2022年01月08日

出発1680 大きな力 :イカスミ柳

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音楽
【曲名】 出発1680 大きな力


    創曲、冴柳雪広・正(やなぎ)  2022/01/08
    造詞、冴柳小夜・正     2022/01/08
    監修、ほうきき・正        2022/01/08
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ACID ソースネクスト社
【歌詞】正里
大きな力の 波寄せて 潮風が
頬なで 浜は 深緑木々そよぐ
帆を上げ船行く 新しい春の世に
人朗ら 宮辺の三宮 きれいな座敷に
座り 賜る扇

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/01/08
【大きな力】
暴力団に、健康安全を。

暴力、大きな力のこと。波の力などにいう。
【印刷】
 暴力のある所、浜辺という。ここで仕事をする
沖仲仕、漁師、港湾の労働者等、これを暴力団
という、大きな力の組、団である。この団の知らせ、
連絡に、団内の新聞を作る、この印字の印刷
の仕事、印刷業という、暴力団の印刷という。

 これで、暴力団が、海辺に出て行く 。全国の
海辺である。昔の、沖崎るか、という。沖の場の
組印という。暴力団印という、発行の印刷である。

 この印刷業の言いの暴力団という。印刷業を
請け負う組の人という。ぼっくせ、という。印刷の
印字の組の人である。
【舎弟】
 これが、よとむ、という。淀む印字という、印刷紙
である。これを、ていそり、という。『てい』を淀むにとる
、淀判(ていはん、てんはん)という。後、じょうらぎ、と
いう。てっそむ、という。手を染めるという、仕事を
することである意という。せっと、という。手を染める
ことを、せっと、という。せっと淀判という。これをする
人を、舎弟という、印刷の業に携わる人という。

 この舎弟のことを、淀みま、という。よっとけ、という。
よらぜ、という。これの言いの、くらす、という。舎弟の
世をいう、印刷業者の日常である。

 くらす人という、印刷業者である、これを、組しぶ、
という、組んだ組のことである。主に浜辺の印刷である。
いっせらぎの組という。後、暴力団という。普通の
人達の集まりである。
【養蚕】
 寺の養蚕という、この寺の蚕の力を暴力という。
この蚕を、暴力たんはむ、という。後、みっすべ、と
いう。たまう山やら、という。山という蚕の集まりで
ある。
【耶蘇落】
 キリスト教の耶蘇落という、これを、ちょこすれ、と
いう。今のチョコレートを作る仕事という。キリスト教
がチョコレートを作る団体である、集まりである、
この団に、ちょっそく、という、チョコレートの仕事である。
この団をチョコレート団という、キリスト教一般である。
この暴力という、小さな善力という。キリスト教の
女性の仕事という。

 暴力という言いの諸相である。今風にいえば、
昔の言い方という。
【神戸】
 宮辺の三宮という、神戸のことである。この『
神戸』、古い、長岡京の友岡辺りという。水辺
の、まけさり、という。造船業の場という。暴力の
造船という、暴力団業という。造船会社の古い
言いである。
【神戸三宮】
 これで、神戸へ行くという、今の兵庫の神戸で、
宮辺の三宮という場所という。今の三の宮辺りである。
古い日に、侠客御所という、ここから訪ねた三の宮の
団という。そこの家の歌である。

 皆、浜辺の仕事をしておられた人達である。
扇を戴いた話という。今は、手元にない。

 ない話を書く人である。当時、暴力団といっていた
ことという。ここの座敷である。侠客御所という、
今の京都御所の人ともいう、たくさんおられることという。

 印刷業をする暴力団という。暴力団の一意味で
ある。

 暴力団に健康と安全を。
広く、印刷業、造船業とも、この人達に健康安全を
、という。

 健康な体で安全に仕事をしてくださいと、暴力団
にいう人という。周りの人にも安全をという、いちいち
私が言うまでも無く、考えている人達である。

 神戸三宮の宮、京都ごゆほめ、という、古い暴
力団の言いである、暴力冠語という。ごゆ、ともいう。
京都御所のことを、けりさま、と呼ぶ、京都の暴力
団である。一般に、かっくり、という、京都御所の呼ぶ
呼びという、暴力冠語をかっくり、という。警察にも
用いるのである。警察を古く、浪士という、浪士団、
浪士組という。暴力しまり、という。島の里という。
警察のある所を、暴力里という。キリスト教の小さな
善である、小善里という、耶蘇団という、場所でもある。

 警察に、健康と安全を、という。

これが、落ちである。物事のしまりという。決である。

余談。
 友岡という、友岡である、友岡の『友』の意である、
上の文である。これを、ともじょれ、という。『しら』と
いう場所である。

 『じょれっさん、びた』という。じょれみの言いという、
これを『しら』という、古い三の宮にもある、浜じょの
言葉という。ぼふれめ、の言いという。
ぼふという、暴力のことである。大きな力のことである。

 細長い舟で、たくさんの人で漕ぐ舟を、暴力艇と
いう。後、競艇にも使う、波の力を乗り切る力という。
波の力を、乗り切り、という。乗切(じょうせつ)の、エル
サンファールルーという。古い京都壬生の舟屋である。
浪士漕ぎという、ぼふつれ、という。
古い話である。新しいよい話である。

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
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2022年01月07日

出発1682 埼玉、猪 :イカスミ柳

出発1682 埼玉、猪 :イカスミ柳
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【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/01/07
『猪が 今日も飛びくる 紫宸殿』

出発1682 埼玉 :イカスミ柳
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【曲名】 出発1682 埼玉


    創曲、理科柳雪広・正(やなぎ)  2022/01/07
    造詞、冴柳小夜・正     2022/01/07
    監修、そうきょう連      2022/01/07
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ACID ソースネクスト社
【歌詞】正里


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/01/07
猪が 今日も飛びくる 紫宸殿

【河内長野、埼玉】
 浪花のなきそれ、とぞそ。もっしか、という。猪をもという。
河内長野という、大阪の古い、みとよりがま、という。ここの
紫宸殿とみいう。さいたまという、大阪の河内長野のみよ
らき、である。
 『大おばあさん、おらっせもそれ』という、みよらきの、
さいきからみ、という。イノシシが々ように出てくる
大おばあさんのごいそきらる、いしかんさき、という。
紫宸殿とっすみ、という。

 京都の今の御所の長屋のような造りの井戸のある
頃という。ここの、めとみる、という。紫宸殿のことである。
わらるらき、ひもそら、これを、ろりせる、という。
 猪を愛でるひぽせま、という。ひっぽよも、という。猪の
ことである。渡し山踏みの、おいかみさり、という。
みうちのうの(河内長野)という、京都御所の長屋の場
である。

 大阪河内へ行く、くくげのきっこる、という。くげを、
くくげ、という。ろっぱの言い、という。また行く、河内長野、
ここを、の、という。のやひば、という、さいたまの、しっさり
るり、という。またやたのあいされ、という。もっとくのいそみ
そ、という。いばらんれの、たいそらる、という。
 さいたまごっしょく、という。ここを、めのすまらのろわ
ぜる、という。
【ワシントン・アーリントン】
 アメリかのワシントンのアーリントンという。ここへ、
さいたまから行く、ゆっぱさるる闇という。場所を闇と
いう。さいたまの言葉という。
 この『さいたま』が、こうはんるれ、という。こうしょぎ、
という。てっせらの言いという。ぴばるら車という、
垂直に上がっていくジェットと自動車である。

 ここへまた行く、私の行きという。その紫宸殿の歌で
ある。全国にたくさんある、さいたま、さいたまの、なが
しからり、という。長野の河内という、長野県の河内
長野という。ここにも、さいたまの紫宸という埼玉ごりょ
さり、という。
 古い渡しの記憶である。これを、さかむしゃられる、
という。アーリントンもっきす、という。
 アーリントンに私の墓がある、ここの、いとまら、という。
ふっぷら・れっせく、という。ここへまた行く、ゆゆざらの
、こうにょろ、という。太宰とんはみ、ともいう。太宰の
たいはる、という。太宰にもアーレザがあることという。
大宰府という、太宰のリハラルという。太宰ろんせま、
という。
【カザフスタン】
 この日、浪花さきゆり、という、埼玉のすべさら、
という。ここへ、ロットレという、超豪白という、超
豪速の、ひとやり山の乗り物で行く。名を、劣る、
という。劣ルで行く、大宰府からロシア・モスクワ、
カザフスタンという、アフリカのマレルという所の
訪ねのお行きという。

 カザフスタンの花芝という、チェコ・プラハという、
ここのとっぱるという、ここせのおいられ、という。
ここから、アメリカへ行く、ウェストニアという、ア
メリカのロサンゼルスという。ロサンゼルスの町である。
また、チェコ・プラハへ帰り、このプラハから、
カザフスタンへ行く、カザフスタンのタッポスという
場所の行きという。タッポスからマレルへ行く。
マレル山ふまの、いよさまる、という。

 ここかやたゆざる・あってら、という。そこの、
あおらっきく、という。葵い色の聞くの花の咲く、
おいやらる・せっとく、という。今の、カザという、
後、カサブランカという、ここへ行く。

 ここで、きっそれみ、という。きずすみの、
青い家という。港のある所という。この日、
以前ヨーロッパから訪ねた、きさまるらる、
という、カザミブラブという。ミブラの町という。
たくさんあるカザの町という。カサラミ、カサメウ
カザブー、数すらのいそきき、という。カザの町
である。
【モロッコ・カザ】
 カサブランカという青い色の町である。ヨー
ロッパ・イギリスでの呼びに、ブルー・ロンドンと
いう、カサブランカのことである。ここにノソという
場所がある。このノソのいそたという、いそらまの
場の近くという、古く、トロイ・パルテノンから訪
ねた町である。背の高い大きな人がいる町と
いう。ノソンガという場所ともいう。人もこの場
所を名乗るアフリカの真黒の肌の人という。
古い日の同在という、モロッコ・カサブランカの
町である。

 ここを、ナユッタスという、トロイ語である、カサ
ブランカのことである。ナユヨという挨拶である。
人に会えば、ナユヨという、これが、古いブーズ
ー語である。この町に日本語が通じるところと
いう、この『ナユヨ』が掛け持つ由来である。
日本語の『ナユヨ』と同じである。トロイの
ナヨユッテスという、英語、グドソム、という。
これが、グッドの英語のブーズーまる、という。
英語のブーズー語である。ロンドンニーズとい
う。ロンドンのレーラ鼻の崖の所である。
【イギリス・ロンドン】
今のロンドンの川崎の海岸である。ここが、
レーラ鼻である。レーラ・フックスという、
レーラ冠話の鼻である、フックスという、ここわ、
ナユスミという、古いロンドンのブーズー語で
ある。後、コックスの冠話になる、ギロギロ、
メロメロという、これらの言葉がある、古コックス
である。ニューヨークでも使う、コックスの古い
英語である。
【アメリカ・ロサンゼルス】
 この頃のアメリカである。ウェストニア・らん
せば、という。ロサンゼルスの北である。小さな
村という、そこへ行く。チェッコ・ランソムという、
チェコランの行きという、チェコランからの行きで
ある。そうきょう山れき、という、山船の使いと
いう、今のロサンゼルスのウェストニアのスッツと
いう、この『ツ』、日本語の『津』である。山の
津の場である。ここへ置く、大きな岩船という。
この岩船を、ランスムという、ロッスコーという、
古い米語の言いである。船が進むことに使う
ロッコという、これが、後、ロッホという。イギリス
の歌にある、ロッホ・ローモンドという、この『ロッ
ホ』である。岩船を操る言葉である。
【ワシンシン・アーリントン】
 この『ロッホ』が、ワシントン・アーリントンの
モニュメントである。記念碑という、岩船の後、
記念碑にしたことという。またせらるお行きと
いう。

 ワシントン・アーリントンの墓という、墓参を
すれば、いつも会うアメリカの大きな人という、
隣の墓の人という。若い人の墓の隣である。
これを、墓のおあらぎ、という。

 ウェストニアへ行く人という、古い日、ヨーロ
ッパの人と一緒に行った、ウェストニアである。
ここが、まだある話という。今のロサンゼルスの
北の方である。砂漠になっているところである。

 私の好きな砂漠、今のチョッキソという、ちょっ
とのメタルという、金の砂漠という、ちょきるら、
という。ロッホの丘の町様という、砂漠の町という。
ロサンゼルス北の所である。
【アメリカ・ニューヨーク島】
 ワシントンのペンタゴンという、ニューヨークの
ペンタパッセラという、古いニューヨークの三番
街という、ここの住まいという、ニューヨークという
島のあった頃という、この日、後で来るアゲーン・
カーロクという。レッド・パンチャーという、大きな
箱の島の城の置きという。白の中にある大きな
箱で、レッド・パンチャーという、この中に、いこる、
というものがある。これが、まだある、海の中で
ある。この日、入れたのである。ニューヨーク島の
大陸側の埼である、名を、トという。この『ト』、
今のギシリャ語の言葉である。英語の『ザ』で
ある。城の中の鉛の箱である。後、この島へ
ロンドンから行く、パリ経由で行く、日本からも
行く、ジョージ五世という人が、おられた頃
である。ロンドン・モーニングという、島の埼の
名である。名付がジョージ五世である。

 古い頃の話である。シェップス・ロンドンという、
これが、ロー原の言いである。ニューヨーク島の
原っぱである。フィールド・ロンドンという。今の
イギリスの丘のあたりの人という、ハイドの公園
という、そこの近くである。古い記憶の片隅で
ある。

 このハイドのちざという。地の座という。ハイ
ド・レットスという。山そめのしそるら、という。
この日の言いという、ラレンファールゥという。
ハイドの地を、らっかけ、という。この『ら』が
古い、らのべ、という。古いハイドの日本の
呼びである。今のイギリスのハイドの公園と
いう。この日 、すでに、ハイド公園という地名
であったこととも。後、パッツという、ギロギロの
メロメロという、これが、古いコックスである。

 これがまた行く、さんとれの旅行という。今の
長岡京市の、向日冠白という、ここの空港から
の行きである。超豪速のシャープ・ラントスである。
向日冠白の空の管制用語が、オール・コックソン
という、こくさらみの言いという。ロンドンをパットン
という。パットン・シーラクという。これが、新しい
ハイドの地の言葉である。ハイドをパットン・シー
ラクという。シーラクという、フォンソワの地のフラン
ス・ラックという。古い日の、ロンドンのストーン・
ヘンジという、ここの住まう人の言葉という。

 フォンソン・ランドンという、ロンドン・ランドンの
言いという。古いロンドンの人の言葉である。
フランス語の係のロンドン・じんびつ、という、
コックスのフランス語がかりの言葉という。
ラールロンともいう、言葉のことである。

 このラールロンという言葉が、ニューヨーク
島の言葉でもある。フランス語がかりのニュー
ヨークという、これに、京都府向日町の太
極殿の言葉を使う、二語を使っていたニュー
ヨーク島である。太極殿のブーズー語である。
今の日本語である。ニューヨーク島の人は
ラールロンと日本語を使う人達という。古い
ニューヨーク島で沈んだ島である。世界各国
の人がいた島である。沈むときには、皆、いな
かった話である。全部無事である。
ラールオンソンというお書きである。
【アフリ・ノソンガ】
 アフリカのノソンガ村の人という、一緒にい
た人である。中国のチャッスビーという町の
日人ともいう、中国人のたちつられ、という。
一緒に場所を移動した人である。沈むとき
である。私の記憶である。

 この頃のことという。ないさきのお書きという。
チャーレラのパユッソベという。

 レッド・パンチャーの一緒に入れた人という、
中国人である。今もおられる私の思いである。
古き日の世界、南アフリカの喜望峰のきませの
人という、きっぱという言葉の場所である。

 オーストラリア・シドニーの行きである。シド
ニーの浜辺の住まいである。ここからキャンベラ
特別区という、ももせらのお行きという。
キャンベラの特別区をロールツという。この
ロールツの言いがある、キャンベラの特別区で
ある。5、7、5の日本語の田という、ここで
歌った歌である。紫宸殿の猪である。キャン
ベラに日本語がある。俳句がある町という。
ニューヨーク島の住まいの隣の住まいの人で
ある。俳句の得意な人である。上の歌である。
川柳の町という、ニューヨークという、オーストラ
リアのキャンベラという。英語の俳句も作る人
達である。

 キャンベラ特別区を紫宸殿町という、紫宸
村という、この紫宸殿、大阪の浪花の埼玉という。
埼玉の紫宸殿である。河内長野という、かわち・
にょーはる、という、埼玉のことである。

 また行く埼玉、関東の埼玉、長野埼玉、大阪
河内長野の埼玉、紫宸殿という、建物、場所が
ある村である。外国のニューヨーク島の、北の東側
である。紫宸殿という建物がある、京子という名前
である。京子という紫宸殿である。ここを、シットンと
いう、しれせれ、という。シットン・パールレーという、
しれせれの宮町という、鳥のひきさき島という。

 これを、かよきき、という。かよせらの、しばする、と
いう。これが、花芝のことという、芝花ともいう。
外国の場所にもたくさんある、花芝の地という、
英語で、すっされ、という。フランス語の使いの島
である。オーストラリアらんとれ、ともいう。

 オーストラリアのサンタクロースという。オーストラ
リアのいよさみやら、という。全部、脳の文である。
地名が脳の部分の名称である。これの縮図が、
今のアフリカの頭という、アフリカ地図の都市名が、
脳の部分の名称である。

 古ブーズー語になる脳学である。古ブーズー
語の地名が、脳部分の名からできている、これが、
ブーズー語の一つの言葉の造りである。ブーフル
という、べもそめのうゆそゆ、ブーズー語のことで
ある。

 みなせの町のナミベ山という。アンゴラの国の
水辺の町という、ここが古いブーズー語がある、
一部、日本語が通じる場所である。地の山の
裾という意味である、アンゴラという。
紫宸殿の5,7,5がある町である。古い山の
お書きという。舌に皿をのせる古い風習の町と
いう。サルーという、ナミベの町の別名である。
 外国の人もいて、小さい猪がいたことという。

【歌詞解説】

そうきょうよいお書き。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
posted by 秋残り at 13:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2022年01月06日

出発1670 楓間月 :イカスミ柳

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【曲名】 出発1670 楓間月


    創曲、理科柳雪広・正(やなぎ)  2022/01/05
    造詞、冴柳小夜・正     2022/01/05
    監修、そうきょう連      2022/01/05
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ACID ソースネクスト社
【歌詞】正里
楓月正月 楓添え 副添えの 松飾は
向日町は楓静 そうきょう風吹けば
よりそうる そうらぜの竹 玄関の飾り初め
健康に楓の向こう先 ことほぎと

楓間月という、正月のこと。
空の月でもある、正月の付きという。
太陽を昼楓という、正月の太陽という、
鶏ともいう。
 暦の楓間月という、これを、おうかんという、
おうかん月という。往還の行き来という。
太陽の入り沈みをいう。陽はまた昇る日沈
の太陽という。沈みをたっとぶ向日の陽(こう
じつのひ)という。向こう葵ともいう。葵日という、
元日のことである。葵印太陽という、まっぱくの
言いという、はくせらるう、という。はくまるの言い
という。はくまろ、ともいう。あいせざれのいいらく、
という。ロミソンという、『向』町のことという。


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2022/01/05
【歌詞解説】
 梅干しを買うことをトッタという、『向』の町の
古い言いという。向町の鶏冠井(かいで)という、
これを買い手という、買い手のことをトッタという、
トッタ手という。
 
 これが、言葉を広げる太極殿のことという。
鶏冠井太極という。向こうの景観という。
梅干しを買って後 、景色を見る、鶏冠買い
という。これの歩きを、鶏冠井様(かいでざま)と
いう。

 正月の梅干しを、鶏の頭に例える、みっびつ、
という。みひし、ともいう。梅干しを餅に見立て、
梅干しを、とらすれ、という。正月の餅を、トラ
という。これを、竹の箸を使う、正月トラ渡りという。
このトラに、竹を添えたという、トラを猫のように
描く、猫替え年という、新年のことという。

 この猫を、いっせま、という。トラを、ろき、という。
これを、トラ替えぜら、という。トラの祝う健康と
いう。トラの健康を祝い、我が健康を添える、
これを、ネコという。ネコラの時という。
古い鶏冠井の言いという。正月をネコラという。
正月に猫をめでることを、とらるら、という。
とらるらの・ふうくつ、という。風窟。この風を
トラという。トラの目という、台風の目という。

 風をトラに例え、ネコ竹という。竹と虎の
絵である。これが、じんとり、という絵である。
ネコ竹の、廟竹、という。これを、かいざきされ、
という、一言いに、そがされ、という。

そがされという、みのえ、という。これをみのえと
いう。身の上という、身上けんたり、という。
そがを、もっけ、という。もっけを、け、という。
餅のことである。しらけそみ、という。
けずかりす、という、けそみそ、という。これを、
みそけという餅という。みそかの餅という。

 31日にみそかの餅を食べる、これの鶏冠井
みそか、という。翌、明けを、ねこみらす、と
いう。正月をねこという。ねこやまらみの言い
という、鶏冠井方言という。これを、白いの
とりにする。しろいという、めっくのそみすり、という。
白い鳥を鶏に充てる白鶏日という、これを太陽の
日という、元旦のことである。白に畔という、
太陽のことである。

 向こう先のフランスが、日本を太陽と言い、
自分を鶏という。に畔が太陽を見ることを、
その視線を、鶏戦線という。第二次大戦
のことである。これを、言葉の広めという、
フランスの日本語を使うことという。この話が
ヒットラーの進軍という、ベルオリーという。
音楽の軍楽のことである。これを、しららっかん、
という。白鶏覧という。勲章の鶏勲章である。

 鶏の、おやられた・そみそり、という。白い
鶏という、ばんけす、という、てぐさま、てぐほん
という。ラッパーという、鶏声の歌手という。

これの声の向かいを、さっくく、という。山で
ある場合を、八方という、声のことという、
ヤッホーという、ララという、山に向かって呼ぶ
声という、その返りを聞く、返り声を、きまず、と
いう。こだまという。こだまを、渡世という。とよ声
という。この声の快感という、胸を開ける、開襟
の服の造りという。こだま服という。これに、
鶏冠の飾りをつける、鶏冠開襟という。
うめゆらぜの服という、梅を天神で表す天神襟
という、開襟シャツのことという、背広のことである。

 またさわれ、という、襟のことである。開襟という。
これ子らの言いが、『向』の町の言いという。
これを、開襟語という、『向』の町の方言という。
これを、しらっせら、という。鶏の鳴き声である。
しらっせらという、知らせの意という、夜明けの
知らせをする鶏という。鶏冠井に地の代表をとる
太極鶏冠という、大きな鶏である。一メートル
程の鶏である。恐竜のトモドンという。鴻鵠という、
中国の言いという、この鳥の大きな鳥という。

 トモドンという恐竜の、おべやり、という。鶏の
大きな恐竜の鶏である。3メーター、4メーター
という。太極殿クウランという、鶏をクウランという、
鶏冠井の方言である、『向』の方言である。
『向』の字のつく場所である。

 クウラン一声という正月の到来である。鶏の
庭という、太極殿を鶏庭という、鶏庭所という。
これを帝という、鶏のべ名である、帝という。
帝鳥ともいう。『グワーッ、コケー』という鳴き声
である。ぐぎゃくら、という、鶏小屋である。

 『向』の方言である、鶏冠井方言ともいう。
楓間月という、正月をそういう鶏冠井である。
ことほぎの鳥という、鶏である。祝鶏鳥という。
太陽のともだち、という、共立鳥という。

 トモドンという、鶏のドンぱれ、という。日本の
鶏日という。トモドンという正月である。古い日の
岩手の言いある。岩手県。
青森の、トモベ、という。はちおり日という。
新潟の、びっせら、という。
山形の、るりひり、という。
秋田の、おうりら、という。
宮城の、とんぺ、という。
福島の、もっぱつ、という。
元日であり、鶏のことである。

関東の、げげるり、という。
中部の、みまげら、という。
三重地方の、よよん、よんぱれ、という。
近畿の、ろっけり、という。
中国の、ろしらら、という。
九州の、だだ、という、りはる、ともいう。
これが、ダダイズムの九州という、大宰府の
言葉という、九州の代表である。
ダダイズムという鶏のことである。ありがたやの
言いという。りりんせら、という。りはの言いと
いう、せっしょらの言いという。
太宰おさむという、九州平定の鶏かいれ、
という。言葉が九州全般に及んだことという。
言葉の広まりである。これを、鶏激と
いう。言葉が広まることをいう。鶏勲章の
意味である、一地方の言葉を、大きな地域
に広める言葉という。これを、へいさり広めと
いう。軍の披露目という。言葉の広めの
一解釈である。

 統一とは、『さ』の言葉である。統査という。
太極殿淳和の広めという、お茶で広める言葉の
広めの一法である。『さ』の広めという。淳和茶
の話である、統一という、統査という。

 兵の言葉を標準にする話という。軍れず、と
いう。『きょめ、さんられ』という、会った時の挨拶
である。鶏会いの言葉という、向軍という、向隊
という。郡れずの山のお書きという。さっさの覧閣
という、軍隊の泊まる場という、向軍の言葉である。
鶏の帽子を着る話という。向町の軍隊である。


そうきょうよいお書き。
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『天照大神、そうきょう、よいよい』
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2022年01月01日

皆さま、おめでとうございます。

『おめでとうございます。』

 これを、きょっくく、という。ここを、江戸城という。
アールラッセン・ホアッルラーという。ラッセン・ニーズの
こりゆってき、という。らっとうの言いという。
 『きんゆば、せりまさ』という、『おめでとうござい
ます』という意という。これを、そうきょう・らっくく、
という、レルッサン・オーラクという、れるての言いと
いう。

 『ここゆら、きんばれ、めなせら』という、向日
ごゆらくの大極殿という、ここの冠語である。これを、
アップション・シーズという、冠語のことである。

 ブーズー語で、『ナユヨ』という、ハッピー・
ニューイヤーである。ドイツ語のナーレルの掛かり
である。ドイツ語ののみ浜の言葉である。これを、
アンゴルゼという、アンゴルという。ブーズー語の
古ブーズー語である。冠話である。

 ドイツ語の『ナハト』という、ナハトの意がある
『ナユヨ』という。セサミル格という、文法の格
という。これが、ブーズーの格である。

 私を、ムンブク、という、セサミル1格という。
『ムンブク、ブーシャ』という、古ブーズー語の
『あゆよっせん』という。これを、みよ浜語という、
篠山のブーズーがかりである。

 江戸城のブーズー語という。古武士という。
ブーズー・ランダムという。これを、
江戸城のほりから、という。『から』が
言葉の意という。カラオケという、カララと
いう、カラセルという、言葉のことである。
 江戸城で挨拶をする、『こみれる、さましら』と
いう、これを後、単に、『しら』という。挨拶の
ことで、言葉の意である。江戸城を、しらっけり、
という、これを、皇殿落という。

 皇殿落の『あいたりはら』という、江戸城の
ことである。たりるらべんもる、という。やや
とせの、ご挨拶という。大お爺さんに申し上げる
ご挨拶である。ブーズー語という。正月三が日の
ご挨拶である。『ムンブク、ブーシャ』という、
これを、古武士語という、古ブーズー語という。

 これが、アフリカのアンゴラにある。大極殿
からの言いという。大極殿ブーズーという。
  『ムンブク』という日本語である。江戸城代
かんゆき、という。これが、古ブーズーの言葉
である。

 レレッセン・タークソーという、ブーズーと
日本語の関わりをいう。ここがミナベである。
日本の古い挨拶である、『ムンブク・ブージャ』と
いう。アイル・サックスともいう。このままの冠語
である、英風冠語という。

 『ムンブク・ぶーじゃ』の話の英国伝祖という。
英国各地に、これがある。古アイルランドにもある。
ギロギロという、古コックス英語の言葉という。
これが、ありょう木の言葉である、後、アッサムと
いう、アッサムの木の言葉という。ラルン・ファー
ルラーのお解という。

 ハッピー・ニューの解釈ともいう。『水』が掛かる
ニューという。英語を入覧語という。水の話が出る、
ニューのおにゅう(お入)という。レラン・ファックス
の言いという。木に水をやる掛かりという。
 アンゴラ・ミナベの話である。
なみふみらくのおんぱれ、という。歌山の言いという。
『おめでとうございます』という話という。
『アンゴル・モック』という、古ブーズーの挨拶
である。

あんせるいまやら、という、4語の言葉である。
古い日本の和歌という、4,4,6という調子という。
後、5,5,7になる。
『あみきし、ゆられら、おりすずるる』という、
出雲立つという、八重垣のことである。正月の
言葉に使う、向日世の大極という、アンゴラにも
これがある、古ブーズーの冠話である。
コカンレックスのおとよと、という、古ブーズー
のことである。古武士語という話である。

『皆様』という、さんすげの言いという。
『皆様、おゆらる、こりらく、ろめるら、
いひしり』、『おめでとうございます』という、
『ナユヨ』という、この意である。

 古い日本の正月の挨拶でもある、
『ナユヨ』とぞそ。『ナバ』ともいう。
『ナバ』が、チョッソン・ラールゴーという、
古い朝鮮の言葉ともいう。『ナンカンヒュア』
ともいう、古い李氏の言葉である。オロションの
おこと、という。日本語でもある。

 日本が朝鮮を日本というひに、朝鮮が日本を
オロヒャワという。これが朝鮮への侵攻である、
言葉の広がり、広げという。日本語を使っているひに、
オロヒャワで朝鮮語を使う、これを、チョッソン・
ラールゴーという。みよ山の言葉という。チョロンソと
いてう。フアル・スッサン・サーズーレーという。
4文字の和歌の頃の日本という、オロヒャワ語という、
チョウセン・ラールゴーを使っていたことという。
代表が大和朝廷である。田村の守という、田村麿と
いう、坂の上の田村麿という。その人の言葉である。
係が、山科になる、日本府の掛かりという。日本に
朝鮮がある話という。朝鮮に日本府があることという。
田村麿という人の造りである。

 朝鮮へ行ったひは、太宗という、朝鮮の太宗で言った
話という。田村楼という楼閣の尋ねという、ピョッソン・
ラールゴー足す意゛ねという、チョッソン・テイハンと
いう。これを、日本軍の侵攻という、太宗という朝鮮の
太宗が朝鮮へ行く、今の平壌である。
『私、朝鮮人である』という名乗りのパレッスレーという。
朝鮮の原始人ですという名乗りである。太宗の古い意味が
これである、原始人である。
米米米米 米米米米 米米米米 米米米米 米米米米 米
 この原始人を、ナユレという、チョッソンのたむぜ
ら、という。坂上田村麿の話という。チョッソン・ラー
ルレーという。なゆみの山のお書きという。後、『ナム』
という。日本語とちょっそん語の同語である。今も『ナ
ム』をいう。日本人で、朝鮮人と同じく『ナム』をいう。
 
『ナム、せいらるう』という、古い日の、李王朝の言葉で
ある。私の故郷という原始人である。古い話という。

 朝鮮の漢の時である。『ナム』の言葉の説きである。
李王朝という、朝鮮太宗という、日本の、すももの宮の
人である。

 同一人種に扱う、朝鮮モンゴロイドの人種の区分け
である。モンゴロイドという、日本人のことという。
『ナム』が元である。

 日本の中の朝鮮の話ともいう。韓国岳のことともいう。
あやからの山という話という。リュウファンラクのお話と
いう。

私講義11
『楽器ギロ』の話
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