2022年04月30日

出発4340 桂尾宮 :イカスミ柳


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音楽
【曲名】 出発4340 桂尾宮


    創曲、理科柳雪広・正(やなぎ)  2022/04/30
    造詞、冴柳小夜・正     2022/04/30
    監修、そうきょう連      2022/04/30
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ACID ソースネクスト社
【歌詞】正里
桂浜弓 はなれ 今朝乗る 原子力の
機関車 厚い木で作られた線路
御叔父上御叔母上おわす
浜桂宮園 春之

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/04/30
【桂離宮】
 桂尾宮、後、桂御宮という、後、京都里という。
京都に、桂離宮という所がある。今の、京都の
西南、八条大橋という場所とぞ。桂川が流れ、
この近辺の川の浜を、桂浜という。
 ここの、桂離宮の桂川対岸を、みそめ、という。
このみそめにいた頃という。桂離宮にいて、日々
過ごす、あなひらき、という、桂離宮の日々という。
あなゆまらの・おしきし、という。この言葉を、桂浜るり
、という。あなきゆふ、という、カーレセーラという。
桂離宮の、回崎山(かいさきやま)という。
【崇徳御廟】
 ここの、けめせみ、をいう。てよてよの・おい浜という。
桂浜という。りりせる・てんそれ、という。この言いが、
桂の村の、たきふらず、という言いという、今の方言に
あたることという。たきふらず、という、桂のたよめら、
という。たいせる・すっとく、という。この、すとく、崇徳
天皇の崇徳という、崇徳天皇弓浜という、桂の言い
の・とみ浜という、とみ浜の言葉という。後、崇徳状
時という。崇徳天皇という、桂らの宮の住まう日々
とぞ。後、崇徳御陵という、この、御陵、今の祇園
の場になる、いそふり、という。

 初め五条宮という。後、桂崇徳という、後、祇園の
崇徳所という。崇徳天皇御廟という。

 崇徳天皇のうらみ、という。うらみ所という。これが、
京都五条をいう、五条新道という、五条通りの
できた頃の、うおりらす、という、ていそめの・つったし、
という。『つった』という、通りのことである。
この『つった』を、崇徳録という、きっせらの・といっさ、
という。崇徳通りという、今の五条通りである。
この五条がまだなかった頃である。

 この頃 、我が家から、桂尾宮に、線路を敷く、
木製の線路という、この線路の上へ行く、原子炉の
機関車とぞそ。これが、とっきす、という、げんぱられの
・おいらり、という。桂離宮へ行く、たそよそ、という行き
の言葉とぞそ。たそよそを旅、旅行という。てよさんらく、
という。
【木製の線路】
 『たそよそ、れるはな』という、旅立ちの言葉という。
そうきょうれっけす、という言葉の種の言いという。
『かつらおみや』という、『かつらびきゅう』の・たそめま、
という。五条新道から、直線の木製線路という。
厚い板の上に、軌道敷をつけた線路という。
軌道敷も木製である。五条ゆっきしろうくそう、という。
五条ゆっきし、という。この『きし』が、岸という、当時の
岸壁である。
【原子炉積載機関車】
 この岸壁に『でんとし(電稔)』という、電柱の初めの
頃の言いという、これが並べられ、今の電車の架線
にあたる、でんねんとうろく、という、でんとしの・とみふり
、という。高さが2メーター程である。これが張られた、
原子炉の発電の、パントス、という。パンタグラフである。
このパンタグラフが電車の横にさいている、原子炉の
電気機関という。まだ、ドロが所々残っていた頃という。

 こんな中を桂川という、大きな川を渡る、原子炉の
機関車という、電気原始である。これが、ゆりふら、という。
てっかさの・としうし、という。うし号という機関車で、五条
新道周辺を、うし郷という、牛郷。
【立ってダンスをする牛】
 この頃、牛がいた五条新道の我が家とぞそ。名を、
ふっかす、という、牛の名という。ふっかす号ともいう、
牛である。この牛が原子炉を知る牛という。
立って踊る牛で、二匹で、向かい合うてダンスをする
牛という。牛の優秀な頭脳である。
【四国宇和島】
 今の四国宇和島に、この牛と同じ牛がいる。他にも
いる。牛と牛とが向かい合い、ダンスをする、このダンスを
、牛連れ踊りという。これが牛の連れ踊りである。

 でんとし、という、原子炉機関車のことという。牛も
一緒に乗る、たそゆし・かいふれ、という。
【七色川】
 この岸壁という、七色川(なくさがわ)ができる以
前の、海の岸壁である。五条海という頃の岸壁
である。

 線路を、木板線という、五条木板の線路とぞ。
五条新道が、今の、五条東新道という、七色川
という、今の五条七本松という、今の七本松通りが、
七色川である。五条木板のお書きという。
この頃の五条、川になったり、大川である、乾いたり
泥の状態という。大きな川である頃とぞ。

 京都、西の桂川、大きな川で、川幅が、倍ほど
の川という。桂新道(かつらしんどう)、単に、しんどう
とも、今の桂川街道という、この街道の西の端まで
の川幅とぞ。これを渡っていく、原子炉の発電の
機関車という。木星の四段の橋という。四段架橋
という、からんせの・といらず、とぞす。『とぞす』の
書きが桂の宮の書きである。

 懐かしい桂の宮、今ありてそ。桂離宮という、今の
桂離宮である。
【与市川】
 この頃の大きな桂川、別名与市川という。波立
ば、家ほどの高さの波が来る。この上流を『嵐』と
いう、『嵐や』という。波を、ちきふき、という。ちきそめ、
ともいう。これが、今の、なよふま、という、京都御
所のある一角という、京都御所においた言葉で
ある。この頃の天皇という、私の大お爺さんという、
大お爺さん御方々の御事とぞ。天皇という話である。
【ツェペリン】
 この頃に、初代ツェペリンという飛行船を使って
いたのである。穂浦からの飛行船という。天船と
いう。少しして、影兵衛、кгб、KGB、カーゲー
ベーという。桓武船太という、桓武の飛行船の
ことという。ドミックスともいう。てんてその・ろいきり、
という。桓武天皇のお乗りという。後、京都の、
ゆらふる、という、平安神宮の場の、まだ、ない頃
の、置きという、神宮のある所である。小さな建屋
があった頃という。後、この建屋、小さい駅になる。
今の平安神宮の場の古い頃である。飛行船の駅
という、後、小さい電車の駅という、神宮所という。
この頃を、千時という、お千時という。京都論と
いう。御所連絡のとっきす、という。原子力の機
関車の線路沿いという、今の御所の場の、古い
時である。

 この頃の電車という、原子炉をつんだ機関士や
とぞ。大お爺さんお乗りの、お召しきら、という、今
のお召し列車である。
【マリウポリの黒犬】
 この頃のウクライナという、京都水浸かりという、
その時の、うくさら、という。浮皿。この頃のウクライナ
という。マリウポンという、うっくすらっく、という。マリウ
ポリの一角である、東方という。ここの小さなドー
ムという。黒犬の乳を飲む人である。いおう山すめ、
という、黒犬のことである。
【東京麹町】
 この頃の江戸、東京江戸の、麹町という、江戸
麹のたてゆみ、という。麹町へよく行ったことという。
ばいせみ浜という所である。また行く麹町、ふらべす、
という、この頃の呼びとぞそ。
【天皇】
 天皇を、普通の生活では、おおざり、という、
大お爺さんを、おおざり、という。崇徳所の呼びで
ある。天皇を『ち』という、後、『ちせ』という、一時
期のことである。ごちせ、という、ごっとみのお言いとぞ。

『ごちせ、おいられせ』という、『おられる』という意とぞ。
【御所】
 御所を、普通の生活では、『ご』という、『尾』という、
お、び、という。びゆはっぺさの・お言いという。京都ごゆほり、
という言いとぞ。はったきろくのお言いという。はちせらの・
きっさる、という、てよてよのえてよて、という。これを、
びんべ、という。びっしらずう、という。びびすみの・いとふり
、という。崇徳上皇お書きという。この山のお絵という。
ちっちせの・ゆいとろ、という、びせみせの・ときすき、
という。この『すき』を、びんばつ、という、びんすず、と
いう。びもせよの・ろいせる、という。ろいすき、という
言いとぞもしる。びっすずのお書きという。
そうきょう上句という言葉である。桂離宮のそうるれ、
という、離宮語という。
【桂離宮】
 じみさまれすずの御家という、離宮のことである。

皇居住まいの頃、我が家を離宮と言うた、若い人
という、上品な人である。
【三段宮】
 この頃、三段の宮である、若い人家である。後、
三笠という、みよとすの・うくせら、という。三段浮宮
という、これを、三笠読み、という、すぎたらの読み、
とぞそ、三笠言いのことである。
【八光宮から桂尾宮】
 今の長岡京市の場で発生した量の泥という、
八光宮まで押し寄せた泥という。飛行船で行く、
八光から桂尾、桂尾から八光という。大きな風体
の飛行船という、しょんそく、という。れれての・ろりすり、
という。ペペのあもよ、という、飛行船のことである。
 また乗る飛行船、色んな形の飛行船という。
この世の花弓という。飛行という、かてゆさの言い
という。かおれるててそ、とぞ。これを、ひゆまる、
という、当時の御所の言いという。黒ごるせま、
という、とうとうの黒ご、という、御所のことで、
ごこっくす、という。こくすく、ともいう。この世の
あてゆさの・おちふり、という。御所くっくの山
というお書きとぞ。
蛛B
そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。

柳、黒。
posted by 秋残り at 13:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2022年04月27日

出発4331 硫黄島、米国の大きな人 :イカスミ柳

出発4331 硫黄島、米国の大きな人 :イカスミ柳

他の拉致被害者の方、元気でいて、帰国して下さい。
腹を横に書く。
【曲名】 出発4331 硫黄島
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/04/26
【伊藤峰島】
大東亜戦争という、この戦争当時、アメリカは、
硫黄島を攻撃していない。当時、伊藤峰島という、
硫黄島である。

 この硫黄島に、さんとう、というあてすられ、という、
これを、峰島という、これを名にする、伊藤峰富士
という。伊藤峰という。この時に、すられ、という、れ
とんの言いをする、これを、あてすられ、という。名
付けの一種という。

 伊藤峰島には、誰もいなかったことという。大東
亜戦争の頃である。無人島にアメリカが攻撃を
するという。これが、アメリカのはやめられ、という。
アメリカの名の私という、自分輪アメリカと言うた
ことという。『アメリカが来ます』という、若い人の声
という。これだけのことである。『アメリカの小林です』
という、若い人の、アメリカから伊藤峰島へいった
ことという。

 アメリカが武器を持って攻撃をしたという話という。
当のアメリカは攻撃に来ていない。私がいっただけ
である。

 このアメリカという、自分をアメリカという若い人
の言葉という。アメリカに住んでいた話という。
アメリカの軍隊が来たように言うた話という。
ただのそれだけのことという。
【米国、日本人収容所】
 アメリカの日本人収容所という、そこにもいた。
日本人収容所と書いてある場所の住まうことと
いう。収容所という住まいである。日本人が強
制労働をさせられていたという。普通の労働を
していたことという。別段見張られていたことで
もなければ、何も問題もなく、普通の暮らしを
していたことという。私の話である。

 この収容所の波揺りという、アメリカにまだ、
ロッキード移動の残りという、この地震があった
ことの言いという。ローキッド移動が原因だという、
これに類する地震という。これがあった話という。
【アメリカの大きな人】
 最近、大きなアメリカの人ができたという。
ひょっとすれば、このロッキード移動の影響かも
しれない。2メーターを越える人という。
【ロッキード山脈移動の影響】
 ロッキード移動が体に影響を与えたことという。
体が大きくなり、また、小さくなる。人といい、
動物という。これが、時を越えて影響与えた
かもしれない。これが考えられることともいう。
私の推論という。ニユースをみた話という。

 『うくらび』という言葉が、これを物語る。
『うっつ』という、米語で、『ゲランゾレ』という。
『ゲテソレ』という、当人の周りに、『ゲラン』
『ゲテ』という言葉が出る。これがあれば、
ロッキードの影響が考えられる。アメリカの
古い地の言葉という。私が少しいた場所という。
一週間ほどである。『ゲッチマ』という古い場所の
名という。ゲレンゼラの村という。げこしこ、ともいう。

 ゲチスバーグの家にいて、そこから行った日である。
ゲレンゼラという。当時の村名という。この日に、
日本の伊藤峰島へ行くという、ことを言い、当地へ
行ったことという。『アメリカからきました』という、
若い人の言葉である。この日のアメリカ、ダラスの
近くのアースビーという、けねっせけの・ろみふみ、と
いう。ケネディーろんてす、という。ケネディ空港の
小さな頃の空港という、そこを経由して、遠く、日
本の伊藤峰島へ行く。その大きな人の家のことを
いう日に、そこの人かもしれない。『ケネディー』が、
言葉に出ることという。

 これも言葉に出る、私の言いで、その大きな人
のいたにいたという、それであれば、ほぼ、ロッキー
ド移動を知る人という。体がロッキード移動輪物
語ることという。ロッキード山脈の移動の影響という。
その周りに比較的大きな人が住むことという。
アメリカの、いたきさ、という。その大きな人の脳に
継がれたロッキード山脈の移動という。随分、昔の
話である。その地方に、日本語が少しある。
O'man という、 O'woman という言いの言葉という。
O' が、日本語の『お』であり、丁寧な意味の言葉
という。この O' の言葉がある。この言葉が、日本
語と米語を混ぜた言葉である。
【日本の大きな定規】
 大きな人の口から、この言葉が出る話という。出
ればロッキード移動を知る人という。多分、口に
出ると思います。日本にも大きな人がいた、2メー
トル35センチの人という、私の大お爺さんです。
自分の身丈を一尺という言いでその定規がある。
自分の身長に合わせられた篠山定規という。

 大きい人が、自1/¥s.1メートルという、
あるいは、1ヤードという自分の身丈をいう、2メー
トル35センチの定規という。大きな1ヤードである。
その定規を使う人である。1ロッキスという、単位で
ある、2メートル35センチである。アメリカのロッキード
山脈移動の単位という。これが影響した定規で
ある。古いアメリカにある定規という。ロッキード定
規という。多分、ニュースで報じられた大きい人だと
思います。ロッキード山脈移動の影響の、栄誉ある
お体と存じます。その人の脳にあると思います。
【西から東へ移動したロッキード】
 ロッキード山脈が、西から東へ移動した。
初め3キロメートル、少し休、また、2〜3キロメー
トル移動した。
 その大きな人の動きに、3−3、3−2の動きがある
。例えば、3歩、極少休、三歩。色んな所
で、体の動きに、この 3−3、3−2があると思います。
ロッキード移動のこととです。

 大きな人の御健康と御安全を願うものです。
さんそくろくの世という、ロッキード移動の話という。
記事にしてすみません、お許しの程を。

  大お爺さんお教え、『日本へ帰れば、体が大
きくなる。』 ロッキード移動の影響という。2メートル
以上になり、また、元に戻ったことという、一週間
程です。今は、どちらかいうと、小さい人です。

 動物もこの影響があり、大きな動物、小さい
動物がいます。動物も知るロッキード山脈の移
動です。動物を大切にしたいものです。
【硫黄島】
 硫黄島に行く日のお書きという、アメリカから硫
黄島へ行ったことという。硫黄島の、しんづ、新津
という場所という。硫黄島の、あずれば、という。
この縞、ロッキード山脈の移動の影響あった島
という。物に現れた影響という。自然の作り物
という、人骨のようなものという。たくさんある物という。

 私の話で、私の記憶です。
私は学者や専門家ではありません。上の文は、
そういう私の論です。
 
蛛B

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。
posted by 秋残り at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2022年04月26日

出発4330 新世 :イカスミ柳

出発4330 新世 :イカスミ柳

他の拉致被害者の方、元気でいて、帰国して下さい。
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You would click music piece.
音楽
【曲名】 出発4330 新世


    創曲、理科柳雪広・正(やなぎ)  2022/04/26
    造詞、冴柳小夜・正     2022/04/26
    監修、そうきょう連      2022/04/26
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ACID ソースネクスト社
【歌詞】正里
新世は来つつあり 明らかに示すは
柳心の君 穂浦灘 天気予報
星を回る 人工衛星の世 穂浦の日
管制の世 世界はできてる
船出は拍子木を打ち祝うと楽し

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/04/26
【歌詞解説】
 世界は既に穂浦の日に完成している。
京都が水に浸かっていた日という。何度も水に
浸かったことという。この頃、日本を穂浦という。
穂浦が日本全国にあることという。
この穂浦の日で、人工衛星が打ち上げられ、
気象予報ということが、既にされていた。
コンピュータのインターネットという、これもあった。
プラズマ、液晶テレビという、これもあった。
 ロボットが、人工皮膚を着せられ、人と変わら
ない見えである。歩く人の形のロボットという。
向うから来るロボットに挨拶をして、山道を歩く。
原子炉屋が立っている。家前の丘へ登れば、
飛行場があり、大きな飛行機が止まっている。
ロケットに乗って移動する。そんな穂浦の世と
いう。

 後、穂浦海軍という、穂浦陸軍という。
海へ戦艦に乗って出て行く。大きな戦艦である。
中国へ行く、黄河を遡っていく。切り立った山の
中へ行く。そんな頃である。
 この頃、八光譜という、名西大陸という。今の
南アメリカとアフリカが一つであった頃という。

 この名西大陸という中に、細い川が流れていた。
今のナミベというナミビアの町という、これが川添い
の場所である。後、この川が海になる、大陸の
別れという。穂浦の頃の世界という。
【ウクライナ地方】
 この頃、ウクライナ地方という、来冠がいて、大猿、
虎、ひょう、犬の大きな犬、色んな動物がいた。
熊の手に、小さな鋤を結わえ、ドームを作る為に、
土を掘る、熊が土を掘る。この鋤も、熊が手につけて、
土掘りが終われば、熊がはずす。熊の道具である。
 私家の能に、動物が出てくる能がある。熊が羽織
を着て、大きな鼓を打つ。この音に合わせて、他の
動物が出てくる、羽織姿の動物という。この能が、
ウクライナ地方の能にある。マリウポリ東方である。
後、ウクライナ大地震が起こる。この頃、キエフ西方、
色んな動物がいた沼地という。ここに、十字道という
道を作る。後、土をかぶせて、水を少し残し、地下
道にする。動物たちと一緒に住んでいた若い人という。
ウクレンラックスという、みばされられ、という。
ウッキシズのといやり、という。『やり』が山である。小
さい山という。後、キエフの東西にドームができる。
さながら、今のアフリカのような所であった。動物が
たくさんいた所である。マンモス象という、毛長象と
いう、始祖鳥もいたこととぞ。うきしその国という、
穂浦の呼びである。今のウクライナである。

 新しい世という、ウクライナの世というむ、ウクライ
ナにいたことという。ライナーシーズ朗原という、草が
生えかけていた頃という。後、木を植える。木が、
ほめ山という、小高い山に高くなりつつあった。
ウクライナが出てくる話という。

 マリウポリ東方の歌という、これを、ロシア練りと
いう、歌のことという。サンクトペテルブルクという、
その町の歌という、ロシア練りうっつく、という。
五拍子があるサンクトペテルブルグという、マリウ
ポリ東方にもあることという。

 後、歌は、歌曲は四拍子になる。歌の、しめ
成り行き、という。歌の性質という、今の世界の
歌がそうである、ほとんど、四拍子である。

 また行くサンクトペテルブルグという、歌の産地と
いう町という。サンクトペテルブルグから、ロスという
ロシアのペゾルキという、今のレニングラードという。
そこの人の、さらめ、という、サラセンという場所で
ある。そこの村の興しという、そいらくのろりす、という。
ロリス町という。レニングラードの一部にある村の名
という、ロリスという所である。

 ここがウクライナ地震をいう、箱揺りという、ロシア
の箱揺り、という。鋤揺れとも、フォーク揺れともいう。
レニングラードにも伝わったウクライナの地震という。
フォークロンデールという、フォク芝の地震のことという。
この辺も大きな地波が出た所という。グラードという。
『グラ』が地震である。地震地という、グラードという。
具良土と書く、グラッドのことである。

 伸ばす音と促音の二つの言い方がある、これが、
地震の頃の言葉の残しである。地震があったことと
いう。ぺすれゆりふみの・あうてさ、という。ロシア語を
、あうてさ、という、あういきの・ことよまふま、という。
あういきという、いきがあう、という。息合いのロシア・
ウックスという、場所のことという。レニングラードの
一地域という。
【ウクライナ鉾】
 ウクライナで挙兵したという、ウクライナで、鉾を
曳いた話という、『ウーリャツ、ウーリャツ』という、
鉾曳きの掛け声という、大きな鉾で、ウクライナ
鉾という。後、日本の、ふち祭という、ここの鉾と
同じ鉾という。地震を表す、着物の柄という、
地波ゆんまつ、という。ウクライナ鉾の周りの着
掛けの柄という。ウクライナ大地震が表してある
ウクライナ鉾である。
【モスクワ鉾】
この鉾の後ろ、モスクワ鉾で
ある。モスクワの町の、こっぱら、という、こつはらの
原っぱの表しという、これが周りに掛けられていた
鉾という、船型の鉾という。これの曳きという、人が
半分、あと半分ロボットである。人とロボット一体の
曳き方という。ウクライナ鉾もそうである。
 モスコという、鍬のモス鍬という、もすりらく、という。
器具の用語のモスコという、ロシア語の成り立ちの
一部である。後、木の桑である。桑木が植わって
いるモス港という空の港とも。
【ローゼス語】
 もす鍬という日本の鍬という、土掘りのスコという、
スコップである。取っ手部分が全部、鍬の木で作
ってあるもす鍬である、若い人家製である。古い
日、全部木製であったことという。マリウ鍬ともいう、
ロシアの鍬という、ロシアらんとき、という。
文中聞きなれない言葉がそうきょう語である、新しい
言葉という、ローゼスという、言葉を補い、そうきょう
ローゼス語という。ロッカリという、ロッコスという、ロシア
のことである。

 鉾という、祭られる意という。ほっこす、という、
ほうりる、という。
【キエフの祭】
 ウクライナのキエフの祭という、ペテルブルクの鉾を
出す祭という、大公鉾ともいう、キエフ大公という鉾の
ことである。この鉾に、絵文字の木江符をぶら下げる
ことという。歌が日本調である。『ゆうりかごの歌を、
・・・』という歌である。この歌に合わせる、マリウポンと
いう、鉾の周りで、手鞠をつく人という。
 鉾が、サンクトペテルブルクを盛る、はらしられ、と
いう、ペテルブルクの鉾という。
【サンクトペテルブルクの祭】
 サンクトペテルブルグの町の祭が、マリウッポスという、
大きな鞠を空に上げることという。柄が日本様である。
掛け声が『ウーマツ』という掛け声を使うことという。
このウーマツで、鉾が出る、中型の鉾で、ぜっせき、
という、日本の淳和院の鉾に似せた、じゅんたれられ、
という、淳和院節の行進の同じ行進という。
地波揺りという、道路に高低を設けた所へ行く鉾と
いう、箱揺りという、鉾の揺りでもある。ウクライナ大地
震という表しである。ウーテラの祭という、サンクトペテル
ブルクの古い日本呼びのことという。
 ウクライナをマンスキという、万鋤。この万鋤を、鉾の
屋根に乗せ、『ウクライナ』と掛け声を掛ける祭という。

 マリウポリからサンクトペテルブルグまで伝わった大
地震という。ウクライナの山打ちという、女の尻を
柳の枝で軽く叩く、これがモスクワにもあることという。
地震の波打ちという、地波の山るり、という。古い
日本にもあったことという。枝で触るだけである。

 この時、女が声を上げる、この声で、傷があれば、
直るという。祭でこれをする。柳の木の尊さという。
普段でもしていたことという。

 ロシア人が、柳の枝をもって尻を軽く触るという、
ロシア人の傷直しという。これがハリコフの町の風習
という。柳の木で作るマトリョーシカという、ハリコフ
人形ともいう。病気の直しである。ロシアのウクライナ
という頃のハリコフという。ロシア人の格好をするウク
ライナの町という。古い頃のハリコフである。

 『メッタ』という声で、マトリョーシカをもたす、病気の
直しという、直る話である。ウクライナをいう。古い頃
からロシアとの行き来がある所である。

 日本にもマトリョーシカを飾る人がいる。柳の木の
マトリョーシカという、病気が直ることという。イバという
ロシア語である。イバ練るマトリョーシカという。
イバ寝る、ともいう。日本語にある、イバ寝という、
柳寝の山という。リューシンしいう、イリューシンという。
ロケット枕のお書きという。

 ベルバというウクライナ地方の言葉という。柳である。
ベルバ楼という、マリウポリの東方の家という。少し小さ
なドームである。若い人が、動物と一緒に作ったドーム
である。リュウロワという、竜頭のことという。ここが、
地球が声を出していたという場所である、『キーフー』と
いう音である、その表現である。ベルバという、フランス
語の『ベル』が掛かる、べるふらの言いという。ロシア語
もフランス語が少し掛かる言葉という。ナポレオンの侵
攻という、言葉の広まりである。この時期の出来である、
ウクライナ地方の言葉という。

蛛B

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。

柳、黒。
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2022年04月25日

出発4320 淳和創久 :イカスミ柳


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音楽
【曲名】 出発4320 淳和創久


    創曲、理科柳雪広・正(やなぎ)  2022/04/25
    造詞、冴柳小夜・正     2022/04/25
    監修、そうきょう連      2022/04/25
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ACID ソースネクスト社
【歌詞】正里
古い明示の世通り 維旧の江戸通り
淳和こうりる 柳に八光のふよづ
火を上げ山 煙立つ おろがみてぞ拝々す
久代の遠き宮 八光宮 双び立ちて
淳田 見に 生え揃う麦 新しき世々
(淳民とも、村人のこと、田にいる村人)

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/04/25
【秋篠村】
 秋篠の名の由来。秋篠の村という。全国各地に
ある名前という。
 京都西山という、古く、さんらみ、という。みのふ
まれ、という。これが、麦踏みの由縁という。
秋ざみさわれ、という。古い世の、淳和大極という。
あと山の浮き、という。秋笹紙洞(あきざさかみほら)
という、紙を漉く、そばれ(そまれ)という、そうしぐ、
という、せってその、創久言いという。
 そばれそんしぐの歌という。これを、ぺっさる、という。
西山の千代原口という、その近く、てんはん、という。
天を犯すという、天犯晴るる(てんはんぱれるる)という。
天を犯すという、おかすの丘弓という。犯す山という。
これを、犯す玖珠揺(くすゆり)という、玖珠辺等(く
すべら)の、こりかしきら、という。これが、天を犯すの
意である。天犯という、木のことという、天を犯す、と
いう、これを淳づめ、という、じゅみ芝ともいう。じゅっ
たくすの・といほい、という。てれてれのお書きという。

 秋笹の・てんとれみ、という。てわっすく、という。
れてるれの・いとみま、という、これが、淳則という。
【維旧】
 維旧という、江戸という、江戸の居間の言いと
いう。維旧語という、てんとっきす、という。てっさみ、
ともいう。

 これが、維旧の江戸通りという、江戸という場を
通る、久闇のとみ、という。久闇を、くみふみ、という。
くうれずの闇という、闇さりくれ、という、夕方のことと
いう。闇さり暮に、麦を打つという。麦打ちの・ばぺ
すぱ、という。これを、れんてす、という。淳宮の言い
という。これの、ひそみそ、という。るるせる・たいせら、
という。千代原口周辺のお書きという。

 これらの唄である。
【八光】
 八光という場所で、八光宮という、古い宮のことの
所以の唄という。八光淳和という、八光六国という、
第三国八光という、第三国八光所とも。やひかり、
ともいう。まんたき、という、まらせらの・るいはみ、と
いう。京都西京の、はれせっから、という。これを、
晴八光(はれはっこう)という。千代原口周辺である。
【宮双】
 古く宮双(みやならび)という。二つの宮があつた
所とぞそ。また行く八光淳和の・くよみる、という。
大きな範囲の淳和院区という、ここを、綾部だら
ふめ、という、綾部郡(あやべごうり)という、郷里村
(ごうりそん)という、綾部がっくす、という、ぺらんほら、
という。これが、京都の西院(さい)をいう。西淳(さい
じゅん)の言いという。八光論別ともいう。はよっくす
、という。てい゛るの・とろふり、という。べるさる・べら
んぜ、という。ぱるぱるの言いという。

 広く淳和をいう。淳和けっせげ、という。千代著と
いう、『著』を『町』という、町の古い言いである。
千代著み闇浜、という。れれんせのるいはっしぐ、
という。むるれる・ろいすり、という。

 これを交野(かたの)の由良という、八光所のこと
という。かんべす、ともいう、るい針ともいう。かりんすの
けび鹿という。死か山のお絵という。するするの・おり
るしり、という。鹿山のすらるり、という、すらるれ、と
もいう。るりんすの・めよよっくす、という。これが、淳
和院則である。人の山のよられ、という。
【八光論閣】
 京都の四条坊城から、西の葛野(かどの)、その
南の向日町太極殿、千代原口西の盆山、秤谷、
桂阪周辺を、はられられ、という。はっきす、という。
はらみの山の言いという。ここの、内札(ないさつ、
うちふだ)という、八光のことである。これが、西院淳
和院の言いである。淳和院という、香淳のみの山と
いう、ろっとす、という、香淳交録という。香淳光合と
いう、交録の言いという。これを交尾という、べっつる
、という。鶴のことを交尾という、鶴の尾のことという。
これを交宮(こうぐう)という。こうるりのお言いという。
鶴を交宮という、鶴の住まいとも、巣である。
八光論閣という、八光宮のことという、鶴とともに
住まうことという。今の世に寺に多くみられる。

 八光の山の祖という、鶴のことである。くきゆま原
という、鶴の住まう山由良とぞそ。鶴を尊ぶ八光と
いう。鶴八光のさいそい、という。鶴の飛ぶ姿をいう。
るるんす、という。つるるる、という。つっさらの・とび
ふみ、という。鶴を尊ぶことという。八光の一意で
ある。鶴山里(つるやまざと、つるやまり)という。
鶴の住まう山という。

 京都八光所の西の山に鶴がたくさんいた。この
鶴、京都の各地の鶴という、今もいる鶴という。
私の好きな鶴鳥とぞそ。
【八光の鶴】
 若い人はいう、『鶴は八光』という。八光鳥という。
羽を広げた姿という、鶴広げ、という。鶴広がりの
・とんれす、という。八光のとみふら、とぞそ。これが、
鶴の八光姿である。八の字の姿という。

 私がよくいく八光という、双宮の八光という、
両宮を翼という。豊八光の双びという。豊八光を
双宮、双宮を創宮、創宮を創宮から、という、
からゆり、という。これを、創久という、古く、宗久と
いう、そうきょうのことである。このそうきょうを、創宮、
創宮をそうきょう、という、そうきゅう、ともいう。
『きょう』を『きゅう』という言いである。宮のことである。
広く、みやこという。『みやこ』を『都』『京』と書く。
『都』を『きょう』と読む、きっしぶ、という、きしゆし、と
いう読み方である。『きしゆし』『きっしぶ』は、そう
きょう語である。聞きなれない言葉がそうきょう語で
ある。
【秋笹】
 秋篠村という、千代原口西の周辺である。秋笹
斐(あきざさひ)ともいう、秋笹旧(あきざさひ)、他の
表記もある。

 旧(ひ)という、日のことで、古い時という、古い日と
いう、古い旧(ひ)という、維旧という言葉の一意であ
る、古い時という意である。

 秋篠という、春原(かすはら)の周辺にある。『春』
の字の付く所に『秋篠村、秋篠字(あきしのあざ)、
・・等』がある。これを、春秋(かすあき)という。
春秋を時という。、季とも。
 『維旧春秋、花をいう』という言いの言葉という。
ありさまふり、という、るいせるの・とみふみ、とぞそ。

 また行く八光・秋すらの世、という。八光を、あり
すら、という、ありすむ、という、ありすみの・アリズム
という。ありずむ。これが、五拍子である。
淳和院ごっこめ、という。五米。ごこめの・ありすみ、
という。淳とわっせ、という、五拍子のことである。
四拍子を、じょろすり、という。
三拍子を、とみふみ、みとせら、という。
二拍子を、ふみ、という。
一拍子を、とせら、という。
六拍子を、ほみさき、
七拍子を、とれすら、
八拍子を、ちっさり、
九拍子を、ここのびょうし、といすみ、
十拍子を、かよせらる、
十一〃、るきほっぷ、
十に、十三、るい、と、という。
淳和院音取(おんとれ)の言いという。
淳和院創久の言いという。
これくらいにしておきます。
【創久】
 私の故郷を、創久(そうきゅう、そうきょう)所と
いう。淳和院っ子という。古い話である。大型
飛行機の飛ぶ所である。大型飛行機を、
じょっぱれ、という、じょってぃが、という。
『てぃ』が日本語の『てぃ』である。淳和院の
舌由良という、ていそるの・おこう語という。
おいてる言いという、『てぃ』のことである。
蛛B

そうきょうよいお書き。

【軍国主義日本といわれていた、ウクライナ動画】
昭和天皇とヒトラー、ムッソリーニ、同盟国であった。
昭和天皇とヒトラー、同じようなものだと、
ウクライナの言う通りであるように思う。
学徒動員とか、開戦に踏み切ったと書いてある。
平和主義者ではないように思われる。欧米には、
そういう人がいると思う。ウクライナにもいると
思われる。
本によるとそう書いてある、日本にもたくさん
の人がそう言っていた、天皇は戦争遂行者だと。
戦争の責任は天皇にあるという、そういう意見
が多数をしめていた。
動画は、見ていない。
 敗戦という事実を考えると隠せない事実である。
彼は戦争には賛成したと思われる。たくさんの人の
意見という、天皇制反対という学生運動もあったが、
大学もほとんど、天皇制反対の考えがあった。事実
である。極東軍事裁判でオーストラリアには、
どういわれたか。本にはどう書いてあったか。

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『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。

柳、黒。
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2022年04月24日

出発4310 当地 :イカスミ柳


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音楽
【曲名】 出発4310 当地


    創曲、理科柳雪広・正(やなぎ)  2022/04/24
    造詞、冴柳小夜・正     2022/04/24
    監修、そうきょう連      2022/04/24
    挿絵、浜出 歌う・ヤナギ(正)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ACID ソースネクスト社
【歌詞】正里
文化の日は尊い日 新しい世に向かう
今は新の文化 創造する 秋笹植わって
山道行くと 笹由良ふら 岩の浜

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/04/24
【そうきょう】
 新しい世に向かう。この日、文化の日という。
古い頃からの日である。いつから言われたか。
 明治などと言わないのである。文化という、
新しい世に向かい、創造をしていく浜という。
 この日、明治を太陽という、太陽のことである。
これを、明示する、文化という。太陽を明治と
いう、これも言わず、太陽という。そうきょうという、
健康安全を称え、明日を、健康安全にする。
そういう文化である、日である。

 断日という、だんまれ、という、だんじつ、という。
そうきょうの、うとふと、という。れれてる・ろりふり、
という。
 断古という、新しく、断固という。断日の日を、
ぶんたく、という、ぶんたく日の言いとぞそ。
ぶんたくという、文化というひぃの、ぶんたっくす、
という。これが、文化の日の、文化の出の由縁
という。だんせるかっくす、という。古い日の、
そうきょうの言いである。
 明治という、そうきょうという日の、あやはるき、
という。めめてる・ろいそい、という。これを、
めいやき、という。後、めいたすふめ、という。
めれてる・いすらま、という、これが、そうきょうの
言いの明治である。これを、明示する分という。
ろろてすの・らっぱす、という。らっぱがいわれる、
ラッパー日という、明示をいうひにラッパーが
出る。これに、文化が出る。めいてすがとめを
いう。
 めいらるのゆめふみ、という、これが、文化で
ある。文化の日という。明治とは、言わない。
文化を尊ぶことという。日本の優れた知恵である。
新節の暦である。文化を明示した暦という。
蛛B

そうきょうよいお書き。
【樺太】 
樺太という。今は、ロシア領である。
地図をみれば、そうなっている。
【アメリカ、硫黄島】
大東亜戦争、
アメリカは、硫黄島を攻めていない。

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『天照大神、そうきょう、よいよい』
一言
柳の世、今なるを。

柳、黒。
posted by 秋残り at 17:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽