2022年07月16日

出発4780 よのすらる(宮名、八光宮の以前の宮) :イカスミ柳

出発4780 よのすらる(宮名、八光宮の以前の宮) :イカスミ柳

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音楽
【曲名】 出発4780 よのすらる(宮名、八光宮の以前の宮)


    創曲、理科柳雪広・正(やなぎ)  2022/07/15
    造詞、冴柳小夜・正     2022/07/15
    監修、そうきょう連      2022/07/15
    挿絵、香 淳時正             2022/07/15
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ACID ソースネクスト社
  バンドプロデューサー  カワイ社
【歌詞】正里
光たゆとう 五の条 みどろ世
泥は金の輝きをちりばめる
1面に泥々々の海 歩けば
すべる足 長靴 その中に泥入り
手で靴を 引き上げては
歩(ほ)すすめ 宮帰り

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/07/15
【よのすらる】
 泥の中へ歩く、長靴があげられない、両手で、
靴の両端を持ってあげる。一歩一歩、そうして
歩いた泥の海、楽しい歩きという。
【桂御正八光道】
 京都市西京区、五条通りを西へいくと、桂川
流れて、それを越えて、桂御正(みしょう)町という
交差点につきます。この辺り一帯の名称という、
桂御正八光道という、五の条という、今の五条
通りという。国道9号線です、このまままっすぐ
行けば亀岡市に至ります。
 桂御正一帯の歌です。小さな宮が立っていた
泥のある頃。泥がこの南の向日市で発生して、
この辺りまで押し寄せてきた頃の歌です。泥の
海の光景。

 『すらる』という『すみさまれ』という、さっしぐのこ
とという。泥の薄い所に立つ宮の話という。
泥が金色に光ってまばゆい光がさす海の見え
という。泥の海という。
 近くに桂離宮があり、塀で囲まれていたことと
いう。ここへ行くのに、泥を掘って入ったことという。
【桂離宮】
 泥の世のはっぷす、という、せんたりの歌という。
桂るっくす、という言葉を使う小炉という。かれっせる、
という、泥のことという。泥かれの・いそめな、という。
泥を、かるれる、という、桂の離宮の言葉という。
かりらるのお泥という。お泥山という、泥の海と
いう。
【長岡京市、向日市】
 今の長岡京市、向日市、この辺が泥の海という。
泥発生で、泥を止める竹林という、竹は成長が早く
、すぐ大きくなる、それで、竹を植えて、泥を止める。
今も、竹林へ入れば、柔らかい土である、泥の
土という。竹の中に期を少し混ぜて植える。
 京都の竹という。
『日本国中、竹にする』という若い人という。竹の
国、日本という。泥発生の場の泥止めという。
【向日市東山】
 今の長岡京市役所、当時役場という、ここが、
泥発生の場所という。泥発生をとめて建てたものという。
 今の向日市役所、大極殿留(だいきょくでんどめ)
という。泥の発生場所である。石の造りの、たいはめ、
という、後、どみそら、という、どとふり、ともいう。後、
やんたみ、という。今の向日市東山の頃という。
後、東山が噴火する、後、一入(ひとしお、いつにゅう)
という、学校が建てられた、ここの卒業生という。
むみたみの・お卒という。れれてのろいすり、という。
東山の学校という。今のような学校である。

 竹が植わった長岡京、西山という、西山連峰の
頃という。火を上げる西山である。
【泥海皿】
 千代原口という、この近くに、天皇陵がある、天皇の
杜という、天皇塚の・おらりら、という。ここの、みそるら、
という。後、ときさき、という。泥の海の崎である。
この南の御所海道という、泥海皿という。ここへ、
船が行く卑弥呼という、ひそみその・るりはり、という。
『はり』が場を表す言葉という。ここも金色に輝いてい
た頃である。泥の光である。
【獨協、鶏冠井】
 後、獨協という場所である。鶏冠井(かいで)という
場所である。物集女(もずめ)街道という、八光賦から
長岡京市へ行く道という。
【大極殿、御殿たいさめ】
 獨協という場所で、隣の、いとほり、という場という。
どんざり、という場所という。ここを、後、くふふふ、という。
向日市の大極殿周りである。くふの世という、『世』が、
場所を表す言葉という。大極殿を、くふらべ、という。
くふみく、ともいう。これが、大極殿の、そうきょう録と
いう言葉という、後、口語をとる、おおみらのおとの、
という、『おとの』を、御殿と書く。おんでん・たいさめ、
という、大極殿のことという。

 また行く向日町、古い都である。桂離宮ぞめほめ、
という、向日町の大極殿という。桂離宮へ行くひの、
向日町やい針の・といふき、という。大極殿の周りと
いう。向日っ所(むこっしょ)という、まべつべの言いと
いう、よのすらるという場の言いである。
【一入向校、文法講義】
『向日っ所れっせ、つぶらふ』という、『つぶ』の辺りへ
行きますという井とぞそ。『つぶ』が、当時の、たまふり、
という言葉使いという。意が、少し小高い場所の津
(山編に、津のつくりを書く。山編に、津を書き、
さんずいを抜く字。(山津)で一字、さんずいを書かない
字))、という。ここの、津へ行くことを『つぶ』という、名詞
であり動詞である。これの活用という、上読浜(かみ
よみはま)という。上四段活用の名動詞という。
 後、形容補という、古い文法の言いという。
つぶ、つら、ぶら、すれ、という活用である。
 これが、名動用法という、後、形容動という、
当時の文法という。よへ原の言いこいひく、という。
こいゆきの活用という。一入向校の講義である。
若い人の教授免状という、今の卒業証書という、
これに、免許を加えたものという。若い人の宝物
である。

 向校という、後に工業高校という、今の学校になる。
ここの免許という、今は旅行中である、手元にない
ことという。無い話を書く、駄作者という。駄作者が
若い人を探している。この話の、ほんかく、という。
本格的な話でもある、本書く駄作者という。
【上四段活用、名動詞】
 四段活用本格という、四段活用の本格枢要で
ある。大事なことという、ほんかくの話である。
若い人の文法講義という。駄作者の書きである。
若い人の卒業という出発である。八光賦からの出発
という。『賦』が場所を表す、八光賦出発書である。

若い人が出発する話である。『でぞふられ』という、
卒業出発の、こぎ、という。古い言葉である。
『でぞふる』の名動詞という、上四段活用である。
てでっぷ、どっぷ、どる、でぞ、という活用という。

 派出が、ぶろぐ、という、かよらるの言葉という。
ぶろうふる・かよふり、という。英語ベラベラの駄
作者である。若い人講義という、ブログの講義である。
今様、インターネット講義という。古い文法の講義と
いう。
 後、上四段活用の名動詞は、そうきょう語に入
れられ、そっこす、という、話になる。主として、言葉
の話である、講義 ともいう。そっこす・れっくす、という、
言語学講義という。
 どこの大学でも、やっていない講義という。どこまでも
無いことを書く駄作者という。柳。

そうきょうよいお書き。
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『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。

柳、黒。
posted by 秋残り at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽