2020年12月10日

卒業8181 帝王 (壮強太陽):イカスミ柳

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音楽
【曲名】 卒業8181京都船旅7081
古譜6081大原練習5981天の下6381  帝王(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺 2020/12/09
    造詞、勇野 晴丈・正     俺 2020/12/09
    監修、雪柳里花雄・正     俺 2020/12/09
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】創郷 
転生の孔子廟 ひととせ めのやみと
朝早く庭を掃く私の毎日と 通り過ぎて
四季は巡る 緑木に葉つき 鳥も歌い
鯨が潮上げた 参る人の声高 文読む
人に合わす 鯨と鳥

【常、日頃】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
そうきょうよい時です。
【歌解説】
【天里ク】
 天里クという、たくさんある孔子廟という。中国の人
という。日本の昔のことという。孔子を祭る日本という。
江戸時代の幕山の意という、行動規範の踏みという。子
曰く書という。子を師という中国の武漢さむせら、とい
う。武漢の古いことという。後、城を曳く愛家という場
所という。山々のお書きという。

 字の国、中国の漢字の文かとぞそ。ターユイという、
ターイエという、後、グリ語という。ぐりせらの言葉と
いう。後を、トンホァという。トンホァの言葉という。
今の中国語の初期という。

 コーシー・ハンラーという、はんすみの言いとぞそ。
子曰くの意である。子曰く、夢をまるという。これが、
孔子家文である。その子の意という。夢殿の講師という。
後、消灯という、消灯のけさるじみ、という。

 後の、まよふり、という。ふれする孔子という。時代
の規範をいう。孔子規範という。みよらむの言いとぞそ。

 ウーイーションホァッカーという。初期の孔子の家屋
である。武官のしみさび、という。城の住まいとぞそ。
フーイル・ランルーのお言いという。これを、フーズフー
という。ふーみる言いという。ろむ山のお書きという。

 また行く武漢という、城を見るふうからの人とぞそ。
周春の行きという。中国の武漢の春である。武漢の春、
パンダが声を出す、その声の声高という、声高の帯浜と
いう、中国の愛家の町とぞそ。

 そこの鉄作りという、鉄を作る愛家という。愛山の麓
という。パンダのいる町という。そのパンダの脳という。
笹を食べて、鉄をよるパンダの笹見脳という。笹をよる
パンダという。笹に鉄があるという、笹の生えた所とぞ。

 これを、篠ゆり、という。パンダの歩く腰振りである。
笹のお歩みという。パンダの脳の話である。パンダ脳と
いう歩みの見という、身ともいう。見身の獣という。
これを、お獣という、おとうの尊い獣という。

 今の鉄がパンダの脳から出来ているという、人の言い
である。また呼ぶパンダの人という。パンダが立つこと
をいう。人呼び姿という、熊の一種という。笹の獣とい
う。日本の言いという。篠食べ身という。笹のお獣とい
う。これを、鉄の人という、パンダのことである。

 中国武漢の孔子という、パンダのことともいう。孔子
獣という。孔子の書の中にいるをいう。いる山のお書き
そる、とぞそ。書きその山という。書苑という、本、文
のことである。その苑にいるパンダである。

 孔子廟堂にいたパンダという。呼ぶ花の絵、パンダで
ある。日本にもいるパンダという。大原の里の獣という。
また行く大原、山越え山越え行く、わが旅の世という。
大原の里ある話である。大原の冬、氷厚き里という。

 パンダが迎える人という。入り口まで来て迎えてくれ
たことという。先導の案内である。中へ入れば、暖かい
所である、パンダのもてなしという。白い黒の模様とい
う。パンダの家という、狐がいた話という、一緒に夜を
過ごす蛮人である、若い人という。若い人は自分を野蛮
人という、野蛮の獣という、自分をそういう人という。

 パンダが大きな丼で、お茶を入れてくれた、その日の
夜である。今日の今頃である。1209-840お書き、これと
ぞ。パンダの教えという。鉄の用使礼という時である。
八時四十分を用使という、用使時のお書きという。パン
ダとともにお茶を飲んだ時である。人と言うのである。

 子パンダが来てくるくるまわりを回り膝に乗ってきた
パンダである。大原のパンダの家である。隣が鹿の家であ
る。万物山のお書きという。一緒にロボット馬の馬車に
乗る時という。パンダの操縦である。大原の道をよく知る
パンダという。高山にもいるパンダである。あの歌の挿
絵である。もの皆尊い、これを野蛮性という、人も獣の
一種という、獣をたとうる話である。人の気持ちを持つ
話である。よと山のお絵、これなるを。

 長尾谷の家、パンダの家である。向日市の渓谷の島
という。高校の先生という、そのお教えを実行する今で
ある。先生方おられおられ、そのお教えである。革命を
いう話である。学生運動の少し以前である。先生のお教
え継ぐ今である。革命の世、世界同時革命である。
Simultaneous revolution, now on お書きである。
奈良法隆寺の柿食えば鐘は鳴る、古い日置の柿、
なるなるなる柿という。革命がなる書きである。

 大化の改新の人という、蘇我入鹿という、
改新のことを言うた人という。中大兄の、はくさ
き、である。白鯨のことである。大和朝廷では、
はくさき、と言うたのである。はくせるくおう、
という。鯨のクオという、鯨をくお魚という、
大和朝廷の武官である、わかい人である。
ここを、朝廷という庭掃除をするわかい人で
ある。12月10日という、古い日野きその日と
とぞそ。天皇下がれと言うたのである、
緑雪が降ることという、緑庭のお書きという。
また行く 、回崎島である。革命の孔子廟と
いう、孔子を敬うことという。若い人のこと
という。

 まうまうのお絵という。孔子廟堂の中の
絵である。後、聖徳太子の絵という。
蘇我馬子というお描きである。中大兄が見た
話という。荒れる穂浦埼という。ガレの所で
ある。西大路の場所である。今の京都のこと
である。

 緑色の雪で作った家、緑の城、私の故郷という。
桃色の家、かの画家が描いた、四曲の絵に描い
ていある、そのように雪が降ったという、後の
駄作者と称する者の解説という。
 モロッコの青い家、モロッコは私の故郷という。
武漢の城曳き、ドロットニングの城曳きという、
パリ・シャイヨー宮のドロットニングという。
水が台形に盛り上がる地という、海という。
原初形態の水という、。水素自動車という、
永久機関という、その自動車が作り出す水という、体に
よいことである。自動車を拝む人である。
 インターフェロンという、昔飲んでいたものである。
スマホという、昔、使っていたものという、タブレットとも。
インターネット、無線装置という、大昔の者である。
液晶の大きな画面、壁一面の大きな画面という、テレビ
の家という、大昔の物である。
 万里の長城は、韓国、アラビア、インドネシア、
ヨーロッパへも延びているという、タイにもある。万
理の長城の一部という。桃色の雪の譜、これなるを。

 環頭の項という、60年前の教育を受けるという
若い人という。世間とは、半世紀もかけ離れている
人である。

 先生方おられおられ今である。革命を起こす話と
いう。時速二千キロの車という、大昔の車である。
 原初、月には空気があったという、そこのロケット、
大昔の卑弥呼のロケットの残り物かという、大切な
ことという。
 地球が回転したのは、いつやったという、止まった
ことはあるかという、誰に聞けばよいやら、若い人に
尋ねてみればよいととかも。南アメリカがアフリカと
ひっついていた頃という、いつのことかという、中昔の
頃である。山が手を振った話という。

 よい世のお書き、よいよいと仰る先生という、世界
同時革命という、笑顔の人という、健康がやってくる
話である。あの皇居という、村上城という、また行く
新潟村上、若い人の故郷である。また住む皇居である。
東大通学の日々という、ジェット機も置いてある、菊水
という、蚊のような形の機という。

 ドイツから送られた設計図という、第二次大戦のこと
という、それで作られた機という話である。ヒットラー
政策という、第一次大戦の戦車という、飛行船という、
まるい球体の空飛ぶ乗り物という家という、昔の物語
である。電気自動車は、大昔の物である。

 飛行機を作ってから、設計図を書く人と言う、八坂
の国の人である。外国へいったあとでパスポートを
作った人である、京都会議の中という、どこへ行った
のであろうか、パスポートが旅をする今の世の中と
いう。グリーンランドの項という。北極に家があると
いう若い人である。月の空気の物語、これなるを。
太陽へ行った人という、グリーンランドの民話という。

 そうきょうよい時です。正(やなぎ)D09. 

腹を横に書く。
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
posted by 秋残り at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽