2020年12月21日

卒業8360 青い桜 (壮強太陽):イカスミ柳

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音楽
【曲名】 卒業8360京都船旅7260
古譜6260大原練習6160天の下6560  青い桜 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


        創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺 2020/12/21
    造詞、勇野 晴丈・正     俺 2020/12/21
    監修、雪柳里花雄・正     俺 2020/12/21
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ハーモニー・アシスタント Myriad社
【歌詞】創郷 
孔子廟 扉には 彫り絵浮き 桜見
青い花が咲きにおう 春の音 段々と
近く園浮世 激しいゆざま降りて
ミサの真中のうち張 声高の
らいす 隅田川由良辺 魚が泳ぐ


【解説】
20201129
【解説】
魚が鯨のこと、クジラが泳ぐこと。
【篠山大尺】
20201221
 尺家世のお書き。
 『みとたかは、一尺』と仰せのおおおお御爺さん。
『みとたか』という身の丈とぞそ。『の』を『と』という
身の高という。七代前の小林たよの、という御名の大御爺
さんという。一尺という仰りである。この一尺を篠山大尺
という。一尺が2m35cmである。、御爺さんのお丈という。
大きな御爺さんであられる。

 この基準の現代建築という、2m30という基準がある。
この御爺さんのお丈という。御所の建築という、これが
あることという。この尺、今の一寸という言いの一尺である。

 篠山の大尺という、この尺が各地にある。わたす尺という。
尺角の屋という。この御爺さんのお乗り物である。倍程の
大きさのとらっくである、彦車とぞいう。山々のお絵と
いう。彦の車のことという。天皇賛者という車という。
この車の住まいという、大きな家である。篠山という、
兵庫の篠の城の尺という。篠山城の尺である。篠山大尺と
いう。大きな大御爺さんという、植村みのえの御名という、
2m35cmである、御身の丈とぞう。

 その頃の篠山城という、高張りという、高張りの天井と
いう。みな、そんな背丈の頃であられる。いそもそのお絵
という。

 空に、大きな、月よりも大きい星という、ドンデクとい
う星とぞそ。細長い箒星という。空にドンと浮かんでいる
浮世の空とぞ。そんな頃の空である。

 この空を、れう空という、れて空という、レミトスと
いう。篠山の冠語という。篠山城のことという。高張りの
城という。園篠のお書きという。字が、後のしださり、と
いう、シダキ文字の少し古い字である。しださりのおつえ、
という。文を『つえ』という、つえゆえのおゆれ、という。
綴り字のしだき綴れである、これを、しださみ、という。
しださみのお書きという。頃が、こっしくの頃という。

 篠山の、むかゆれ、という。むかせるおゆふり、という。
篠山城のおゆり、という。篠山の古い城とぞそ。大砲という、
この大砲のお打ちという。口径80cmである。後、園部屁運ぶ、
後、高瑠璃という今のた高槻である、そこへ運ぶ、後、わか
よりの国という今の和歌山の湊の大地という、若山氏の大地
である。友ヶ島へ渡る港という。この日の、友ヶ島、砲台島
以前の縞という、青美島(あおみしま)という。

 この日、村上水軍という、和上の城船という。船に城が
乗っている船とぞつづ。和上城船という、大阪の曽根崎の港
より出でる、わせくり船という。船くりのくっそぎ、という。
オールの櫂の漕ぎという。そうはむのお船という。この言いの
船という。和上船という。

 新潟村上の城という、その奥の村上和(村上輪)という邑の
城という、和上という、城を和という、村上の言いという。
後、輪という、後、輪中という。村上の言いの、われみ、と
いう。この頃を、ゴンデラという、ゴンゼラともいう。村上
ゆっかりの言いという。『しつれんいたす』言葉である。

 村上の城を巣という、城巣の言いという。のち、ひろす(広
巣)という。奥の村上和の大広巣という。村上尺という、篠山尺
と同じである。他に、旭川尺、北海道の旭川という、網走の尺
という、青森ひろすれの尺という。山県の花大尺という、青森
うてだて尺、という、函館のうずてく、という。
千島のあそくき、という。大泊のうろぱ、という。
ウラジオストックの、ゆいだて尺という。海を渡ったカナダの
いおり尺という、も一つ向こうの、オンタリの楓みず尺、と
いう。

 この尺がゴンドワナという、総称、ごんどうの尺という。
武漢にもこの尺がある、古く、フレセルという、武漢の一尺
という。この尺がものやみ、という、ものせるのお尺という。
きじゃくの丈という、大きな着物である。

 西のポルタレルという、今のポルトスという、後、ポルト
ンという、ポルタ山の尺という、この尺であるる。同じ大き
さである。このポルトンがゴンドワナの西端である。後、ポ
ルトガルという。ポン尺という。大御爺さんの背丈という。

 ムーの頃の尺とぞそ。ゴンドワナを踏襲するムーである。
インド洋南のムーという、大きな島である。のち、太平洋の
ムー島という、この島のムーという、後のムーという。
写真家のお書きという。

 ムーのインド洋のムーという、今のJRという、超特急の
走るムーの大陸である。丘状の十字路という、ここがムー
の宮である。発散大路という、ハッサンのきみのいる丘と
いう。後、ハッサン王で残す、ムーの国という。
 
 今の日本の着物という、ムーと同じである。南洋の
ワンピースである。環頭衣の延伸という。着物である。
このムーの交易という、貿易の江戸という、日本語が
通じるムーとぞそ。国連ムー大使という、国連のムーの
大使の席という。今もある席である。

 この頃のワシントン、モイトミという、モーリルの
グリ語という、モリソンの車の呼びという、国連をモリ
という、ムー大使の言葉である。アメリカのケンタッキー
のお書きである。グリ語の書きとぞそ。日本語の文とも
いう、シダキ文字の文である。後、メキシコのダラスと
いう、メキシコシティーのダラスとぞそ。メキシコの文字
という、古代の文字という、アステカの文字である。しだ
さりの文字である。

 この火、南アメリカがあった火である。後、離れる南
アメリカという。これが、大陸分という、分の文である。
メキシコファティマのお書きである。今のメンフィス辺
りである。ゴンドラという、ゴンドワナのことという。
メンフィス辺りのゴンドワナの呼びである。

 この日のメンフィス、どめそめ、という。日本の冠語
である。ゆいらくの夢という、おりよりの話という、
メキシコを、ゆな国という、ゆざまが降りたという国と
いう。暖かい雨のことである。夏の日の雨である。

 これが、だての支倉梅雨という、はせの梅雨という、
後、オータム・しっぱん、という。秋の梅雨という、
オータム・レイニー・フォール・ダウンという、この
英語のある、メンフィスである。スペイン語の中のメン
フィスという、ファティマの名である、ティファナと
いう替えいいという。メンフィスの類名である。この
言いがフロリダにある、フロリダのメンタスという言
葉である。こが、ゴンドワナの西南の果てである。


 帯ジヨウのようなゴンドワナ大陸という。これを、
ソールという、朝鮮の平壌のヘギョン(北京)の町という。
このヘギョンを、ヘリトスという、メキシコの言いと
いう。

 ヘギョンに行く若い人とぞそ。後、たくさんの日
本人が行くヘギョン町という。ヘギョンにたくさんの日
本人がいる、今の平壌の郊外である、ヘギョンという村
である。ウルムチという武漢という、ここのことでも
ある。外蒙古という言いのうるれるのぶもうという、
武漢という、グリ語のしゃべりの場所である。ウーハン
楽という言いの、ぶもうの言葉という、日本を、ジャ
ッパという、ジャッスメという、ウルムチの言いである。
この武漢のうる春という、後、ウルムチという、ここの
鋳物とぞそ。ジャッスメという、土地の言いである。

 ぶーみょうという父母を呼ぶ言いとも。ウルムチの
武漢である。ヘギョンという、ヘギョンソワという、
これを、ル・ヘギョンという、ルルの地という、ルルが
ムーの言いである、意が世界という、自分のいる地を
いう。この言いが、たものという言いである。
ルルという言葉である。ヘギョンにこのルルという
言葉がある、ヘソという読みの平壌という。

 ヘソという読みが、南のきんされ、という地とぞそ。
朝鮮のきんされという地である。今の、五の内という、
五つのヘギョンの村という。新潟村上の『しつれん』が
ある、『しつれんソーヨ』という、日本語交じりの言葉
である。これがあるヘギョンの村である。

 ヘギョンをヘリクという言いのダムセラフルという、
ダムのある村という。滝のことである、崖ともいう。
ペッギンラミという、滝の崖とぞそ。これが、李の
言葉である。ヘギョンソワの言葉である。ヘギョンの
ことである。また行くヘギョンという、若い人の行く、
ペキョンという、ヘギョンのペキンという。中国読み
をするヘギョンソワである。ル・ヘギョンという話
とぞそ。

 古い日の御所という、このヘギョンを、よこるり、と
いう。ヘポキンの言いという、中国のペキンという、
どちらも北京という、世界にある北京の町という。
ムー大使の言葉である。国際連盟という後、国際連合
という、国のことという。ムー大使の席の伝えである。

 植村みのえという若い人の名である、大御爺さんの
御名づけという。小林たよのという若い人の名である。
ターレン(大人)という言葉があるウルムチである。
ウーハンウルハルという、若い人の名前という。
『ウーハン・ミョーラ』という若い人とぞそ。
外蒙古の『しつれんいたす』である。そこの名 である。
新潟の『しつれん』である。

そうきょうよい時です。D21.  
posted by 秋残り at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽