行のある大和朝廷と
いう。保田城の朝廷という、大和朝廷である。
北町奉行所の看板の話という。今は、旅をし
ている話という、看板のことである。
 後、二条城においた看板である。北町奉行
所という看板とぞそ。

 豊穣の・かいしく、という、たゆっせら・そいつす、
とぞ。りりおんせらあ、という、るいっさるの・しばそく、
という。看板を、くいさま、という。この「くいさま」が、
二条城の古い言葉である。

 「大お爺さんゆらふら、おりらら、すいらら、しと
ゆと」、これが太政関白の言葉である。御写真を
掲げていた御部屋という。私がいらっしゃったことと
いう。今の二条城である。

 北町奉行所の看板の二条城という。

付け : 京都岡崎のきょうせら美術館という、大森
    城があった所である。
      東京の大森城があった所、きょっせる、
    という。保田城の言葉である。

天照大御神著、そうきょうよいお書き。
名前柳、小林壱裕柳。
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『天照大神、そうきょう、よいよい』
私がいらっしゃる柳。応楊合点。柳ましょう。

きょうせら柳
posted by 秋残り at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽