2022年06月13日

出発4580 王子篠 :イカスミ柳


他の拉致被害者の方、お元気で、帰国して下さい。
腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック

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音楽
【曲名】 出発4580 王子篠


    創曲、理科柳雪広・正(やなぎ)  2022/06/13
    造詞、冴柳小夜・正     2022/06/13
    監修、そうきょう連      2022/06/13
    挿絵、香 淳時正             2022/06/13
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ACID ソースネクスト社
  バンドプロデューサー  カワイ社
【歌詞】正里
篠村の八幡さん 楊の旗立てて
今おられ 坂々に 踏みに踏む足軽き
恨みの裏切り尊きの よよおよよ 篠槍
大江山のおわす時 かなの王子ゆれ
鯉しかに ゆみゆれら れてかなれ


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/06/13
【歌詞解説】
【王子篠(おうじしの)】
 王子篠という地名、今の国道9号線、王子の
交差点、小さな交差点です。ここから篠村八幡
宮へいきます。車で5分ほど行くと、**神社があ
り、これを過ぎて、篠村八幡宮へ行きます。柳。
【旗立楊】
  旗立楊という楊(やなぎ)の木があります。 
足利尊氏が旗を立て自分の所在を知らせた
場所てす。桜。
【篠村】
 古い格式高い神社です。古い昔、私が
住まっておりました篠村です。この時の歌です。鮫。
 
 大阪高槻神峯山寺に住まい、下山して、鍬山
神社を経由、王子の交差点、篠村八幡宮へ
行きます。この王子の交差点に、『かな』という口の
意の言葉を充てて、『かなれたんそみ』という言いの
地点になる。これが後の、口丹波という丹波の地
の初めの頃の地名という。丹波口の出所という。
京都を丹波という、しんらべの言いの住まう山という。猿。
【丹波そっきょす、亀岡れるすぜ】
 これが、やまそ(山祖)の言いの元をいう。山祖篠
角(やまそしのすみ)という。れてそれの言いという。
ここへ行くことを、きょうすり、という。言葉を添えて、
きょうすり行き、という。また、かなれて、という。『
れて』が、『行き』の意味である。
 かなれてという、『きょうすみ、きょうすり』のことです。
『丹波へ行く』という、『かなれて』という、『きょうす
み』『きょうすり』という。この言いが、古い、篠村
りやふら、という言いという。猿。
【崖】
 この『りや』が、『りやふら』の『りや』が、『れて』の
意で、『行く』という意味という。この『りや』を、もと
すび、という、もとのみ、ともいう。『ガレリヤ』という、
『ガレリヤ』の『リヤ』という、『れて』という意味です。
『がれれて』ともいう。『がれ』が、崖の意です。
崖へ行くという、崖を見るという意とぞすと。

 後、ガラシャという、この『シャ』が、『れて』の意
とぞすれ。細川ガラシャという、細川のがらへ行く
意です。『がら』が崖の意です。がらしゃという、
崖へ行きます、細川の崖へ行く言葉という。
場所が、長岡京市の辺りという。

 これで、明智光秀、細川ガラシャという、崖
工事の話です。

 余談、パレスティナ、ガリラヤという、ユダヤ教の
地という、ガリという、ガリラエという、崖の一種という。

 これで、崖掛かりの話で、細川ガラシャのキリスト
教、耶蘇キリという。これが、亀岡の霧という。耶蘇
霧という霧の一種である。
【明智光秀、恨み、裏切り】
 高槻市〜亀岡市〜長岡京市、という、崖の頃の
亀岡の話という、明智ガラシャともいう、明智の地の
崖の話という。細川ガラシャの悲劇という。
恨み裏切りにあったという、明智の浦見という、浦切
という。明智光秀の愛宕へ行く話という、かなと越え
という。この辺の地名という。

 駄作者の非情な解釈である。これが正しいとも
言葉を添える、おおかなの家という。大口という、
入り口の王子という所である、大口という場所とも。
大口王子のしのばゆ言いという。篠場由。

 明智光秀の暗い日とという。『織田がこね』という、
織田がつきそう明智光秀という。日光東照宮の祭
られという、家康が明智光秀を祭ったという。
『うらぎり』の尊さという。足利名字という、足利村と
いう、楊の旗立てたという話のことという。
楊っしょれてすか、という。れてす闇のこいふみ、という。
これを恋文という、楊の旗の謂れという。りりさる、と
いう、りよの山の麓という。若い人の住まいである。

 『細川ガラシャ、よっとしょ』という、細川江という。
細川ガラシャのことを細川江という、細川の江という。
【大江山、篠槍】
 丹波の大江山という亀岡の大江山と、篠槍という、
切り開く大工事の話という。若い人の活躍という。
位人であるという、位の人です。後、小豆の丹波
大納言になるという、位豆(くらいまめ)という、大納
言である。まめな人という、位の人である。暗い人
と書くことという。これは駄作者の書きである。
恨み節のお書きという。うらうらうらやましい人という。
うらうらうら若い人とぞそ。八幡さんの人という。
うら若い人である。恨み裏切りの若さという。
わっくさく、という。若い人の話です。

 明智の江には霧が出る、これを、あかんきす、と
いう。浦にかかる霧という。あかんぎり、という。これが、
霧夜(きりよ)の裏切りという、霧とも。明智の浦である、
これを裏という、内裏という、大裏という。明智の御所
身蚊(ごしょみか)という。御所の明智という、若い人で
ある。日光東照宮の人ともいう、明智光秀という。

 明智光秀につく、織田信長、徳川家康という。
明智が指揮をした、細川ガレガルリラという。
園部〜亀岡〜長岡京という場所の崖の工事という。
これの続きが京都の崖である。9号線五条通りと
いう、崖があった所という。魚の棚という道名の場と
いう、『棚』が『崖』である意という。棚のつく所が崖
の地である。若い人の地理学という、駄作者の教え
という、若い人の言うことである。うらはなすお書きと
いう、うらを話すお書きです。

【楊】
 楊、やなぎという。これを、字を表現して、ようの
やなぎ、という、柳との違いを表す、楊(よう)のやなぎ、
という。
 楊楊冠様(ようりゅうかんさま)という。どちらもやなと
いう木ですとぞそ。ちんそきのいやふり、という、
みすてすの・ちれせら、という。みよとの言いという。
これを、みよっとす、という、てんさらるの・いそみす、
という。磯宮の言いという。古い京都の、かんたき
すの言いという、かんりすの言いともいう。りりてらの
ゆま、という言いという。れるれるおよっすろの・そいふら
という。れてそる山という、ふみ山のことという。これを、
ぶんざん)文山)という、書家の名になる、ぶんてす、
という。
 一方、踏み山という、とうざんという、これを、ちよ
ふまる、という、ちよちよのふみ、という。るるおりの
言いちよ、という。るりさんたく、という、みっそ芝と
いう。みるれすの言いそ、という。みたよすの言い
という。亀岡の古い言葉という。篠村山ふり、
ともいう。篠村の言いです。

 また山のお書き柴という、後、文語という。篠村
八幡の話言葉の古い形の言葉という。後に、文語
になることという。後、口覧柿(こうらんがき)という。
るみすみのいとすよ、という、言葉を、すよ、という。
篠村の古い言葉という。明智の足利という、明智
ゆんまくの・いとゆと、という。どちらも、あてよとの
言葉という。明智開白ともいう、明智語のことです。

 これらの言葉を、そっこく、という、即刻と表す。
即刻語という、文語の古い形の文語という。
一例に『そうざらえ』という、『そうらえ』の古い形とい
う。古形文語という、足利語ともいう、篠村の言
葉の古い言葉という。篠村ゆらふみ、という。
ことことの言いという。またよまのお言いという。
これが、旗立ての柳よか、という、よかよかのういふり、
という。よかりら、という。みみすのるいはる、という、
皆、用語である。はるやる山のお絵という。ええつ
らの・ろいそい、という。るるてる・るみすて、という。
後、この『すて』が、『ステー』になる、今の英語の
stayという。るうるるの・きよはく、という。清白の
英語という、篠村八幡の英語です。

 『ステーラッション』という、すいすいの英語という、
篠村の旗立て語である。楊の木旗という、はってす、
という、はりたりのお言葉という。『はり』という、
旗立ての言葉です。『あっしょすっすく』ともいう。
これが、楊の旗立てという意味の小戸はです。

 古くの足利という、足利山のきもさま、という。
るけすけのいとせれ、という、みよぱのぱよ浜と
いう。浜床のいよはる、という。るいさの山のお絵
という。えんてらす・るいさり、という。この『えんてら
す』が後、天照らすになる、これを、てんてる、とも
いう。てっしゅらすく、という、らすきいらっすく、という。
れぶんすらの・すていしょんるぶ、という。るるするい
や、という。いやという、家のことという。おいやという、
お家のことである。いやさかうのいや、という。
やさかという、やさかの言葉のごもれく、という。
語源のことです。ごもれくさっくんのお書きという。

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。

柳、黒。
posted by 秋残り at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2022年06月12日

出発4572 光仁の世 :イカスミ柳


他の拉致被害者の方、お元気で、帰国して下さい。
腹を横に書く。
【曲名】 出発4572 光仁の世
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/06/12
【鷹亀藤】
6:39 2022/06/12

『篠村八幡宮』亀岡市
思い出は 深くありて かなの口
篠の八幡 旗立ておられ


『光仁の糸』高槻市
これたかき たかたかつきの 神峯山寺
ふかふかゆきた おぶひとのかげ

『二条の世』
ふたゆちと おぼゆててその ふたみやら
むられるかわの たかながれ すら


『二条の鷹』京都市
たかゆられ はなつるききに とみゆらる
たるたせゆゆる はなれそいふき


『長岡天神』   長岡京市と新潟県長岡市
きょうよまに とおくいまする たかおきて
てんじんゆみに 八郎の地行き


 富山論とれ、という、みみその・ういたす、という。
古い、きょうららの・ういよってす、という。
古きの山のお絵という。

 京都推喬という、雲ヶ畑の一粒の屋の住まいという。
うれしい山の御世という、およよの・おんてき、という。
うりうりなすの・けんつき、とぞそ。るるする山のすわる
けそ、という。これを、山の絵という。光仁山のお書きという。

鷹亀藤とぞいう、高槻、亀岡、藤が京都の意。
れれんつせの言い、とぞそ。柳。

御叔父御上おられおられ、やあやあ我はとぞ仰り里。
長岡ゆ、ゆてふ、そんという。れもよんせすの・言い
ぞる、とぞ。むゆむゆのいそむみそ、という。
るるすれってすの・ろいっくす、という。
これを、高槻ごゆれく、という、ごめせの・いそゆら
、とぞす。るみすみの・といす、という。
 またよる山のお絵とぞそ。また来るおよ、およよすの
おんせらる・いとよとの・いみすみ、とぞそ。
この書きのことの葉という。ことという木の葉とぞ。
れれて木よよもの・うりさり、という。
とふれすの山のお絵という。また行く山という。

 亀岡篠山という、篠槍の頃の篠村とぞそ。
亀岡篠町王子付近から、篠、鍬山神社下矢田
辺りの、木のことという、こと木、ことの木、
ことの葉木、ことの木葉という。れっするおり
れすの・ゆいそ、という。うっつる・かっすけ、
という。御親戚ゆ、おられおられ、鍬皿の御地と
いう。おってる・さっくすの風という。

 みわよっとのいいその・とりす、とぞそ。
後を、といきく、という地とぞそ。光仁の
お世の地という、鍬山すん樽という、たる
さるの・およふってき、とぞす。

 およよきたすら、ろりすり・るりよってす
の、いよっす、とぞいう。またゆたの・える
さら、という。御世(みよ)光仁のおよよすら、
という。光仁期の推喬家(これたかや)、
飛行機の飛ぶ山奥の神社という。
御叔父御上ゆ、ありるさりたらの、れっせせ、
という。またゆたのいいそ、とぞそ。れれすの
・ゆいさる、またくるよ、という。

 よがくるよくりの・すいとい、とぞす。
夜がまた訪れる、明けてぞ、あすのすりふみ、
という。山奥の一粒の家(や)の夜の明かし、
静か静かの雲ケ畑、私の古い記憶とぞす。

 ここにいたという、私という。推喬さんの
岡山録という。山を岡という、やっつるすきの・
言いうたという。うたを歌という、文のこと
という。歌山のお書きという。後、歌家(うた
や)という。またよまの唄という、最初の
五首の唄という、これわかゆきの歌という。
そうきょうすという言葉の意という、たかよっかすの
言いという、そうきょう語のこととぞ。
そうきょうすの五七調という、たありる・さんた
すの・ういっさす、とぞす。ゆいそのお書きという。
いっそす・やっくす、という。ゆい山の絵という、
たりすらの・たしたし、とぞす。

 駄作です。

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。
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2022年06月11日

出発4570 鍬山神社 :イカスミ柳


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You would click music piece.
音楽
【曲名】 出発4570 鍬山神社


    創曲、理科柳雪広・正(やなぎ)  2022/06/11
    造詞、冴柳小夜・正     2022/06/11
    監修、そうきょう連      2022/06/11
    挿絵、香 淳時正             2022/06/11
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ACID ソースネクスト社
  バンドプロデューサー  カワイ社
【歌詞】正里
鍬山神社に参りみる いわれは尊きの
屋根と おごそかな造り 高槻から越え
亀岡へ 摂津峡越えまた越えて
下矢田の交差点 懐かし霧の
村里かな

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/06/11
【鍬山神社】
 きてみれば、昔よく来た亀岡の神社。
古い昔の神社です。私の故郷という。
 鍬山さんのお影ですという、くわすむの・れい
てそ、という。
 きょうかなれて、という。そうきょう語の使いという。
『きょう』が、かや槍という山のことという。
『かな』が口の意。
『れて』が『行く』の意。

 『かや槍の麓へ行きます』という意で、少し
たかい山があった頃のことという。これが、い
のうの屋とぞそ。

 かんたりきす、という、みをよるれむて、とぞそ。
みそんふっくす、という、京都のおりかる、とぞそ。
るみさんまくの・いおりか、とぞそ。ゆみゆみのお
り山という。やんまむの言いという。そうきょうの
言いのことである。亀岡の古い言葉という。
けむせらの・るりおっぴし、という。柳。

 いそやま村のお言葉という。古く 、足利よま
はる、という、足利語という。足利のゆませまの・
おりそる、という。これが山の言いである。古い
よそごその言葉である。そうきょう語の頃の亀
岡である。かよう・らっけん・すっぱく、という、
かよう楽のお言いという、亀岡のれっけす、
という、足利闇のおんたれ、という。
おんりるのお言葉という。

 また行く神峯山という、高槻の字大原の寺
という。古いお寺である。私が少し住まっていた
という、かよう楽のお寺という。亀岡の技芸で
ある、高槻のあうわれ、という、あうよっつの・
しみふみ、という。高槻の言いである。神峯山
寺のことという。また行くなつかしのお寺という。
またゆまのお行きという。

 私のはまその住まいという、少しの間の滞
在という。おじおらる・はやよまる・おんたり、
という。また行く話という。

 推喬さんのお蔭という、鍬山さんのお引き
山という。また来ますという、れるよっつのよみ
よまれ、という。懐かしい所です。猿。

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。

柳、黒。
posted by 秋残り at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2022年06月10日

出発4556 鱧のたこ焼き :イカスミ柳


他の拉致被害者の方、お元気で、帰国して下さい。
腹を横に書く。
【曲名】 出発4556 鱧のたこ焼き
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/06/07
【鱧のたこ焼き】
 鱧のたこ焼き。石棺とうろくの食べ物。
鱧をせという、たこをにという。
せにとめという食べ物。

 鱧がよわねをいう。よにねる、という、
よによにのやおいれという。鱧肉をたこやきに入れる
食べ物のことという。よにねるの食べ物という。
御所のろいさい、という、九州の食べ物という。
昔の日本の食べ物である。柳。
【鯨を飼う人】
 これを食べる世の日の絵という。鯨を飼う
京都の日という。鯨という、大きな魚という。
これを飼っていた京都の我が家という。

 高い櫓へ登り、鯨に声輪出す。鯨ゆんびれ、
という。この日の京都を鯨京という。今の世にある
大きないけという、この池のある頃という。内陸に
いる鯨という。私が好きな鯨魚という、鯨である。桜。
【鯨が応える】
 『またさわ、おより』という、鯨の、こいかわのてきすら、
という。てっからやき、という。鯨の答ゆえ、とぞそ。
こたゆえ、という、鯨の答えることという。
 鯨が声を聞いて、潮を挙げて答えることという。
この鯨、まだという声を出す鯨で私をまだという呼
びをする。まだが繰るという鯨の潮の噴き上げという。
【鯨を呼ぶ】
 鯨を呼ぶ私の声という、ホーという、櫓からの
呼びという。私の好きな鯨という。この鯨にはもと蛸
を渡す、上げるという、鯨の好きな食べ物という。
これを自分が食べるという、鱧のたこ焼きという。楡。
【伊能山、石棺家】
 石棺という日の、食べ物という。石棺の山の
おきさみ、という。石棺を山の上に置く、いのの
いっぱさ、という。伊能という、いおしおのおき、
という。いとせれ、ともいう。又見る石棺という、
若い人の家のことの言いという。石棺家という。
いおしお、という。石棺闇の言いという。これが
ある話という。鯨棺という、石棺のことという。鮫。
【そわななの家】
 鯨の家という、石棺のはゆめら、という。
鯨がこの中に入る、寝床という。鯨の寝床
をいう。石棺のことという、鯨を石棺魚という。
大きな岩で作られた鯨の家という。
そわななの家という。

 大お爺さんのお言葉という、そわなな、という。
鯨のことである。『なな』という魚のことである。
そわななという、大きな魚のことという。『そわ』を
大という、大きい意とぞそ。私の好きな言い方と
いう。鯨を、そわるら、という、そわね、という、
そわす、という、そわねろのいすかや、という。
『いすかや』が石棺である。
【石棺魚、あまざと】
 石棺魚のお書きという、京都鯨京のことという。猿。
伊能山にいた鯨という、山の鯨という。後、
今の柳市という、そこへ連れて行き、一緒に
住まうことという。石棺という、鯨と一緒に寝
ていた、石棺家のゆり山という。今の奈良の
柳市の藤堂藩という、そこの石棺という、
ゆらめ、という。そこに一緒に住み、後、
池を掘り、そこに住まいを与えという、住まい
の池という。大きな池である。その鯨の喜び
という、私の前で、立つ姿という。しろながす
鯨である。また見る鯨という。鯨が好きな
若い人という、柳市の、天里絵(あまざとえ)と
いう場所という。後、宗教教団という。宗教
教団のなる前という、後、宗教教団である。
大きな池があった所という、丹波市市(たん
ばいちし)という。
【丹波市市、紅葉漫】
 その丹波市市の役所にいた私という、丹
波市のこうようまん、という、紅葉漫、公用万
という、今の役所の勤務という、ちょうこうよう、と
いう、丹波市のとりやみはま、という。今の宗教
教団の建物が、その仕事場である日という。
【公用所】
 今の教団が拝殿といっていてる場を、
公用所(紅葉所)という。もみじを飾る公用の
場という。まったれという、まったれ所という。
もみじを、まったれ、という。この拝殿を中心に
その四方を、建物で囲む、これが完成してい
た時である。のち 、この市法話囲む建物を、
所々、壊して、歯抜けの状態にする。これが
私の、仕事である、市の仕事という、公用万
の仕事である。長く、潰したあとのコンクリートの
塊がごろごろしていたそれぞれの歯抜け地である。
【柳市の職員】
 ここに長らくいた私という。市の職員という、
古く藤堂藩の幕府改め方勤務という。天皇
さばれるという、天皇させやりという、天皇を
さすれという、天皇を査察する役目である。
御所査察という、御所の幕府の査察の役目
である。それぞれの天皇は、皆、私の査察を
受けていることという、そういう頃の若い人である。
【丹波市市藤堂藩改方】
 ラテという鼬の大きな鼬とともに、仕事をして
いた私という、この頃、近くに動物の園があった
ことという。藤堂藩どよりる、という。東洋の動
物という、たくさんの動物で、たくさんの種類と
いうこれがたくさんいた所という。藤堂藩の
役目でもある。ラーテルのお御所という。
大きなラーテルである。馬くらいの大きさで
ある鼬である。この頃、東山が日をあげて
いたことという、丹波市の東山である。
丹波市市という頃の話である。公の場の
人のお書きという。いかすみ入りの墨書という、
いかすみ入りの炭を使う丹波市藤堂藩の
文書である。藤堂のやお、という、てよそよの
お改めという。私の仕事である。天皇査察所
の勤務という、お改め方よりはられ、という。
はるらるのおんゆら、という。

 藤堂藩勤務という、私の出勤簿である。
大切なものという。今は、旅行中である、
どこにいるやら、私の懐かしい、篠山青御
という、青山高等助という頃の公の証明書で
ある。藤堂藩の証明という、幕府の判という、
その横に、京都御所の菊判が打ってある、
証明書である。
【ニューヨーク市発行のワールド・パス】
 どこにいるやら、証明書のことという、懐かしい
私の証明書である。世界へ出て行く日の、全
世界通用の旅券でもある。ワールド・パスという。
ニューヨーク市庁の横の署名と判である、ぶん
き山の証明という、ニューヨークの市長という、
市庁舎の模様の判子という、その判子と横の
署名という。宛が私宛である。世界のパスで
ある。永久パスという。
【フランスの全仏証明】
 これの横に、フランスの全仏という頃の日の
子午線フランスという、子午線仏の、ぱりやり
という、今の仏のパリの市長の署名という、
その市長の名前の判子という、これが押して
ある、全仏地球場という、地軸がパリを通る頃の
全仏のオール・フランスという、ドゴール論所という、
証明を論所という、ドゴール論の言葉という。
地球の代表をフランスという日の、子午線という、
地軸が変わっていた頃の言いという、この日は、
全仏の日で、フランス・リーダーの日という。
地球を代表する国という。この日のフランスの
証明である。全仏証明という。原始人私の宛
で、フランス大統領の使用名という、だいそれの
お用という、後、フランス首相の証明という、
全仏の証明で、ブーズー語とフランス語で書か
れた証明書という。ジスカールという人の判子と
署名である。世界に通用する全仏の証明書で
ある。よってそのおしょうめる、という、これを、
ふつゆつ、という、日本のそうきょう語という。
ジュッソムレマという、当時のフランスそうきょう
語である。ふつぶつ山のお絵という。この証明書
も今は旅中である。どこへいっているやら。
【全時フランス、永久フランス】
 鱧のたこ焼きという、私の証明書のお書きという。
全世界の証明書がある、査証という、旅券という、
全部、永久証明である。全時フランスともいう、
永久フランスという。その頃の証明である。地軸と
フランスが書いてある、フランスの花文字という。
EQUという証明書である。全時フランスという永久
フランスの証明である。フランス・リーダーの日の
ことである。
【ブルーネット】
 青山高等助で、ブルーモー(網)という、ブルー
ネットという、青い表紙の証明書である、パス
ポートとぞそ。外務省内の、青山きんらくという
場所の発行という、日本の菊印という、菊の
判子が押してある、我が名の横という。
名が秋残りという本の著者である。全世界の
通用という、査証ともいう。裏判が押してある
公用通商という青山の判という。外務省の
青山所の発行である。これも永久である。
どこへいっているやら、私の証明書である。
旅行をする証明という、証明お書きである。 

【文作:秋柳篠目(仮名)2022/06/07 卒倒の山の御名】

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。
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2022年06月09日

出発4554 高槻 :イカスミ柳


他の拉致被害者の方、お元気で、帰国して下さい。
腹を横に書く。
【曲名】 出発4554 高槻
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/06/07
【高槻】
 高槻を、しもすけ、という。秋篠の言いという。
てもんそっきす、という。こっしらの山という。ておゆろ
の・りりさら、という。これを、けもん、という、りり由良
の言いという。後、空きゆられ、という言葉使いという。
れもんたっくす、ともいう。秋さりふりやらの・りろりろ、
という。高槻の古い言葉のことを、りりさみ、という。

 高槻を、しもりる、という。りみせらの・るいおっぴす、
という。これが、しもすけを、ちいさら、という。ちいさ
らの・いこしか、という。しかをゆまという。後、言葉を
つけて、しかゆま、という、ゆまりるの・すりかっかかう、
という、すりすりの言葉という。

 高槻の、しもせゆり、という、こんしらのお言葉と
いう、高槻の方便をいう。高槻の方言を、てよふ
まる、という。古い日の高槻の住まいの頃のことと
いう。きょっとん・ふっくく、という、高槻の言葉とぞそ。

 『みろ』という、みっさらの・るいさり、という。みっく
すれっくす、という。みっくすの山の言いという、れっ
くすのかぞすりの言葉という。かぞれらの・るいおっく
す、という。これが、高槻を、そっきょく、という、
そっくす、ともいう。そみしられの言葉という、されっ
その・いそびる、という。この『びる』、『まなぴる』の
『びる』という、古語にある学びの学びるという。
学ぶという意の学びるである。

 この言葉を使う高槻の古語の使いという。高槻
が古語を使う場所である。これを、古語ゆき、と
いう、古語みし、という、ゆりゆっきしのおそゆき、と
いう。おってすの・ていほい、とぞそ。高槻の出来と
いう。光仁期の出来という、光仁山のるみしら、と
いう。光仁山の『山』が、天皇のことである。山を
天皇という、高槻の町という。

 神峯山を、かぶゆらふ、という。かぶめら、ともいう
。かぶいから。そのゆみ、という、神峯山の言葉で
ある。これが高槻の出来の元である。神峯山から
始まる高槻市という、これを、山興しという、山れ
るの興しという。れるおんつの山という。れるおんの
津という。れってそ、という、れみっする、という、
れれて、という、れぶんつの山の言いという。
これらを、れるおんたてす、という。
てっしょすうらあの言葉という。てっしょ語という。
高槻の方便のことである。

 丹波亀山る、という、亀岡のことという、亀山と
いう。高槻と亀山を、てよすら、という、これを、
明智かが、という言葉使いという。かがしょ、という。
かんっせらるうかす、ともいう、かがしょのことという。
高槻と亀山のことという。

 これらの地域を、よろ、という、よろせる山という。
後、よど、という、今の京都の淀城という、この城の
言いでもある、かがせら、という。高槻、亀山の言
葉である。古く、よどゆらる、という、よど語という。
めるよんての・おいっさらみら、という。みらすらの言
い、という。また山のお言いという。かぶしらそんく、
ともいう。

 またよってのお行き、という、地域を地行くという、
地行きという、地域という。これが、地のお遣という。
おやりゆり、という、ちっそるっそ、という、てよする、
ともいう。そっくすれっく、という、そくてす、という。
みよるらのお書きという、みそよその意味という。
山々のお書きという。

 また行く高槻の話という。また山の行きゆそ、と
ぞそ。この『とぞそ』の言葉が、たかゆかし、という
言葉使いという。たかゆかしの言葉の絵という、
おえるらの・るりやり、という。言葉山のお書きという。

 高槻を、こっしく、という、京読み、という、高槻
市のできた頃の言葉という。高槻ろんとく、という、
ろんどく、ともいう、論得、論読。

 ろみそみのかけふみ、かけすけのよみふみ、という。
れろよってすの・くいほみ、という。なかそよ山ふみ、
という、れろっす、という。これらが、高槻のそうきょう
語の方言である。

 『わがゆわら、てまそよ』という、おわらを『ゆわら』と
いう、高槻方言という。この『ゆわら』の言いを、向日
町語という、高槻の市民の言いという。自分のことを
よそのことという、よそ言いの高槻という。高槻語と
いうひぃに向日町語という、京都府の向日町を指す。

 これが、向日町の芋山のいえ、という、宇と書く。
八紘一宇の意である。高槻の出という、八紘一
宇の言葉という。世界を八紘という、一宇を一家
という。世界一家という。昭和の頃の言葉である。

 八紘一宇の山の言いという。昭和山という、八
紘山という、そこの言葉である。高槻の神峯山とい
う。そこの寺の山である。八方照らす意という。

 昔の神峯山という、大枚方山という、5000の時の
言いという。5000mの高さという。この時、京都山
6000mである。後、高槻のひらるら、という。一旦
平地になってまた上がった山の出来という、この時、
一挙に7000mの上がりという。

 これが、書かれている、小林光仁の署名の書と
いう。光仁天皇という書きである。枚方山を光仁
天皇という、小林光仁は、私の住む所の意である。
光仁山にいますという意である。小林の住まいの
ことという、そこにいた話という。小林推喬という、
推喬神社にいたことという。名前のように場所を
表す日人の言いという、この言いの出という、
高槻論という、高槻にいたことという。論が
場所である言いという。小林という、小さな
林のある所という。そこの住まいである。
光仁天皇の言いという、山住まいの話である。

 八紘一宇という言葉も山住まいの言葉である、
昭和の言いという、これを、昭和天皇ともいう、
山住まいの人である。昭和山の頃という。
八紘一宇山の居住である、昭和天皇住まいと
いう、光仁天皇の頃という、勿論、明治連れで
ある。皆、山の話である。

 『秋篠林のもとをかけ』という、童謡の話という。
『いちかけ、にかけ、あきかけた、とうおりばやしの、
 あきをしの、しのしの、にいかく、やまそられ、
 わたしは、四国のやまをよる』という。
秋篠のけんつめ、という、けんびしの四国録と
いう、つるぎ山の話という、このつるぎ山を、あきの
み山という。あきののぬのゆら、という、つるぎ山の
ある辺りという。四国剣山の山という。ついついの
おるそり、とぞそ。そって立つ山という、剣山ろっとく
、という。これが、神峯山の秋篠林の意味である。
篠という植えという、詩のを植えた話という、れろ
はる、という植えという。これが、秋かす、という植え
の言葉という。『かす』が『植え』である意とぞそ。

 秋かすの篠山(しのやま)という。これを、れせぶる、
という、あきかすのことである。

 しったすの言いという、またせるむせそるそ、という。
せるむせその言いという。れむそのゆいから、という、
かられってすの言いという。ゆいそのおりさら、という。
高槻の言葉の意である。

 八紘一宇の高槻という、亀岡へ行く時の山越え
という、山の頂をいうひぃのすりより、という。すみしざ
で、ておす、という、ておすろっくす、という、高槻の
越え平という。これが、高槻の地中の時である。

 山が沈んで地の中までいった高槻の地という。そ
の時の言いである、八紘一宇の言いという。これが
上がり平地をいう、平地の高槻という、この頃の
言いが、今の高槻の言葉である。言葉の抑揚に
これがある。高槻の平調子という、後、音楽の
調子になる。枚方山というひぃの、たかゆかれ、と
いう。枚方山のふもとの高槻という、この時の高槻、
ひらすらふ、という。高槻の古名という。

  これが八紘一宇になる話という。あがって世界
平(せかいびょう)という、八紘しょっくそ、という。世界
平を見る高槻という、地中から上がってきた高槻
という、ひらすらふの頃という。言葉が平調子である。

 こうゆらのおりきき、という。れおてってす、という。
これが高槻の宮のあきすき、という、後、秋篠原と
いう、篠植わりの平地という。しびばさのるりるり、と
いう。おばゆらのお書きという。柳。

【文作:秋柳篠目2022/06/07 卒倒の山の御名】

そうきょうよいお書き。
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『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。
posted by 秋残り at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽