2022年06月03日

出発4546 一粒屋 :イカスミ柳


他の拉致被害者の方、お元気で、帰国して下さい。
腹を横に書く。
【曲名】 出発4546 一粒屋
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/06/02
【推喬神社】
http://akinokori.sblo.jp/archives/20220601-1.html
 推喬神社の赤い鳥居を登っていった所の
一粒屋という。二段目の右の写真、四段目の
写真、一粒屋という。ここに住んでいた人という。
雲助の住まいという、雲を下に見る造りという、
推喬さんのお住まいという。小さな一坪の造りで
ある。これたかき、我が清き心、という。推喬
親王という、雲ヶ畑の神社の住まいという。
 若い人の誇りという、清い心でおられますように、
という、若い人の願いという。また山せまる場と
いう。神社の神々しさという、清いかん様の、
ゆのふみやりねという。かんさりゆきみ、という。

 雪降る日の泊まりという。寒き日に在りと
いう。これを、これたか日という。雲ヶ畑の、
厳か言いという私の清い心という。
 これが推喬神社の由縁である。

 ゆいゆいの山という、ここの謂れという。
雲が降りてきたという、雲山のすり様という。
推喬さんという、神社を呼ぶ呼びという。
京の言いの一つとぞ。八坂さんという、その
類である。
 
 推喬宮(これたかみや)という、きょんとき、という、
雲ケ畑の言いという。京都弁ということにとる、
れれおるのいそみ、という、いそのゆみ、という。
めるせれの言いという。京都の古い言いを、
きょんとき、という、るりきょん、という。
あせちゆり、という、汗が地の意という。この
地という、汗一滴の地という。一坪の地という。
私の住まっている屋敷という。一坪の坪屋敷
という。神社の地とぞそ。

 ここの雲助である私という。私の好きな家で
ある。清い心になるという、そこの住まいを、
称える人という自分のことという。雲助になる
という日人とぞ。若い日の住まいという。
【雲仙人】
 京の北山奥屋敷という、山宮の神道という。
親王の人という。宮に住まう人という。推喬宮
るれ、という。『るり』を『るれ』という、雲ケ畑の
言いという。これを、雲仙人という、推喬さんと
いう言いの人ととぞ。雲仙人の御地という。
おちゆちの言葉という。るりさんるり、という、
これを、るれほまれ、という。これが、雲ケ畑の
しみやりねという。しみ言いである。言いをやりと
いう。この頃の言葉とぞそ。推喬さんの住まいと
いう、私の好きな住まいである。柳。
  
そうきょうよいお書き。
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『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。
posted by 秋残り at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽