2022年02月19日

出発3094 磯野村 :イカスミ柳


他の拉致被害者の方、元気でいて、帰国して下さい。
【曲名】 出発3094 磯野村
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/02/17
【九州磯野村】
 九州に磯野村という、村がある。その一部に名
残し闇という場所という。ここのいき山という。れる
ふる・ろくそむ、という。ここの、あい浜という。そこの
闇とぞそ。闇に赤い色がある。この赤あの色のおき
遣という、やり山のことという。まも闇に出るをいう。
闇を尊ぶ話という。これを、おがま、という。拝みの
ことという。
【暴力団を拝む】
 昔、毎日、暴力団を拝んでいたことという。また、
拝む暴力団という。花ゆなのおいそい、という。暴力
の山ふま、という。また山の拝みという。奇跡がある
暴力団という。たくさんあるので、まとめて拝む話と
いう。これを、くまふり、という。熊本の地の漁師と
いう。熊本の暴力団という、漁師組合である。
これに、ペンを付ける、ペンの組合という。文筆家
の組合である。文豪組という、暴力団の一部で
ある。

 外山の組合という、とゆれる・おそし、という。ま
もうの山の拝みという。自分への奇跡という。自
分も奇跡にあやかりたい、という人本来の願いと
いう。これが叶う話である。

 ビール醸造会社の万愚節の拝みという。自分に
起こる奇跡という。『若い血塩の、よっかれ』という。
山そめの・おいとい、という。これを延伸さす、自分を
拝むことという、これを、そうきょうという。尊教とも
いう。そうきょうをたとう話という。
【ボーリング】
 セベステという、せれさるのゆい原という。この『原』
、腹である。これを、腹を横にする、という。そうきょう
の教えという。山玉の教えという。山の上の太陽と
もいう。ボーリングという言いとも。

 これを延伸によるボーリングという、鉱業という、
スボーツという。ボーリングが出てくるひに、世の中
が明るくなる。このボーリングの競技を、まむめむ、
という。ほとんど、自分のことをいう競技という。
自分だけの競技である。これで、人と争いをしな
くなる。喧嘩が遠のく話という。

 ボーリングをする人という。古代エジプトの競技
という。ファラオの競技という。ツタンカーメンのマスクと
いう、アウテリヤスのローマ山という。古く、ローマの
都市の競技という。

 このローマ、今のイタリアのローマ市である。パル
テノンという競技が、原子力の競技である。競技と
いう、工業の技である。アテネという、これをイタリアと
いう、至る道の都市という。アテネ・パルテノンを、
アガメムノンという、古代ギリシャのことという。
【大隅半島司忍山】
 これが、あがめむ、という日本語である。拝むこ
とという、崇めることである。暴力団を崇めるという
、人山のことという。司忍山という、祖千話崇める
山という、全国にある山という、司忍山がたくさん
あることという。大隅半島という所にもある。
これを、よもひも、という。私の崇めという。

 そうきようの拝みという。まとめて拝む話という。
自然崇拝という、神仏の崇拝という、また、万物
の崇拝という、動植物、人類という。地球を拝む
という話という。地の上で生きるものという。これが、
ボーリングという、ボーリングの競技のことという。
地を拝むスポーツという。地が万物であることとも。

 昔の暴れ太鼓という、死者が暴れることという。
モノケのはみまる、という。モノノケのことである。
死者の魂という、これを、みまふま、という。死の
山のことという。全国の司忍山という。代表を神
戸にとることという。神戸の漁師組合という。
こうかわ山という。ここを、このふみ、という。司忍
山の麓という。私の住んでいた所である。
よる浜の山という。ゆみゆみのおきゆりという。
また行く司忍山の辺りという。私の好きな神戸と
いう。大隅半島の司忍山がよく似た場所という。
もと山の名という、大隅半島の司忍山である。
 
 とっきすのお書きという。神戸よんてせの・おそ
るり、という。原始人という、自然崇拝の人という。
他も拝む話という。死者をあがめる司忍山という。

 また行く 、大隅の司忍山という、ここを、もと
せり、という。また登る山という、低い丘である。
東を見る山という、この山のことを、いそふり闇
という。磯野原の丘という。ちった山ともいう。
私の忘れていた故郷という、思い出した、懐か
しい、ちった闇の山という。周りに何もなく、雑草
だけがあった頃という。

 ここから熊本の磯野原を見る、日の山のおそふみ、
という。日の出の熊本という、らるせるおいとい、と
いう。懐かしさこみ上げる我が胸という。この胸を
、やそやみ、という。自分の胸である。ここを拝む
話という、自分を拝む、そうきょうの拝みという。
そうきょうの教えである。司忍山の教えという。

 暴力団に、このそうきょうがある。山々の教えと
いう。ほかの団体にもある話という。暴力団を尊
ぶ話という。名に川瀬という、瀬川山の話という、
川瀬の話という。後、為替になる、海外の話と
いう。暴力団の会計の出という。暴力団会計
から出た為替という。今の為替である。

 人よもの浜よも、という。暴力団の為替、
会計という。会社の会計と同じである。国の
会計ともいう。これを、らまほま、という、らまばん、
という。りはるそみしみ、という。りはばんの話という。
化学の話の忌もある、リハール論という。

 暴力団を入れ、身障者を憐れむ、国の初まり
という。毬を尊ぶ話とも。蹴鞠という、宮の暴力と
いう、ボーリングの暴力という、大きな力をいう。
波の元のことという。波の力である、暴力という。
これが始まりである。船団が掛かる話という。
波山ののお書きという。

 山を越えて行く大きな波、暴力波浪という。物
理学の暴力波という、無限大のことという。物理
学上の言葉である、暴力という言葉である。これを、
天のなり、という、ぼうそめ、という。暴力団の奇
蹟という、あることという。他人の人に起こる奇蹟 
という、もちろん、自分への奇蹟もある。

 右派暴力という、後日である、奇蹟という。暴
力団の奇蹟ともいう。わかる話という。暴力団の
奇蹟、難病が治ることという。あが山の目という。
山に目を描くことという。奇蹟の目という。山を尊ぶ
ことともいう。

 暴力の絵の話という。山の絵のことである。難
病の山を越えていく力という、暴ける力で乗り
越える、難病ぎこ浜という、暴力団の寝倉と
いう。尊いものである。御所の侠客御所が始まり
である。隣が一水会である。よく行っていた話
である。御所山のお書きという。

 菊水会の一水会という、御所の侠客御所の
隣という。私のいた御所の中のことである。明治
世の御所という。明治天皇は暴力団であるという
噂話という。孝明山のとまめ、という。きまめ、とも
いう。忌の『己』の字を、上へ突き抜かす字という、
きまめ、という、とまめ、ともいう。大豆を炒って『
忌』と書き紙袋に入れて配ることとも。昔の我が
家の風習である。孝明世の風習という。たませ
まのお教えという。古い話である。右は暴力の
人のすることである。菊水一水会の人である。
きまめという、奇跡のことである。

 ほよ浜の奇蹟という。山様のぼっくる、という。
奇蹟が肺病の直りという。治る話である、きま
めのこひとという、家ですればよい話という。

 万愚節の奇蹟という、きまめ配りという、
さつきまゆれむ、という。五月の十五日のきまめの
配りという。古い日の万愚節である。後、四月
一日である。右翼といわれる人達の奇蹟という。
出が御所である。侠客御所から戸口に向かって
右となりである。後、御所の製材所である。
京都御所のことという。

 おぞゆり山という、御所のことを、そういう、右翼
という。行き来していた人達である。私の右翼と
いう、『おいきます』という言葉を使う人達である。
昔のことという。そうきょうの右派帽という、野球帽
の水兵被りである、ひさしを横にする被りという。
きむせらの被りという、奇蹟をひさしという。

 ひさしを横にして被り、そのひさしに手を添え
る歩きという。右派で右にひさしをする、左派
もある話という。肺病を直すという。他人の肺病、
自分の肺病という、これが治る被りという。肺病に
なれば治るのである。

 ジキニンという、鳥取の治しという。鳥取の万愚
節という、この直りがある。鳥取砂丘の万愚節とも
いう。奇蹟の直りである。思い肺病という、治る話
という。右派暴力と鳥取県の奇蹟である。万愚
節の話という。病弱な私の思い肺病が治った話と
いう。病院へ行かなかった話である。自分への
奇蹟である。きまめ配りと、ジキニンである。

 ジキニンという鳥取の薬ともいう。水が肺に1/3程
、たまり、咳が一日中出ていたことという。長い患い
という。それが治った話である。駐車イッポンと、ジキ
ニンという。もがくような苦しさである。入院をいわれ
たが、いかなかったのである。夏目漱石先生の猫の
本の治しでもある。文豪の奇蹟という、ペンの暴力
ともいうものである、奇蹟を興すペンの暴力という。
病を乗り越えるペンの暴力、暴力文豪の夏目漱
石先生である。

 拝み山の原始人、なんでも拝む人である。病気を
拝んで、しっかり病気になった原始人である。ほか
の病気もしっかり重病である。3メートルも歩けない
ほどの重病である。これも治り、ほかの大きな病も
直り、ようやくこの2,3年、健康になってきました。

 奇蹟にくわしい人である。自分への奇蹟を、こと
さら好む人である。他人の奇蹟も経験した人である。
原始人の奇蹟の願という。起こるものである。
もう病気は御免です、堪忍して下さいと申し上げ
ます。原始人の心よりの願である。

 長い患い、藁をもすがる気持ちでありました。こんな
人生もあるのでしょう。九死に一生を得る、重病続き
でありました。私は、今、多くの友の訃報を聞きます。
健康になれてよかった、感謝感謝の毎日です。
万愚節尊いものであります。

 肺病の時、『くさり天皇』というた人がいる、友という、
私の肺病が好転した話という。病気が治る時、
自然に口に出てくる言葉でもあるかも。


 皆さま、病気はつらいものです。病人、身障者に
奇蹟が起こるよう、私は、来る万愚節には、歩きます。
遠い昔を思い出し、一人で歩きます。一点の輝かしい
私の過去の灯、あの人が拝んでくださったという。
遠い昔の万愚節 、尊いものであります。

 昔、奇蹟がよく起こっていました。そんなことを思い
出し、今の健康に感謝し、新世界へ、よい未来へ
行きます。奇蹟お書き、これなる。合掌。

 奇蹟の合唱も聞こえてきます。『春由』の歌、たっとい
歌です。『主よ、身許に』、ご先祖様のことである。
御主人という、ご先祖様、御死者とも。

 卒業6970 枚方宮丘
http://akinokori.sblo.jp/archives/20200816-1.html
 駄作、混ぜ拍子行進曲、3.5.4拍子、ミコシ山、
奇蹟神輿のお行き越しとぞ。駄作家の知恵です。
奇跡が起きるかも。

 九州磯野村、闇のたっとび、おがまの村、奇跡を
起こす村という、闇よの晴れまれる、あつらつろい、
という。ふますめという着せ聞かせある。闇去りの病気
引きという、病気が好転することをいう。闇をたっとぷ
話という。九州熊本という。熊襲の村という、その地
域の病気治癒という。またすめる・いみやり、という。
たっとい村である。難病の好転が出る所という。
奇跡の村である。地区の名前をたっとぶ話とも。
字名を大切に。

 大お爺さんおられおられ、大御婆さんおあられ
あられ世、ここの世この世たっときたっとき、御御霊、
おいきたまう。たっとき世、ここなるを。感謝多々、
たっときたっとき。

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
posted by 秋残り at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

出発4010 学蘭 :イカスミ柳


他の拉致被害者の方、元気でいて、帰国して下さい。
腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック

スマホ天神、スマホ天女方々用、こちらをクリックしてくださいませ。

You would click music piece.
音楽
【曲名】 出発4010 学蘭



    創曲、理科柳雪広・正(やなぎ)  2022/02/18
    造詞、冴柳小夜・正     2022/02/18
    監修、そうきょう連      2022/02/18
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
万愚節には学蘭を着て
右足右手 左足と手
前へ出しては歩きゆく 道草
生えてほころぶ 夢がなる 
日の絵と 日拝みめでる世の
新世界が来る

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/02/18
【歌詞解説】
応援団の学蘭、よいですね。

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
posted by 秋残り at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽