2020年12月20日

卒業8350 ゴンドワナ、メロルレ

イオントーブ という、メロラギ語という。
ゴンドワナより古い言葉である。

場所が、みとゆれという、この場所のある所の言葉とぞす。
『やまと』という言葉がそうである。これを、やっち、という、
古い日本の言葉とぞそ。

 やまとをいう日に、めろるれ、という、ゴンドゼーラと
いう、ごっての言いという。これが、今の、メロという、
メロディーの古い、ゴンドラの言葉といいう、古く、やったみ、
という。これが、ことのはじゆりのことという。始まりのゆり、という。
これが、やっち、という言葉である。メロラギの言葉どいう。
村上の輪の場所の言葉である。山沢のお絵という、山沢の言葉ともいう。

 これを、メロラギという、後、ひいらる、という、後、ひいらぎ、
という。ひいらる言葉という。これが、ゴンドーランの言葉である。
古い、ゴンドワナの未来をいう。ゴンドワナが来るという、メロラギの
頃の言葉である。やおすて、という、やみたらのおりらき、という。
これを表記する文字という、初期のシダキ文字である、このシダキ文字の初期を、
シダサルという、シダサリのおゆめ、という。『ゆめ』が文字である。
これを、しっぱく、という、しっぱく文字という。後、シダヨラ字という。
シダ文字という。後、篠山市字という。篠山の、城下の文字である。
この篠山を、れう、という、言葉に、りょうと聞こえる発音ともいう。
れうのおこと、という。これが、篠山の城下の言葉の『れう』という言葉である。
やもらくのいえ、という。篠山の大山という、大山のいよする、
という。これを、シダセルという、しだらるお文字という。
文字を、しだみま、という、篠山の古い言葉という。これが、シダ字の始まりである。
これを、シダセルという、篠山のおいゆり、という。おいゆりやのお書きという。またまたの言いという。後、京の五条という、五条のこの地の言葉とぞそ。
『京の五条の橋の上』という、歌の後の頃 という。弁慶の字という、これが、上古の
シダキ文字である。仮名より古いひぃで、仮名も同時に発生している。
 これが、ゴンドーという、ゴンドワナの、イオントーフという、いませむ、と
いう。いろるれのお言いという。いよややの糸、という。これを、イオントーハトという。このは「ハト」を始祖鳥という、この頃の始祖の鳥という、篠山に化石が出る話という。他の恐竜もいたことという。篠山の町である。

 篠山龍という、篠山のおりゆはっぷ、という。この『はっぷ』の意という。
はるせるの『は』という。春を初めにする、現代の社会とぞそ。この元である。
篠山のおいる、という、『おいる』が、『おわらみ』という、おわりの意の
恐竜のことという。きょうせらのお生きという。お生きのたつる、という。これが、たつの語源である。やませらのおいそい、という。やまらるれよ、という、これが『れう』の
ことである。れうらるおりらる、という、後、おわら、という。おわら世のおいそい、という。これが、磯という、磯の野のこみとという。恐竜がいたことという。篠山龍という話しである。

 ゴンドメという、竜のことである。竜々のお書きという。たっつるてっつ、という、
この竜を、せむせら、という、せむせらのお生きという。竜を尊ぶ話という。

 ゴンドワナ陸の受け継ぎである。ゴンドワナのお行き者である、竜という。
『竜』が、ゴンドワナの古いメロルレの頃からの生き物であることという。
これが、竜という、言葉のとったんである。突端。やませらの言葉という。これを、伝える、わのの山という、これが、日本の和という、和の頃の日本である。和を古い日本という話しである。和のお書きという、メロルレの伝え書きという、ゴンドワナの古い頃である。メロルレの後がゴンドワナである。

 イスオントーブがメロルレの言葉である。和で置く、はなるきの置きという。
ゴンドールラゼンゼーという、この『ゼンゼー』が、メロルレ語である。
メットーの言いという。めろ山のお書きという。後、ごんせら、という。むみすりのおゆれゆ、という。恐竜和尊ぶ、おいごい、という。今の先史に出て来る恐竜である。
今の世にいる話という、始祖鳥の存在である。現在いる話という。
ウィンタスという、ウィンタツという、クレスタスのウッッッィットという、これが、ウィンのことのでの言葉である。メロルレの言葉である。篠山の恐竜の話である。
篠山龍のことである。これを、りもほも、という、篠山の本記という。のち、こうけ、という。これを、紅華という表しの篠山のことという。のち、篠山の城の宝である。
篠山字という、シダキ文字の書きという。若い人がつかっている文字である。
シダサリがそれより古い字である。

 今のスットン竜という、大きさささという、20メーターを越す竜である。始祖鳥も
そうである。メロストンという、古ゴンドワナの言葉という。メットン・ファールカ
という、メットン竜の存在という、今の、ウィタテリウムという。この竜のことを、
パリという、ファーリーという、ファレという、竜のことである。

 二条城という、京の二乗の住まう竜という、この竜の鳴き声という、ファーラー
という鳴き声という。ファミセラのお鳴きという。始祖鳥の鳴きがファーである。
これが、ファーストスットンである。ファーのはじめという
今の英語のファーストのファーである。初めの意味である。
 
 ファーストという、めろさまらるの言葉である、メロルレのことという。
めゆってそ、という日本の御所冠語である。ファーストレーレーの言葉である。

 ファーを今も置く山の言葉という。山が竜であることという。竜を山という、

大和である。これが竜を尊ぶ古日本である、和ともいう。村上竜という、村上に
竜がいた話という、新潟の村上である。村上れんくる、という、ことの言いの竜
のことという。『れん』というのがそれである、篠山の『れう』という。兵庫県
篠山である。

 「しつれん」という村上の『しつれん』である。『しつれんいたす』は、しつれんが、
いた巣であるという、『れん』の竜の話である。失礼いたすという現代人の解釈である。
よんの四つ足という、これが『しつれん』である。四つの竜という、首長竜である。

 ファーという、ものごとを始める言葉ともいう。これを、『シナ』という、
しな定めという。初めをはちという、八という字で表す、山の形という、
山らる、という、始める意でもある。

 始祖鳥の鳴き声をまねる四つ足の竜である。ファーレルサックレーという、
村上スットンの竜という、さっせらのお歩きという、よよのはじゆり、という。
よよという竜の世である、これが、ゴンドワナのさせらる、という、ゴンドワナの
イオントーブである。ゴンドワナ竜のいなき、という。『ファーブラー』という
鳴き声である。首長竜である。若い人家を訪れる竜である。二条城ともいう。
二条城に足跡がある頃である。ウィントスラッテン、ウィンの竜という、この『ウィン』が、メロというメロルレの言葉である。ウィンという竜である、しつれんともいう。
二条城が、しつれんを使う城である。『しつれんいたす』という二条城である。

 そうきょうのよいお書きなるを。正(やなぎ)D20.
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2020年12月19日

卒業8342 孔子廟堂像 (壮強太陽):イカスミ柳

駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click music piece.
音楽
【曲名】 卒業8342京都船旅7242
古譜6242大原練習6142天の下6542  孔子廟堂像(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 



    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺 2020/12/18
    造詞、勇野 晴丈・正     俺 2020/12/18
    監修、雪柳理科夫・正     俺 2020/12/18
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  一部 『豪腕さち子さん』
【歌詞】創郷 

 
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【常、日頃】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
【歌解説】

【世界同時革命、メキシコのトロッキー】
 革命の好きな人である、革命を起こすという、世界同
時革命の言葉という、トロッキーのメキシコという。革
命のゲバラという、もんすれのいばそむ、という。また
の遣りのおことという。また行くチェコ共産党本部とい
う、くれるれのお行きとぞそ。チェコのユーゴという、
チェッカンラールクという、パリの街道のソチ、今も
ある黄勢川という、ライン毛の川という。ロボットの
馬連れ行く人である。テンのさち子さん、またの原の
住まいである。藁葺き屋根に住んでおられるのである。
【世界同時革命、トロッキー、ハロッキー】
 そうきょうの針という、トロッキーの針という、針葉
樹のことを、トロという、トロ木の葉のことという、広
葉樹をハロッキーという、御所の革命山の言いである。
【ファティマ、ティファナ】
 メキシコ紅白城という、ファッティマという、メキシ
コに十数ヶ所あることという。ティファナがその一つで
ある。ティファーという古い茶の木という、これを上育
てるテンという動物である。イタチの一種である。
 イタチが走る姿をロボットの馬という、テンタスと
いう、これを、フォッテキという、テキサス走りという。
古くの足立走りという。膝を直角に曲げる走りである。
歌舞伎にこの走りがある、この歌舞伎を、夢らり、と
いう、古い篠山の城の中の歌舞伎の花道である。
【松の廊下】
 皇居の松の廊下という、ここの歩き方がそうである。
長袴の歩きという、電信棒の歩きという。電信棒のような
ロボットの歩きである。和国はそういうような国である。
八坂の国の前という、科学機械軍という、機械軍団の国
である。ロボット馬かえせという、八坂かえかえせであ
る。これを戦闘という、ロボットの馬で田を耕す話とい
う。ロボットの牛という、彦車ほどある牛である、大牛と
いう、わかい人の住まう皇居である。明治神宮参拝という、
若い人の住まう日の明治神宮である。周りは野球の村で
ある。野村放擲という、ボールのことという。大牛の乗る
大きな球もある、玉の輿という、大牛のことという。彦
車に積む玉である。鉄球である。まだこの玉もある。
皇居の相生の原という話である。
【天馬楽】
 そうきょうよいお書きである。柳正。早蕨のお書きと
いう。早蕨という舞楽が、この物語である。天馬楽と
いう、バラクのお書きとぞそ。おやめ原の薔薇区の
ことという。ばらく建ての玉の住まいという。
鉄球が宿るバラックである。その鉄球に腹を乗せる大牛
である。ロボットの椅子状である。ロボットのお書きと
いう。茨城号という大牛のロボットである。
そうきょうの八坂の国の国民である。ロボットを人と
いうことという、平壌の北京に、この言葉がある。
平壌の郊外である。北朝鮮の平壌である。

 人名を地名にする北京という、ヘギョンソンという、
ルーイルマックという、当時の英語とぞそ。アメリカの
トランプという、米穀の町の人とぞいう、ルメ閣という、
ワシントン・ポストという、パーレルレンズラーのワシ
ントン・パレスという。ニュヨーカー・ランゲの言いで
ある。南米にもある地名という、マチュピチュ麓をトラ
ンプという、南米の英語と日本語が通じるところである。
【南米ボリビア】
 後、ボリビアの日本人学校である。山を切り崩した平
地の後の学校である、明智平らという、日本人学校の馬
とぞそ。明智の工事という、小林光雄という小林妙の
おりより情けという、おりより名の地ともいう、日本人
名が地につけてある、ボリビアの相崎(あいさき)である。
わが名、相崎正介という、小林壱祐という、ボリビアの
にっかりの名である。ユーカラの言葉という、名をにっく
という、にっく名の言いという。アンナーレル・ワント
ンという、名妙の妙楽という。いちすみの御名とぞそ。

 ボリビアの学校にある若い人の名という。十時砲火の
山の切り崩しという。園砲の用いである。45サンチ砲と
いう、高さ八卓の山である。この『八』、今の篠山大尺で
ある、2メートル35センチを一尺という、篠山大尺という。
この尺が南米のその地にある。八卓の大尺山という、南
米のボリスという、うちの家とぞづ。なむゆまのや、と
いう。アルゼンチン・アイレマの同じ作りである。

 トランプという地である。南米のトランプという、
やいゆのおいはき、という。ブエナス・アイレスという、
名前の地という、ブエーノやっぴ、という。めもんの言い
という、大阪のイオントーブの言いである。園崎之(その
ざきゆき)のやの言いである。曾根崎の西である、東も
園崎という、曾根崎で裂かれている地である。

 イオントーマレという、ここの言いのメモンという、
アルゼンチンのメモンと同意である。アッセラレールと
いう、アルゼンチンの特急の半伸である。これを、
アルゼンチーナランキという、この『ランキ』が、メモン
である。イオンのことをメモンという、メモンとう原という。
メモンの塔という、アルゼンチンの塔という。南の岬の
塔である。フエゴという、その島の崎の塔ともいう、
オルノスのホーン岬という、その周りに塔があること
という。オルテスのメレという。和国の言いという。
メレの塔という、このままの言いの言葉がある。

 姉ヶ埼という釜ヶ崎の言葉である。尼崎のいたみき、
という、そこの言いともいう。アフリカの喜望峰の塔と
同じ塔である。一茶書になっていたアフリカの地である。
南アと今のアフリカである。旅するたいりくという
南アメリカの旅立ちという。この頃のことである。

 アフリカのザにある、この話である。モザというザの
町である。今のコンゴ、ブラザビルである。ここにヨー
ロッパの人がいる、私のいたことという。ワン・レイ
ニーというアフリカの一雨という、涙の話という、人の
涙の大事をいう、大切な涙という。

 これが、地球の波という、ウェーブという、波のこ
とという。初めのコンゴという、英語が通じていた頃の
ブラザビルである。この英語、園砲の英語である。
ワン・ラッキーというワン・ショットのことである。
大砲の撃ちである。ブラス山のお書きという。
この『ブラス』、ブラジルのことである。

 リオ・デジャネイロという所のブラジルである。後、
日本人町ができることという。この頃の移民という、
平壌をヘギョン村という、朝鮮の平壌のことである。

 ここにある歌という、ワンレイニーという、涙の歌 
という。レオントックの歌という、アフリカの町の雨の
ことという。恐ろしい勢いで降る雨である。スズという
雨という、スズ雨の言いという。ワン・レーニー・フォ
ールという、これがアメリカの英語である。平壌を、
ピョンヤンという、平壌のヘギョン村の英語である。
これを、ヘギョン則という、へっての言いという。
奈良の平城京の言葉である。奈良の笠世の言いという、
今の木津越えの奈良坂辺りの言いという。ここが奈良舞妓
の舞いの場所である。今井世の舞いという、まいのると
いう、まいせの舞うれ、という。この『舞うれ』が、
アフアリカの言葉である。マウマウというアフリカの
話である。コンゴ・ブラザビルのキンサキという、
キンシャチの地の言葉という。マウマウという話しである。

 奈良の平城京をいう、コンゴの地の若い人という、
平城京をシャラという、奈良のシャラという。これが、
キンシャチの地の行きである。あしかがという地名がある、
キンシャチの地である。ハッピー夢という、夢の地という、
キンシャチのことである。カリンビという楽器のある
キンシャチとぞそ。私の故郷という、アフリカの南アメ
リカとひっついていた頃の言葉という。『ゆめ』という
このままの日本語がある、キンシャチの地の言葉という。
キンシャサの町という、真ん中の町という、南アメリカと
ひっついていた頃である。この大陸を菜西大陸という、
しのゆら(篠由良)の言葉とぞそ。ジョという言葉を最後に
つけるキンシャサの町の古い言葉いである。

 『そうだじょ』『そうやじょ』というこの『じょ』
という言葉である。これが、キンシャサの古語である。
古いアフリカの言葉である。口琴という楽器を奏する民
という、ビーリバという、口の使いの楽器という。アフ
リカの古い楽器である。

 サハラから、ゆれる夕方の降りるという、夕方が来る
ことをいう。これが、古いキンシャサの夕方である。
トワレナクというキンシャサの言葉という、これの掛け
が、トワレというフランス語である。後、フランス語が
広まることというるコンゴの地とぞそ。マウマウ後の言
葉を使う民の言い伝えという。トワレロールという、
英語のような言葉という、黒い民の意味である。カサ
ブランカからいったキンシャサである。

 後、山が浮きあがる、南アフリカの旅である、大陸が
移動する話という。ルアンダがコンゴの中心街であった
話という。ここの井のお書きという。きれいな水の出る
井戸とぞづ。コンゴ・ルアンダの井戸である。ここにいた
若い人である。竜の落とし子のジェット機である、これに
乗っていた人である。

 エジプトへ行った人という、後、キリマンジャロと
いう、そこの麓の住まう人である。わが古い故郷である。
キリマンジャロの南である、その麓である。日本の杉を
植えた人である。

 この辺りが杉の山をいう、日本の古い木という。後、
ウイの木という、これが、柳の杉という、やな杉のウイロ
である。杉樹という、サンスギの意という。言葉の補いの
さん杉である。これが、ウィローダブルという、日本に
掛かる二本という、杉をにほんという、にいほんという。
キリマンジャロの麓の言葉という。日本語が少し話される
場所という、英語も少し話す人達という、後、フランス語
の広まりである。フランス語以前の日本語と英語である。
山の英語がある地の言葉である。サンという、これを、
人の名につけるキリマンジャロの人という。キリマンジャ
ロの杉の山の言葉であることという。

 後、モザンビークというイニャンの場へ行くイニャンの
バネダという、ここを、バネダ砂漠という、緑野平原と
いう、緑の土の色という。イニャンの場という。緑の土の
地という、イニャンが緑の意味である。緑原という砂漠で
ある。グリーン・デザートという、モみどり土国という、
アフリカのモザンビークである。イニャンの地が中心で
ある。

 わが古々き故郷という、槍の細いジェット機である乗り
物で行ったマダガスカルの縞の向かいである。この島の
ひっつきという、蚊たちもそのままの通りである。
イニャンとトリアラの南である頃という。この頃、イニャ
ンからトリアラへ行った人である。その頃の建物という、
二本風の立て方という、これが島の由緒である。小林かつ
という島である。

 私のいた頃という、コロポックルという、日本の民と
いう。コロという日本人を呼ぶ島の言葉とぞそ。マダガ
スカルの言葉である。島続きであった頃の行きである。

 ここにある日本平という、日本の平の地という、平家の
落ち武者である。岸のガンデクという、船の着く場という、
東のアンラミの村という、ここに日本風建築があること
という。平家部落という、平家物語という、平家琵琶が
おいてあることという。若い人の爪弾きである。この
平家琵琶、筑前の語りである。モザンビークにある、
陸続きの頃の言いである。へいじょうという、奈良をいう、
モザンビークのマダガスカル区である。奈良坂の舞妓の
舞いがある。扇を広げて胸前に相手に広げる、簪の着物
姿の舞いという。奈良三味線の合いの手である。同じ曲
である。

 天皇下がれという言葉では始める奈良坂の舞いである。
平城天皇という場の言いである。なら山お書きという。
奈良舞妓の言いという。緑の土の出来という、イニャン
の雪という、緑雪の地とぞそ。

 天皇下がれというのが、緑の意である。穂浦の言葉
ともいう。平城天皇の言葉である。奈良坂辺りの言葉と
いう。私という、私の好きな双坂という、木津越える場
という。京から行く、木津越えの奈良という、今も奈良
というその場である。奈良舞妓の古い芸という、奈良
舞妓発祥の地である。モザンビークの地という、奈良坂の
モザンというモダンな言いという、イニャンという町の
村興しという。島がひっついていた頃のことである。

 山々のお書きという、南米の丘のお書きという、ここ
にもイネンという村がある、ナミベの村という。ナミベの
村の興しとぞそ。ならという言葉が、ナミベである。
アンゴラという国とぞそ。

 革命をウェーブというナミベの町である。英語のウェー
ブである。これを、ロール・ウェーブという。革命の回る
波という、ロール波の興りの場である。ここから、ロー
ル波が起こった南アメリカとアフリカの分かれである。

 この波、後、ムーの波という、ムーの大陸の波とぞそ。
このムー太平洋のムーの島である。ムー帝国という庭に
いた若い人である。少しちいさくなったころのムーであ
る。ハワイの隣である、ハワイの東である。

 ここのタロ芋という、今もハワイにあるタロ芋という、
同じムーの芋である。ムーの人がいるハワイである。
ムー語という言葉が話される、今の英語である、モヤイ
の大きな顔という、ヨーロッパの顔である。英語と似た
ムー語がつかわれていたことという。

 ミュー語ともいう。渡しをタイという、これが、ムー
の私である意という。T Iと表記する、、このTがムー
語の冠詞である。人をアミというD アミという、これが、
アムの言葉である。

 デー・アム・ピッという、アイム、ゴーという、今の
英語という、ほぼ英語である。ミナミアメリカへ行くと
いう意ともいう。デーアムという、でえという出るの意
である。日本人がいたーという、これを、日本の江戸時
代という。着物がそれである。ムーの頃のものである。
ワンピースの南方着という。着物のことである。ムーと
同じ着物である。

 江戸時代の南宋という、ムーの意ともいう。ムー貿易
の江戸闇浜という、ここの地にいたムーの江戸という場所
である。タロ芋の植えという。マタンゴという芋である。
タロ芋のことである。マタンという、ムーのことをいう
言葉である、江戸時代の言葉という。

 また行く西の場である。ムーから西へ向かってインド
方面へ行く、その南のムーという、これが先のムーで
ある。ゴンデマの大陸ともいう。ゴンドワナの後の話で
ある。後、太平洋のムーである。

 このインド南のムーも着物がある大陸という。ムー着と
いう南方の着物という。日本の着物という、同じである。
ここの言葉が、ゴンドワナ語という、後、インディー語
という。これが今のインドシナの言葉である。カップコン
というのが、ゴンドワナ語である。ゴンドワナをカップ
コン大陸という、カップスの言いという。南方の語源と
いう、ゴンドワナの言語学である。京大の時計台下のや
という頃の講義とぞそ。ここが若い人の家である。

 ゴンドワナ語の大家である。ムー国の民という、国連
の古いムー国の大使の席という、国際連合の頃である。
ハッサン王という、ハッサンのやの人という、ムーの国の
人である。英語に似た言葉をいう、人のことを、ヤーと
いう。ヤーヤーの言いという。ムー人のことを、タオの
人という、これが、南宋語という、今の中国の南宋という
。ムーを中国は南宋という、二本もこれを使う江戸時代の
ムー貿易という南宋貿易である。

 これが、鯛国のチュという言葉がこれである、ムーを
表す言葉でもある。タイの国の出来をいう、南宋国と
いう名前の頃のタイという。これを、チュラという、
ムー語の沖という意味である。沖縄のチュでもある。

 タイに貼るがある、季節の春とぞそ。この季節を、
ムーの言葉でいう、シーソーという、後、シーズンと
いう、後、沈んだ国という、ムーの国のことという。
ムー国には電車も走っていた話である。日本の超特急
という、ムーの人の技術という、若い人がいたインド
南のムー大陸という。

 沈んだのはムーである話という。皆、生きている人で
ある。江戸城の置きの書きである。日本人もたくさんムー
へ言って住んでいたことという。ムーの写真がある。
若い人が住んでいたムーである。

 一度浮いた日、江戸城水びたしである。大阪の城も
そうである。京都もそうである。ムーの周り波という、
ロール波のお書きという。ムーの人葉世界にたくさん
いることという。パプア。ニューギニアに逃れたこと
という。島が沈む前日である。大陸沈没という、皆、
のがれたのである。

 ハワイにその塔がある。ムーを称える塔という。
シーショアズムという、海の浜の称えである。

//□□□■□□□□■□□□□■□□□□■■□□□□ 
 そうきょうよい時です。正(やなぎ)D18. 
 ***
//□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□■

『天照大神、そうきょう、よいよい』
そうきょうは、よい時です。正(やなぎ)。
腹を横に書く。
posted by 秋残り at 05:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2020年12月18日

卒業8340 孔子廟堂像 (壮強太陽):イカスミ柳

駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click music piece.
音楽
【曲名】 卒業8340京都船旅7240
古譜6240大原練習6140天の下6540  孔子廟堂像(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 

    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺 2020/12/18
    造詞、勇野 晴丈・正     俺 2020/12/18
    監修、雪柳理科夫・正     俺 2020/12/18
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  一部 『豪腕さち子さん』
【歌詞】創郷 
穂浦回崎へいかだで行く
波は荒く 島崎湊 急な坂上野に
はざクジャクが戯れる 大きい花
紅花下と 緑白殿 孔子廟辺り

【常、日頃】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【歌解説】
イートン犬という、キューコンカファーと鳴く犬。今の、はた
きくみ、という、菊の大きな菊の一種、それがある孔子殿
の辺りの光景。犬がそのそばへ行く、はざクジャクという、
クジャクの白という、白クジャクの回る時という、日の巡り
という、春らるえてよて、という。春の歌である。
 イートンのいる島という、この犬の声を、笑う声という、
笑う犬という。犬々のお書きという。犬をめでる、笑う犬
という言葉である。イートンの犬の歌という、キューコン
カファーの鳴き声という。穂浦大和犬という。代償様々な
大きさである。学校の家にもいた話という。馬とともの犬
とぞそ。

【伏見桃山】
 京都から大阪へいくのに、京阪電車という、伏見を通り、
大阪淀屋橋へ行く。この沿線に布武という言いの、背の
言いという。この『背』が、京都の呼びである。京都を
背と言う言いとぞそ。ここが、長岡という、京都伏見の
長岡である。今も地名に残る、京阪電車の踏切である。
【伏見京阪長岡踏切】
 ここの踏切に、それるき、という言いをする、後、
一般の踏切にも、それるき、という。そっとの言いとい
う。これが、後、京都を、めのう、という、そのあいに、
京都を背戸(せと)という。瀬戸の踏切という。京阪電車
のそれるきである。ここを、長岡の、もらめる、という。

もの山の言いの、そんれす、という。この場所の近くに
横木という、よこしのうちらく、という、ここを、そし
ゆり、という。後、桃という、桃という場所の桃堰とい
う。古く堰があるという、堰祖(せきそ)のうちすき、と
いう。うちだき山 という、ものめるの磯という。堰の
磯という、ここの言いの、さっけく、という。さくしょ
くの井戸曳きという。古く、桃磯の井戸という。

 そそこが、めのうをいう、京のめのう、という。めの
う山の、おいしょ、という。おいらぶのういせか、とい
う。ここの言いが、京の、ほみふみ、という。京都を、
ほみふみ、という。この『ほみ』が、ききせくのいとそ
ゆ、という。ここの言いで、京都長岡を、長岡詩区と
いう。この詩区の場の言いとという。
【京都を、背、瀬戸山という】
 京都を、背の栗、という、背栗という。これが、栗笑み
の語源という。笑みを栗という、栗笑みという。まっぺ
るんぶ、という。えの山のえぞひる、という。蝦夷日の
いかけき、という。いかけの言いの戸井浜という。伏見
桃山の、おいおこし、という。ここの長岡の踏切の場と
いう。古く、すそ栗という、栗の木の出来のうたという。
栗の木の作りという、栗を作る人の言いとぞそ。
【栗村伏針】
 この栗を、ひこり、ひみ栗という、ひめ栗という。
ひそのいちはり、という。栗を作る花の日のふみゆき、
という。栗木の夢という。これを、よの闇という。
【伏見満場敷】
 栗に張る、はみしば、という。栗の皮を芝という、
栗芝という、栗芝の世のお書きという。長尾世の
伏見の長岡である、この日の住まいとぞそ。近くに万畳
敷という、古く鳥取敷という、秀幸(ひでゆき)のいき
しく 、という。秀録のおい、という。ここの、しばしび
、という、しびの屋根飾りという、この屋根の、まん、
という、まん屋根の紫尾という。桃の地のかざふき、
という。伏見の万畳敷という。

 ここが、せん、という伏見のせんの地とぞそ。古く、
城を、よ、という、よの城という、言葉を補った言いと
ぞ。よしろの言いという、言葉を補う言いの、名前と
いう。英語の、question to ask という、よの城の言い
という、よしろの言いという。言葉を補う言いのことの
名前という、呼びである。これを、くめすり、という。
【久米の言い】
 くめの言いという。古く、くめるりの言葉という、
るりかけす、という言葉使いである。この『るりかけす
』を、鳥という、伏見の万畳敷、長岡の言葉という。
後、るりおく、という。るりるりの言いの伏見の万畳と
いう。万畳敷の、ふしるりき、という、言葉のこととい
う。これが、といらぎのくいかま、という。古く、かま
の言葉という。かませる、という、言葉をいう。
【歌舞伎林実直】
 これの言いの、なめとこ、という。ここの言いの、な
まゆき、という、古い川の流れるおりおり、という。
おりよるかわせか、という。なめとこの言いの、伏見
由良という。これが、歌舞伎の林実直という、役のなの
『おりおりおり』という、歌舞伎の出のなめとこである。
歌舞伎満堰(まんせき)という、歌舞伎の言いの、おりはる
という。歌舞伎を、こよふみ、という伏見の場という。
伏見山の鳥取堰という、万畳敷のときふき、という。
としきくのうた、という、ささゆきみまのお行きという。
若い人のお行きという。これが、とぞの言いをする、
とぞその言いの場の園という、万畳園という。園芝栗の
作りという、ここの芝の木の植えの作りという、万畳芝
栗の作りという。万畳敷の栗林という、栗園の、内張(
うちはり)という。うちすの言いの、ほみはみ、という。
秀吉のはみ、という。ものを食べることをはみという。
歌山のお絵という、栗の木の言葉の植えという、言葉を
植える口園という。これが、こう浜の言いである。

 言葉を栗という、栗語という。後、グリ語という、後、
中国の武漢のことの出とぞそ。武漢の言葉が栗の出の言
葉という。ゲーリルカーフクという、中国武漢のげめそ
め、という。後の中国の言葉の出のいそゆし、という。
磯の言葉という。げもそのカイセル、という。けてけて
のゆい浜という、ここの伏見の言葉という、中国武漢の
はう浜の言いという。愛家の近くにある沼の言いである。

 また行く中国武漢という、**御名の人のおられる
場という、愛家の武漢という、その先生という、西の
長尾槍日の城という、ここを、こうはき、という、
登る扇峡のうちつち、という。ここを、こうべよみ、
という。歌山の日の丘という、長岡の史という。
【夜(よ)の長岡(長岡京)昇扇峡】
 言葉を史(ふみ)という、昇扇峡の言葉である。こうべ
るり、という。兵庫の神戸の地の言葉という、同じ言葉
である。古くの、篠沖遣り(ささおきやり)という、これ
を篠語(しのご)という、長岡をさっけく、という、言葉の
由縁という、さっけのことの言いの延伸という。
【篠山市(和語の篠山)】
 神戸が神戸である日の篠神足(ささこうたり)という、
篠辺の言葉という。ささしのの言いという。大きな篠山
市という、神戸市の含みという、神戸が篠山市の一部で
あった頃という、神戸篠の、ながほみゆき、という。
今のJRという、ジェイのジェーという、J氏の船旅とい
う。

 長岡るり浜を出るジェイという汽船の旅という。伏見
万畳敷をいう、そこの船の出の言葉という、京都の糸雪
という、ささ雪の、細雪という、ささめの雪という。
この『雪』が、行きである、これを、『之き』と表す桃山
城の表しである。

 古く長山という長城という今の長岡京の城である。
天王山麓の城という、天王冠白という、桃山城から見る
冠埼(かんさき)という、かんむる埼という。船の帆先の
逆V字という。逆V字型の天王山である。
【神戸城、明石城】
 ここの崎の城という、ながゆめん、という。ながゆの
城という、尾崎の崎の、しまそめ、という、これが、長尾
の昇扇峡の言いである。城を、そめ、という、そる、とい
う、そうる、という。このそうるの言いの朝鮮という、
朝鮮やかな長尾の城という、神戸の城のあかしゆり、と
いう。明石の城という、夜を明かす、だんてま、という。
夜のしばふき、という。ふきつわの芝の言いという。
これを、つわ蕗という。蕗の葉の言いである。この言い
を、つわもの、という。強いと表す、つよぶりひ、とい
う。これが、神戸のかんとという、かんとと読む神戸の
城という。
【井伊城】
 この城をかえせ、という、かえしがえしの城という、
あじょうの山という、城の言いの、あせけま、という。
『このしろかえせ』という、長尾の城の言いという。
古く、篠城という篠山の兵庫の篠山城という、ここの
言いの井伊という、井伊城という、篠山の井伊城の彦根
という。この彦根が、彦の音(ね)である。
【彦根のおりより】
 彦根のおりより、という、おりおりを、おりよりとい
う、歌舞伎のことの変わり言葉という、この変わり言葉を
使う、彦根の歌舞伎という、『おりよりおりより』という
彦根の言葉という、井伊の言葉という、井伊直弼という
車もある。この車を彦車という。中国の武漢の城曳きの
車である。彦車で曳いた中国の武漢の城である。

 これが歌である。長岡の長嶋という、長嶋天神の今の
長岡天神の作りという。磯の作りという。長岡の天津(
てんしん)という。天津遣り(あまつやり)という。
中国天津の栗という。
【彦車】
 この『栗』は、言葉であるか食べ物かと問う天津の
城という。これが、繰り、である。彦車の繰りという。
大きなトラックである、彦車という、トラックのこと
である。

 江戸城の皇居という、そこの天皇である、彦車のこと
という。大きなトラックが住まいをしている皇居という、
天皇賛者という、車のことである。天皇という彦車であ
る。天皇賛者というのである。彦車のも一つ大きいもの
を賛者という、車を者という、武漢の愛家の言いである。
彦根の言いという。
【言い城】
 古くの京都の言い城という、算盤情けという、城の
ことである。この城を、かえせ、という。返背の盃と
いう。優勝カップの行為源である。返すのが礼儀である
という、歌舞伎の『おりおり』という、『おりより』と
いう。

 皇居をかえせという言いをする若い人である。この言い
状を、いいの園山という、古くの篠山という、城を、
かえせ、という。これが篠山の歌舞伎である。篠山城の
中でする歌舞伎である。彦根の城の歌舞伎という、あな
よみ、という歌舞伎のことである。歌舞伎を、あなよみ、
という彦根道中スペド車の中という、栃木の城の曳とい
う。まだある二条から曳いた城である。京二条の栃木の
その場という。栃栗の園という、その場である。
【栃木の園】
 皇居へ行くのに城ごと行った人である、城ごと栃木へ
行き、また城ごと栃木へ戻る、返盃の儀という。その城と
いう。かえせかえせの城という。これが天理のかえすかえ
すの道という、天理の四条〆縄城という。賛者歌舞伎と
いう四条〆縄城の中でする歌舞伎である。あなとう、とい
う、歌のあなとうの歌である。雅楽のあなとうと、という、
あなとうの歌という。大きなトラックをあなとうという
これを右翼の賛者という、左翼の彦祈(ひこき)という。
城かえせの人である。
【高槻の大砲】
 『この城かえせ』というお菊さんの皿数えという。
高槻から大砲みまう人である。『そのほう』という、
園部の城の言いである。
【園部のそのほう(園砲)】
『そのほう』という賛者という、園部の城かえせという
、城の作りとぞそ。皇居のことを、しめぬね、という。
しめせという、しめすことという。城をかえすしめしと
いう。古くの秀吉の姫路城のかえしいきというるUターン
の相生城である。姫路ゆっきま、という、雪ふるゆき、
という、相生の城のかえせいき、という。これが之で
ある。城の言いという。皇居の相生の間という。若い人
の住まいである。一広の間という。

 そこのいかき、という。そこの天当という。賛者の
話という。さみそわのことという。せてすての久米の
間という。久米田遣りという、久米田槍の置きという、
皇居相生の間にある話という。久米田槍住まいという、
皇居に住まう時の言葉という。住まいをかえせという、
これが、江戸の城の云いととてあり、皇居の言いである。

 天皇の盃という、返盃の儀は賛者右翼という、彦祈
左翼という。皇居の天守閣という、これを、てんぱす、
という、古くの、てんぱい、という。麻雀用語のてん
ぱいである。これが皇居の常識という、『つねにおり』
という。つねおりおりのおり、という。

 この『おり』は、いかなものかという、『そのほう、
こたえてみ』という、こたえは、つねよりおり、という。
『そのほう』のことをいう。
【上野城】
 大砲がある上野城という、皇居に一発くらわした人で
ある。皇居に向かって大砲を打った人である。上野御座
という、皇居の中の一点という、そこへおりた弾という。
おりおりの、つねおりの場という。
【皇居相生の園】
 相生浜におりたことという。皇居相生の園という、賛
者の場という。歌舞伎はその場でする皇居の歌舞伎であ
る。右翼左翼共々という、おきょうそのかぶり、という。
これが天皇の言いである。『天皇、下がれ』という言葉の
意という。『しも上がります』という、げじょう(下上)
の言いいという。げんそめという言いである。

 古く京都ごゆ原という言いである。桃の城という、桃
園の城という、桃山城の天枯れという、天枯の城という。
長岡の話である。伏見の桃山城麓の長岡である。天皇を
いう所である。天皇不要をいう所である。これを左翼と
いう、皇居の歌舞伎である、天皇用という皇居の歌舞伎の
右翼である。
【武漢を芙蓉という】
 この不要を、プーヨウという武漢のふようという。
古く武漢を芙蓉という、芙蓉地のプーヨウという。
これを、ことごと、という。毎々と表す、マイマイ
プーヨウという、中国の武漢のことという。キリストの
参画という、このキリスト、グリという。グリがいた
という。栗顔のイタチという、このイタチの出という。
グリ語をイタチ語という、ミーユルという。古い武漢の
言語である。

 天皇不用と言うて舞楽を始める武漢則という、舞楽の
一種の形式である。かえせ篠城の発の形式である。皇居の
しきたりである。昇扇峡の長尾城の延伸という。舞楽の
広めという、宗教の用いとぞそ。ぐりゆみはみ、という
舞楽のことである。『ソー』『サワ』という、後、シテ、
ワキになる、舞楽の右翼左翼である。皇居の歌舞伎という
ソー、サワという話である。

 ソーサワという続け言葉という、かえせのその後とい
う。神宮球場を、みえやり、という、巨人の川上という、
阪神のノムそも、という。広島のかったき、という、
きょうほきの野球という、フーヨーパアヨーという、
野球の言葉という。次に、天皇パァヨーという、天皇パー
という、天皇の言葉という、これが、京山崎の天王山の
歌舞伎である。天皇パーというのである。
【京都蜷城】
 皇居の城という、フーヨーと言うのである。京の町衆の
言いという。京都の共産主義がある、京都の貝の話である。
蜷貝という蜷川の貝のことという。蜷城の大御爺さんと
いう蜷貝のお教えという。蜷城の言いという。

 かえせ皇居という、皇居のことという。これが、天皇の
ひえりらき、である。天皇不要という言葉である。
右翼が用をいう、左翼の不要という、どちらも天皇パー
をいう、広島かったぎの野球始めである。天皇不要の広島
の県の造りである。宮城の園の場、これをえんという。
天皇の園という、パーレルという、パーレビのことと
いう。川上という人の名の地名という、阪神ののも村と
いうところの人の名を地名にする村とぞそ。野球の出の
村という。尼崎の釜ヶ崎という、天釜のたきいだしとぞる。
もいそいの言いという。人名を地名にする、野球の地とい
う。阪神ののもえり、という。阪神ゆったきという言葉の
種である。川上人という、北京原種という北京(ほっきょ
う)の野球地という、これを釜遣りという、言葉の種類で
ある。
【花木語】
 これが若い花木の云いという、グリ語のことという。
花木語という、栗の花の言葉という。古い神戸の宮の
言いである。ここを頭則村という、今の神戸である。
阪神長嶋という、神戸の古い呼びである。みやこう、
という、宮の名の頭という、宮神(みやこう)、宮行と
いう。宮へ行くことを天皇パーという、天皇が神宮住まい
の人という、明治神宮の住まいという、そこにいる若い人
という、宮かえせという話である。神宮球場の古い話で
ある。長嶋天神という長岡の天満宮のことという。
かえせ造りの宮である。
【天満宮をかえせ寺という】
 かえせ寺ともいう、天満宮のことである。高野山の寺
という。こまかえせ、という寺のことという。寺飼いの
馬のことという、古く貝を馬という、かえせ馬の話であ
る。内角かえせという野球の達人である。御所の言葉と
いう。桃の宮の頃の御所である。桃の宮さんという、
安達山の宮という、御所内の宮である。これを、安達と
いう、伊達のおい針という、ゆいゆいの御所という、
久米田山のお話という。はなしがいのかい、という。
うまうまと来るいなるせき、という。とっとと帰る
いこひこり、という。やまびこの話という。音をめで
る書きである。魔王の言いともいう。
【魔王】
 桃の宮の魔王という。舞楽の舞いのきみ、という。
王と書く、きみのことという。舞楽のザキである、
魔王という、茨木の宮の言いである。枚方という舞う
人である。これを、かえせ言いという。宮人を、パー
マンという、枚方の宮の言いである。これが、パーレビ
の張れる日である、晴れた日のことをいう。宮着を
着飾るパーロンジャッキーという。若い人の言いである。
ジャッキーという馬に掛かる言葉である、じょうらぶの
ジョッキーという、ロボットの馬という、機械馬の話と
いう。この馬がある皇居である。東大へ通うた青山御所の
住まいの頃のロボット馬である。今もございである。

 栃木の城という、二条曳き城の時の馬である。ロボッ
トという、動物の馬を白に入れて一緒に行った皇居とい
う。井伊大老という若い人である。
【神戸六甲】
神戸六甲の御叔母のお教え という。秀吉相生の
そりという、お教えである。沢という御名の投手のお教え
という。神宮球場のことという。明治神宮の住まいである。
【宮城行】
 夜皇居を出でる人である。四頭だての馬車という、三日
不眠の旅という、豪腕さち子さんというイタチににたテンと
いう動物という、犬連れの旅という、宮城の浜の行きとぞ
そ。真っ暗闇を疾駆するロボットの馬、頭に電灯がつけて
ある。宮城野を越えたところ、稲妻、辺りがいっぺんに
明るくなった、稲光という。ひらめきという蓋然性心理と
いう、蓋然の露という、これを、階前の梧葉という、脳の
ことという。己に秋声の漢文の話である。これを、いまだ
秋声という。秋をときという一意である。大きな山を越
えてきましたという、イートン号の犬連れである。
 木下露は雨にまされり、というイートンの笑い涙という、
万葉集の歌である。みさぶらいとは、和寇の人である、
これを、若人という、和行という。和の国という宮城で
ある。

 不眠の日の行きという、宮城野の行きとぞづ。
【チェコ】
 後、ヨーロツパ・チェコという、今、パリの灯を見た
若い人という、イートンを造るという、興しの世の灯で
ある。不眠で興すイートン東という。伏見六甲宮城の
いきはき、という、ロボットの馬の行きとぞう。
ロボットを思う人である、蓋然のおちくちという、ロボ
ットの口という、蓋然馬、花馬である。

 チェコへ行く山の賦とぞいう。夢夢の賦とぞづ。
【沢柳】
名をあげる、御名を尊ぶことという。沢柳という柳腰の
人のことである、『あの人は沢柳さんや』という、柳腰の
人のことをいう。三千円札を持つ人という、その日の
皇居である。若い人が三千円札を持っていた話である。
皇居札という、古い日本のことという。大蔵省印刷局で
ある。三千札のことという。
後続。
 そうきょうよい時です。柳正D18. 
//□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□■
『天照大神、そうきょう、よいよい』
そうきょうは、よい時です。正(やなぎ)。
腹を横に書く。
posted by 秋残り at 18:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2020年12月17日

sotu10010-5 豪腕さち子さん 和音ワンタッチ記譜

『豪腕さち子さん』 sachikosan.zip 
 やり直しました。
コピーファイルができます。フログラマーで
ないのは、もちろんのこと、素人にも至りません。ワンタッチの
コンピューター入力を目指しています。音楽でつかってみようと
思い、つくったものです。
 楽譜ソフトでも、和音を記入するのが、大変です。
この方法で和音を記譜するのが、ぐっと楽になります。

 Dm7-5,Csus4 こんな和音も、和音を調べなくても、ワンタッ
チで入れられます。左から順にキーボードでワンタッチ記譜。
キーボードで、指の形で、左から順番に打てるように、IME辞
典に登録しておけば、よみ、略語を覚えておかなくても、す
ぐに打ち込めます。
 上の画像のように、簡単に和音略号が書けます。一つ一つ
和音を読んで、調べて書くよりも、キーボードを打った時に、
その時点で、和音が記入されています。便利だと思います。
 ギターコードとか、IME辞典にワンタッチで打てるように
登録しておけば、楽譜で記譜しているよりも早いかもしれ
ません。三つのキーと変換キーを同時に打つ、変換キーを
少し遅く、0.2 秒遅く打つ、これだけのことです。
 これの登録用にこの駄作ソフトを作りました。曲もつい
でにできるようにしたものです。できるmmlファイルは、
テキスト音楽『さくら』用のものです。他にも、字で書く
音楽ソフトがあります。それようのワンタッチ記譜の、
IME辞書登録をすれば、簡単楽ちん楽ちんです。

下の、仮名の楽譜と上の楽譜。
仮名の楽譜を、記譜して、楽譜に変換したものです。
ワンタッチ記譜です。『豪腕さち子さん』のお蔭です。

sotu8330  WMAファイル



mml楽譜 和音部  ワンタッチ入力です。
【トラック3】@25 音階4 //和音
「どみそ」4「どみそ」4「どみそ」2 //C
「らどみ」4「らどみ」8「らどみ」4^8「らどみ」4 //Am
「そしれ」4「そしれ」4「そしれ」4^8「そしれ」8 //G
「れふぁら♭ど」2「れふぁら♭ど」4「れふぁら♭ど」4  //Dm7-5

「どみそ」4「どみそ」4「ふぁらど」4「ふぁらど」4  //C,F
「どふぁそ」4「どふぁそ」4「どふぁそ」2   //Csus4
「そし♭れ♭ふぁ」4「そし♭れ♭ふぁ」8「そし♭れ♭ふぁ」8「そし♭れ♭ふぁ」4^8
「そし♭れ♭ふぁ」8//Gm7-5
「どみそ」4^8「どみそ」4^8「どみそ」4  //C

「らどみ」4「らどみ」4^8「らどみ」8「らどみ」8「らどみ」8 //Am
「そしれ」4「そしれ」4^8「そしれ」4「そしれ」8  //G
「らどみ」4「らどみ」4^8「らどみ」4「らどみ」8  //Am
「みそし」4「みそし」4「みそし」4「みそし」8「みそし」8 //Em
 
「らどみ」4^8「らどみ」4「らどみ」4^8 //Am
「そしれ」8「そしれ」8「そしれ」4「そしれ」8「そしれ」8「そしれ」4 //G
「しれふぁ」4「しれふぁ」4「しれふぁ」4「しれふぁ」4  //Bdim
「どみそ」4「どみそ」4「どみそ」4「どみそ」4  //C

「どみそ」4「どみそ」4「ふぁらど」2  //C,F
「そしれ」4「そしれ」4^8「そしれ」8「そしれ」4  //G
「しれふぁ」4^8「しれふぁ」4「しれふぁ」8「しれふぁ」8「しれふぁ」8 //Bdim
「どみそ」4「どみそ」4「どみそ」4「どみそ」4 //C

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2020年12月15日

卒業8320 孔子廟堂 (壮強太陽):イカスミ柳

駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click music piece.
音楽
【曲名】 卒業8320京都船旅7220
古譜6220大原練習6120天の下6520  孔子廟堂(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺 2020/12/14
    造詞、勇野 晴丈・正     俺 2020/12/14
    監修、雪柳理科夫・正     俺 2020/12/14
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  一部 『豪腕さち子さん』
【歌詞】創郷 
朝早くにみさをする 孔子廟塾の
白殿周りに来る白鳩鸚鵡と仲良くし
互いの見合わせに私も中へまじる
緑園雄々立つ 鹿津 犬鹿の白殿に
今日の日の始め

 狐の天気予報。〇r1999/09/09
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【常、日頃】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
【歌解説】
【黄泉波辺】
 黄泉の西浜の後継。穂浦津の所。花遣り歌という、霜
遣りの歌です。霜遣りという、霜の降りる穂浦の浜の西
の浜の場です。
 鸚鵡が鶏のような鳥で、孔雀のように尾を開く鳥です。
これが鳩に混じって餌を啄む朝のみさの頃です。
朝みさという、祈りの塾のことです。孔子美容の祈りで、
歌にように聞こえる、みさの祈りです。今の仏壇の初期
の恰好という。後、らいき(礼記)という。礼記の読みの
元です。後、治雄語句の四音という、音の上げ下げの言
葉のいかま、という。始まりとぞづ。
 ウォー・アイ・ニーという、下げる調子の唐の頃の四
声とぞづ。これが、今の武漢の言葉の四声のことという。
武漢四声という。白の孔子廟のみさの上げ下げとぞつ。
 中国の登用という、中国の武漢という、そこのウルチ
ルという。中国が興る日という。みさ遣りの興しという。
武漢らっく、という。中国のブウという、稲荷のブウに
なる、言葉という、神の意である。この『神』が、ごだ
け、という、神の初期である。『ごだ』がごっど God
である日のことという。ごだけのお書きという。
 これを、ぐり語という、後、福島の言いとぞつづ。
環頭の福島である。また行く福島五郎の町という、
ごだけを五郎という、福島の言いとぞづ。津の言葉とい
う。津遣りという。ごだけの言いさみ、という。
『言いさみ』が祈りである、みさとぞづ。

 鸚鵡が真似をするに鶏の尾鳴きという、『コー』とい
う鳴きの、コケコッコーの尻尾の真似という。鶏を御祖
(ごそ)という鳥である。鶏の墓の知覚に住む鳥という。
墓守鳥という、鸚鵡という。御代の日の鳥である。

 穂浦津山本里という所である。回崎島である。この
西を永尾世という。永山の場である。

 そうきょうよい時です。正(やなぎ)D14. 
//□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□■
『天照大神、そうきょう、よいよい』
そうきょうは、よい時です。正(やなぎ)。
  
腹を横に書く。
*****
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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