2022年07月14日

出発4782 村上 :イカスミ柳

出発4782 村上 :イカスミ柳

他の拉致被害者の方、お元気で、帰国して下さい。
腹を横に書く。
【曲名】 出発4782 村上
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/07/14
【村上の祖】
 若い人が立っている。大きな平らな腹という。
木もなく、荒れ地という、ここに、城が立つという。
むらゆらりという、村由良の里という。村由良の
港という、ここを桜井港という。
 桜井のしらせる、という、大鹿のいる桜井やら、
という。鹿むまの・とみ浜という。この『浜』を、
『ゆんたれ』という、桜ゆんたれの・るいらら、という。
にい山のいそみそ、という。
 ここの、おしかんべく、という、桜るんという。
この浜を、きっけせ、という、きかるきの・あえられ、
という。あおに原という、村世羅のろきふり、という。
【与作城】
 奈良桜井にかかる、新潟の村上の桜井という。
桜井という所が、村上市にある。ここの城の建て
という、たいつつのお立ちという。ここで長くいて、
後、『遠い所へ行く』という、新潟村上の城の
お立ちという。建ちあがる城の、いったき、という。
いったきの城という。これを、桜連はる、という。
村上の城のお建てゆき、という。
 村上を与作という、与作の城という。

 世羅の期の城という、与作の城という。これを、
あいつぁり、という。与作の城という。与作は、きさ川
の・ろり原という。与作そっきく、という。れるせるの・
るぼせら、という、これを、しきすばる、という。
しきの期の城という。しきそき、という、城をしきと
いう、そきという。古い村上の城を、しきすばる、という。

 おやりらの・るごす、という、しきすばる弓浜という。
今の新潟県の村上市という。遠く奈良桜井の
、いくはき、という、しきそきのことである。
これが、桜井管理をとる、そんしる、という。古く、
そっけの城という。そきそきの浮き、という。古い
新潟の村上のことという、そきそき、という。後
とぞそ、おいたりらり、という、村上の歌遣りと
いう、後、歌語という。村上そってす、という、
桜井の言いという、古い奈良桜井の、そんほぼ、
という歌語という。

 奈良桜井の歌語を、そりさり、という、そんほぼ
のことである。この桜井のことを、そい芝という。
歌語を芝語という。これが、新潟の村上の芝語
という。しっつとっこく、という、歌語のことである。

 村上の歌に、いとしと、という、しませらをかりすり
という。まよるろの・れめさ、という。新潟の村上の
古い言葉という。『さ』という言葉を使う村上という。
『ありらってさ』という、この『さ』のことという、れめさ、
という。
【よぎ、いきして】
 『私がいきます』を、『ありすぅっらさ』という、自分を
『よぎ』という。『よぎ、ありすぅっらさ』という、新潟の
芝語である。
 
 『私は城を見る』という、『よむ。ろばっして』という。
『ろ』が城という。『ばっして』という、『みるらら』という
、見ることをいう。この『見る』を、きくそり、という。
『よむ、きくそってす』という、これが、京都の京輸
語という、京由語とも。これを、掛かる言葉という。
『よむ』という自分をいう、『よむ』が、きばせらを、
ついふりという。『ついふり』が、言葉のことである。
【芝語】
 みゆぶっぺけ、という、古い芝語の言いという。
言葉を、ぶっぺけ、という、みゆぶっぺけを、
言葉を使うという意という。奈良桜井の、ぶっつり、
という。奈良桜井をよる村上の桜井港という。

 桜井の、かんたき、という、かんらぎの・られおんてす、
という、これを、しきさく、という。この『さく』が、後、地の
柵にとる、ちそゆそ、という。芝語のりろ浜という、桜井
港のことである。

 どちらも桜をよることという。さっくすけっく、という、これを
、れろるり、という。歌語と芝語を、りはれる、という。
桜井ゆんてき、という、村上ぜっさしょ、という、みゆばらの
るり原という、ここの言いという。後、村上城の言いである。

 『御叔父ゆ、おらるられ』という、芝語の言葉という。
これが、奈良の桜井の『御叔父っさ、ゆらっせる』という。
『さ』という言葉の使いという。世羅期の色相語という。
古い歌語のことという、色相語という。

 新潟村上の言葉の使いという、新潟の、おいしばれ、
という、色相しっくす、という、しっさすのされっすれ、
という。また、行く、村上という、奥津城ありさらる・
れろすのおろしそ、という。新潟村上の、おろれ春、
という頃の住まいとぞう。

 おろれ春の村上という、色相城という、村上城の
ことである。色相の城を『よべ』という、この世の辺り
という。『世』が場所を表す、色相の世という。
場所を自分という、世を自分という。自分がいる
場所という。おろれ春の言いという。
【奈良丹波市市東堂藩】
『世は、すばせりみ』という、『世は、いろすり』 と
いう、世の川文という、文を場所という。これが、
奈良県丹波市市(たんばいちし)藤堂藩の、
春せますら、という、藤堂藩の歌語という。
これらを、桜井管理下の桜井傘下という。

 これが村上の城の、かよふっくす、という、
そんしらる。らおすて、という。古語歌語と
いう、らおん・みっくす、という。藤堂らっせる、
ともいう。また行く、藤堂の春、という。
『春』が、言葉でもある、東堂藩の言いで
ある、いこんしま、ともいう。
【奈良桜井】
 この日の奈良桜井、大神神社という鳥居まで
水があったことという、緋海という、和船航法の
、みっぺつ、という、後、密行法という。和船の
航法という。柳原という、緋海の鳥居のある所
という。

 京都御所内の柳原という場所の掛かりという。
京都御所より奈良桜井へ行く和船という。みゆ
ばってすの・おりるら、という。和船ゆんかす、という。
『かす』が場所を表すことという、春日、春日井と
いう類の『春』という、場所の意という。この通り、
春日、春日井・・・・は、場所を表す言葉で、地名
という。

 これの掛かりが、ウオッカスという、今のロシアで
ある。古い日のロシアのことという、色相語という。
色相を尊ぶ言いという。春日ともいう。
【村上の春】
 村上の春という、村上の城の建つ前のことという。
後、村上城を建てる。大きな原っぱであったことという。
しつらんせらのお書きという。桜井管理の村上という。
この『管理』を、見る里という、看里。
村上桜井港の、看里ゆらすみ、という。由良原の
住まいという。ゆらっすらのそてしら、という。住まいを
『しら』という、村上の言葉という、芝語という。
【京都御所内柳原を阿部春(あべはる、あべかす)という】
 村上城が建った後の京都御所という、後に建つ。
京都山があった頃という、陸環礁のの京都盆地という。
京都市全部が山であったことという。京都御所の
柳原という小さな原に村上があるという。
これを、あべかす、という。あべの場という、京都御所の
柳原という。阿部。阿部春。あべはる、あべかす、と
いう。場所を表す言葉である。

 歌語の色相という、これより出る言葉である。
歌語のゆわぜ、という、歌語を介した言葉の解説
とぞそ。柳。

出発4782 村上 :イカスミ柳

他の拉致被害者の方、お元気で、帰国して下さい。
腹を横に書く。
【曲名】 出発4782 村上
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/07/14
【村上の祖】
 若い人が立っている。大きな平らな腹という。
木もなく、荒れ地という、ここに、城が立つという。
むらゆらりという、村由良の里という。村由良の
港という、ここを桜井港という。
 桜井のしらせる、という、大鹿のいる桜井やら、
という。鹿むまの・とみ浜という。この『浜』を、
『ゆんたれ』という、桜ゆんたれの・るいらら、という。
にい山のいそみそ、という。
 ここの、おしかんべく、という、桜るんという。
この浜を、きっけせ、という、きかるきの・あえられ、
という。あおに原という、村世羅のろきふり、という。
【与作城】
 奈良桜井にかかる、新潟の村上の桜井という。
桜井という所が、村上市にある。ここの城の建て
という、たいつつのお立ちという。ここで長くいて、
後、『遠い所へ行く』という、新潟村上の城の
お立ちという。建ちあがる城の、いったき、という。
いったきの城という。これを、桜連はる、という。
村上の城のお建てゆき、という。
 村上を与作という、与作の城という。

 世羅の期の城という、与作の城という。これを、
あいつぁり、という。与作の城という。与作は、きさ川
の・ろり原という。与作そっきく、という。れるせるの・
るぼせら、という、これを、しきすばる、という。
しきの期の城という。しきそき、という、城をしきと
いう、そきという。古い村上の城を、しきすばる、という。

 おやりらの・るごす、という、しきすばる弓浜という。
今の新潟県の村上市という。遠く奈良桜井の
、いくはき、という、しきそきのことである。
これが、桜井管理をとる、そんしる、という。古く、
そっけの城という。そきそきの浮き、という。古い
新潟の村上のことという、そきそき、という。後
とぞそ、おいたりらり、という、村上の歌遣りと
いう、後、歌語という。村上そってす、という、
桜井の言いという、古い奈良桜井の、そんほぼ、
という歌語という。

 奈良桜井の歌語を、そりさり、という、そんほぼ
のことである。この桜井のことを、そい芝という。
歌語を芝語という。これが、新潟の村上の芝語
という。しっつとっこく、という、歌語のことである。

 村上の歌に、いとしと、という、しませらをかりすり
という。まよるろの・れめさ、という。新潟の村上の
古い言葉という。『さ』という言葉を使う村上という。
『ありらってさ』という、この『さ』のことという、れめさ、
という。
【よぎ、いきして】
 『私がいきます』を、『ありすぅっらさ』という、自分を
『よぎ』という。『よぎ、ありすぅっらさ』という、新潟の
芝語である。
 
 『私は城を見る』という、『よむ。ろばっして』という。
『ろ』が城という。『ばっして』という、『みるらら』という
、見ることをいう。この『見る』を、きくそり、という。
『よむ、きくそってす』という、これが、京都の京輸
語という、京由語とも。これを、掛かる言葉という。
『よむ』という自分をいう、『よむ』が、きばせらを、
ついふりという。『ついふり』が、言葉のことである。
【芝語】
 みゆぶっぺけ、という、古い芝語の言いという。
言葉を、ぶっぺけ、という、みゆぶっぺけを、
言葉を使うという意という。奈良桜井の、ぶっつり、
という。奈良桜井をよる村上の桜井港という。

 桜井の、かんたき、という、かんらぎの・られおんてす、
という、これを、しきさく、という。この『さく』が、後、地の
柵にとる、ちそゆそ、という。芝語のりろ浜という、桜井
港のことである。

 どちらも桜をよることという。さっくすけっく、という、これを
、れろるり、という。歌語と芝語を、りはれる、という。
桜井ゆんてき、という、村上ぜっさしょ、という、みゆばらの
るり原という、ここの言いという。後、村上城の言いである。

 『御叔父ゆ、おらるられ』という、芝語の言葉という。
これが、奈良の桜井の『御叔父っさ、ゆらっせる』という。
『さ』という言葉の使いという。世羅期の色相語という。
古い歌語のことという、色相語という。

 新潟村上の言葉の使いという、新潟の、おいしばれ、
という、色相しっくす、という、しっさすのされっすれ、
という。また、行く、村上という、奥津城ありさらる・
れろすのおろしそ、という。新潟村上の、おろれ春、
という頃の住まいとぞう。

 おろれ春の村上という、色相城という、村上城の
ことである。色相の城を『よべ』という、この世の辺り
という。『世』が場所を表す、色相の世という。
場所を自分という、世を自分という。自分がいる
場所という。おろれ春の言いという。
【奈良丹波市市東堂藩】
『世は、すばせりみ』という、『世は、いろすり』 と
いう、世の川文という、文を場所という。これが、
奈良県丹波市市(たんばいちし)藤堂藩の、
春せますら、という、藤堂藩の歌語という。
これらを、桜井管理下の桜井傘下という。

 これが村上の城の、かよふっくす、という、
そんしらる。らおすて、という。古語歌語と
いう、らおん・みっくす、という。藤堂らっせる、
ともいう。また行く、藤堂の春、という。
『春』が、言葉でもある、東堂藩の言いで
ある、いこんしま、ともいう。
【奈良桜井】
 この日の奈良桜井、大神神社という鳥居まで
水があったことという、緋海という、和船航法の
、みっぺつ、という、後、密行法という。和船の
航法という。柳原という、緋海の鳥居のある所
という。

 京都御所内の柳原という場所の掛かりという。
京都御所より奈良桜井へ行く和船という。みゆ
ばってすの・おりるら、という。和船ゆんかす、という。
『かす』が場所を表すことという、春日、春日井と
いう類の『春』という、場所の意という。この通り、
春日、春日井・・・・は、場所を表す言葉で、地名
という。

 これの掛かりが、ウオッカスという、今のロシアで
ある。古い日のロシアのことという、色相語という。
色相を尊ぶ言いという。春日ともいう。
【村上の春】
 村上の春という、村上の城の建つ前のことという。
後、村上城を建てる。大きな原っぱであったことという。
しつらんせらのお書きという。桜井管理の村上という。
この『管理』を、見る里という、看里。
村上桜井港の、看里ゆらすみ、という。由良原の
住まいという。ゆらっすらのそてしら、という。住まいを
『しら』という、村上の言葉という、芝語という。
【京都御所内柳原を阿部春(あべはる、あべかす)という】
 村上城が建った後の京都御所という、後に建つ。
京都山があった頃という、陸環礁のの京都盆地という。
京都市全部が山であったことという。京都御所の
柳原という小さな原に村上があるという。
これを、あべかす、という。あべの場という、京都御所の
柳原という。阿部。阿部春。あべはる、あべかす、と
いう。場所を表す言葉である。

 歌語の色相という、これより出る言葉である。
歌語のゆわぜ、という、歌語を介した言葉の解説
とぞそ。柳。
【私駄作、京都船歌】
 現京都御所東、河原町丸太町辺りを、春日と
いう。古い日の春日野という。丸太町通りより一つ北の
通りを、春日通りという。西大路通り一つ西の通りを。
春日井通り(佐井通り)という、これらの地名が、春を
おく京都の地名という。
 京都山の山麓の春日野という、京都山であった頃の
京都という。後、陥没する京都山という、一時、平地
より低い地になった所という、今の五条千本という。
後、千本通りが川になる。島原の鴻臚館という、船宿と
いう、その北の宮がある、古く石段があった所という、
宮の石段である。船の港という。祇園八坂神社という
、石段がある、船着き場である。石段下、西辺りが
池であったことという。
 八坂神社の東、円山公園に池がある、この池に注ぐ
細い川筋、これを遡る船という。少し隣りに丸い小山が
ある、ここへ船が行き、円山公園の池へ行き、ここから、
西の下へ行く、石段下の前の池という。この池から、今の
花見小路という、川であった頃という、ここへ船が行く、
ここから、西へ行き、大和大路、当時大和川という川で
あった、ここへ船が行く、大きな船の浮かぶ大和川という、
この川から、南、淀へ行く。後、少しの間、丸山公園東の
小さい丸い小山に船を飾っていた頃という。
 私駄作、京都船歌という、京都を船で行き来する頃と
いう。
 神社の石段が船着き場であったことという。そこらじゅう
の神社という。
二条所お書きという。

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。
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出発4784 日本各地、色相 :イカスミ柳

出発4784 日本各地、色相 :イカスミ柳

他の拉致被害者の方、お元気で、帰国して下さい。
腹を横に書く。
【曲名】 出発4784 日本各地、色相
【今常】
そうきょうよい時です。
2022/07/14
【村上城、奥津城】
 村上城、その奥の奥津城、私の故郷という。
村上城から、長由奥家(ながゆおくけ)へ行く。
今の長岡市という。ここの、長由さり、という、
ちおさまの・らみそみ、という、新潟論得という
長岡のことという。ここでいて、また、奥津城へ戻る。
奥津城から、秀衡ヶ里という、すい芝の都という、
芝語を使う、とりらら、という場所の住まいという。
ここで住まう、ここから、おどんだっけす、という、
【岩手大槌、秋田、森】
今の、おでんしたの言葉の大槌という、岩手の
、あぱきかけら、という、おどんでんらんの言葉という、
そっくすれっく、という、おんつの、という言葉の使い
という。釜石の山の歌という、『春浅き、草やわら・・・』
という歌という、この歌の、ほゆふま、という、おどんでん、
という、なゆよってすの・るいさり、という。色相の言い
という。るい皿の地という、さられらの・るいはっ芝という。
はっすらの言いという、岩手釜石、大槌辺りという。
芝世羅の言葉という、おでんした、という。ここへ、
住まいする、後、秋田をいう、森恐れの行き住まう
、しょっつす、という、りんせらるうの・おいそい、という。
私の故郷という、恐れやらおっつく、りろせら、という。
森恐れの、るびさり、という言葉という。
【網走】
 この東北を、とんしる、という。頓知。ここから、
渡る、北海道の網走行という、当時、みそ闇という
地という。氷が立ち家のような氷の壁という。これを
越えて、網走のしそりろ、という、今の根室崎という。
ここの住まいという、かるせる・おっぱす、という。ちそりらの
・ゆいろんす、という、網走の言葉という。これよりの・おい
さま、という。北海道のさんてま、という。当時、ひめらま、
という。これが、兵庫県姫路城の、かいききねという。
網走の城の様という。
【兵庫県姫路】
 今闇浜をとる、るいしからみ、という。姫路城のあいおう
・とらせら、という、隣の相生城という、かんべらきのおりっ
さるらる、という。城のことという。これが、姫路のたよふまれ、
という。姫路ゆんとし、という。姫路城の祭る・たっすす、
という、今の、だんじき、である、だんじり、という。宇治の
だんとまの言いという、姫路よっとすのいさみる、という
言葉とぞ。姫路の『ぞ』という言葉である。『ど』ともいう。
『なんど』という、『なんだ』という、『なんぞ』ともいう。
この言葉が、網走の根室にある。姫路との関わりと
いう。
【姫路城かれら】
 この『なんぞ』という言葉が、姫路のかすっぽせい、という。
城主を『かす、かすっぽ』という、家老という城主という。
姫路城主のことを、かられる、かれら、という、家老のこと
である、城主のことという。

 この『かれら』が、『かおす』という、『かおして』という、
家老の仕事という、大遣りふりの・れおんす、という。
城主の言葉を、れおん、という、ひんみすの言いという。
かおする・れっそん、ともいう。姫路山の言いという。
これらが、網走にあることという。
「あーるらっして、せっさ、るおんる』という、姫路と
網走の言葉というねそうきよう・らっくす、である言葉とぞ。
ぞっそくの言いという。『なんぞ』『なんど』という言いという、
『なんだ』という意である。
【姫路、根室】
 『ろったけ』という姫路の言葉で、城を『ろ』という、
『ろったけ』という。釜石の『ろっくそ』という、城のこと
である。相生の『ろみそ』という、城という。
これが、網走根室の番外地を、きす、という。きす地と
いう。『きすひく、さきすき』という、すうすらすの・ろいしび、
という言葉使いという。
【山口健小萩】
 山口県小萩という、履きさびの・ろりすり、という。こ
この住まいという、網走ゆったし、を使う、れおしず、という。
山口県のことばを、れおしず、という。『だれんぞ、らってさ』
という、『さ』の言葉を使う 、『だれん』を『ときえ』という。
『ときえ』が自分である意とぞ。『ときえ、れいして、いっぱら』
という、りりせるの・るいはり、という。小萩の言葉という。
山口が、姫路、相生、釜石、網走に掛かることをいう。
れっゑ゜そのいりしり、とぞす。ぞっとすの言いという。山口の
言葉という、これを、さっけらという、みむすての・るいやり、と
いう、山口の言葉という。神戸、相生の言葉ともいう。
一部、神戸が使う、るいはまり、という言葉という。
【全国各地の神戸】
 神戸の奈良浜の、むひっさられい、という。この神戸、
各地の神戸である。『だれんぞ』という、自分の意という。
神戸の古い言葉という。
『だれんぞ、らってさ』
『ときえ、ゆっしら』
『私はおります』という、『私はいます』ということという。
ゆっきすの言葉ともいう。古い冠語の頃の日本という。
うおっかせられの・言いという。うおっこく、ともいう。
そうきょう・るっくすの・るいさってら、という。日本の主に
水のある辺りの所の言いという。海岸、池の辺りである。
神戸という、地名の意という、水の戸という、すいさりの
言い、という。城に堀がある話という。赤穂らっきす、と
いう赤穂相生のしろべら、という。東京の麹町城という、
新潟の奥津城という、村上という、ここの言葉である。
『らっかんせいらあ』という、らっくすの言葉という。
わりこっくす、ともいう。
【阿倍野割る】
 この頃の世界、なりらりのおよふら、という、世界を
およよ、という。世々(よよ)の場という。
『よろってさ、すみせら』という、『この世に生きます』と
いう意とぞそ。阿部ぺっすび、という、阿部春という、
これを、浪花ごりおん、という、阿倍野がそうである。
阿倍野の言葉という、浪花ごりおん、という。
『ゆおんてら、さってす、ろうりおんして、すいそっきり』と
いう、浪花よってその言いとりという。意が『塩手の山』
という、その山の景の言いという。しおらんぜら、という。
ごっきょすの言いの、しおら、という。塩田の掛かりという、
兵庫県明石、相生、芦屋・・・辺りという。
『ろうりゆってさ』という、『言っては・・』という意という。
これを、『ろうりよって』という京都御所である。

 また行く芦屋、みたよとのおし原という、またせる・
るらりさり、という。あしっくす、という、兵庫県明石、
相生、芦屋辺りの言葉という。
 そうきょう語という話という、ウォーレン・ラックスという。
【各地のそうきょう語挨拶】
『そうきょうよい御日で、柳っ所、ここに挨拶します。』と
いう、阿倍野、阿倍原の、かすべらべ、という、阿倍野
の挨拶という、桜井管理則という。

『お塩れら、そいとす、すずらす、ろりして』という、芦屋の
挨拶という。そうきょうれんとれの挨拶という。そうきよう語の
挨拶である。

『おしてす、るろそら、らるせられれ、そしらし、ろりよってす』
網走の挨拶。

京都御所の挨拶に使われ、『そしてし』という言葉を使う。
『わったせ、しおしら、そしてし、るい原、そしよし、すいすい』

浪花ごりおんで、
『わにしら、るりはら、るりるり、れおらせよ、といすり、らおんす』

東京麹町城で
『ういさら、れおっそし、すいみら、るいさり、るりさり、らみんて、
 ろりおってし、そっきょうす』という。

相生ごゆで、
『めてふら、めめせ、すられら、るりする、おっそる、れれそ、
 おっせらせら、るりはり、そっけらる、そっきょす』という。

姫路城語で
『そあてす、そうぞ、るりさり、めらせる、おりろっとし、うじす、
 そうきょうごっほふ、ゆめゆめ』という。秀吉の姫路とぞそ。

山口だんてむ
『ろほい、るみらら、ろりそり、そったく、えらす、ろりっさらる、
 そっこす、そっきょす』

沖縄情語
『むいらんしゃーれ、びんしゃる、びとすと、えんられいす、
 めんしゃーるら、めりよって、そっとす、そっきょす』
めんしゃーらーという沖縄情語である。

鹿児島しったん
『あるせ、らりるり、おらるる、みんすぅみ、ろせるり、
 しゃっばす、どんほめ、どんしょっくす、そっこす、
 そっきょうら』
西郷論という、西郷の言葉という、鹿児島の地という。

大隅語という、相偶(そうさい)の言葉という。つぎっしく、
という大隅語という。
『おいさら、れってさ、ろいすめ、うーりしゅーり、るっする、
 れおんしさ、るりらら、そうきょうす、おいそみ』

皆、安全を第一にする言葉の挨拶てす。
『お塩られ』という、芦屋安全である。塩を持つことという。
柳塩(やなぎしお)という正塩覧という。芦屋論ぜら、という。
ぜらを、是良という、ぜんせらのお言いという。
日本の地という、桜ゆんがら、という、桜日本のことである。
らゆんるっくすの日本という、べんばらのりりしら、という。
これを、そうきょう路という。路道覧のお言いとぞ。
この『ぞ』が、姫路の『ぞ』という、姫路らっくす、という、
姫路良語という。しょったられいの言いという。上の挨拶を
いう、うりひらの秀衡の挨拶という。豊臣ろっぱぶ、という。
家康のあんらべ、という、合わせて、ひでしょ、という。
古く、淀古城で用いていた挨拶という、山口だんてむの
挨拶という。そっきょうす挨拶という。そっきょうすの挨拶と
いう。

 家老の挨拶に使われるそうきよう語という。城主を
家老という、ゆうやるの御人という、そっきょすのもいすり、
という、家老のことである。
べっせま、という、まとんぴとー、という挨拶である。まっ
せらるうのお言いという。

 まとんぴとうという、東発語という、主に、山麓で使
われる言葉という、『おい、しゃーらー』という言葉という、
まとんぴとうである。沖縄情語の発である。首里遣の
一つという、琉球語ともいう。遠くの襟裳に一部ある、
まとんろうぞ、という、『ぞ』が姫路掛かりである。
まとんぴとうという、柳っ所官るる、ともいう、桜井そっくす、
という、ごゆっせら、という。

 英語のおくさつる、の言葉である。オクスンラックという、
オクスンフォックスという、フォックスラブという、オックスフォ
ード語という。『アイ・アム・リンサラ』という。
『ホァッツルドウ』という挨拶という。古い英語である。
『リンサラ』という、セーフティーの古語である。
サラセン・セーラルーという、サラセン英語という、ロンドン
・ファーリルーともいう。 スチュアートミルセンという、スチュ
アートの挨拶という。英国の王朝の挨拶である。
ダイナスティー・ベンパルという、カチュアート語という。
ブリタニア・ユージラーの言葉という。古いイギリスの
言葉である。英語のそうきょう語である。ウォットソックともいう、
ごぼせる英語というねそうきょうすうの言葉という。
『あい・あむ・サッスレー』の言葉という、リンサラの英語という。
『ウォット・ゴット』という言いをする、『アイ・ウォット・ゴット』と
いう、フリタニアのごぶっせらるうの言葉という、安全を期す
言葉である。

 ロシア語『ドッソス』という、安全の意である、ツングスラ・
キースという、モスキートの言葉という。クレムリンともいう。
中央アジアを含む話という。安全を最優先にする言葉である。
ドスキンの話ともいう、衣類の若着という、ロシア人の安全と
いう、ドスキンの着という。ロシア・ドスキンの衣類という、
若着という。

 中国の『ニン、コンヨー』『ニイ、コンヨー』という
『ニン、ホールゥ』という、安全を持つという意という、
中国のそうきょう村という、村
言葉という、さっちすのいろられのおこと、という。中国安全と
いう。緋語という、『ニン、ハールラー』に、中国そうきょう語で
ある。

緋母国の言葉という、『ニッキンピーラー』という、欧州連合の
言葉である、『今日は』という意味である。緋母国をヨーロッパ
という。
昔のアメリカ、ロシアという、
ロシアを、ウォッカスという、ピョートル大帝の頃。
中国を、時、という。
ヨーロッパを、緋母という。色相の言葉使いという、
アフリカを、ウォージスというねウォッコムともいう。
オーストラリアを、りりはま、という。
南極を、ぬんなれ、
北極をねびび、びびはれ、という。
地球を、ジ、という。表記に、Gというローマ字という。
Gツァリーという、Gを名名にとる、セブン・ランドという
色相の言葉という。

アメリカをいう、今のアメリカという、Gの国という、カナー
デラ・ロンルーという、アメリカ色相という。ウォッカスを、
ロシア色相という。じっそくの言いという、色相語のこと
という。古い頃の言いである。ロボット語という、色相
の言葉という。

 柳。

そうきょうよいお書き。
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『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。
posted by 秋残り at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽