2022年06月08日

出発4552 そんとみ :イカスミ柳


他の拉致被害者の方、お元気で、帰国して下さい。
腹を横に書く。
【曲名】 出発4552 そんとみ
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/06/07
http://akinokori.sblo.jp/archives/20220601-1.html
【京都市雲ケ畑】
 らっぺそっぺの言い、これを、そんとみ、という。
雲ヶ畑のいそゆま、という、一粒の屋という。
みよよっぺせ、ともいう。推喬神社の中の一粒の
屋という。階段上がってすぐのところという。

 この小さな屋に住まいをした、そんかけ、という。
童謡の、『いちかけ、にかけ、さんかけて、しのきばや
しの、ごやおかけ、むりむりやあさん、どこへいく、私は
九州広島へ』という、色んな歌詞がありますが、思
い出したところで、間違いはないとおもいますが、・・。

 この言いの、ごやおかけ、という。ごみそろ、という。
雲ケ畑もんぺす、という、めるよってすの・いびしび、
という。またよたの・あってすったか、という。これが、
といらくの・れほる、という。柳。
やっぱれいすくの・いもそみ、という。たあれるろわん
の言いという。こっこくすの・もてふみ、という。とわせ
らの・とんけく、という。これを、てっさみ、という。
ろろよんと、という、れっべせの・あいそり、とぞそ。
といさまの言いという。さってすの言いともいう。

 これが、そうきょう語をとる、京のすよすよ、という。
そうきょうろっくす、という。ろっぱのくいさい、という。
『言葉を食べる』という言いをする、れほるのいそゆき、
という。この『ゆき』が、言葉の対応という、たいする、
いとみす、という。れるおってす、という。みよたっくすの
ぺぜせ、という。みよよっての・かんすらく、という。
これを、ろてんぺっさび、という。御所こんけす、という。
おちゆちの・いとよす、という。これが、皇居の話という。桜。
【芝の皇居】
 うちがいた皇居の、たっぱれ、という。皇居を、
たよしば、という。これを、芝の皇居という。
 今の、たつみら、という。これが皇居の言いという。
皇居にいるときに皇居を、たつみら、という。
この『たつ』を、竜菊という、古く、柳菊という。
これが、柳の顔を『む』という、むれすれ、という。
後、むうひと、という、柳の顔を、りゅうがん、という、
柳がお、という、むうひとの言いという。のち 、『むう』
を『むつ』という、これが、『むつひと』の名の興りである。
【睦まじく】
 これで、『むつ』を睦まじくという、睦弓のことの言い
そり、という。めるん、という、めっべすの・おりこる、と
いう。睦まじい人という、光仁天皇という、村人の
ことをいう、むつりやまふり、という。村の人と睦まじく
という、睦人の言いの謂れという、名前になる言葉と
いう。楡。
  
 これの論が、めってみし、という、めってる論という。
睦人の語論という、睦人の言いの言葉の説明という。
後、めるせれ、という、れんてすの・いとみす、という。
これを、れてさめ、という。ばんせる、ともいう。後、
睦夢日々という、むつれの山のお絵という。
これが、光仁機の造りの文である。

 光仁機を作る人という、光仁やっぱし、という。
『やっぱし』が作る意味である。らるんてす、という、
ええるそん・ふぉっくす、という。えるらるの・るいらい、
という。これが、これが後、るい、という、るいみその・
えとめら、という、るいぱっくす、という。
あるーふぁーるんらーの・あるさい、という。ゆみさりの・
ありすまら、という。
【明治天】
 めいじてんとし、という。これが、明治という空
の名前という。空を名付という、空の言いの明
治天という。空が明るく治まっている状態という。
これに、明治世(めいじよ)という言いをする、
明治天発という、ジェット機の空のことをいう。
明るい空で、見透しのよい空をいう、この時の
ジェット機の発という、神峯山へ行くという、
わかゆき、という、若い人の行きである。
これさんゆきの山という。鮫。
 
 山を、とてすま、という。とてすま山ふらのお行きと
いう。神峯山へ行く、ひなやまのおしうし、という。
ひな山越えて行くという、いばせらのおいそい、と
いう。これを、むいるみ、という、むい槍の越えという。
むい槍が枚方山のことである、枚方大山という、
大きな山で、ふいさまのゆりふら、という。
5000以上ある山である。京大山という、これより
高い枚方大山という、平弓原由良という、
ひっびしのおいれ、という。これといの夢という。
これが枚方の名の謂れである、ひっびしの夢という。猿。
【秋芝る】
 秋芝るお揺れ、という。秋行きの・といらみ、とい
う。あゆんよんてすの・事弓、という。琴を芝様とい
う。芝様謂れのお書きという。芝という言葉のこと
である、言葉を芝という、大阪高槻の神峯山寺と
いう、ここの言いという。そうきょう語全般の言葉で
ある、芝という。

 秋篠由良文という、ゆゆよんての・おりよっくす、
という、ゆゆてす、という。これが、芝語という言いの
言葉由良という。言葉を使う所を由良という。
秋由良ふらべ、という、べもんてら、という。これが、
『べ』を『辺(べ)』という。この『もん』が『門』である。
べもんという、そうきょう語の、あきゆらみの・えれそれ、
という。えるらる・おりしば、という。
【高槻市神峯山寺】
 光仁天皇勅願所という言葉が使われる門という
大阪高槻の御門である。これをとめる神峯山寺と
いう、とどめるとめ、という。とめるという、おくという意
である。神峯山寺の言葉使いという。とどめるえん
とれ、という、るりらるのおんりそ、という。これが、朱
塗の紋の謂れである。とめゆらふご門、おん門と
いう。お寺の御門という。古い謂れのお寺という。
秋篠身の言いという。秋篠の宮ふらる、という。
【秋篠】
 推喬機の秋篠の人という、推喬神社の謂れと
もいう。秋篠りん落という。秋篠落ちのじんたく、
という。秋篠のみそれぎき、という、話を聞く人と
いう。これを、菊秋という、あいらくの・るいはり、
という。『はり』が場所を表す言葉という、針と書く。
これが、としやりの言いという、針という、場所という
意味で使う言いという。よいふま、という言いでもある。

 針ヶ小路という、こっしゃる、という、こい芝の言いと
いう。いそるられ、という。りみとし、という、らぶんせま、
という、みそたみ、りるてる、るいしら、れっせせ、と
いう。針ヶ小路という言葉使いである。

 また行くお寺という、神峯山寺という。懐かしい
寺であるります。『あるります』という、古い寺の
言葉という、やむせらの寺ゆや、という、言葉遣い
である。あるさんつうの言いという。

 『あるりますやってさ』という、『あってゆって』とい
う、光仁朝の言葉である。光仁天皇の言葉使い
であるります。後、『あります』という、これを、るり
ひぶ、という。れれっさという、れらっさ、とも。
ありすっきる山のお書きという。
【全国の秋篠という場所】
 秋篠林の寺由良という、秋篠のあれさっきさ、
という。秋篠歩きの寺という、秋篠の歩きという、
秋篠の木がある、あるきふま、という。秋篠林の
るめすま、という。ここをねしのるら、という。むみ
さらの・ありすみふみ、という。これが、寺の意味
である。私の秋篠名という、秋篠というおみ山の
名である。全国至所に秋篠という場所がある。

 これが、秋篠という名をつけた日ぃのお書きと
いう。土地所の秋篠という、高槻を、秋篠めら
る、という。隣の茨木を、秋篠ゆん、という。
京都伏見の桃山御陵隣を秋篠村という。
そこらじゅうに、秋篠という所がある。光仁と
いう人である。その人のお付けである。
【明治明示】
 秋芝の世のお書きという。古く明治という、
明示のおん門という、お寺の、明示という、
光仁天皇勅願所という、明示明治の御門
という。秋篠の頃の泊まりという、秋篠といって
いた頃の私の泊まりという。秋篠という人である。
これを、れとみた、という。秋篠の言葉使いである。
れとみた秋芝という、後、あきしぶれ、という。
秋渋という、秋きかくら、という、これを、めのす・
りりふり、という、れぶんらっくす、という。
【高槻の芝】
 秋篠のごめふめ、という。秋篠ゆんばれ、という。
秋ゆらふ山という。神峯山寺のことでもある。
また行く神峯山、我が秋篠のぎみくっはば、と
いう、針由良のありうっしす、という。これが、
秋篠の言葉使いである。秋篠という場の言葉
使いとぞす。また行く人という、石碑も昔のまま
である。高槻のおそるか、という、高槻の芝様
という、しったしの言いの話という、本文である。

 高槻の言葉のありようを芝様という、言葉の
話という、芝様という。高槻の光仁語である。
芝世花のお世、という、高槻らんとせ、という。
たかみしゃきのそいしり、とぞそ。

【文作:秋柳篠目(あきやなぎしのめ)2022/06/07
 卒倒の山の御名】
あああああいいいいいうううううえええええおおおおお
そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。
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出発4560 山越え :イカスミ柳


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音楽
【曲名】 出発4560 山越え


    創曲、理科柳雪広・正(やなぎ)  2022/06/06
    造詞、冴柳小夜・正     2022/06/06
    監修、そうきょう連      2022/06/06
    挿絵、香 淳時正             2022/06/06
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ACID ソースネクスト社
  バンドプロデューサー  カワイ社
【歌詞】正里
赤池よどみの 花咲く赤く よはなれ
色を見る はよしげり はよしげる
そのさき きよきら 花咲く小枝
空から見てた時 少し波 たち興り
雲ヶ畑 後にして行く 園槍大き越え
平揺山越え 神峯山の里へ

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/06/06
【歌詞解説】
【大阪の枚方山】
 京都の南に大きな枚方山という山があった。
京都盆地を囲む南の山という。この枚方山が
大きかった時の名前という、平揺山という。
【光仁期の操縦桿を握る】
 京都市雲ヶ畑を出て、名神の南インターの
近くの赤池という所を越えて、平揺山を見る。
ここの神峯山寺という。枚方野山という、今
も山の中にある。ここが今よりたかかった時、
飛行機で行った時という。これが、行幸という
、当時の言いという。光仁機の操縦という、
飛行機の桿の握りである。きよっかく、という、
操縦桿の握りという。これを、きよきよ、とい
う、とうやりの言いという。

 また握る日があるという、やおやよのやん
びし、という。当時のほとゆみの言いとぞす。
また行く枚方、神峯山の里という。変わら
ない場所という。
【六角】
 柳きったれという、柳を見る言葉という。
そうきょう六角という、名詞の文法の角で
ある、後、格という、六格である。
【名詞の六段活用】
 六格の活用という、きすれす、という。
そうきょう語の六格という、名詞の活用で
ある。六段活用の名詞という。
やなよりはまけかの、おりゆり、という。
六段に活用していく、そうきょう語の名詞
である。光仁機という飛行機のとめふら、と
いう。御所山という、そこのカツさり、という。
当時の神峯山の御所という。平弓浜らめ
、という。猿。
 寺を六足という、てぴつ、という、てそれそ、
という、ちみすよの・ていほい、という、ろしかま、
という、後、寺という。これが、『寺』の六段
活用である。寺が最後に残った言葉である
という。六段の一番下の活用である。
 ちその活用という、名詞の変化形という。
これが、時間を入れた、名詞という。
 寺という下の活用が、当時の時を物語る
活用という。古く、六足という、寺の言葉という。
この六足が、まだあることという。六桿という、
ろくよすのおいそめ、という。
 これが寺にある言葉の古い言いを残す
寺の言いという。六足の寺という。後、枚方
の町の作りという、六桿やっき、という、町の
作り方という。かんせるお作りという。寺の
ことの言いにある、町作りという。

 名詞の六段活用がいわれる、そうきょう
ろっくすという。古い枚方の言葉である。
枚方論都という、枚方のゆっぴふみふみ、
という。枚方の町を興す、ゆんばれみら、と
いう。古い枚方の里の言いである。鮫。
【おしゃまの言葉】
 またゆり浜ゆか、の言いという。いいれる・
さまれみ、という。おうじゃま、という、おしゃまの
そっぱす、という。おしゃまのありやま、という。
そこの言いでもある。大阪の城の近所である。
ここと、大阪曾根崎南である。イオントーブと
いう所とぞそ。大阪きゃっくれ、という。
そっぱさの・いとみと、という。これが、この文
の言いの、つみさり、という。後、曾根崎心
中という、言葉のことである。心中という、
言葉のことである。曾根崎やんる、という、
そっぽそ、という。この言葉のことが描かれて
いる、曾根崎心中の物語という。近松論
という。枚方の出のことという、一つの論で
ある。
【京都南の赤池】
 この頃の歌という、赤池という京都の
南の赤池である。ここのたいさま、という。
赤いことを、たい、という。あかたいやみ、という。
これが『たい』という言葉の一角、二角である。
三角を、みつばる、という。四角を、ろそめ、と
いう。五角を、るする、という。六角を、
あか、という。『あか』が六段目である。楡。
赤が残った話という。六段目が残る、あるしっと
の残しという。あるさるのいそゆらのおいさい、と
いう。おいさい残しという。言葉を残すことという。
 これが、そうきょうの残しである。光仁期のこと
という。これがまた出る、若い人の口とぞそ。
光仁の人という、神峯山寺の住まう人である。
ここの教えである。大阪こっそこのいとゆと、という。
大阪山のお絵という。
【敬宮】
 としのみやという、敬宮と書く字の意味という。
若い人の古い読みである。そうきょうの読みという、
やなふまるの言いという。やなぎ読みという。
やなまるの言いという。としのみやの人である。
そうきょうろんとめの人という。ジェット機の使い
という。この頃の宮家である。桜。

 神峯山を宮という。古い日のことである。

『だっせわいさ』という、そうきょう語が、この文
の意味である。『だっせわいさ』の説明という。
だつれつの意とぞそ。六角段という、六段
活用の名詞の言葉の説明という。
枚方の言葉ともいう。

 神峯山詣での歌という。私の駄作という。

 やみ、よい、よいがやり、もせ、ふま、あれ、
という、六段の活用という。これが、『やみ』の
言葉という、これの活用である。他の活用も
ある。やみ、よい、ふまあれ、という、『あか』の
言葉の活用である、この日、四段活用という。
今の古語の活用である。そうきょう語の活用
という。その頃の話である。柳。

 赤い木が咲いていた頃の赤池とである。
『とで』の言いの場という。赤池という。
そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。

柳、黒。
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