2022年07月31日

出発4913 鳴床 :イカスミ柳

出発4913 鳴床 :イカスミ柳

他の拉致被害者の方、お元気で、帰国して下さい。
腹を横に書く。
【曲名】 出発4913 鳴床
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/07/28
【歌詞解説】
  新年の 鳴床の音 楽しくも
  外に一原 中に哀しき

 一原の屋、花遣こりふり、という。中に哀しきと
いう、これを、仲に、という。仲哀の、こりふま、と
いう。てっせむらくの・ろっきす、という。ぱっせらの
たみふみに、とみをとる、てよふる、という。てみ
それの屋という。

 鳴床の音という、この音を秋残音という。
ときさみという、ろとんの言いの、たびせっとる、と
いう。仲は哀しきという、秋を時という。
 時の過ぎゆきという。これを、秋残りという。
やとよとの・といふり、とぞそ。
 外をそんとめの家という。ここに、たとゆと、と
いう、ためせの・といふみが、なるおる、てとよと、と
いう。あおたる・ろめん、という。ろいすくの・つい
浜という。ここを、小池氏という。小池氏の墓と
いう。鳴床の御陵という。鳴きを音という。

 おとすみ山のゆませる、という。小池やんみく、
という。おもう岩、という。六国のすみるら、と
いう。やおややの・ふりすりに・とよせ、という。
あってさっくの・るみせら、という。
 音を秋(とき)という。秋由良(ときゆら)の
お書きという。

 一原の原、ときゆまの・よっぱ、という。
これを、小池氏の言いという。また行く、仲哀
御陵という、鳴床の様という。

 新年という、あらたゆた、という、これを、
秋残りの言いという。ときすら、ともいう。

 あらたゆた またすやこれす ゆみふらる
 おちゆちぬ さいくるすみすみ

という。あらみっそくの・るちふち、という。一
原という原の地という、一原野地の仲哀陵
という。仲哀天皇という、仲に哀しきという。
仲哀の意である。仲を中という、時の過ぎゆき
という。大お爺さんおられる、たっとれの御陵と
いう。

 中は哀しき、時の過ぎゆく、とまられの家と
いう。そみたるのお言いという。たいする・とてんす、
とぞ。

 新年という言いをする、小池氏の言いという。
あらたゆたの・るみさり、という。また行く小池氏と
いう、地のことという。小池ふみるら、という、
ゆんませの・といふり、という。後、この小池氏の
地を、つませた、という。つみつむ・れろん、という。
小池氏の墓という。仲哀御陵である。

 さいざんの山という、さいするやおその、という。
仲哀御陵のある地という。一原の原という。
さんざい、という、さい山のことを、ざれん、という。
山を、さんざい、という。さいざんという、さんざいの
みさんそく、という。みれてすの・といふり、という。
小池ゆんまし、という、こいろくの、小池ゆわ浜と
いう、いつそる・てきす、という。これを、とん芝と
いう。小池山のお据えという。みさんそんはるの・
くゆくゆ、という。またゆたのお絵という。

 仲哀という名の、いぱはれ、という。哀しき・
ゆっぴす、という。てんそむの言いという。

 新年という、おりっとすの・てよふす、ろんはる、
という。ろんめるの・おいせら、という。これを、
ろぶす、という。大阪ゆ・はんなま、のお言いと
いう。

 新年を、なましる、という。あたらゆら、という。
新年の来る所という。ここの、こそゆり、という。
ゆりの花のことという。ゆりらまのおち、という。
御地という、ここの、こしいそ、という。兵庫県の
芦屋という場の糸夢という。糸夢御陵という。
小池ふんすむ、という。小池の名のいわれと
いう。我が名、小池義也という。私の名という。
さいざんの御方という、その御方のお教えという。
さい山の世という、仲哀陵の辺りという、さい山
の世という。後、小池おんため、という。
大阪ゆはっせらの場という。仲哀陵の鳴床と
いう、みったす御音という。新年の音という。

 古く、丘鳴、という、丘が鳴く地とぞそ。
造りに、鳴きの造りがある地という。新潟長岡と
京都長岡の丘の鳴きという。この地も、これが
ある。仲哀陵の鳴床という。古いこけゆり、と
いう、百合の花が咲く丘という。小池百合の
ゆまれ、という。

 私の小池義也という、ゆりなりの義という。
これを儀という。新宮殿のいわれという。
ゆりなりの・おみやふみ、という。新宮殿の
ときゆらぶ、という。新宮殿を、みとやるら、という。
みとの浜ゆり、という。浜の家の御絵という。

 古く、ときおられ、という。ときやきの・すみさま、
という。といといの・るりしる、という。

小池義也文、さんざいゆらふらのよ。
そうきょうよいお書き。

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2022年07月30日

出発4920 桜井乙(塩田) :イカスミ柳

出発4920 桜井乙(塩田) :イカスミ柳

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音楽
【曲名】 出発4920 桜井乙(塩田)


    創曲、理科柳雪広・正(やなぎ)  2022/07/29
    造詞、冴柳小夜・正     2022/07/29
    監修、そうきょう連      2022/07/29
    挿絵、香 淳時正             2022/07/29
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ACID ソースネクスト社
  バンドプロデューサー  カワイ社
【歌詞】正里
桜井の塩田 空にけぶりたなびき
そぎのより あわずしろやま さとのやま
おさやきく ふぬなる こぞきひら そちすらる
ふいざみ たよさみる といざら あなうかれ
そいしる せのすば そきしら おらるはら

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/07/29
【歌詞解説】
【 】
塩田のことを、さくらら、という。さくてす、という、
みよっぱさずの・おとゆめ、という。さくらという、
しみせらの・れおん、という、りょっ国のとみ浜と
いう。これを、とみしざ、という。しぽすらの・
れてそめ、とという、桜の木のことという。

 せのすば、という桜の木のことをいう。
せとその、ともいう。るいはるのとみしざ、という。
るるてるのお言いという。桜井管理の言葉と
いう。

 塩田のさくらという。桜の木ともいう。これを、
はますまれ、という。塩田と桜の木という。この
桜の木の利用に、一つが判子を作ることという。
古く、きとま、という、判子のことという。これを、
きとますめ、という、押印のことという。これで、
他の木の判子も、きとますめ、という。
升目ゆらふみの言葉という。判子に四角い
枠をつけることという。今の一般的な判子で
ある。社印等に使う。

 やなぎをとる判子という、これを正という。
正印という。これで、名前に正を付ける呼び
という。桜井の古い呼びという。敬称という。
前田正(やなぎ)という、小林正(やなぎ)という。
安全をとる正(やなぎ)という。

 小池正(やなぎ)という、呼び呼ばれという。
こいけせい、という、呼びとも。

 小池正(やなぎ)という、名前に付けられた
呼びという。やなぎ判という、正印という。

 台形の上が開いた判という、これを、しょっくす、
という。上が閉じた、しょっぱす、という。
四角の判子も同じ呼びである。桜井管理の
言いという、判子の言いという。
丸い判子を、そんれら、という。
五角六角の判子を、そば、という、そばしら、
という、そばかま、ともいう。
 皆、判子の印字を正という。うたすめの山と
いう。桜井すっくす、という。判子を大切に
する話という。桜。

 塩田の話という、塩のあませる、という。しおまの
くめほめ、という。塩を尊ぶ言いという。塩の意と
いう。安全を意見ことという。葬式に塩をつける
ことという。家へ帰るひに、玄関先で、それを手
などにかけることという、後、それを踏む、一般の
作法という、安全を手にとることという。塩の安
全という。塩田を尊ぶことという。桜井乙という
場所のことともいう、塩田があった頃という。
岩塩の塩もあつたことという。桜色の岩塩と
いう。火山のある桜井の頃という。緋海の初
期の頃、少し塩があったことという。辛い緋海
という。

 黒白の岩のように固まった塩という、桜色の
岩塩という、黄色い岩塩という。この頃の緋海
という。ひおれという海獣がいた、あざらしがい
た頃という。緋海はっつれのお書きという。
この文、柳青山敏夫文である。
しょっ国の世という頃の桜井の緋海の塩の文
という。後、京都の小池義也の文という。
小林里ともいう人ともいう。小池山の御絵と
いう文である。

 緋海から水を引き、塩田という、後、緋海が
少し小さくなった時、底に塩が残っていた、ここ
を塩田という、桜井乙という場所という。

 楽譜添えの絵の小池印がうってある所、小池
という池があった所という。小塩園という。
山の右手の方、渡会(とかい)氏という場所という。
桜井管理賛歌という場所という。後、大きな桜
井市という。桜。

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。

柳、黒。
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2022年07月29日

出発4910 皇居新宮殿(芦屋からの飛行) :イカスミ柳

出発4910 皇居新宮殿(芦屋からの飛行) :イカスミ柳

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音楽
【曲名】 出発4910 皇居新宮殿('芦屋からの飛行)


    創曲、理科柳雪広・正(やなぎ)  2022/07/27
    造詞、冴柳小夜・正     2022/07/27
    監修、そうきょう連      2022/07/27
    挿絵、香 淳時正             2022/07/27
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ACID ソースネクスト社
  バンドプロデューサー  カワイ社
【歌詞】正里
君ととも 住まいする
春おわら そのきられ
芦屋よりの飛行 つれる
きざ 夢 新し御殿
そうきょう鳥の羽振り喜ぶ

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/07/27
【新宮殿の住まい】
【芦屋からの飛行】
 芦屋からの飛行という皇居新宮殿へいった
時という。当時、西宮北口、明石、芦屋に
飛行場があった時という。この飛行場の芦屋
という、ロング・ワットンという、古アメリカの
フォートワースのカナダ空軍という、飛行法と
いう、この飛行法の踏襲という。同じ飛行法
である、他の二港もそうである。嵐の中の
飛行法という、突風の中の飛行法という、
フォートワースの空軍のカナダ法という、
カナダの飛行法という。後、映画になる飛
行機という。オールレンテスという、みそむの
航法とぞそ。『芦屋からの飛行』という映画
という。みったすの・ちみふり、という。
かんさむ・れとせろ、という。
【芦屋塩田】
 芦屋の塩田のあった頃という。この頃の、
がっぽれ、という、がもそめの・りとりろ、という。
芦屋の塩田に住まいをした頃という。そこの
大叔父御上という、『御父御上』『御父君』と
いう若い人の呼びという。
『御母御上』という呼びという。塩田住まいの
頃の小塩塩田という、**塩田ともいう。
そこに住まって、いつも一緒にいた人という、
今も健康でおられる人という。
【明石、篠山】
 この近くに、明石の御叔父御上という明石
の城の御方という、その御方と、西宮のおた
やまり、という、そこの御方々という、出石
(いづし)のもめゆら、という、出石藩という場
所の御方々という、兵庫県の方々である。
篠山うやきゆり、という所の御方々という、
篠山のしとゆみ、という場所のいとさまるの
屋の御方という、これらの方々と芦屋から、
今の皇居の新宮殿という所へいった日とぞそ。

 そこで住まいをした日という。うららおわら、
という頃の歌という。今の東京のまたるら、
という、桜井管理という、とうほべ・やむ
ふら、という、とんべらの・てみそめ、という。
またゆたのおきゆり、という。桜井管理の
ことのいいという、皇居の言いである。

 他に、京都の御縁の御方、京都の塩田
の御方、桜井の御方と御同行という、総
勢百名ほどのお行きという。
【新宮殿より神戸三宮鶴楼へ】
 この新宮殿の日に、神戸三宮の鶴楼
(かくろう)という場所へ行き泊まり、マッタケ
山が、普通の形の山になっていたのを見て、
東京の麹町という、鶴楼(かくろう)の御方々と行き、
城をぶぜという、ぶぜに泊まり、新宮殿へ
一緒に行く。ここで、合流して住まいをした
ことという。
【東京、ぶぜ麹の城】
 ぶぜ麹の日に、今の、はなゆら、という場所
という、ここの講義という、公儀表密という、
講義の聴収という、聴講のこと、表密の聴収
という、麹町の言いである。城の中の講義という、
周りの方々とも一緒という。後、麹町の少し大
きな寺の同じような建物で、人員輸送の会議
という、これに出席して、新宮殿へ戻る。麹町
の人員輸送の会社の興しという、今の京都、
大阪、神戸の辺りの会社という、有名な会社
である。ここの興しの会議という。

 新宮殿のいたやまのお講という、会議のような
講義という。これを聞き、隣りに芦屋から一緒に
きた御婦人という、一緒に聞いたことという。
新宮殿の住まいの一日という。
【全国各地からのお越】
 東京を、そだそら、という、新宮殿の言いと
いう。そだそら・ゆんます、という。この新宮殿
の日々に、全国各地からのお越という。新潟
酒田、新発田、長岡、北海道のあいとり、
旭川、根室、沖縄の首里、座間、九州大
隅、鹿児島、熊本宇土、四国宇和島、
土佐高知、岡山鷲羽山、山口小萩、
鳥取双城、島根の境、近くの城、京都宮
津白院、秋田の司山、森恐山、岩手釜石、
大槌、会津若松、群馬前橋、他、皆、御親
戚の御方々で、かまりという樺太の古い名と
いう、和国きんぱら、という、ここの御方という、
ロシア人ともに、来られ、石川輪島、香川能
登という四国の御方、徳島の三木ふまら、と
いう場所からの御方、他の地の方々、皆来
られた御方々という。今の日本の僻地、
秘境という場所の御方々もこられていたことと
いう。

 これらの人々の御訪問という、新宮殿の日
々という。そだそら・ゆんますの、といはまれ、と
いう。たっきすれっくすという、そうきよう語の解
説である。上の文である。記憶ともいう。
そうきょう語での記憶という。
【奥日光への旅】
 新宮殿から、奥日光への旅という、妙齢の
御婦人という、その御母御という、若い人が
御母御上と呼んでいた御方という、弁当を
作られ、隣の席に二人座っておられその隣り
御父御上とおよびしていた御方という、
御母御の隣り若い人という、後ろ、京都の
ひとしば山の御方という、バスでのことという。
すらせらり、という、多摩の辺りという、そこの
行きという。たくさんの人が住んでいた皇居と
いう、新宮殿以外の建物という、京都の人、
桜井の人、・・・・・各地の人々という。

 京都の御方という、京都ひとしば山の京都
の小池塩田の御方という。『朕がゆのみら』と
いう、この頃、朕といっていた若い人である。
大お爺さん大お婆さんおられおらるれ皇居と
いう。

 この日の京都二条城、あいがまれる、と
いう。『がお原』という、『がお原ゆっせる』と
いう、塩田の言いという。御母御上お教えの
お言葉という、小塩塩田の御母御上という、
芦屋の御母という。『おはは』とお呼びする若い
人という。古由良のお行きという、れるんてる・
うりよっしす、という。旅を『しす』『しず』とという、
よまっせの言いという。旅をすることを、『しずん
れ』という、『しずんれ、さっさく』という、これが、
塩田の言いという、そうきょう語である。
京都の塩田の言いともいう。

 妙齢の御婦人という、今も御健康の御由、
御喜び申し上げます。この頃の若い人、自分
を、小池義也といっていたことという、若い人が
御尊父より賜った御名という。小池家の人と
いう。**塩田の御名です。新宮殿にいた
時の名という。

 若い人の家の裏、若い人の大お爺さんが
お住まわれ、御名を『みのゆり』と仰せられ、
ロシアのモスキートへよくいっておられたこと
という。円盤のあった時である。

 新宮殿を、こかさま、という、めんとせの・
ろいふみ、という、京都七条大門の言い
という。おるろんでる、という、新宮殿の、
あたひまられ、という、みゆよんてすのお
言いという。七条大門のはせゆられ、という
場所のお言いという。大門そっくす、という
言葉という。新宮殿での生活の言葉の一
つである。ういろってん・ぱっくす、ともいう。
 この頃の新宮殿、麹町城にもあった
ことという。おうれるさんぱくの・といほい、
という。れるっての・るいっすり、という。
ここで、小池と名乗った話という、ろいとくの・
るいらり、という。らるっての・おいとい、という。
あぱせらの言いという。
【名古屋城っ則(なごやじょっそく)】
 『小池でございます』という、この『ござい
ます』という、後の名古屋交白という、名古
屋城出の言葉とぞ。名古屋城での生活と
いう、ここを、じょうたら、という。じょうみすの・
てろれ、という。古く、ちおせら、という、ちよ
せら、ともいう。名古屋よっ国の言いという。
名古屋城外という、えむよんてき、という。
城外にも住んでいた、みばっせの・あてゆた、
とぞ。れてる・そめすら、という。これが、名古
屋城の尾張という、のふせつれ、という、れめ
ての・とりふり、という。城を『ふつ』という、
名古屋城での言いという。

 『ほんだ、もうれ』という言葉という、名古屋
の言いである。京都七条大門記録所はせべ
ふらるのお書きという。今も『ほんだもんで』と
いう名古屋人である。
【京都七条大門のおまつ)】
 名古屋城っ則の『じょ』という、ジョグレガー
という、『じょぐれして、すっぱら』、じょぐれす六
国の言いという、京都七条大門の『ジョグ』と
いう、自分を『じょぐ』という。『じょぐって、じょ
ぐって』という神輿担ぎがある。ここの祭、じょ
れってす、という、七条大門の古い宮の祭と
いう。後、桂の桂御浜る、という祭の初期の
頃のことという。じょぐれさ、という祭の、おまつ、
という、後の祭という。
【淳和院節のまつだく】
 この『おまつ』、淳和院節の頃の『まつだく』と
いう、『まっとく』という、まらせる・るもす、という、
『だんじり』のことという。
【東京麹町城のだくせま】
 麹町の『だくせま』という、麹町城のおまつ、
という。東京青山是の『おまつ』という、後の
皇居の、江戸見おうれる、という、青山是と
いう、東京一帯をいう。九段もうぜる、とも
いう。九段のお言いという。『だくせま』という
、『たんじす』のことである。『たんじつ』ともいう。
東京津軽屋という、そこの『おまつ』である。

津軽ゆんとせ、ともいう。つめっせ、ともいう。
だんじす六国という、ろいはっつく、という。
ここの祭である。若い人がいた、『だんてま』で
ある。京都ズヒャーの修道女院に似た鉾と
いう、だくせま、という。『じょこせっか』という掛け
声の『おまつ』である。津軽屋敷お書きという。
『じょこせっか、ろっくろっく』という、だくせまの
掛け声という。
【青森県】
 森に引き継がれている『じょくせっか』と
いう、森の『じゅんるる』という、津軽しょっ
国という、津軽由良ららの・おゆらら、という、
祭おわっされ、という、おわらのことである。
【桜井管理、政府】
 森、津軽、秋田、岩手一部を、じょ、
という。桜井管理の、あきずらふ、という、
桜井管理のさんるめ、という、政府の要衝
という、あおらんるらの・ろめそ、という。今の
政府のような桜井管理という。この政府の
ようなことを、るまれら、という。東京、新宮
殿で、まいそり、という、まるされの言いと
いう。皇居の青山是という、青山晴(あお
やまはる)の言いという、まいそり、という言
いである。政府をよる桜井管理という、
かいっそめの・らもす、という、むらせらのお
言いという、後、今の、政府という言葉で
ある。
【桜井八角】
 桜井八角という、みっさる、という、幕
府の表密という。ばくせられ・たふらす、と
いう。京都宮津白宮という、ここの、どっ
ぽれ、という、どくさる・るめる・せよてよ、と
いう、宮津白院の、るまれる、という。
これを、桜井発覚という、桜井八角とも
いう。政府の要衝という、桜井の、みっか
め、というみそるるの・ぺっぺす、という。
政府を密閣という、桜井論の言葉という。
みっさらの・おびしび、という、かくすれの・
いそみる・すられ、という。
【オクトロン、政府の要衝】
 八角のオクトロンという、政府の要衝を
オクトロンという、チェリッシュともいう。これを、
ぺちかむよめ、という。イギリスの『The
Individualism and the Socialism』という、
『個人と社会主義』という、著書の 
Petticoat Governmentという言葉の、
掩体という。掩体という大岩の作りの建
物という、ここの ペチコートという。
掩体のことをペチコートという。
これをチェリッシュという、社会主義をチェリ
ッシュという言葉という。チェリッシュ論という。

 イギリスの古い、きこらみの・つりふり、と
いう。イギリスの古い書籍の、かくかり、と
いう。幕府の、とのゆみ、という、はなての・
ろし、という、これを、ようす、という。要衝
のことという。
【チャッカス】
 政府をチャッカスという、てっそれれの言い
という。古く、名古屋の城の言いという。
幕府の頃の政府という、これを、ばくせる、
という、チャッカス、チェリッシュ、という。

 政府の要衝を、がっぱれ、という、がばれ
る、という。がんその・ろいふる、という。後、
かんそく、という、幕府の中の政府という。
せいたるの・ばいふり、という。これの言いの
、ばくせら、という。政府を、ばい浜、という。
これが、浜をとる城という、城周りを浜と
いう。京都の二条浜という、二条城周辺
という。宮城仙台の言いという。これを、
いたちみる、という。だっ国の言いという。
仙台をだっ国という、だとめと、という。
だるっせるの言いという。

 政府をとる浜の言いという、これを、
いたちざら、伊達皿という。いたちという
言いである。伊達正宗(いたちまさむね)
の言いという。政府の要衝という、いたち
浜由良という。要衝を、めらせる、という。
ろゆんての・みのそ、という。
【ペチコート・ガバンメント】
 これを、ペチコート・ガバンメントという。
イギリスの政治という。古い頃の、ロンドン・
みらせむ、という。ソーシャリズムという。
個人を、インディビデュアルという。

 イギリスの著者を、そてすて、という。
この『そてすて』が、『そち』という、祖地。
時代劇に出てくる『そちは?』という、
これが祖地に当たる日に、そちと人をいう。
これが幕府のとめふみ、という。とめふみの
言いという。時代劇では、人のことという。

 『そのほう、』という、京都府園部城の
言いという。『砲』の場合があることという。

 これが、個人の言葉という、インディビ
デュアリズムという。社会一般の言いを、
ソーシャリズムという。ソーシャリズムの
原義である。チェリッシュ論の一内容
である。

 政府の要衝という、よかせらの・おっぱく、
という。政府のかなめである。場所がかかる
要衝という言葉という。若い人が話という。
その人のいる所を、かいけけ、という。イギ
リスの古い時の、ロンドン・もうらま、という。
ペチコート・タウンという、ロンドンの一区
画という、現、ハイドパークの一角である。

 古く、ハイドパークに、ペチコートがあった
ことという。『アイソ、アイソル』という名の
掩体という。ここを、チェリッシュという、横が
宮殿である。チェリッシュ・コートという、
掩体閣、掩体角という、ハイドパークの
角である。イギリスの私という、ここに住ん
でいた。その時の『個人と社会主義』の
著者という、ロンドン大学の社会学の
先生という。

 ロンドン大学人類学教授という、『若い
人を見よ』と仰る、御講義という。『人類と
は?、答えなさい』、『私です』と答えた
若い人という。この頃、レスター原人から、
人になった若い人という。以前は、『猿で
す』といっていた人である。秀吉さんのこと
という。『この者、二足歩行の猿人である』、
レスター発行の原人証明書である。
私の宝で、今は旅行中、手元にはない。

 この頃の日本という、まだ天皇がなかった
頃である。人得庭という、類人猿から人に
なった若い人という。仁徳庭という場所と
いう、ハイドパークの一区画である。立県
民守という世の山の話という。
【ロンドン・バックス】
 この頃の、ロンドン・バックスという、ロンドン
幕府である。時代劇の代官姿の脇差しと
いう、この格好で行ったロンドンという。この
頃のロンドン、日本の着物を着ていた人も
あったことという、イギリス人である。
 ジョージ五世という、ロンドンでも着物を
着ておられたことという。また、御宮を建て
られたイギリスの御方という、袴姿の神社
着である、後、お寺で一緒に住んでいた
ことという、京都の有名寺院という。

 芦屋からの飛行という文の記録添え書
きという。
そうきょうの小池義也書。
そうきょうの小池正(やなぎ)義也署名。

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。

柳、黒。
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2022年07月28日

出発4900 緋海あざらし :イカスミ柳

出発4900 緋海あざらし :イカスミ柳


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音楽
【曲名】 出発4900 緋海あざらし


    創曲、理科柳雪広・正(やなぎ)  2022/07/26
    造詞、冴柳小夜・正     2022/07/26
    監修、そうきょう連      2022/07/26
    挿絵、香 淳時正             2022/07/26
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
春の浜 鳥がとんでる 川流れ 桜井の
火の山 煙あげている 家は川傍
おられおらる御叔母 着物着の
頭の布巻 あざらしを 連れ奥へ

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/07/26
【歌詞解説】
【緋海の景色】
 緋海の川 少し遠く 煙をあげる山
家に住まうあざらし、緋海へ出ては帰ってくる
昔の桜井の一景色。浜に小舟がゆれてる。桜。

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。

柳、黒。
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2022年07月27日

出発4890 桜井味間港 :イカスミ柳

出発4890 桜井味間港 :イカスミ柳
腹を横に書く。
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音楽
【曲名】 出発4890 桜井味間港


    創曲、理科柳雪広・正(やなぎ)  2022/07/26
    造詞、冴柳小夜・正     2022/07/26
    監修、そうきょう連      2022/07/26
    挿絵、香 淳時正             2022/07/26
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ACID ソースネクスト社
  バンドプロデューサー  カワイ社
【歌詞】桜井正里
味間港へ行けば 火を蕗上げてる 山、前
雄々しくとも厳かにも 恐れ見て おろがみ
船はゆきゆく 港へと 錨降ろし 火を上げ
山、目前大きく見え 浜へ歩み 手振る
一段と無大きく火を噴き上げる 気がふるえ
 

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/07/26
【歌詞解説】
 桜井の海、ろけ港から船に乗り、味間港へ行く。
船から見る、火を上げ、煙る山、だんだんと大きく
見え、浜辺へ着き、降りれば、一層大きく見えた。
磯野辺布間槍(いそのべふまやり)という山という。
 目の前に煙り、火を上げる大きな山。
原始人の世界という。幕府代官の格好の若い人
という。
 今は、その浜もなく、陸地だけの味間の地。
桜井管理天白という、山祖のおりらり、という。
桜井緋海のその頃の景色という。ろけ港から
味間港まで、少しの距離で、徒歩でもいける
距離という。桜。

『あなしろや ゆまはなれるる そいるる せんてす』
という。ろいおっきしの・ついつい、という。ろすきすの
お書きという。桜井の古いそうきょう碁という。れれ
てる・るいはらのてよるら、とぞそ。

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。

柳、黒。
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