
他の拉致被害者の方、お元気で、帰国して下さい。


【曲名】 出発4782 村上
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/07/14
【村上の祖】
若い人が立っている。大きな平らな腹という。
木もなく、荒れ地という、ここに、城が立つという。
むらゆらりという、村由良の里という。村由良の
港という、ここを桜井港という。
桜井のしらせる、という、大鹿のいる桜井やら、
という。鹿むまの・とみ浜という。この『浜』を、
『ゆんたれ』という、桜ゆんたれの・るいらら、という。
にい山のいそみそ、という。
ここの、おしかんべく、という、桜るんという。
この浜を、きっけせ、という、きかるきの・あえられ、
という。あおに原という、村世羅のろきふり、という。
【与作城】
奈良桜井にかかる、新潟の村上の桜井という。
桜井という所が、村上市にある。ここの城の建て
という、たいつつのお立ちという。ここで長くいて、
後、『遠い所へ行く』という、新潟村上の城の
お立ちという。建ちあがる城の、いったき、という。
いったきの城という。これを、桜連はる、という。
村上の城のお建てゆき、という。
村上を与作という、与作の城という。
世羅の期の城という、与作の城という。これを、
あいつぁり、という。与作の城という。与作は、きさ川
の・ろり原という。与作そっきく、という。れるせるの・
るぼせら、という、これを、しきすばる、という。
しきの期の城という。しきそき、という、城をしきと
いう、そきという。古い村上の城を、しきすばる、という。
おやりらの・るごす、という、しきすばる弓浜という。
今の新潟県の村上市という。遠く奈良桜井の
、いくはき、という、しきそきのことである。
これが、桜井管理をとる、そんしる、という。古く、
そっけの城という。そきそきの浮き、という。古い
新潟の村上のことという、そきそき、という。後
とぞそ、おいたりらり、という、村上の歌遣りと
いう、後、歌語という。村上そってす、という、
桜井の言いという、古い奈良桜井の、そんほぼ、
という歌語という。
奈良桜井の歌語を、そりさり、という、そんほぼ
のことである。この桜井のことを、そい芝という。
歌語を芝語という。これが、新潟の村上の芝語
という。しっつとっこく、という、歌語のことである。
村上の歌に、いとしと、という、しませらをかりすり
という。まよるろの・れめさ、という。新潟の村上の
古い言葉という。『さ』という言葉を使う村上という。
『ありらってさ』という、この『さ』のことという、れめさ、
という。
【よぎ、いきして】
『私がいきます』を、『ありすぅっらさ』という、自分を
『よぎ』という。『よぎ、ありすぅっらさ』という、新潟の
芝語である。
『私は城を見る』という、『よむ。ろばっして』という。
『ろ』が城という。『ばっして』という、『みるらら』という
、見ることをいう。この『見る』を、きくそり、という。
『よむ、きくそってす』という、これが、京都の京輸
語という、京由語とも。これを、掛かる言葉という。
『よむ』という自分をいう、『よむ』が、きばせらを、
ついふりという。『ついふり』が、言葉のことである。
【芝語】
みゆぶっぺけ、という、古い芝語の言いという。
言葉を、ぶっぺけ、という、みゆぶっぺけを、
言葉を使うという意という。奈良桜井の、ぶっつり、
という。奈良桜井をよる村上の桜井港という。
桜井の、かんたき、という、かんらぎの・られおんてす、
という、これを、しきさく、という。この『さく』が、後、地の
柵にとる、ちそゆそ、という。芝語のりろ浜という、桜井
港のことである。
どちらも桜をよることという。さっくすけっく、という、これを
、れろるり、という。歌語と芝語を、りはれる、という。
桜井ゆんてき、という、村上ぜっさしょ、という、みゆばらの
るり原という、ここの言いという。後、村上城の言いである。
『御叔父ゆ、おらるられ』という、芝語の言葉という。
これが、奈良の桜井の『御叔父っさ、ゆらっせる』という。
『さ』という言葉の使いという。世羅期の色相語という。
古い歌語のことという、色相語という。
新潟村上の言葉の使いという、新潟の、おいしばれ、
という、色相しっくす、という、しっさすのされっすれ、
という。また、行く、村上という、奥津城ありさらる・
れろすのおろしそ、という。新潟村上の、おろれ春、
という頃の住まいとぞう。
おろれ春の村上という、色相城という、村上城の
ことである。色相の城を『よべ』という、この世の辺り
という。『世』が場所を表す、色相の世という。
場所を自分という、世を自分という。自分がいる
場所という。おろれ春の言いという。
【奈良丹波市市東堂藩】
『世は、すばせりみ』という、『世は、いろすり』 と
いう、世の川文という、文を場所という。これが、
奈良県丹波市市(たんばいちし)藤堂藩の、
春せますら、という、藤堂藩の歌語という。
これらを、桜井管理下の桜井傘下という。
これが村上の城の、かよふっくす、という、
そんしらる。らおすて、という。古語歌語と
いう、らおん・みっくす、という。藤堂らっせる、
ともいう。また行く、藤堂の春、という。
『春』が、言葉でもある、東堂藩の言いで
ある、いこんしま、ともいう。
【奈良桜井】
この日の奈良桜井、大神神社という鳥居まで
水があったことという、緋海という、和船航法の
、みっぺつ、という、後、密行法という。和船の
航法という。柳原という、緋海の鳥居のある所
という。
京都御所内の柳原という場所の掛かりという。
京都御所より奈良桜井へ行く和船という。みゆ
ばってすの・おりるら、という。和船ゆんかす、という。
『かす』が場所を表すことという、春日、春日井と
いう類の『春』という、場所の意という。この通り、
春日、春日井・・・・は、場所を表す言葉で、地名
という。
これの掛かりが、ウオッカスという、今のロシアで
ある。古い日のロシアのことという、色相語という。
色相を尊ぶ言いという。春日ともいう。
【村上の春】
村上の春という、村上の城の建つ前のことという。
後、村上城を建てる。大きな原っぱであったことという。
しつらんせらのお書きという。桜井管理の村上という。
この『管理』を、見る里という、看里。
村上桜井港の、看里ゆらすみ、という。由良原の
住まいという。ゆらっすらのそてしら、という。住まいを
『しら』という、村上の言葉という、芝語という。
【京都御所内柳原を阿部春(あべはる、あべかす)という】
村上城が建った後の京都御所という、後に建つ。
京都山があった頃という、陸環礁のの京都盆地という。
京都市全部が山であったことという。京都御所の
柳原という小さな原に村上があるという。
これを、あべかす、という。あべの場という、京都御所の
柳原という。阿部。阿部春。あべはる、あべかす、と
いう。場所を表す言葉である。
歌語の色相という、これより出る言葉である。
歌語のゆわぜ、という、歌語を介した言葉の解説
とぞそ。柳。
出発4782 村上 :イカスミ柳

他の拉致被害者の方、お元気で、帰国して下さい。


【曲名】 出発4782 村上
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/07/14
【村上の祖】
若い人が立っている。大きな平らな腹という。
木もなく、荒れ地という、ここに、城が立つという。
むらゆらりという、村由良の里という。村由良の
港という、ここを桜井港という。
桜井のしらせる、という、大鹿のいる桜井やら、
という。鹿むまの・とみ浜という。この『浜』を、
『ゆんたれ』という、桜ゆんたれの・るいらら、という。
にい山のいそみそ、という。
ここの、おしかんべく、という、桜るんという。
この浜を、きっけせ、という、きかるきの・あえられ、
という。あおに原という、村世羅のろきふり、という。
【与作城】
奈良桜井にかかる、新潟の村上の桜井という。
桜井という所が、村上市にある。ここの城の建て
という、たいつつのお立ちという。ここで長くいて、
後、『遠い所へ行く』という、新潟村上の城の
お立ちという。建ちあがる城の、いったき、という。
いったきの城という。これを、桜連はる、という。
村上の城のお建てゆき、という。
村上を与作という、与作の城という。
世羅の期の城という、与作の城という。これを、
あいつぁり、という。与作の城という。与作は、きさ川
の・ろり原という。与作そっきく、という。れるせるの・
るぼせら、という、これを、しきすばる、という。
しきの期の城という。しきそき、という、城をしきと
いう、そきという。古い村上の城を、しきすばる、という。
おやりらの・るごす、という、しきすばる弓浜という。
今の新潟県の村上市という。遠く奈良桜井の
、いくはき、という、しきそきのことである。
これが、桜井管理をとる、そんしる、という。古く、
そっけの城という。そきそきの浮き、という。古い
新潟の村上のことという、そきそき、という。後
とぞそ、おいたりらり、という、村上の歌遣りと
いう、後、歌語という。村上そってす、という、
桜井の言いという、古い奈良桜井の、そんほぼ、
という歌語という。
奈良桜井の歌語を、そりさり、という、そんほぼ
のことである。この桜井のことを、そい芝という。
歌語を芝語という。これが、新潟の村上の芝語
という。しっつとっこく、という、歌語のことである。
村上の歌に、いとしと、という、しませらをかりすり
という。まよるろの・れめさ、という。新潟の村上の
古い言葉という。『さ』という言葉を使う村上という。
『ありらってさ』という、この『さ』のことという、れめさ、
という。
【よぎ、いきして】
『私がいきます』を、『ありすぅっらさ』という、自分を
『よぎ』という。『よぎ、ありすぅっらさ』という、新潟の
芝語である。
『私は城を見る』という、『よむ。ろばっして』という。
『ろ』が城という。『ばっして』という、『みるらら』という
、見ることをいう。この『見る』を、きくそり、という。
『よむ、きくそってす』という、これが、京都の京輸
語という、京由語とも。これを、掛かる言葉という。
『よむ』という自分をいう、『よむ』が、きばせらを、
ついふりという。『ついふり』が、言葉のことである。
【芝語】
みゆぶっぺけ、という、古い芝語の言いという。
言葉を、ぶっぺけ、という、みゆぶっぺけを、
言葉を使うという意という。奈良桜井の、ぶっつり、
という。奈良桜井をよる村上の桜井港という。
桜井の、かんたき、という、かんらぎの・られおんてす、
という、これを、しきさく、という。この『さく』が、後、地の
柵にとる、ちそゆそ、という。芝語のりろ浜という、桜井
港のことである。
どちらも桜をよることという。さっくすけっく、という、これを
、れろるり、という。歌語と芝語を、りはれる、という。
桜井ゆんてき、という、村上ぜっさしょ、という、みゆばらの
るり原という、ここの言いという。後、村上城の言いである。
『御叔父ゆ、おらるられ』という、芝語の言葉という。
これが、奈良の桜井の『御叔父っさ、ゆらっせる』という。
『さ』という言葉の使いという。世羅期の色相語という。
古い歌語のことという、色相語という。
新潟村上の言葉の使いという、新潟の、おいしばれ、
という、色相しっくす、という、しっさすのされっすれ、
という。また、行く、村上という、奥津城ありさらる・
れろすのおろしそ、という。新潟村上の、おろれ春、
という頃の住まいとぞう。
おろれ春の村上という、色相城という、村上城の
ことである。色相の城を『よべ』という、この世の辺り
という。『世』が場所を表す、色相の世という。
場所を自分という、世を自分という。自分がいる
場所という。おろれ春の言いという。
【奈良丹波市市東堂藩】
『世は、すばせりみ』という、『世は、いろすり』 と
いう、世の川文という、文を場所という。これが、
奈良県丹波市市(たんばいちし)藤堂藩の、
春せますら、という、藤堂藩の歌語という。
これらを、桜井管理下の桜井傘下という。
これが村上の城の、かよふっくす、という、
そんしらる。らおすて、という。古語歌語と
いう、らおん・みっくす、という。藤堂らっせる、
ともいう。また行く、藤堂の春、という。
『春』が、言葉でもある、東堂藩の言いで
ある、いこんしま、ともいう。
【奈良桜井】
この日の奈良桜井、大神神社という鳥居まで
水があったことという、緋海という、和船航法の
、みっぺつ、という、後、密行法という。和船の
航法という。柳原という、緋海の鳥居のある所
という。
京都御所内の柳原という場所の掛かりという。
京都御所より奈良桜井へ行く和船という。みゆ
ばってすの・おりるら、という。和船ゆんかす、という。
『かす』が場所を表すことという、春日、春日井と
いう類の『春』という、場所の意という。この通り、
春日、春日井・・・・は、場所を表す言葉で、地名
という。
これの掛かりが、ウオッカスという、今のロシアで
ある。古い日のロシアのことという、色相語という。
色相を尊ぶ言いという。春日ともいう。
【村上の春】
村上の春という、村上の城の建つ前のことという。
後、村上城を建てる。大きな原っぱであったことという。
しつらんせらのお書きという。桜井管理の村上という。
この『管理』を、見る里という、看里。
村上桜井港の、看里ゆらすみ、という。由良原の
住まいという。ゆらっすらのそてしら、という。住まいを
『しら』という、村上の言葉という、芝語という。
【京都御所内柳原を阿部春(あべはる、あべかす)という】
村上城が建った後の京都御所という、後に建つ。
京都山があった頃という、陸環礁のの京都盆地という。
京都市全部が山であったことという。京都御所の
柳原という小さな原に村上があるという。
これを、あべかす、という。あべの場という、京都御所の
柳原という。阿部。阿部春。あべはる、あべかす、と
いう。場所を表す言葉である。
歌語の色相という、これより出る言葉である。
歌語のゆわぜ、という、歌語を介した言葉の解説
とぞそ。柳。
【私駄作、京都船歌】
現京都御所東、河原町丸太町辺りを、春日と
いう。古い日の春日野という。丸太町通りより一つ北の
通りを、春日通りという。西大路通り一つ西の通りを。
春日井通り(佐井通り)という、これらの地名が、春を
おく京都の地名という。
京都山の山麓の春日野という、京都山であった頃の
京都という。後、陥没する京都山という、一時、平地
より低い地になった所という、今の五条千本という。
後、千本通りが川になる。島原の鴻臚館という、船宿と
いう、その北の宮がある、古く石段があった所という、
宮の石段である。船の港という。祇園八坂神社という
、石段がある、船着き場である。石段下、西辺りが
池であったことという。
八坂神社の東、円山公園に池がある、この池に注ぐ
細い川筋、これを遡る船という。少し隣りに丸い小山が
ある、ここへ船が行き、円山公園の池へ行き、ここから、
西の下へ行く、石段下の前の池という。この池から、今の
花見小路という、川であった頃という、ここへ船が行く、
ここから、西へ行き、大和大路、当時大和川という川で
あった、ここへ船が行く、大きな船の浮かぶ大和川という、
この川から、南、淀へ行く。後、少しの間、丸山公園東の
小さい丸い小山に船を飾っていた頃という。
私駄作、京都船歌という、京都を船で行き来する頃と
いう。
神社の石段が船着き場であったことという。そこらじゅう
の神社という。
二条所お書きという。
そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。
そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。